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モーニング・ムーン
八戒の朝は早い。
目覚まし時計の最初のひと鳴りで、素早く手を延ばし、スヌーズスウィッチを押さえる。
一分間ほど、ベッドに座り込んで時計を眺め、当日の予定を脳裏に浮かべる。
「今日は。朝食を済ませた後に、頼んでいた洗濯物を受け取って、消耗品の買い出しをして……三蔵、弾切れだとか言ってましたっけ?銃器類扱ってるお店探して、ええと。ああ、サソリ妖怪さんに食われた三蔵が、以前この街に立ち寄ったとかで、情報収拾で寺院に立ち寄るんでしたっけ…?」
前夜三蔵と立てた予定を、指折り数えて反芻するうちに、ゆっくりと頭が醒めてくる。
「毎度のことですけど、お寺に寄ると面倒臭いことになるんですよね。是非御逗留くださいとか、街の者にもありがたい説法を、とか。律儀な程に、毎度三蔵の機嫌も悪くなるし」
素早く着替えながら、隣のベッドを覗き込む。
壁を向いて眠る三蔵は、まだ深い夢の中のようだった。
寝顔のこめかみに、そっと唇を寄せようとした八戒は、その寸前に思いとどまった。動きを止めた八戒の鼻先を、勢い良く肘が掠めた。
「眠って……いるんですよね?」
寝顔の眉が、苦悶の表情を浮かべるように顰められている。
眠りに落ちていても、黙って近付く者を排除しようとする、本能の動きだったらしい。油断してあの肘鉄を食らった者は、頭蓋にヒビが入るのではないかというほどの、素早く激しい動きだった。
そういえば、と、八戒は前日の夜のことを思い出した。
昨夜は3人で酒場に向かい、久し振りにカードテーブルに着いたのだった。勝ったり負けたりの差が激しい悟浄、じわじわと負けがこむ三蔵、負けずに小勝ちを続ける八戒…。三蔵が負けを認めて帰路についたのは、果たして夜中の何時頃だったのだろうか。
「……ウ……ン」
眠りの浅くなった三蔵の様子に、八戒は静かにベッドから離れ、持っていた目覚まし時計を、三蔵の手の届くぎりぎりの場所に置いた。
時計は三十分後に再び鳴る筈だ。
手早く、自分の荷物とベッドを整え、部屋を出る。
「ピィ!」
後に従って飛んで来たジープを肩に留まらせ、悟浄と悟空の眠る隣室を覗いた。
悟空はベッドから落ちるぎりぎりの端に、引っ掛かって眠っている。悟浄もぐっすりと眠り込んでいるようで、気の抜けた様なふたりの寝顔に、つい八戒は微笑がこみ上げ掛けた。
が。
「…悟浄。夕べもお楽しみだったようですね」
戸口近くに放り出してある悟浄の上着から、煙草の香りと共に、濃い香水の残り香が漂っていた。
「今日は午前出発だから早目に戻るようにと言っておいたのに…。この分じゃ、今朝も寝起きが悪そうですね。困ったものです」
諦めたように微笑み、部屋のドアをそっと閉めた。
そのまま厨房を覗き、朝食時間を確認し、出立時に軽い弁当を用意しておいて貰えるように頼んでおく。
「さあて……。ジープ?」
「ピィ!ピィ!」
嬉しそうに飛び回るジープに先導され、八戒は早朝の街を歩いた。
何処の街にもあるような、小さな朝市に立ち寄った。新鮮な果物を台車にぎっしり積んだ露天商で、八戒はきれいに紅く色づいた林檎を手に取った。
主人の掌で朝日を受けて瑞々しく輝く果実に、純白の竜がかぶりつく。八戒はその様子を、目を細めて眺めた。
「ジープはイイコですね。美味しいですか?今日も沢山働いて貰わなくっちゃいけませんからね。沢山食べて下さいね」
「ピィィ!」
暫しの、安らいだ時間を堪能しながらも、八戒は脳裏で別のことを思い浮かべていた。
「…ホント。ジープはいいんですけどねえ。他の不良オトナ達と、欠食児童は、毎朝毎朝困ったものですね…」
深く溜息を付き、元来た路へと足を向けた。
宿は朝の活気に満ちていた。
既に食事にありつき、出立の準備をする者。また、それらの人達で混み合った宿の受付。
食器を運び、洗う、陶器の触れ合う音や、慌ただしくシーツを洗濯籠に放り込んで行く少女の、軽やかな足音。厨房から聞こえて来る、景気の良いかけ声。
騒々しく、生活のエネルギーに満ちた朝の光景だ。
八戒はそんな光景を背にして、旅の同行者達の部屋へ戻った。
ノックをしながらドアロックを外し、扉を開けた。
「!」
M10の銃口が、八戒の額を狙う。
「もしもし、三蔵ー?僕です、僕。猪八戒です。……起きてます?」
「んーーー」
ベッドに上半身を起こした三蔵が、銃を下ろした。目が据わっている。
「…ンだ。てめェかよ」
それだけ言って、再びベッドに身を沈める。
「三蔵?起きて下さい。もう朝ですよ」
近寄ろうか、近寄るまいか。八戒は瞬時迷った。
その時、八戒の仕掛けた目覚まし時計が、電子的な音を立てた。
pipi pipi pipi pipi pipi ……
三蔵はぴくりとも動かなかった。目覚ましの電子音に、耳が完全に慣れてしまっているらしい。
pipi pipi pipi pipi pipi ……
音量が上がり、三蔵の眉が不機嫌そうに顰められた。緩慢な動きの腕が、目覚まし時計を探してシーツの上を這い回った。
pipi pipi pipi pipi pipi ……
苛立たしそうな指が掠め、時計が弾かれる。
pipipipipipipipipipipipipipipipipipipipi ……
倒れた途端に大音量の電子音が流れ出し、三蔵は飛び起きて目覚まし時計を殴りつけた。
沈黙。
三蔵は時計に叩き付けた腕をそのままに俯せ、また眠りの世界へと戻ってしまっていた。
八戒は溜息をついた。
これがまた、5分後に繰り返されるのかと。
隣室を覗けば、30分前と変わらぬ、平和そうな寝顔が鼻についた。
「二人とも、朝ですよ。起きて下さい。悟空、悟浄、朝ですよ」
背を向けようとする悟浄の肩を、軽く揺さぶり、声を掛けた。
「悟浄。ごじょ……!」
いきなり、悟浄の握力の強い掌が、八戒の腕を掴み引き寄せた。半回転するようにベッドに倒れ込んだ八戒は、そのまま悟浄に身を乗り上げられる。
「悟浄!僕です、八戒です!起きて下さい、朝なんですよ!!」
目を瞑ったままで寄せられる唇を、八戒は慌てて掌で遮った。
「…悟浄!?誰と間違えてるんですか!僕です、僕!猪はっか…うわあ!」
必死の形相で近付く唇を押し返していた八戒が、目覚めたままの下半身ごと、悟浄の躯がのし掛かる圧迫感に悲鳴を上げた。
「ん?……なァんだ、八戒じゃん。こんなトコでナニやってんの?」
漸く覚醒を果たした悟浄が、間の抜けた声で八戒に問いかけた。
「ナニかやってんのは、あなたの方だと思いますけどねっ!」
「……ああ。寝惚けたとは言え、俺は朝から野郎を押し倒しちまった訳だ」
漸く悟浄の下から抜け出せた八戒は、蒼白な顔面、喘鳴交じりの呼吸で、悟浄を睨み付けた。自然と声が険を帯びるが、当の悟浄は、寝呆けた顔に心底情けなさそうな表情を浮かべるだけだった。
「俺としたことがなあ……。野郎相手に何てことよ」
野郎に押し倒され、唇を奪われかけた挙げ句に、朝の主張をする股間を押し付けられた八戒は、堪ったものではない。
「抜かったよなあ」
抜かったんじゃなくて、間抜けなんですよ!
あなたが間抜けな慢性発情期だってだけなんですよ!!
八戒は、激しく心中で叫んでいたが、表面上の落ち着きだけは、何とか取り戻した。
「…とにかく。もうそろそろ起きて下さいね。僕、ちゃんと起こしましたからね」
「ん。さんきゅ」
悟浄が目覚ましの煙草を咥えるのを見守り、八戒は息を整えながら、悟空のベッドへと向かった。
悟空の寝顔は、大変穏やかというか、長閑というか、呑気そうなものだった。幸福そうな微笑みを浮かべ、口元が時折動く。
「んーーー。……もぐもぐ……」
食ってる。
何か食ってる夢を見ている。
咀嚼してる。
八戒は、ポケットから何かを取り出した。
先程ジープに与えたのと同じ、新鮮な林檎の果実だった。
「悟空、朝ですよ」
鼻先から30センチほど離して、林檎を、すぅ、と動かすと、悟空の鼻腔が、ぴくりと震えた。
八戒は、その様子を観察しながら、林檎を左右に揺り動かした。
悟空の顔が、リンゴの動きに合わせて、微妙に向きを変える。
すうっ。
林檎を離すと、今までぴくぴくと蠢いていた悟空の鼻腔が、大人しくなった。
「まだ早かったか。……悟空。悟空?朝ですよ。食事の時間ですよ」
また悟空の鼻先に林檎をぶら下げ、ゆらゆらと動かし出す八戒に、悟浄が声を掛けた。
「毎朝ご苦労なこったな」
「本当にご苦労と思ってくれてるんでしたら、せめてテメエの世話くらい、テメエで見てくださいね。それより、今声掛けないで下さい!気が散ると、見極めが甘くなります!」
近寄ったり離れたりを繰り返す林檎に、悟空の躯が少しずつ移動し始めた。
おびき出される、獣のようだった。
「ほおおおら、ごくううう?林檎ですよー?悟空の大好きな、林檎でちゅよーーー?」
「んーーーーー、りんごおーーーーー。……もぐもぐもぐ……」
悟空の口が、咀嚼の動きを見せた。
やがてそれは、林檎を噛み砕く、小気味よい動きに変化し始めた。
「りんごーーー、りんごーーーー」
「ほおら、ここでちゅよー。悟空のリンゴちゃんは、ここにありまちゅよーーー」
かちかちかち、と。
虫歯ひとつない健康な奥歯が噛み合わされる音が、室内に響いた。
八戒は慎重な面もちで、林檎を動かし続ける。
悟浄は、八戒のこめかみのひと筋の汗に気付いた。
「おい、はっか…」
「しィッ!!…林檎はここにありま…」
その時、悟空が林檎に喰らいついた。
八戒と悟浄には、白い歯が光る、残像しか確認出来なかった。
宙に浮いた林檎に囓りつき、そのままベッドから落下する。
「…んがーーー、しゃくしゃく。りんごぉーーー、しゃくしゃくしゃく……」
床に転がり林檎の欠片をまき散らしながら、悟空はまだ幸福そうに眠っていた。
八戒は、ポケットからまた何かを取り出した。
バナナだ。
「はい、悟空ー?今度はバナナがありまちゅよーーー?着替えの洋服の方まで来られたら、バナナあげまちょうねーーー?」
「ふにゅーーーーー。もぐもぐ、ごっくん。ばななーーー……」
八戒のバナナに誘導され、床を這いずって移動する悟空の姿に、悟浄が哀れみの目を投げかけた。
「おい、八戒。せめて皮くらい剥いてやれよ。ペットのこんな姿、三蔵サマが見たら泣くぜー?」
「……チッ!呑気なことしてると、こっちの指ごと食われちゃうんですよ!僕のテクニシャーンな指が不自由なことになって泣くのは、三蔵なんですからね!…いや、啼かせられなくなって、却って泣くってのは、ナクのかナカナイのか……?ああっ、もう!とにかく気を散らさせないでくださいったら!」
「………。」
悟浄と、着替えの最中に漸く目が覚めた悟空とを先に食堂へ向かわせ、八戒はまた自室に戻ることにした。
先程から、数回目覚ましのベルは鳴っている筈だった。三蔵は、果たして既に起き出しているのだろうか。
いや、正しく今、目覚ましの音が鳴っているのが、開きかけた扉の隙間から聞こえている。
pipipipipipipipipipipipipipipipipipipipi ……
『煩ェ!!』
ガウンッ!
八戒は、この日数度目の乾いた微笑みを浮かべた。
火薬の匂いの立ちこめる部屋の中、ベッドから半身を起こした三蔵が、ぼんやりと自分の掌の中の銃を見つめている。
「三蔵。スヌーズスウィッチは、軽く押せば音が止まるんです。投げたり、ぶつけたり、叩き壊したり、ましてや銃で撃つのは止めるのとは違うと、一体何度言えば…」
「……ああ。またやっちまったか。撃つまでは無意識なんだよな。ぶっぱなすと目が覚めるのは、何でなんだろーな」
「そんなことを他人に聞いても、判る訳がないでしょう…。ああ、目覚まし時計も、買い物リストに加えなくちゃですね」
「しょうがないだろう。覚醒するまでは、意識がねえんだ。それまでの俺は、俺であって俺じゃねェ!そんな時の行動にまで、責任取れるか!」
恨めしげな視線を寄越す八戒に、三蔵は胸を張って見せた。
「はいはい。もう判りましたから。いいから着替えちゃってください」
「口の効き方が気に食わねえな…。『はい』は一度だ」
目覚まし時計の破片を拾い集め、床にめり込んだ銃弾をほじくり返しながら、八戒は聞き流そうとした。
「大体、誠意見せずに『判りました』ってのは、人をバカにするにも程がある。本来の理解とは無縁なところで、流しちまおうってのが、見え見えだ」
三蔵が着替える気配を背中で感じながら、八戒は銃弾ほじりに苦心していた。床板に大穴を開けては、弁償したり、宿に謝ったりが大変なのだ。小さな穴ならば、木屑を詰め込めば誤魔化せるかもしれない。
―――― あれだけ盛大に銃声を挙げておいては、無理かもしれないが。
「目覚まし時計のイッコや2コで、肝の小せえトコ見せてんじゃねえよ」
「三蔵」
「な、何だ」
法衣を身に纏いながら、寝起きの不機嫌さを口からダダ洩れにしていた三蔵は、八戒に名を呼ばれて、僅かに緊張を面に見せた。
慌てて魔天経文を肩に掛ける。
「三蔵、食堂、行きましょう?(にこやかー)」
振り向いた八戒は、爽やかに微笑んでいた。
「悟空が食堂でお待ちかねですよ。これ以上食事をお預けしちゃったら、可哀想ですよ。(激にこやかー)」
「あ、ああ。今すぐ行く」
三蔵は安堵の息を吐いた。
寝起きで勘が鈍り、うっかり度を越してしまう所だった。
八戒をキレさせてはいけない。
しかし、今朝は目覚ましをひとつ破壊し、多少口を滑らせたくらいで、特に八戒の限度を超過するようなことまでには、至っていない筈だと、三蔵は思った。
危ない所だったが、取り敢えず、この密室から脱出出来れば、やり過ごせるだろう。
そそくさと部屋のドアへと向かう三蔵の前に、八戒が笑顔で立ちふさがった。
「ああ、でも」
窓から斜めに差し込んだ朝日が、八戒の笑顔に濃い陰影を付けていた。
「『待て』がどの位いの時間出来るようになったか、知りたい気もしますねっv待たせちゃいましょうか?(激にこやかー)」
「お、おい!」
ずい、と、八戒が一歩踏み出し、三蔵が後ずさった。
「大人しく待てるようになってるでしょうか、悟空は。なあに、『ハラ減った』とか言っても、既に林檎も食べたし、バナナも2,3本食べてるんですよね。簡単には死にませんから、安心して下さい」
「八戒!…おい、どこ触ってる!?」
すり抜けようとした三蔵の腕を捉え、引き寄せては、掌が不埒な動きを見せる
「悟浄は…食事のテーブルで、灰皿山にしてるのが、目に見えるようですね。食堂の他の皆さんのご迷惑、考えられないんだから、あの人は…」
「おいっ!今日はすること沢山あって、忙しいんだよ!」
先程抜け出したばかりのベッドに、三蔵は押し戻された。まだ温もりが残っていた。
「忙しい…。心を無くすと書いて、忙しいと読むんです。自分の心を偽って、それでいてせかせかしてちゃいけないんですね。僕の忙しさは、間違った忙しさだと、今気付きました」
「ああ!?ナニ言ってやがる……おいっ。も、やめっ…!」
着付けたばかりの法衣が、あっと言う間に乱されて行く。
「僕の朝一番の間違いは、肘鉄に負けて、あなたの寝顔に接吻けるのを止めてしまったことです。あそこで引き下がっちゃいけなかったんです」
「……ンンンッ!……ンっ」
唇を塞がれた三蔵は、自分を抑え込みながら、器用に法衣や草履を脱がせて行く八戒の手足の動きに、驚愕した。腕が何本か余分についているとしか、思えなかった。草履を脱がせたのは足であろうと思うのだが、八戒とて靴を履いている筈だった。
どうやるんだ?
素朴な疑問を懐く間にも、ジーンズのジップの下ろされる音が、室内に響いた。
「…ぷはっ!…てめ、八戒!」
「続いての間違いは、5分ごとになる目覚まし時計で柔らかな目覚めを促そうという、僕の甘さですね。鳴ったら起きる。イッパツ勝負です。何度ベルが鳴ろうが布団に戻るような方には、スヌーズ機能なんか、無駄ってことに気付くのが、遅かったんです」
「んあっ!……手ェ離っ……このっ…くぅ……」
急に俯せにひっくり返され、逃げ出そうとベッドに突いた両腕を捉えられ、三蔵の躯はベッドに押し付けられた。
黒のインナーが捲り上げられ、白い背中に熱い唇が落とされる。
「更に、悟浄。悟浄を起こすのに、優しく声を掛ける必要もないんです。気孔直撃すれば、悟浄の目も覚め、淫らな夢も脳裏から吹っ飛び、余分なトコロおっ勃てる血の気も、さっさと脳みその方に回るでしょう。いつ迄も酔っぱらっていられては、世間の迷惑なんです、世間の」
「…つアッ!……バカッパのことなんざ、俺とは関係が……んんっ!」
背筋と胸元を同時に刺激された三蔵が身を捩らせたが、背後から抑え込まれていては、八戒に密着した躯を更に擦り寄せるだけだった。
「悟空は…あれは僕の躾のミスです。半覚醒状態での餌付けで、手っ取り早く刷り込もうと焦った、僕の方針ミスでした。眠っている悟空に餌付けしたところで、所詮眠ってるんです。寝てても起きてても、悟空にとってはゴハンくれる人が群の上位なんです。気孔弾で叩き起こしたって、飴玉のひとつも遣れば、悟空のアタマは『八戒、アリガトー』に塗り替えられるんです」
「八戒!マジ朝からよせっ!そ、そうだ、俺は銃弾を買いに行くんだ!今妖怪共に来られると、反撃が出来ん!」
三蔵のジーンズが下ろされ、足袋と同時に脚から引き抜かれた。…八戒の足で。
「だーあいじょーおぶですよ。何の為の下僕です?三蔵法師と、豚とカッパとサルの下僕。……『三蔵法師と愉快な森の仲間達』っぽくて、何だかオモシロイなあ。うふ、うふうふうふふ……」
「んんッ!」
八戒の含み笑いの吐息が耳元を掠め、三蔵は身震いをした。
ヨワイ場所を刺激されたこともあったが、八戒の笑みが怖かった。
全身が粟立った。
「……八戒」
「なんですかあ、三蔵ーお?」
「俺が悪かった。許せ。明日からさっさと起きる」
「目覚まし時計は、どうしますーう?」
「今度のは、大音声の、電子音でない、じりじり金属音の鳴る、スヌーズ無しの奴を選ぶ」
「そうですかあ。そうしてくださると、僕ももしかして、もう少し心穏やかな朝を迎えられるかもしれません。……結構オチるの、早かったですね。残念だなあ」
名残惜しそうに、八戒は三蔵から身を離した。
「……でも、嬉しいですよ、三蔵。あなたから言い出してくれて(爽やかにこやかー)」
八戒は清々しい笑顔でベッドから降り立ち、ドアへと向かった。残された三蔵は、インナーと帯程度しか身に纏っていない自分の姿に、半ば茫然としていた。
「じゃあ僕、先に食堂に行ってますね。三蔵もちゃっちゃと着替えて、降りて来てくださいよ?」
「あ、ああ。判った」
一度着込んだものを脱がせたのは誰だと、瞬時に脳裏に浮かんだことを表情に出さないように、三蔵は冷や汗をかいた。
とにかく、嵐が過ぎ去るのを待つのが、自分の為だと思った。
「ああ、三蔵?」
「何だ」
飛び上がりそうだった。
「銃弾補充も情報収拾もあるし、今日はホント急いでくださいね。用事全部済ませて、今日中に次の街まで、到着ましょうね」
「あ、ああ」
「ちゃんと宿に泊まって、続き、しましょうねっv外は外で、また趣があって僕は好きですけど」
爽快な5月の薫風のような笑顔を残し、八戒は部屋を立ち去った。
三蔵はくずおれ掛けて窓枠に手を突いた。
窓の向こう、宿の前庭には、車両形状のジープが鎮座坐しているのが見えた。主人の機嫌に敏感な小動物は、誰よりも素早く危険を察知し、無機物へと変化したのに違いなかった。
「ペットは飼い主に似るってコトか…?」
そう口に出してから、自分のオフィシャルペット悟空のことを思い出し、勢い良く頭を振った。
「余分なことに惑っている暇など、俺にはない。今日も一日、生きるだけだ…!」
見上げると、四角く切り取られたセルリアンブルーの空に、白々と月が昇っているのが見えた。三蔵には、小さな朝の月が、夜の残したしっぽの先のように、見えた。
「さーあ!今日もきりきり張り切って行きましょう!あはははは……」
宿から聞こえた笑い声に、ジープがぷるんと、身を震わせた。
◆ fin ◆
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