たとえば、こんな夜 
 寒くって、部屋の中にいても手足が冷たくなりそうな。
 冬ってそういう時があるじゃないですか。ほら、こういう安宿なんかだと、暖房利かないし。食事の時には気にもしなかったんだけど、やっぱり寒い。窓の外を覗こうかなあ、なんてベッドの上で躯をひねってそちらに向くだけで…冷気を感じる。カーテン、レースのだけじゃ駄目ですね。もっとぴっちりと閉めておかないと…。
 諦めて近寄る窓の外は、夜目にも判る曇り空。
 多分、夜中に雪が降るのだろう。

 ベッドに寝転がって文庫をめくる指がかじかんで来た。
 冷えてきたなあ。…三蔵の秘蔵のお酒、飲んじゃおうかな。グラス一杯分…おっとと。表面張力限界。頂きます。
 毛布を肩にかけて、ベッドに座り込む。サイドボードにグラスを置いて、読書の続き。
 静かで静かで、静かな夜。
 ゆっくりと過ごす、静かな夜。
 会話の途切れることのない楽しい夕食の後の。少し騒がしいけどね。笑顔で交わす「おやすみ」の言葉。閉まるドア。誰もが眠る冬の夜。あんまり寒すぎて、誰もいない外。みんな、家の中で大人しくしている。この部屋だって、多少の寒さはあるけれど、居心地はいいんだ。
 しいんと静まる、室内。
 そうするとどうしても神経の行ってしまう、水音。…さっきからどうやっても駄目みたいですねえ。なんだか三蔵がバスを使う音が気になってしまう。
 シャワーの音。水音。暖かいお湯。立ちこめる湯気。…そのくらいでやめておけばいいのに、お湯を使う人のことまで考えてしまう。
 寒いせいなんだろうなあ。多分、きっと。僕が考えてるのって、寒さのあまりに暖かいことばっかりになっているんだ。単に自分もさっさと風呂に入りたいだけ。そういうことに、しておけ自分。

 段々自分が情け無くなって来て、諦める。ちょっと気分転換しないと身が持たない。
 視線が、さっきカーテンを閉めた窓の外に向かう。
「うわ、寒い…」
 躯に巻き付けた毛布も、風が巻き上げて来る。ゆっくりと歩き出す、夜の街。本当に人っ子ひとりいない通り。見上げた空は、とても低い。
 誰もいない路を歩いているうちに、子供の頃を思い出してきた。こっそりと夜の散歩に出たことを。あの時は、世界中で自分がたったひとりのようで、なんだか淋しくて、それでも自分だけが知る真夜中の世界がちょっと誇らしかった。…満月だったっけ?あの時は。小さな街の中、たったひとりで冒険をしたんだ。お供がいたっけ?やせっぽちの野良猫が一匹。猫と僕は、先になり、後になりしてずっと歩いてた。公園に差し掛かると、ぶらんこに座って、猫も僕の膝の上に乗ったんだ。
 丁度、思い出していたら公園が目の前にあった。…ぶらんこが風に揺れている。

 きい

 きい

 きい…

 大人にとってぶらんこっていうのはなんだか随分怖いもののようだった。立ち漕ぎすると頭のすぐ真上にぶらんこの鉄柱が通る。こんなに小さなものだったんだ。思いっきり漕いでみると、あっというまに躯が水平になるくらいまで揺れる。子供の頃はこれがとても嬉しかった。
 思いっきり揺れる視界の中で、薄暗い世界の中でも目立つ金の髪と白い法衣が見えた。

 僕は手を離しジャンプする。一瞬上に放り投げられる自分の躯。まとった毛布が、きっと今は翼の様に広がっているはず。そしてすぐに落下。着地。僕は背を伸ばし、両腕を上げる。
「10.0?」
「高さが足りない。減点0.5」
 呆れた顔のあなたに、僕は笑い掛ける。

「どうしたんです?湯冷めしちゃいますよ。髪の毛ちゃんと拭きましたか?」
「…どうかしたのは、てめェだろ?こんな夜中に何やってやがる」
「探しに来てくれたんですか?優しいですね。ちょっと散歩してるだけですよ。ほら、今にも雪がふりそうじゃないですか。雪の降る瞬間って、待ってみたいなー…なんて思ったんですよ」
「…バカか」
「すぐに戻りますから。先に帰っていてください。芯まで冷えてしまいますよ」
 僕はまたぶらんこに座る。こぎ出そうとした目の前に三蔵は立つ。
「冷えるって、誰のことだ。ほら、鎖と同じくらいに冷てェじゃねェか」
 三蔵は僕がぶらんこを掴む手に触れ、両手で包み込む。
「お前が帰んねェってんだったら…お前の物好きがどれだけ酷いもんだか判らせてやるよ」
 三蔵は、僕の隣のぶらんこに立ち上がった。そして勢いよく漕ぎ出す。あっという間に揺れ出すぶらんこ…。
「三蔵。本当に冷えちゃいますよ」
 勢いよく振れるぶらんこに、三蔵の髪が舞う。濡れた髪は、重たげに揺れる。三蔵の法衣は風をはらんで蝶のようだ。
「…三蔵。三蔵!躯冷え切っちゃいます!判りましたから!僕も帰りますから!」
 三蔵はぶらんこからジャンプする。思いっきり真上に飛んで、着地。草履の下で軽い砂埃。
「…10.0だろ」
 覚めた顔で、肩頬だけ嘲笑うかの様な笑顔。
 濡れた髪が張り付いた頬。…寒さに鳴る歯。
「異議なし。本日の最高得点」
 僕は三蔵に駆け寄ると、毛布を広げて抱き込む。毛布の中で、冷えた躯を抱きしめる。
「急に消えんな。馬鹿野郎」
 歯を鳴らしながら、悪態を付くあなた。髪は氷の様に冷たかった。
「心配してくれました?すいません。でもほら…」
 僕たちは揃って天上を見上げる。
「振ってきましたよ。雪」
 ひらひらと舞い降りる雪。ひとひら、ひとひらがくるくると舞う。
 腕の中の人をしっかりと抱きしめながら、風に雪が舞うのを見た。三蔵の躯は本当に冷たくて、歯だけではなく、全身が震えていたけれども、僕は暖かさも感じていた。
「ごめんなさい。心配させて」
「…雪が光っててきれいだな」
 片腕を毛布から出した三蔵は、雪を受け止めてそう言った。
 ふたりで毛布にくるまりながら部屋に戻ると、僕は大急ぎでバスタブに熱い湯をはる。
「三蔵、とにかく早く暖まってください。あなたの躯、氷みたいでしたよ」
「暖まんなきゃならねェのは、オマエだ」
 そういうと、バスルームに備え付けてあったボトルを手に取る。バスタブにそれを入れると、蛇口からほとばしる湯に泡が立ち始める。
「オマエ先に入れって言っても、聞かねェんだろ?どーせ。このバスタブでかいから、なんとかふたり入るだろ。いっぺんに暖まっちまえ」
「僕、ちょーっと、それ拙いんですけど…」
「煩い。文句を言うな。オマエが招いた事態だ。…拙いのはオレも同じだ。だからこれを入れた!」
 三蔵は真っ赤になって怒りながら、バスバブルのボトルを指さす。…ええと、拙いって、やっぱ…?え、三蔵が…?
「ほら、さっさと脱いで入れ!氷だと?誰のこと言ってる!?血の気引いてる顔で何言う!?ひとりで脱げねェってんなら…」
 三蔵が僕の服に腕を伸ばそうとしてくるので、慌てて自分で脱ぐ。殆どやけくそのスピードで全部脱ぐと、バスタブに飛び込む。三蔵もほぼ同時に湯に入ってくる。
「…はあっ…。暖けー…」
「…本当に。暖かい…」
 先刻までの身を切る様な寒さに慣れた躯に、熱が染み通るようだ。熱い湯気が、乾いた鼻腔を湿らせる。ちょっとせまっくるしいけど、バスタブの淵に頭をもたげて、全身脱力。長く息を吐くと、隣からも同じ様な吐息が聞こえた。
「三蔵…。あんまり寄り過ぎると、僕ちょっと理性やばいので…」
 暖まった気持ちよさで、開き直って言う。三蔵は、泡に埋もれて、時折ふうっと息で泡を吹き飛ばしている。
「…どーせ、普段からブチ切れ気味だろ。にっこり笑顔で何時だってヨラバキルみたいなヤツの癖に。オマエの理性なんか、最初っからアテにならねェんだよ」
「ははは」
「そんなに不確かな理性、必至で守ろうとするから、真冬の夜にふらふらするんだろ!?だったら最初から捨てちまえ」
「…三蔵?」
「オマエ最近、オレが風呂から上がると、絶対に目ェ合わせない。本だの、天井だの、どうでもイイモノばっかり見て…。悪いことしてるみたいな顔で、目、そらしてる」
 三蔵は、怒った顔で言い続ける。静かな声で、でも真っ赤な顔で続けてる。
「悪いことなんか、オマエはしてねェ!人にどういう気持ち持つかなんて、誰にも何にも言わせねェ!オマエがあんな顔で目ェそらすのなんて、オレは見たかねェんだ。…オレを見ろよ。ちゃんと」
 少し呆然としたまま、三蔵の顔を見る。全部ばればれだったという気まずさよりも、そのことが三蔵を傷つけていたということが、驚きで。
「あんな顔されるくらいだったら…。するくらいだったら、全部、見ろ。…全部、…見、ろ」
 三蔵は、少し語尾を震わせながら、立ち上がった。
 きれいに筋肉のついた、細身の躯。暖まったせいだけではなく、羞恥に染まる白い肌。髪が首筋に張り付き、滴を垂らす。真剣な面差しで…緊張で歯を食いしばっていた。
「…見ればいいじゃないか」
「三蔵…」
 僕が手を伸ばすと、びくり、と躯をこわばらせる。僕は三蔵の腕に触れ、また湯に引き込む。泡に隠れそうな頭を撫でる。
「三蔵、あなたにそんなことさせるのも、僕は辛いです。でも、あなたがそんなに傷ついてたなんて、思いもしなかった。すいません。僕はしょうがないな、あなたにこんなことさせるなんて…」
「…別に、たいしたことじゃない。オレのこと、嫌らしい目で見るヤツなんて、今までゴロゴロいた。気にくわなければ、そういう奴らは全部叩きのめしてきた。…でも、オマエみたいに、辛そうに目をそらされると…。オマエがオレのことで、罪悪感感じてると思うと、それが…」
「僕は…あなたのこと、好きなんです。あなたの強さや、気持ちのきれいさ。ちょっとワガママだったり、気性が荒いところまで、全部。…全部、欲しくなる…」
 僕は、目を瞑った。
「あなたのことを、欲しいと思ってる。いつでも。…でも、今みたいに怖がられながら躯を晒させるなんてことは…したくはないです。無理しないで」
「オレは…」
「僕はこれから正直に思いをあなたにぶつけるようにするから。だからあなたも自然にしていてください。無理しないで…」
 まだ顔の赤い三蔵に向かって、にっこりと笑い掛ける。僕が出来る、最高に優しい顔で、笑い掛ける。
「ちょっとはうぬぼれてますからね。無理矢理ではなく、そのうちあなたを落としますから」
「…オレだって、オマエのこと、…好きだ。今のは確かに、自分でも無理したと思ってるけど、でも全然駄目、じゃないんだ。オマエがオレから目を背け続けるくらいだったら…オレから…」
「いつか、抱きます」
 ハッキリと宣言してしまう。
「あなたが怖がらないようになったら。いつか…僕のものになってください。僕だけのものに」
 三蔵は、更に顔を赤らめながら、こくりと頷いた。
 僕は、やせ我慢してる自分に気付いたけど、でもなんだか誇らしいような気もしていた。
 大事にしたいと、心から思ったから。
 手早く湯を落としながら、シャワーを浴びて泡を落とす。三蔵の髪もさっと洗ってやる。指に絡む金糸が、うっとりするほど綺麗だった。
 先に上がってバスローブを羽織った三蔵は、シャワーカーテンの向こうに椅子を持って来て座っているようだった。僕は自分の髪を洗いながら、三蔵の声を聞く。
「無理、じゃないんだ。ただよく判らないから、緊張しちまう。それだけなんだ…」
「ははは、なんだか本当に楽しみです。くくっ、ははは」
「…笑う事はないだろう」
「いえ、可笑しいんじゃなくって…嬉しいんですよ。楽しみで」
 僕は、ここ最近の自己嫌悪が吹き飛ぶのを感じたし、自分の心を伝えられた喜びで一杯だった。それに、「好き」って、言ってくれたし…。もっと僕のことを好きになって欲しくて。誰よりも、あなたの中の一番になりたくて。
 鏡の前にふたり並んで、ドライヤーで髪を乾かす。洗い立ての三蔵の金髪は、柔らかく指を滑る。僕の髪を梳く三蔵の指も、滑らかだった。
 寒い部屋のベッドに潜り込もうとすると、三蔵がすぐ傍らに立つ。
「…寒いんだよ。先刻湯冷めしたせいもあるし。責任取れ」
「あなたこそ、責任取ってくださいね。しりませんからね。待つって言ったけど、アテにならない理性の持ち主ですからね」
 僕は、自分の布団をめくり上げて、三蔵を入れてやる。きゅうっと躯がくっついて、暖かい。柔らかな髪が愛しくて、頬を密着させる。
「そうだ。オマエの理性なんて、アテにならない、ならない。…でも責任は今度な。今はもう、眠たくて眠たくて…」
 ふたり同時に大きなあくびをする。

 今夜はいろいろありすぎて。幸せな気分のままで、暖かさを感じて…。
 すべてをさらけ出してくれたあなたに、僕の真実を捧げよう。
 きれいなあなたに、僕の中の一番きれいな心をあげよう。

 沢山の優しさをくれたあなたに、それを全部返そう。
 持てる限りの優しさを返そう。

 自分の卑怯を許してくれたあなたに、信頼を。
 自分の愛を許してくれたあなたに、愛を求めよう。

 幸せに、幸せになりたい
 ふたりで
 しんしんと雪はつもり、静かな夜は更けていく。
 朝には、雪景色で真新しい世界が開けていることだろう。



















 終 







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テーマは「可愛い(ちぇりーな)らぶらぶ」
…長過ぎだってば(笑)
…一体これはどうしたもんでしょうね
うーん…でもやらせたいコト沢山させちゃったv