長春譜 
「金蝉、金蝉、金蝉ー」

 徐々に近付く足音は、振動を伴い、空気を動かす。
 執務机についていた金蝉童子は、預かり子の声を聞き、軽く目を瞑った。
「……騒々しい」
 流れのないぬるま水に永遠に身を浸すような日々を、懐かしくすら感じる。
 繰り返すだけの時間。
 変化の無い自分。
 飛び込んできた獣の子供にかき乱される生活に、溜息をつく。

 幼子の押し開いた扉が、風を呼び込んだ。



「金蝉ー!」
 急にまき起こった風に、執務机の書類が舞った。書類は白い指をすり抜け、床を滑る。
「金蝉、あのさあ…!」
「踏むな、ば…!」
 慌てて立ち上がる金蝉の目の前で、悟空の素足が紙面を踏みつけた。
「あ?」
「この…!」
 力無く睨む金蝉の表情に、悟空は困ったようにそっと足を持ち上げた。
 覗き込む書類のど真ん中には、ぺたぺたと何処へでも行く裸足の足形。続けて覗いた自分の足の裏の、土や草の色合いに、見る見る顔を曇らせる。
「ゴメンナサイ」
 悟空は、そろりと叱られた子犬のような瞳で金蝉を見上げた。余りに情けなさそうなその上目遣いに、金蝉童子は静かな溜息をひとつ、ついた。
「…次から扉は静かに開けろ。用件はなんだ」
「う…ん。ええと、あのねえ。天ちゃんがねえ」
 書類を拾おうと腰を屈める金蝉の視界に、白衣の袖が入り込んだ。金蝉の指先を掠め、ひらりと紙面が踊る。
「外で食事でもいかがです?丁度暇だし、天気もいいし。気分転換すると、作業効率上がりますよ?」
 見上げる金蝉の目の前で、見慣れた笑顔の人物が、人差し指と中指に挟んだ書類を宙に舞わせていた。

「誰が暇なんだ、誰が」
「ま、主に僕が、ですが。…だって金蝉、あなたはこうやってお迎え付きで誘わないと、あなたからは誘ってくれないじゃないですか」
 笑顔で答える天蓬に、金蝉は一瞬言葉を詰まらせ、目を逸らした。
 それを見やった天蓬は、一瞬の苦笑の後に、自分の手にある書類をまじまじと見つめた。
「……中々いいじゃないですか、この足跡。土踏まずの発達具合なんか大したものだし、何と言っても小動物の肉球めいて可愛らしい。コレ、頂いちゃっていいですか?」
「莫迦を言え。公文書だ」
「このまま天帝の御前に提出することは、流石に憚られるでしょうし。新しく書類作らせちゃえばいいじゃないですか。だからこれは、僕にくださいね」
「勝手に決めるな。…この!」
 書類を取り返そうと躍起になる金蝉を、天蓬は笑顔で、腕を大きく振って数回かわした。
 悟空が大きな瞳を更に大きく見開いていることに気付いた金蝉は、自分のしていることがいかに子供じみているのかに思いあたり、動きを止めた。
「…俺の踏んだ紙、やっぱ大事…なんだよな?金蝉、きれいにハンコ押してあったもんな。泥んこなんか付けちゃって、ごめん」
 素直な、謝罪の言葉。
 金蝉は真っ直ぐ悟空に向き直り、そしてまた目を逸らした。
「執務室に無駄な物は無い。無用な物など置いてないのは、端から判っていた筈だ」
 一瞬硬直した悟空から目を逸らしたままで、肉付きの薄い掌を、幼子の焦げ茶の髪に触れさせる。
「だが、たかが紙切れだ。幾らでも替えの効くものの為に、辛気くさい顔をする必要はねェよ」
 急に陽が差したかのように、悟空の表情が明るくなる。
「反省は必要だぞ!いいか、聞いてンのか!?このバカ猿!」
「…うんっ!気を付けるから!」
「ホンットーに気ィ付けんだろーな!?…いいからもう離せっ」
 悟空は金蝉の胴に強く腕を巻き付け、しがみついて離れない。
「やだ」
 悟空を引き剥がそうと肩に手を掛ける、その掌に頬を擦り付けられる。

 微かな困惑を浮かべる金蝉を、天蓬は面白そうに見つめた。
「諦めたらいかがです?悟空は、金蝉の大事なものを汚してしまったのが悲しくて、替えの効くものよりも自分の笑顔の方が大事と言って貰えたのが嬉しくて、」
「誰がそんなコト言ったよ!?」
「許して貰えたことに、安心して」
「俺は、反省しろと言ったんだ!」
「…こんなに全身で、『好き』って表して貰えて」
「……」
 黙る金蝉の瞳を、天蓬は覗き込んだ。
「…あなたも、素直にそれを喜んだらいかがです?本当は嬉しいんでしょう?」
「…ばっ…!」
 金蝉の声の調子と躯が跳ね上がり、悟空が驚いて見上げる。琥珀の瞳と視線を合わせた金蝉は、漸く、諦めたような声を出した。
「……飯、食いに行くんだろ。てめェが貼り付いてたら、歩けやしねェんだよ。食いっぱぐれたくなかったら、てめェの足でさっさと歩くんだな」
「…うんっ!」

 太陽を追い掛けて咲く向日葵のような。

 金蝉は、幼子の笑顔を喜ぶ自分に苦笑する。
「…しょうがねェ。躾けて餌遣って、適度に運動させんのは、飼い主の義務だからな。しかし天蓬。俺の仕事の邪魔をしたのは、てめェだからな。今日はお前の奢りだろうな?」
 『しょうがない』と言いつつ、存外気分よさそうに悟空を眺める金蝉を、更に眺めながら天蓬は穏やかに笑った。
「勿論。今日だけと言わずに、これから毎日でも。…幸い、元帥の禄は、あなたと、悟空のひとりやふたりくらいなら養える程度はありますし…」
「言ったな?悟空の食い扶持は、結構かかるぞ?」
「……どうせ引っ掛かるんだったら、そっちじゃない方に引っ掛かって欲しかったですねえ」
「ハァ!?」
「いいですよ、聞こえない振りでも。却って可愛らしいですし。取り敢えず食事です。美味しい物食べに行きましょうね、悟空」
「わあい」
「天蓬。てめェ勝手に納得してんじゃねェよ!」
 先に部屋を出る後ろ姿に怒鳴りつけ、金蝉は開いたままの窓を閉めようと、部屋の奥へと足を向けた。



 扉の開閉に伴い、室内にまた、常春の花の香を乗せた風が吹き込む。
 薫風が、紅潮したままの頬に快かった。
「悟空の素直さを誰よりも知っているのは、俺だ。それが誰よりも羨ましいのも…」
 窓が静かに閉まった。



「上官殿は、ご家族連れでどちらへお出掛けでありますか?」
「たまの家族サーヴィスで、外食でも、とね」
「誰が家族連れだ。誰が、誰の家族だ…」
「捲兄ちゃんも、一緒に行こーぜ」

 天帝の居城を後にし、城下町に入ってすぐに、天蓬は黒衣の似合う男に呼び止められた。
 軍服の襟をくつろげ、トレードマークの酒壷を腰に下げた捲簾大将は、少し斜に構えてにやりと笑った。その足下にまとわりつくように、悟空がはしゃぎ回る。
「妻子連れかと思ったんだけど、ツマとペット連れだった?ペット子供可の店なら知ってっけど…小官もお供仕って宜しいでしょうか?」
「…だから、誰が誰のツマなんだよ」
 低い声で問い詰める金蝉の、薄い耳朶が染まるのが、金糸の髪に透けていた。隠し切れない初々しさに、天蓬と捲簾は微笑ましさを感じるものの、それを口に出せばこの佳人が盛大に怒り出すのが 目に見えている。
「…ったく。相変わらず楽しそうだねえ」
「ええ。…それで?子供可のお店を教えて貰えるのはありがたいですね。案内お願いしますね」
 目を見合わせて、くすりと笑うに留める。その様すらも、金蝉の耳朶の紅潮に拍車を掛けるが、必死に平静を保とうとする様子に、捲簾は助け船を出す気になった。
「…ホラ。あのワンコが腹減ったってさ。味は保証するぜ?旨い酒に旨い飯、窓の外には只散る桜、共に眺める静かな手弱女…てなもんで」
 道の遥か先まで掛け出した、悟空を指差し唄うように誘う。軽い口調の快さと掌が、金蝉の背を押した。
「さあ」
 天蓬が微笑みつつ差し伸べる手が、金蝉に向いている。
 一歩踏み出した金蝉の足は、二歩、三歩と歩む毎に軽くなった。




 捲簾の馴染みだというその店は、朱塗りの柱の美しい楼だった。階下には賑わう酒席が設けてあるが、高殿までは、微かな楽の音しか洩れ聞こえない。
 広く切られた窓の外には、捲簾の言葉通りに、桜の古木が溢れんばかりに花を咲かせていた。

「いい店じゃねェか」
「だろ?」
 広い卓子に、美しい色合いの蒸し物やスープが、瀟洒な皿や壷で並べられた。捲簾の顔を見た店の女は、封を切っていないままの古い小さな瓶を黙って運んで来る。
「捲簾…。あなた余程こちらに通い詰めてるんですねえ」
「まあね」
 部屋まで案内をしていたのが、この楼の女主人であったらしい。たおやかな物腰で、捲簾とほんの一瞬視線を絡め、静かに下がって行った。
「夜闇になると、浮かぶ桜と月しか見えない、この楼上の窓の眺めの見事さがな。時折無性に見たくなるもんでねえ」
 女のことなどおくびにも見せずに、捲簾は瓶の封を切り、それぞれの杯に酒を注いだ。
「食事も酒も、文句の付け所がないだろ?」
 昼日中から酒杯を重ねる怠惰さへ、咎める言葉を口に出すのも無粋に思われ、金蝉は黙って杯を受けた。
 悟空は、粥や酪、甘い香を漂わせる果物、糖蜜漬け砂糖漬けの菓子が山のように盛られた盆を目の前にして、目を輝かせた。食事の作法には多少の難があったが、心底からの食欲と、美味を素直に賛美する表情が、大人三人の顔をもほころばせる。
「こぼすなよ」
 習いになったように金蝉がひとことだけ口に出し、釘を刺された本人は気にした様子もなく頷きながら、箸を口に運んでいた。

 金蝉は、時折室内に舞い込む桜の花びらを見ながら、天蓬と捲簾の会話を聞いていた。 
 二人の会話は、美味を称賛するものから稀少な酒のこと、珍味、最近下界に訪れて目にしたもの、部下達の功績、上官のプライヴェート、軍の機密、天帝の侍女の最近の噂話まで……。幅広く続いた。
 とりとめもなく流れるような会話に、金蝉は時折相槌を打ち、聞き返した。特に自ら発言することもなく、食事に箸を付け、杯をゆっくりと重ねる。二人の声と、遠い喧噪と楽の音が、金蝉には快く感じられた。

「ごちそうさまあ!」

 いち早く食事を終えた悟空が、撥条仕掛けの人形の様に立ち上がり、窓辺に寄ると外を眺め出す。
「…すっげえ、桜!」
 窓を覆うような桜花の存在に今の今まで気付かなかったのかと、天蓬、捲簾は声を上げて笑い、金蝉も憮然とした表情は変わらないまでも、おかしさに唇を歪めた。流石に照れ臭さを感じた悟空が頬を膨らませる。
「だって、飯が滅茶苦茶美味そうだったんだもん!俺、腹が減ってたんだもん!俺、外なんか見てる暇なかったんだもん!」
 大人達に更に笑われ、風船から空気が漏れるように、みるみる内に悟空の表情が曇った。
 くつくつと笑いを堪えながら、天蓬が桜の木を指差し、話題を転ずる。
「悟空、あそこにあるもの、見えますか?」
 天蓬の指さす先、花霞の中に隠された、ぼんやりとした塊に悟空は見入った。
「細い枝と、枯れた草、苔……柔らかそうな……?」
 天蓬を振り返った悟空の瞳が、期待に満ちている。
「巣!?小鳥の巣!?鳥の赤ちゃんいる!?」
「さあ?でもシジュウカラの声がしてるみたいですから、繁殖してるかもしれませんね」
「金蝉、見に行っていい?触らないから!」
 大きな瞳を更に大きくして訴えられ、金蝉は天蓬に目で如何を尋ねる。
「離れた所から見る分には、大丈夫じゃないですか?親鳥が警戒するかもしれませんが…」
「大丈夫。俺、鳥とは友達になるから。ちゃんと、悪いこと何にもしないって言うから」
 至極当然のことのように、悟空が口に出した。
 説得が鳥相手に通用するならな、と、金蝉は言いかけ、やめた。



 悟空と、悟空にじれったげに手を引かれた天蓬が部屋を出て行った。
 その後ろ姿を見送る金蝉に、声が掛けられた。
「案外、本当に鳥に通じそうじゃねえ?」
「…何がだ」
「ん。チビのコトバ」
 金蝉が寄越した視線を気にした様子もなく、捲簾は自分の手の中の杯を見詰める。
「野生動物同士、意志の疎通ありそうじゃん」
 厳つい軍服に身を固めた男が、意外に思える程に優しげな表情を浮かべた。
「あのカオで『可愛らしいお子さんですね』みたいなコト言われたら、親鳥も、結構満更でもなかったりして」
 自分の想像が可笑しかったらしく、捲簾はそのまま暫く笑い続け、呆れたような金蝉の目に気付き、またにやりと笑う。
「……あんたもそう思わなかった?」
 笑いながら金蝉の杯に酒を注ぎ足した。
 金蝉が何か言い返そうとしたその時、遠くから子供の声が聞こえて来た。悟空がはしゃいだ声をあげ、天蓬がそれにひと言、ふた言返す。
 捲簾には返事をせずに、金蝉は桜を望む窓辺に腰掛けた。欄干に凭れ、重なる桜の枝から垣間見える、悟空と天蓬を眺めた。

 風がいたずらに花びらを散らし、金蝉の白い指が摘む杯にそれを運んだ。
 遥か見下ろす大地に、小さな子供が元気に飛び跳ねる。
 桜の大木を見上げ、小鳥の巣の掛かる場所を確認する為か、指を差してはすぐ傍の白衣の男を振り返り、何か説明を受けたらしく深く何度も頷き返す。
 樹に登ろうと幹に取りかかる寸前に、自分を見守る金蝉に気付き、悟空は大きく手を振った。余りに嬉しそうな悟空の姿に、金蝉は面食らったように一瞬身を引きかけた。
 悟空につられ上を向いた天蓬が、自分に目を止めたことに気付く。青空が眩しいのか、掌を掲げたまま、金蝉の姿を視界に認め。

 こんぜん。

 天蓬の唇の動きに、引きかけた身が、欄干に凭れたままで動けなくなった。
 風が桜の枝を揺らした。
「……耳、赤いんだけど」
 す、と、掌に持つ杯を奪われ、声に振り向いて暫くしてから、何を言われたのか理解して、金蝉の頬が一気に紅潮した。
「何を」
 莫迦なことを。
 そう言って立ち上がろうとした時には、欄干に掛かった捲簾の腕に身動きが取れなくなっていた。
 間近に、楽しげな男の瞳が明るく笑う。
「 ―――― 可愛いくって、しょうがねえんだろうなあ。気持ちワカルわ」
 狭まる腕はびくともせず、金蝉は救いを求め仰け反るように階下を見た。
 天蓬の姿は、桜に隠され見えない。
「きれいなのに無愛想で有名な、観世音菩薩の甥御サマ。元帥閣下ご執心の、可愛い可愛い、真っ白なうさぎチャン。……いー匂いで、柔らかそうな……」
 捲簾の楽しそうな口調は、既に金蝉の耳には届かなかった。
 自分を閉じ込める強い腕と、押し返しても壁のように動かない胸板と、近付くほどに濃くなる煙草の香り。揶揄するような声と、それでいて柔らかな瞳。
 慌てて周囲を見渡しても、桜霞に阻まれる。
 慣れたものとは違う種類の煙草の香りが、金蝉の髪に触れた。
「……ア……」
 こなれた白衣とは違う、荒く触れる軍服と、胸章の金属的な冷たさ。
「濡れた瞳で素直でない言葉を吐いたり、それとも言葉を途中で塞き止めちゃう悪い唇って、コレ?」
 捲簾の瞳が熱を持つ。
「すんごく、甘くて柔らかそう」
「や…」
 欄干に押し付けた背が痛み、また階下を見ようと金蝉は身を捩った。
 求める姿はどこにも見えず、小さな声が遠い場所から届くだけ。

 探しているのに。
 助けて欲しいのに。
 今すぐ姿を見せて欲しいのに。
 今すぐ見つけて欲しいのに。

 欄干から落ちんばかりに仰け反る金蝉の躯が、強い力で引き寄せられた。

「天蓬……!」



 強く瞑った瞳を、ゆっくりと開いた。
 身に回す腕はそのままに、金蝉の目の前で、男は肩を震わせていた。
「…ンとに、可愛くて、どうしようか迷いそうになるね」
 笑いに、眦に涙を浮かべている。
「落っこちて死にそうになるまで名前呼べないって、どうよ、それ。しかも、最後の最後に、濡れた唇で切ない声出されちゃって。も、思わず本当にやっちゃおうかと、真剣に誘惑されたね」
「……なッ!?」

 瞬時に怒りが、金蝉の全身を駆け巡った。
「貴様、何の冗談のつもりで…!?」
「冗談が、危なく本気になりかけたって、言ってるんだけど?」
 楽しげな瞳が最後に金蝉を覗き込み、しぶとそうな唇が片頬だけ引き上げられ、離れて行った。解放に安堵の溜息をついた金蝉は、捲簾の最後の表情が、笑いと言うには少し微妙な成分を含んでいたような気がし、一瞬後に自分の脳裏からその考えを振り払った。

「上官の持ち物に手を出すってネタは、既にやっちゃってるからなあ。繰り返すのも、能がないし、諦めておくか」
「貴様…。先刻から妻子だの持ち物だの、いい加減にしろ。俺の気は長くはない」
 頬の紅潮が引かぬまま、金蝉は捲簾に凄んで見せた。
 その瞳の潤み具合に、また捲簾は苦笑を漏らしかけ、それが目の前の相手には更に気に障るのだろうと、笑いを抑えながら杯を手渡した。
 先程まで金蝉の持っていたその杯には、桜の花びらが浮かんだままだった。受け取った金蝉に、杯を空けろと目で催促する。
 捲簾の態度の変化に戸惑いつつも、金蝉は手許の杯をひと息に空けた。すかさず新たな酒がみたされ、桜の花びらがゆらりと底に沈んだ。

「なあ」
「何だ」
「……やっぱ、いいわ」
「……喧嘩売ってんのか」

「なあ」
「何だと言うんだ」
「んー。……ま、子供の素直さを見習えって言ったって、大人には辛いわなあ」
「やっぱり、喧嘩売ってやがるな…」

「………」
「………」
「………難しすぎる」
「だろうよなあ」



「……それでも……」
 名を。
 呼べば必ず振り向く人の、名を。



「金蝉!」
 つむじ風のように、その場の空気を変える悟空の声が、扉を開けて入って来た。
「俺、孵ったばっかりの小鳥の赤ちゃん見ちゃった!で、お土産!」
 ふわりと上げた両の掌からこぼれた、桜花。
 金蝉の頭の上から、ひらひらと舞い落ち、髪に、頬に触れて落ちる。
「きれいなの選んで拾って来たんだ。天ちゃんが枝折っちゃ駄目だって言うから」
 小鳥の巣を見つけた時と同じ、きらきらした瞳が金蝉に向けられる。
「なあ、金蝉。きれい?これ、好き?」
 強引なまでの、その笑顔は、それでも不快ではなく。

「…ああ。きれいだな」



「僕も、お土産持って来ようとも思ったんですけど」
 戸口に立ったままだった天蓬が、ふたりの様子を眺め微笑んでいた。
「桜の傍に、菫の群生見つけちゃいました。摘むのも忍びなくて…一緒に見に行きます?」
 金蝉の瞳だけを見ながら、天蓬が誘った。
「…それとも、まだ呑みます?」
「いや」
 金蝉が立ち上がると、金糸の髪からはらはらと、薄らと色づいた桜が舞い落ちた。
 悟空がそれを、嬉しそうに拾い上げようとする。
「見に行こう」
 金蝉の足下に回り込んだ悟空が、掌に桜をすくい上げ、差し出して見せた。
 ほんの一瞬、金蝉は緊張したように息を呑んだ。
 捲簾の瞳が、また先刻のように面白がって自分を眺めているのではないかと、金蝉は思った。

「俺に見つけてくれたんだろう。……天蓬、お前と一緒に、見に行きたい」
 ひと息に言い切った金蝉の、微かに赤らんだ頬を見て、天蓬は微笑んだ。
 嬉しそうに微笑んだ。



 自分への誘いを、杯を見せ付ける形で断った捲簾は、ひとり残った部屋で、思い出してはこみ上げる笑いに、閉口していた。
 ふと屈み込み、金蝉の髪から落ちた桜を、指先で拾い上げる。
「……可愛いねえ。ほんのり色づいた所なんか、正しく桜みたいじゃねえの。……やぶ蛇になりそうで、怖かったりして」
 花びらに接吻け、自分の酒杯に、そっと浮かべた。
 酒房が忙しいのか、女主人は当分やって来る気配はない。

「窓の外には、只散る桜。…今日はひとりで眺めましょうか…?」














 fin 







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◆ note ◆
カウンタ50000を踏んでくれたりくさんへ
リク内容、総受けちっくで、ちょっと自分に自信のない金蝉でした
いつも、リクエスト内容からズレ気味なお話になってしまって申し訳ないのですが、
果たして今回は…?
捲簾書くの、とても嬉しかったです
りくさん、お待たせしてしまいました
愛され誘われ押し倒されかけの金蝉と、金蝉の髪からこぼれた桜花を、
りくさんに捧げます
いつもありがとうv