SLEEPING BEAUTY
寒い日が続いていた。
三蔵は数日前から体調を崩していたらしい。急に熱が上がったのだ。明日には次の街につくだろうという頃で…宿でゆっくりとさせた方が回復も早かろうと、その日は強行軍になった。
助手席に座る悟空が時折心配そうに後部座席を振り返る。三蔵は、悟浄に支えられて今は眠っているようだった。
「悟浄、大変じゃありませんか?出来ることなら代わってあげたいんですけど…」
「運転じゃ、しょうがないよなあ…」
悟浄は「うん、オレも代わってやりたいんだよ」と言いたかった。お前さんの気持ちはよおおく解るから、だから、だから………。ミラー越しの八戒の顔は笑顔だ。確かに笑顔だ。笑顔の形に筋肉を動かしてある。それなのに。
「ずっと支えてると疲れちゃうでしょう?」(にっこり)
頼むから凄まないでくれ、と悟浄は心の中で訴えた。
眠る三蔵の為にいつもよりも静かに過ごすメンバー。しかししゃべらない悟空はすぐに車の振動で眠ってしまうのだ。それでは支えにはならない…。ジープの運転は八戒にしか出来ない。それで悟浄がぐったりとした三蔵の躯をずっと抱えているのだ。それは必然だったのだ。
熱でふらふらする三蔵を、自ら後部に座る悟浄の腕にもたせかけたその瞬間から八戒の顔は仮面のようだった。話しかければ笑顔。三蔵の心配をするときには、心配そうな顔。でも絶対に本心は違っている。それが長い付き合いの悟浄にははっきりと感じ取れる。
「なあ、三蔵、今眠ってる?」
悟空は三蔵のことしかしゃべらない。心底心配なのだ。でも…心配しながらもすぐにうとうととしてしまう。そしてまた、目覚めると三蔵の心配をして後ろを振り返るのだ。
「悟空、大丈夫ですよ。三蔵も鍛えてますからね。悟空は優しい子ですね」
「…八戒も心配そうだなあ。うん、そうだね。三蔵強いもん。すぐよくなるよな」
お互いを労わる運転席&ナヴィシートのふたり…
だから、オレもそりゃ、心配くらいはしてるって…
「悟浄、ちょっと揺れますから…」(にっこり)
少しでも三蔵の衝撃を緩めてあげてくださいね。
でも、それ以上近付いたら承知しませんよ。
悟浄には八戒の心の声が聞こえて来るかの様だった。
少しでも早く、街まで着きたい。選んだ近道は結構な斜面の悪路だった。ジープは揺れる。三蔵も揺れる。八戒の心も揺れているらしい。静かに揺れる八戒の心の内が、悟浄にはとても、とても恐ろしいものに感じられる。
がたがたんっ
また揺れが続く。三蔵は辛いのか眉根を寄せている。三蔵を包んでいる毛布が風にあおられそうになり、悟浄がそれを押さえる。
「大丈夫ですか?」
ミラー越しにどんな変化も見逃さない八戒。こいつ複眼の持ち主か…と、悟浄もミラー越しにモノクルを改めて見なおす。
どんどん増して行く振動の激しさに、悟浄は八戒にお伺いを立てることにした。
「揺れが…激しいんだけど。しっかり支えててやらないと倒れるかもしれないんだけど…」
「ああ、悟浄、頑張ってくださいね。」(にっこり)
だから、お願いだから凄まないでよ、オレにっっっ。
三蔵の熱は上がっているらしかった。息が段々熱くなる。倒れかかる躯。やむなく、胸で支えて抱きしめる形になる。ぐったりと眠る彼は、白皙の頬だけが燃えるようだ。普段の強い光を放つ双眸は硬く閉じられている。青ざめた目蓋。近くで見ると思っていたより鼻梁とおとがいの細さとが目立つのに気付く。
眉が寄せられ、唇が少し動き何事かをつぶやく三蔵。
「……」
今は乾いている唇。柔らかそうな。
花みたいな色してんな。悟浄はそう思ってしまう自分に気付く。
「悟浄、『寒い』ですって」
だからだからお前、オレの聞き取れないことが、どーーーーーっしてそこで聞こえるの!?悟浄としては既に底なしの恐怖感に支配されかけている。八戒の、三蔵に対する執着には、かなり以前から気付いてはいた。でも人間が何を、どう求めるかなんてことは、絶対に他人の口出し出来るようなものではないと思っていた。
でも、でもね、だからね?べっつに、オレだってオンナノコ支えるんならともかく、野郎に密着してても嬉しくはないのよ!?そこんところ、ちゃんと通じてんのか?
そんなことが嵐のように脳裏を駆けめぐっていた悟浄に、悟空が爆弾を投げつける。
「悟浄、三蔵抱っこしてあげて」
一瞬揺らぐジープの軌跡。
「ほら、やっぱり寒いんだよ、三蔵。暖かくしてあげないと、震えてるじゃん」
悟空は助手席のシートベルトを外して無理矢理後部に躯をひねり込む。三蔵を悟浄の膝の上に押し上げ、毛布を二人の周りにしっかりと巻き付けるとやっと安心気に笑う。無私の笑顔に対して、もう反論も出ない。
確かに三蔵は人肌に暖められて少し楽になったようだった。毛布の下、今まで自分の躯を堅く抱きしめていた腕を弛緩させ、また別の体温を求めるように指が彷徨う。
…うわっ
大きく開いた自分の胸元あたりを探られて悟浄は慌てた。
こいつ、指、やーらか過ぎ。なんで寝てんのにそんな微妙に爪立てんのか。生まれたての子猫の爪を思わせるようなしがみつき方。
抱き上げた躯は、自分の骨格とは一回り違う華奢さ。骨自体が細いのか。肩や背中や腕にきれいに筋肉はついているが、全体に薄い。毛布の中の空気が熱くなる。三蔵の体温が自分まで熱くするのに悟浄は閉口する。丁度、自分の肩口あたりに三蔵の頭が来ていた。金の髪が顎をくすぐる。時折唇にも触れる。
「ん………」
三蔵が身をよじらせた。
おいおいおいおいおいっ、おいーーーーーーーーっ!
悟浄は叫び出しそうになった。三蔵が自分の頭を、悟浄の首筋のくぼみに落ち着かせたのだ。そしてそのまま満足げな表情で眠る。三蔵の唇、悟浄の首筋まであと1センチ。熱い吐息が直にかかる。乱れた髪が胸を撫でる。汗ばんだ、その香りが悟浄の鼻腔をくすぐる。
こいつ、天然だ…。天然のフェロモン爆発さんだ………。
眠ってて、これ、か。いや眠っているから本性が出てるのか。自制心の効いていない状態の、三蔵の「求め」方…。やばい。やば過ぎる。
元々、甘ったれた求められ方が好きな自分である。女達の適度に技巧を散りばめた甘えが、自分のどこかをくすぐる。しかし。しかし…。それを無意識でやられて、しかもそれをするのが三蔵であるとなると…。
もう、ミラーが怖くて見られない。
八戒、凄むな。
そして三蔵。これ以上身動きしてくれるな。オレを刺激してくれるな!八戒を刺激してくれるな!!
「ふ」
突然、八戒の唇から空気が漏れる。
「ふふ、ふふふ…」
「あれ?どしたの、八戒」
「いえ、別にね、別に。ふふ。おや?何もおかしい訳ではないんですけど。ふふふ」
「ふふふふふふ…」
「あれえ、悟浄までぇ?何?何なのー?」
「ふふふ、ふふ…」
「ふふふふふ…」
車の前部と後部に分かれて続く、男達の虚ろに乾いた笑い声。決して楽しい訳ではなく、精神のどこかを維持しようとする時に出る笑い声。常になく滑りがちな轍がふたりの内心を表すかのようだった。
街までがこんなにも遠いと感じられたのも、ふたりには初めてだった…。
結局、その日の夕暮れには街に到着してすぐに宿に入れた。三蔵もベッドで休めるようになって数日で体力を回復する事が出来、また旅は続いている。それまでと同じように。
ただ、しばらくの間、悟浄と八戒はふとした瞬間に目があって「ふふふ」という虚ろな笑いを思い出すことが多かった。自分と相手の歩む道を思い合って。自分達の旅がエライ人種に先導されているということを痛感し合って。
ホント…お前、エライ相手に惚れ込んだもんだよな…そう、悟浄は思う。
悟浄の夜遊びが頻繁になったことに関して三蔵が文句を言う度に、八戒も思う。
誰だって自分の覆された常識を取り戻そうと、努力はするもんでしょう、と。
…間に合うものだったらねえ、とも。
◇ 南無三 ◇
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