Paradiso 
まっしぐらに光の梯子(かけはし)を舞い昇りながら、
私はどこまでも自由だった。ベアトリーチェがそばにいた。
彼女は前を向いていた。
私は光の中にいた。
                            『神曲』 ダンテ
 補給の為に立ち寄った街は、適度に活気に満ち、適度に薄汚れていた。
 陽の当たる路には食品や子供の玩具、花などが並べられ、少し奥まった路にはそれなりの薄暗さを持つ女や酒が売り物となっている。そこを生活の場とする人間も、明るい昼間は女子供がさざめき歩き、夜になるとどこからか現れる顔を見られたくない者達に入れ替わる。

「まあ、居心地がいい、ってカンジかね」
 銜え煙草の悟浄が、濃い化粧で店へと急ぐ女を見ながら呟く。
「…夜行性ならではの言葉ですねえ…」
「なんなら残ってもいいんだぞ。一生居心地よくしてろ」
「俺それ賛成ー」
「…ったく、ヒトコト言うと100倍返しっておめーらのことだな」
 明るみよりも暗がりの方が似合う悟浄ではあるが、他のメンバーもそう大して差がある訳ではない。食品の買い出しに次ぎ銃弾の補充の為に入り込んだ裏道でも、決して浮き上がらないではないか。悟浄は更にそう言い募った。
「悟浄、そういうのは多面性と言うんですよ」
「ウラオモテの間違いだろ…」
「オレはどこでもオレの流儀だ」
「俺は三蔵のいる所だったらなんでもいいんだもん」
「いーよなー、天然って」

 普段通りの騒動に、飽き飽きした様に三蔵は目を反らす。ふと、暗がりの老婆と視線が合った。赤い布地で覆った机の上で、水晶に両手をかざしている。
 水晶の隣には、真っ白な文鳥の鳥かご。
 埃っぽい白のずらりとした衣服とヴェールに包まれた…巨体。でっぷりとした体躯に、ヴェールを透かす乱れた白髪。両手には、宝石とガラス玉の指輪が入り混じり雑多にはめられている。

「お前さん、光り輝いてるねえ。それと同じくらい影が強いねえ。…因果な人生だねえ?この占いお婆が影を退けるまじないでもしてやろうか?」
「遠慮しておく」
「まあまあ、そう言わずに」
「…触ンなババァ!」
 既に三蔵の袂はしっかりと握られ、巨体に引っ張られる法衣姿は、押し潰されそうに見える。
「…モビィ・ディックか小早川奈津子嬢か、ってカンジですねえ…」
「誰それ?」
「誰、って言うか、ナニ、って言うか…」
 口ごもる八戒の目の前では、三蔵が老婆にしっかりと捕らわれている。

「顔をよくお見せ。おやおや、こんなに綺麗なのに女難の相が出ているよ。手相もお見せ。…こっちは水難。水晶にはね、お前さん、暫く髪を切ってはならんという卦が出てたんだよ」
「勝手に占うな!不要にくっつくな、ババァ!…酒臭ェ!」
「難除けのまじないの礼は酒でいいよ。その替わり良い酒にしとくれよ。これでこの占いお婆は口が肥えておるでのう」
 ひひひ、と笑いながらも老婆は三蔵を離そうとしない。三蔵も酔っぱらいの老婆に銃弾を撃ち込むことも出来ず、怒鳴り散らすしかない。
「…面白えから、見てよっか」
「あ、じゃあ僕銃弾を購入して来ます。妖気はないから放って置いて大丈夫でしょう」
「妖気っていうか…充分アヤシイと思うんだけど…」

 悟空すら面白がる程に、対照的な取り合わせだった。金と白。整然と雑多。細身と巨体。しかし老婆は、酒臭さと胡散臭さはあるものの、妙に陽気な印象を周囲に与える。それを見取ると、八戒は銃器を扱う店へと向かった。

「ああ、あの占いの婆さんね。ふっかけやがるだろう。しかも全然当たんねえ」
「えぇ?メチャ当たるって聞いてますよォ?しかも御代がビール1本でいいって言われたって…」
 銃弾を箱に詰めながらの店主と、まだ若い店員は正反対なことを話した。
「あのババア!相手見てボってやがるのか。ヒトには散々説教しやがったクセに…」
「オヤジさん、裏でやってる高利貸し、それで利子下げたんですか。やっぱあの婆さんイイヒトなんじゃん」
「畜生…。あれで恨まれないのが謎なんだよなァ…」
「恨むどころか、俺らの間ではこの町のハハって呼ばれてんすよ」
「ハハ、ですか…」 
 八戒は多少呆れながら店を出た。

「お婆ちゃーん。ありがとう、やっぱりあの男と別れて正解だったわ。すぐにいい人が現れたのよ!あたしね、お婆ちゃんに言われた通り今度は真っ当な生活するわ。これ、お礼ね。お酒と…あと缶詰あげる。お婆ちゃんもちゃんと食べて長生きしてねー」
「あいよー、ありがとうよ。…幸せにおなりよ」

 八戒が戻ると、老婆の元へ一見して水商売風の女が現れた所だった。会話を交わしている最中でも、三蔵はしっかりと捕まえられている。
「三蔵が逃げ出せないとは、やりますね…」
「八戒!てめェがここに戻るって言うから動けなかったんじゃねェか!!」
「ああ、まだ宿を決めてなかったですからねえ」
 血管を浮き上がらせて怒鳴る三蔵を余所に、老婆は嬉しそうに話しかける。
「おや、じゃあうちにおいで。気楽な独り暮らしだからね、遠慮するこたぁないよ。…宿代浮いた分で酒を買って来てくれたら、占いの代金はロハにしてやるし」
「じゃあ、お願いしちゃいましょうかあ、ねえ?」
 余程見ていて楽しかったのか、悟浄と悟空も異存はないらしい。
「ババァ、勝手に占って料金取る気だったか!?」
「年寄りはいたわるもんだよ」
 三蔵を捕まえたままで占い道具を器用に仕舞い込む。左手に鳥かごをぶらさげ、反対の手にはそのままずるずると三蔵を引きずって歩き出す。その後を悟空と悟浄が机と椅子を畳み込んで持って続く。うら若い女性以外を女性と認めない悟浄までが、鼻歌混じりで付いて行くのを見て、八戒は目を剥いた。
「さすがハハ、っていう所でしょうかねえ…?」
 買い物の荷物を抱え直し、八戒も小走りで追いかけた。

 酒を買い込みながら、幾つ目の角を曲がった所だったろうか。殺気を湛えた複数の気配が後を付いて来るのに最後尾の八戒が気付いた。
「…いらっしゃったみたいですね」
「ああ」
 声に出す頃には悟浄も悟空も既に身構えている。老婆の下げ持つ鳥かごの中で文鳥が騒ぎ出し、引きずられていた三蔵が自分を掴む腕を振り払った。
「…ババァ。悪いが遊んでるヒマは無くなった。離せ」
 身を翻し懐の銃に手を伸ばそうと…。
「うお!」
 三蔵に老婆の巨体がのしかかった。首にがっちりと回された腕の先で文鳥が暴れ、三蔵の鼻先で羽毛が舞う。
 まさか、この老婆も刺客か!?
 一瞬メンバーに狼狽が走る。
「…強い妖気と殺気で、腰が抜けちまったよ。あたしも負ぶって逃げとくれ」
「ハァ!?何ヌかしてやがる!クソババァ!!」
 老婆に怒鳴り返す三蔵の足下に、何かが立て続けに突き刺さる。
「来ましたよ!」

 地面に刺さった凶器は地表を捲り上げながら巻き戻る。そしてまた一行を大地に釘付けしようと襲いかかる。土埃の中を飛びすさる悟浄は、それが妖魔の髪の毛であることを見取った。
 周囲の建物の上から、艶やかに輝きながら凶暴に襲いかかる、女達の黒髪。掠めた悟浄の腕に鮮血が散ったのを見て、女のうちのひとりは淫蕩な舌なめずりをした。
「見つけたわ…三蔵一行。みんななんて美味しそう…」
 髪がメデューサの蛇の様に蠢いたと思うと、また唸りながら突き刺さって来る。悟空を狙う髪が如意棒に絡みつき、それを悟浄の錫杖が両断する。
「ナイスバディの魅力台無し。怨念こもってそうで、気色ワリィ〜〜〜」
「…その手の恨み、相当お馴染みのようですもんねえ…」
 軽口を叩きながらも、銃声が聞こえて来ないことに気付いた八戒が振り向く。

「ババァッ!重てェんだよ!!」
「腰が抜けちまったよォ。お婆を見捨てないどくれ。哀れな老婆の死体を曝させないでおくれ」
 三蔵は老婆がしがみつくので銃を構えることすら出来なかったらしい。その間にも妖怪の攻撃は続き、三蔵は必死でそれを避けている。動きの鈍い三蔵に気付いた妖怪達は、狙いを集中させ始めた。元から見通しのよい高所からの攻撃では、受ける側の分が悪い。
「しょうがない、三蔵走ってください!援護します」
「クソ…!」
 老婆と鳥かごをぶら下げた三蔵は走り出した。それを追おうとした女怪を八戒が気孔で吹き飛ばす。
「そうそう。逃げるが一番」
「逃げてんじゃねェよ!…ババァ、オレの倍体重あるな!?」
「お前さん、本当に野暮天だねえ…。ほら、逃げるんならそこの暗渠に降りてごらん」
「逃げてんじゃねェっつってんだろーが!…野暮天だとぅ!?」
「すぐに地下道が続くからね。…女の体重を口にする男は野暮天だろうよ」

 ばしゃばしゃと水を跳ね飛ばしながら走る三蔵に、悟浄、悟空、八戒が続く。暗渠の淵には幾つもの地下道が口を開けていた。地下道は枝分かれを続け入り組み、路を知らぬ者を拒む。
 見通しのよい場所からの遠距離攻撃を得意とした妖怪達は、すぐに追うのを諦めたようだった。
「三蔵、もういいみたいだよ。…ねえ、ここ何?」
「昔の水路でね、この街の地下を縦横に走ってるのさ。…坊やみたくお日様の匂いのする子には縁がないだろうけどね。馬鹿なことをしちまった奴がこっそりここに隠れるのさ」
「そういう所に馬鹿に詳しいじゃねェか」
 重たい荷物を背負ったまま走った三蔵は、息を切らしていた。
「お婆は道案内するだけさ。…なんせこの街も長いからね。あたしの知らない場所なんか、ありゃしないんだよ」
「薄暗い所ばっかりに足突っ込んで長生きしてやがんのか。…おい、いい加減降りやがれ」
「やれやれ、年寄りに冷たい物言いだね。…もうすぐ出口だからついでにそこまで負ぶって行っておくれ。すぐあたしの家だよ」
「ババァ!甘えんな!」

 結局、血管を浮き上がらせながらも、三蔵は暗渠の梯子を老婆を背負ったまま登る羽目になった。後ろから老婆を押し上げる悟浄も悟空も、笑いを堪えるのに必死だった。

 老婆の住居はこじんまりと明るく、思ったよりも居心地がよさそうだった。三蔵達に酒を供すると、一旦台所へ引っ込み惣菜を山ほど持って来る。テーブルを埋め尽くす料理に、悟空は目を輝かせる。

「若い子達はカネが無いからね。食い物ばっかり持って来るのさ。それでこのお婆はこの体たらくって訳さね」
 腹の肉をさすり上げながら酒をなみなみと注いだグラスを持つ老婆に、かなり酔いの回った三蔵が毒づく。
「てめェにカネ渡したって全部呑んじまうのが、ガキにも丸判りだからだろうが」
「この街の母って呼ばれてるんですって?…心配されてるんじゃないですか?」
「バカなことをお言いでないよ。だーれが母なもんかね。あたしゃあ…子供を捨てた女さぁ…。50年も昔だけどねえ、戦禍で食べられなくって、この世の生き地獄に、自分かわいさで子供を売っぱらったこともあったさ。残った子供はあたしをしゃぶり尽くして、最後には西へ、東へ、一人一人散り散りになってお婆を捨てて行ったのさ。母なんてコリゴリだね」
 酒を大きく呷りながら口を開けて笑う。
 常世を嘆く言葉が明るく響き、何処か異国の歌のように三蔵達の耳に届いた。

 悟空は満たされて、食卓に突っ伏して眠っていた。悟浄と八戒はちびり、ちびりと飲み続ける。老婆もグラスを抱え込みながら、呟き続けていた。
「母!冗談じゃない。もう二度とゴメンだね。若い子達は適当に説教喰らわせれば、喉を潤すお酒を運んで来てくれる。小金を貯めてる意地汚い奴らは、ちょっと脅かしてやれば、持ってるものを吐き出す。…みいんなカモだよ。このお婆はそうやって生きてるだけさ…」
 そういうと老婆は文鳥の鳥かごをテーブルに持って来た。 
「可愛がってる訳じゃないのさ。この子もこの婆のメシの種さね。…お前さん、ほらここで拝んでご覧。そう、この文鳥に向かって…」
 悟浄が文鳥に手を合わせると、ぴょんぴょんと跳ねてかごの奥の小屋から細く畳んだ紙切れを銜えて戻る。それを老婆が悟浄に手渡した。
「…なになに。失せ物、探し人、諦めるな。…結婚運…悪し。試験は努力すれば願い叶う。幸運を呼ぶ小物、西に黄色…。婆さん、コレ当たるの?ってか、どして俺の女運が悪いって出るのよ?」
「えーと、僕のは……何事にも身を慎むべし…。転居時期早し。金運は辛うじてヨシ。…あんまり慰めにもならないですねえ…」
 老婆と悟浄、八戒が見るので、やむなく三蔵も文鳥に手を合わせる。手渡された紙切れを無言で読み、そのまま小屋に突っ込んで返す。
「…べっつにくだんねェ」
「あー!お前も運勢悪かったんだろう!さっきも女難、水難出てたんだもんな、三蔵は」
「占いなんざ、このオレが信じるか!」
 据わった目つきのままで三蔵が不機嫌そうな声を出し、老婆はまた笑い出す。
「そうさね。占いを信じて自分の人生左右されるなんざ、大間抜けだよ。だってほら、この酔っぱらいお婆ですら占いで食ってるんだからね。ましてやこの金色に輝くお坊さんだよ!…卦にナニが出たって恐れることなんかありゃしないんだよ」
「ババァ、てめェ。インチキ占いだって自分で認めやがったな」
「ありがたがる必要は無い、って言ってるんだよ。ほら、当たったろう?女の妖怪に襲われて、暗渠の水の中を走ったんだから」
「あのドブはババァが案内したんだろうが!…ってーか、てめェが『女難』だな!?てめェが全部元凶だな!!」
 激昂する三蔵に向かって老婆は明るく笑い出した。
「おや、この婆が『女難』かい!?他人から女に数えて貰えたのは久しぶりだよ!」
 八戒と悟浄も笑いを堪えきれずに吹き出した。延々続く笑い声に、三蔵も呆れ顔になった。

 いつ迄も止まぬ笑いに、三蔵は飽き飽きして席を立った。
「おい、風呂借りられるか?…まだドブ臭ぇんだよ」
「ああ、そっちにあるよ。シャワーから水しか出ないかもしれないけどね」
「…水難、まだ続いてやがるのか…」
 ウンザリした顔の三蔵に、ジープがはたはたと飛びながら続く。 
 ひとりと一匹が扉の向こうに姿を消し、やがて水音が聞こえて来る。老婆は大きなため息をついた。
「この地獄みたいな世の中に、あんなに神々しい人間がいるもんなんだねえ。あの子を見た時には、てっきりリンボに現れた光のお導きかと思ったよ」
「リンボ…?」
「リンボは辺獄…地獄の一丁目、ってカンジですかねえ。カミを信じなかったり、情欲や不義に身を任せたり、貪欲や欲張り、不満や冒涜、虚栄や…自然に背いた快楽に身を投じた者の落ちる七つの地獄を、光の導き手に誘われ旅する物語がありましたね」
「この世も地獄とそう大差ないやね。…ああ。だからあの金色に輝く子に、思わず声をかけちまったんだよ…。導いてくれるのかと、縋りついちまったんだよ」

 殆ど独り言のような老婆の言葉を、悟浄と八戒は無言で聞いた。
 三蔵に、たったひと筋の光を与えられた自分達と老婆は、とても近しい存在だったから。

 質素な古い家の窓のうちのひとつからくぐもった水音が漏れる。曇ったガラスの内側にはカーテンが掛かっており中は覗けない。
 シャワーを浴びているであろう、人影が動いた。
「ふふふ…。やっと見つけたのよ、玄奘三蔵」
「見失ったりはしないわ」
「銃も経文もない、無防備な所を狙う不躾を…許して貰いましょうね?」
「くすくす。私、髪を切られちゃったのよ。そのお返しに…ね?」
「経文は紅孩児様に。私達には…ねえ?くすくすくす…」
 窓の内側で影が動き、シャワーの水がカーテンに跳ねかかった。
 夜闇の中、老婆の家を取り囲む女怪達の淫蕩な笑みが一際深くなった。黒髪がざわめく。

「それじゃあ…戴きましょうよ」

 女達の黒髪が幾筋も影に向かって突き刺さる。生木の裂けるような炸裂音と同時に、壁面に大きな穴が穿たれた。土埃の舞う中に女達は殺到する。
「玄奘三蔵の躯よ!少しくらいの傷なんか、構やしないわ!肉も精も吸い尽くすのよ!」
 真っ先に飛び込んだ女が、硬直する。
「…残念だったな。その手の客をもてなす気はねェんだ」
 女怪のこめかみにぴたりと当てられた銃口が火を噴く。即座に残りの女達は近隣の家の屋根に散り、三蔵の銃撃が後を追う。
 轟音に驚いた悟空たちが浴室に殺到した。
「…遅ぇんだよ!てめェらは」
 シャワーの水音を聞いていた八戒は、法衣から肩を抜いただけの姿の三蔵に僅かに目を留めたが、すぐに破戒し尽くされた壁から外に飛び出す。
 地面には額の銃痕から血を流す女達が倒れていた。
「おやまあ。本当に出遅れちゃったみたいですねえ。…ひとり、ふたり……」
 八戒が倒れ伏す女を数えていくうちにも銃撃が続き、死体と化した女達が屋根から落ちて来る。

「…ごお、ろく。…これで終わりですかねえ?」
 銃声の響きが後を引き、やがて静寂に消える。
 ぱりん。
 浴室から外へと出た三蔵の、足下でガラスの破片が音を立てた。
「三蔵ひとりで全部やっちゃったのー?少し残しておいてくれてもよかったのに…」
「…コレで最後だ」
 三蔵は、ひょい、と肘を上げ、天に向かって発砲した。
 真後ろの屋根から飛びかかって来た女怪の身体が空中で仰け反り、血飛沫きながら三蔵の真横に落ちる。女の目は驚愕に見開かれたままで固まっていた。
「これで7」
「7人…」
 呆れた様な顔付きの悟浄の横をすり抜け、三蔵は室内へ戻る。浴室の扉を通り抜けテーブルの下を覗き込む。
「…おい、ババァ。全部終わったんだよ。いつ迄そんな所で這いつくばってるつもりだ」
 椅子から滑り落ちたまま頭を抱え込んでいた老婆が、恐る恐る声の主の方を向く。
「7人。全部終わった」
 天井の明りが逆光になり三蔵の表情は読めない。ただ金糸の髪が輝いて、その姿を縁取る。
「おお。おお。…生きておいでだね…?無事だったんだね…?あたしゃ、てっきり…」
「勝手に殺すな。…また腰抜かしてンじゃねェだろーな?」
 三蔵は老婆の真横へ腰を降ろした。顔も、剥き出しの肩も血に汚れていた。はだけた法衣の腰には拳銃が無造作に突っ込まれている。腰帯に絡げていた袂からマルボロを出すと、大して美味くもなさそうに紫煙を吐き出す。
 それでも、その姿は老婆の目には輝かしく映った。
「…無事でいておくれだったんだね…」
 三蔵をじっと見つめ、弛んだ頬に涙を零した。

「…あたしの最後の坊やが、ちょうどそんな風な伝法な口調だったんだよ。今はもう、どこにいるのか、死んじまってるのかもしれないけどね。…生きてたとしても、もう結構な歳になってる筈だけどもね」
「フン。オレはババァの息子じゃねェ。ババァの為に無事だった訳でもねェ。オレはオレの為だけに生きる。…ババァの息子もどっかでのうのうと自分の為に生きてやがんだろうよ。それにてめェの心配が欲しい連中なら、あそこにいんだろ」
 三蔵が目線をやる。

「…おい、婆さん。アンタ生きてんのかい?」
「お婆ちゃん、一体これナニ?」
 壊れた壁から入って来た街の人々が覗き込む。
「ねえ!お婆ちゃん、大丈夫!?怪我してない?」
 夕方缶詰を持って来た女が駆け込んで来ると、老婆の腕を持ち上げたり、顔を覗き込んだりして無事を確かめだした。老婆を立たせると、服にかかった埃をはらう。

「ばーさん。まだ続々来るぜ…?」
 悟浄の言葉通り、近所の家からも、また遠くから騒動を聞きつけたらしい者も、集まり続けた。ちんぴら紛いの服装の若者も多かった。
「ハハなんかゴメンだ、なんて言ってもな。てめェの方ががこいつらに自分の子供達を重ねて話しかけてるんじゃねェか。自業自得ってもんだぜ。どんなに重くっても諦めるんだな」
「…この占いお婆の説教でも、本当に必要としてくれてるんだろうかねえ…?」
「いらねェモンを、これだけ慌てて心配しに来ることもねェだろ。オレの為に流す涙があるんだったらな、……諦めてまたこいつらにしゃぶり尽くされるんだな。てめェの新しい子供達によ」

 騒動からすぐに夜が明けた。
 老婆の家には、未だ人が集まり続ける。壁の補修に板や工具を持って集まる者も、食事をしに来るようにと誘いをかける者もいた。

「ふあ〜あ。寝損ねかよ。ちょっとどっかで仮眠しよーぜ?」
「俺は元気だぜ。ちゃんと夜は眠ったもんな」
「腹一杯でテーブルに突っ伏して、涎垂らして寝るのを『ちゃんと』ってーのかよ、てめーは?」
「涎なんか垂らしてねえよ!」
「バーカ!テーブルに池作るのなんか、このサルの他に誰がいるんだよ!」
「…まあ、とにかく。仮眠はいい考えかもしれませんねえ…?」
「却下。充分時間を食った。居眠ったら起こしてやるよ、オレが」
 八戒の控え目な提案は、三蔵のひとことと朝日を反射するS&Wに刎ね除けられた。
「やれやれ…」
 一同、疲れの見える様子でジープへと向かう。

「お待ちよ!」
 老婆が駆け寄り、三蔵の腕を掴んだ。
「…占いの代金に、壁の補修費が追加されたからね」
「カネか…?」
「違うよ」
 言うが早いか、三蔵は老婆に抱きしめられた。
「ナニしやがる!離せ!ブチ抜くぞ、この女難!!」
「…このくらいの役得は、いいだろう?…気を付けてお行きよ」
 最後に囁くように言うと、三蔵の躯を離す。
 荒い息でジープへ向かう三蔵は、もう振り向かない。

「怪我をおしでないよ!またお婆に顔を見せにお寄りよ!」

 ジープが走り出して暫く経っても、悟浄も八戒も悟空も、時折思い出したように笑い出す。三蔵は不貞腐れて、口も利かない。

「…くっくっく。ああ、そう言えば妖怪が『7人』って…あれ占いだったんですか?」
「ああ?なんだよー、それえ?」
「ほら、三蔵が撃った妖怪。『7だ』って…。服来たままでシャワー浴びるのが趣味とも思えなかったし」
「ああ!そーだぜ、三蔵!幸運の数字でラッキーセブンとか出たのかよ?…って、妖怪7人じゃ、全然ラッキーじゃねーな。やっぱあの占いは当たらねーってコトか!?」
「……貴様ら全員……、煩ェ!!」
 砂漠の空に、銃声が轟く。

 うつら、うつらとしながら、三蔵は夕べのことを思い返していた。

 浴室に入ると、後から付いてきたジープがまとわり付いて来た。水浴びもしたかろうと、気にせず放っておいてやろうとしたら、調子に乗って肩だの頭の上だのに留まりだす。
「邪魔だぞ」
 手を振り追い払いながら法衣を脱ごうとすると、ジープの爪に絡まった髪が10本単位でブチ切れた。
「ジープ、てめェっ!?」
 シッポを掴んだところで、老婆の占いを思い出す。
「女難、水難、髪を切ってはならない、だったか…?」
 そしてつい先程の文鳥の籤占いには「幸運の数字は7」とあった。三蔵はふと思い付いて、銃弾を1発装弾してから、弾倉に装填し直した。最初の1発。弾倉には6発。
「ジープ、オマエ。オレの髪をブッ千切った罰だ」
 浴室に置いてあった手拭いを足に持たせて、暫く窓に影が映るように飛び回らせた。シャワーの水を流しながら……。
 案の定、妖怪はその直後に襲いかかって来た。ラッキーセブンは女の数ではなく、銃弾の数だ。占い全般を信じ込む気はさらさらないが、ババァのそれの命中率が高いのは認めよう。…占いの残りはなんだったか…?思い出せないな…。

『どして俺の女運が悪いって出るのよ?』
『えーと、僕のは……何事にも身を慎むべし…』

 他人の占いの結果だけを思い出し、ついでにふたりの情けなさそうな顔が蘇る。三蔵はうっかり吹き出しかけて目が覚め、咳払いをした。
 同乗者の誰も、それには気付かない。















 終 







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本当はキリリクの「7がキーワードのシリアスストーリー」で書きかけでした
(年寄り+三蔵…三蔵弱そうだなあ、とか思って)
…途中で何故か出てくる「ナツコ・ザ・ドラゴンバスター」(from『○竜伝』)…
だだだ、駄目だあ!シリアスにはどやってもならん!!
なっちゃん(続さんの次に好きです/爆)イメージが消えないい!
と、暫く難産しておりましたが、「7」は別口に書いて、こちらは方向転換しました
そしたらスルスルっと出て来るようになったりして(でも長い…)
BOX SEATSの「seven」の兄弟ssとゆーことですかね?

後日、S&W M-10は5連発ということを知りました。
………許してくだせえ   011207