たまたま通りがかった道にあった庭先で、ちょっと目に付いただけだった。自分でも、ほんの一瞬脳裏に蘇っただけだった。遙か昔に聞いた言葉が…。だから躯はそのまま通り過ぎようとしていた。
「おや、こんなに寒いのに咲いているのは…香りはばらみたいですねえ」
穏やかな声で呼び止められる。八戒の声と、漂ってきた香りに立ち止まってしまう自分の表情が、まだその一瞬に占められていたままだなんて、思いも寄らなかった。
■■■FLY AWAY■■■
「それは粉鐘楼、フェンズワンロという名の四季ばらだ。繰り返しよく咲くんだそうだ」
八戒が驚いた顔で振り返ったが、ばらに視線が行ってしまったオレは気付かなかった。
「この国の、古くからあるばらで…。いい香りだな」
香りをかいだ後で、やっと三人が呆気にとられた顔でこっちを見ていることに気付いた。
「三蔵…熱でもあるのかぁ?」
「クソカタボウズでも花を愛でるなんて…ことあんのかよ?マジでェ?」
奴らが呆然としていて、面白がり出す前に足を進める。
「てめェら、ちんたらしてねェでさっさと歩けェ!」
歩きながらも思い出してしまう。遙か昔の言葉。自分に向けられた優しげな表情。柔らかい声。そしてそんな声音に似合わぬ、激しさを込めた…。
『遠くへ、どこまでも遠くへ行きなさい』
「江流、来なさい。ほら咲きましたよ!」
「わあ、いっぺんに咲きましたね。小さいのにすごくいい香りがします」
「そうでしょう、いい香りでしょう。この花はこの国に古くからあるばらでねぇ…」
そう、このばらの名前は、我が師、光明三蔵法師が教えてくれたのだ。あの人は植物が好きで、どこからともなく苗木を持ち込んでは育てていた。どんなに細い枝でも、小さな葉っぱからでも挿し木で増やして花を咲かせていた。
呆れるほど大きくなって、人に譲る羽目になった木も沢山あった。立派な花木を譲られた人が、お礼に持って来てくれた珍しい果物なども、花の下でふたりで食べたりした。
晴れ渡った空の下、澄んだ空気の中で花の香りを感じて子供らしい幸福感にひたったあの日…。
「でもこのばらには遠い国のばらも掛け合わせてあるんですよ」
「…遠い国ですか」
「ええ、私たちの信ずる御仏の生まれた国よりも、ずっと遠くからです。そこでは御仏ではない神々が生きづいている…」
「神が、違う、のですか…」
「ええ。私たちだけではないのですよ。この世に生きているのは。私たちの信仰はとても尊いものです。しかし、別の神々を信仰する人達も、尊いものを信じているのです。距離で隔てられても同じものを信じていることもあるし、違うこともある。時間も同じ。今私たちの信仰する御仏は、時が経てば変わって行くのかもしれず、なにも変わらないのかも知れない…」
光明三蔵は、後半の言葉は自分に向けて放っているようだった。
「変わらぬものもあるのです。きっとどこかに…」
「どこにあるのでしょう?」
「さあ、それは江流が自分で探さないとね」
「オレなんかが探せるようなモノなんですか!?」
光明三蔵は、鳩が豆を喰らったかのような反応に笑い出したのだった。
「ええ、遠い天竺には、ありがたいお経がまだまだあるそうです。私たちが未だ目にしたことのない、新たな教えがあるのかもしれません」
「天竺…。御仏の生まれた国…」
「遠いと感じますか?江流」
「…はい。遠すぎて見当も付きません。今のオレには遠すぎます」
交易都市の外にもロクに出たこともなく、遙か砂漠を駱駝や馬や、稀にオンボロなジープで旅する人達をかいま見ることはあっても、自分がその砂漠の外に出ることなど想像もしていなかった。
見渡しても道も塀もなく、自分のコンパスや星を頼りに進む。どこまでも、どこまでも続く砂漠。視界の半分を砂と空で分け合う世界…。それは大層恐ろしく、大層惹きつけられる世界だった。
「そうですね。今のあなたでは生きては行けませんね」
「はい…」
しょんぼりしたオレを、光明三蔵は微笑んで見つめたのだ。
「今のあなたでは、と、言ったんですよ」
「今のオレ…?」
「ええ、自分達と違う人達と出逢うのなら、その人達と会話を交わせないとね。自分と近しい人と話すのにも、今よりもっと沢山のことを知っていたり、出来なかったりしたら、相手にもしてもらえませんよ」
「じゃあ、今よりもっと沢山勉強して、どこへでも行けるようになります!」
もしかしたら、心の中では「行けるようになれますか?」と聞いていたのかもしれない。自分の意志よりも、あの頃はお師匠様の言うことの方が正しいと信じ切っていたから。でも、あの人は…
「そうですか。頑張りなさい。頑張りなさい」
とても嬉しそうに笑ってくれた。
「行けるようになれますか?」と、聞いていても「なれますよ」と、必ず応えてくれる人だった。安心させて、人を元気づける人だった。
…でも。
その時には本当に自分で「そうなってやるぞ」と、思っていたのだ。砂漠を越えて、遠い遠い国へと行く。それが出来るように、絶対になってやると、思ったのだ。そしてそれを、お師匠様は心から嬉しく感じてくれたのだ。
「江流」
優しい笑みと、柔らかい声でオレに言った。
「遠くへ、どこまでも遠くへ行きなさい」
「…三蔵、三蔵!」
我に返って、八戒を見る。数回名前を呼ばれたようだった。肩に手が掛けられている。
「ほら、ここですよ。刺客達が人質を取って立てこもっているのは…」
そうだ。オレ達は今現在が旅の途中なのだ。「言葉の通じない人達」どころか、極一般的な常識もいちいちひっくり返す癖のある馬鹿や、本能だけで食いまくる猿や、非常識世界の聖人君子面のコンニャクみたいな奴らと旅を続けているのだった。
「どうしました?さっきから微笑んでますよ」
八戒が面白そうな、でもちょっと妬いてるみたいな顔で見る。
そうか。さっきからずっとか。ああ、時間が蘇って来るんだ。まだ息づいているんだ。オレの中で。
光明三蔵の言葉をまた思い返す。
「どこまでも遠くへ」
…ええ、今は遠く目指してますよ。あいにくありがたいお経ではあるものの、あなたの形見ですがね。必死で探してますよ。それこそ、死にそうになって頑張ってね。でも。
ついでにまだ見ぬ方も探して来ますよ。多分。
そして、今は……
「オレ達の旅の邪魔したこと、後悔させてやるぜ。死んでから謝りやがれ!」
四人、同時にダッシュした。
◆ END ◆
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□ あとがき □
「あっ!健全じゃーん」なんて、自分で後から気付いたりして^_^;)
よしきはほんのちょっぴりばらフェチさんなのさ♪粉鐘楼はまだ持ってないのさ♪
欲しいのさ♪ちなみに作出年は不明なのさ♪
今一番可愛がってるコは「カーディナル・リシュリュー」って紫の花を咲かすコなのさ♪
密かに「sanzo」と名付けて時折呼びかけているのさ♪♪♪
200HITのななさんへ、ありがとうの気持ちを込めて
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