■■■  幻想の普通彼氏 

 夜更け前、三蔵の部屋のドアがノックされた。
「入れ」
 入室を促すが、ドアの向こうの気配は動かない。不審に思った三蔵は、銃を構えつつドアに近付き、そっとドアノブに手を掛けた。
 ロックの外れる小さな音。
「!?」
 壁際の三蔵の顔に、何か嵩張るものが押し付けられた。
 ばらの花束だった。
「……八戒。何のつもりだ」
 こめかみに銃口を押し付けられても、まだ微笑んでいる男に、三蔵は疲労気味の声をかけた。
「プレゼントです。偶には演出も必要かな、なんて」
「どこの倦怠期のオヤジだ、お前は」
「あなたがそんなだから、少しでもムードを盛り上げようと思ったんですけどねえ」
 ドアの隙間から入り込んだ八戒は、三蔵に花束を押し付けた。
「……で?」
「え?」
「しに来たんじゃねえのか」
 微かな苛立ちを籠めた三蔵の声に、八戒は苦笑を浮かべた。
「有り体に言えば」
「有り体も何も、てめェ、無体なことをしてるっていう自覚ねえな!?痛エんだよ、こっちは!!」
「しーっ、しーーっ…」
 深夜に大きな声をあげ掛ける三蔵を、八戒は慌てて懐柔することにした。
「今日はちゃんと痛くないようにしますから。丁寧にしますから」
「ホントーだろうな」
「サーヴィスします」
「……サーヴィス過剰は御免だ」
「じゃ、そこそこって辺りで」
 揉み手をせんばかりの八戒の様子に、三蔵は暫く考え込んだ。
 八戒と寝るようになってから、随分と経った。八戒に触れられること自体には、特に三蔵に抵抗感はない。暖かな暗闇で羽毛のように触れる指や、耳元で囁く声は、嫌いではない。いや、正直、気持ちよいと感じることも多い。
 しかし。
 三蔵の眉間にしわが刻まれる。
 面倒臭いのだ。肛門セックスは。
「……したいのか?」
「ええ、とっても!」
 直球に過ぎる八戒の答えに、三蔵は脱力した。が、八戒の方でも三蔵の直球な質問に答える為であるから、真剣なのである。
「挿れたいのか?」
「出来れば!」
 益々ムーディから遠離っていることに、三蔵も八戒も、気付いていない。
「中出し禁止、一本勝負な」
 八戒の眉が、ほんの少し八の字の角度に落ちた。
「文句があるのか」
「いえ、ありません」
 ぷるぷるとアタマを振る八戒の髪の毛が揺れた。ヘアバンド(なのか?バンダナでも洗顔ターバンでもなく??? )に被る髪が、浮き上がって、まるで犬の耳のようだった。三蔵は、その姿に微かに頬をほころばせた。
 無理矢理持たされた花束に顔を埋め、ばらのはなびらを一枚、唇に挟んだ。
 色白な三蔵のほの紅い唇に、深紅の花びら。
 唇の両端が引き上げられた。
「じゃあ。……来い」

 吐息を漏らさぬような、キスを重ねた。柔らかに押し包むような唇が互いの素肌の上を這い、彷徨う指先は熱く鼓動するものを刺激し合った。
「三蔵…」
 欲情に掠れ気味の声が、三蔵の耳朶をかすめた。
「念の為に伺うんですが、この一本は、一本にカウントされないんですよねえ?」
「阿呆」
 答える声も、乾いたように掠れていた。
「俺に数なんか数えさせないようにすりゃあいいだろう」
 三蔵は、自分の躯を押し潰しそうな男の、肩口に歯を立てた。痛覚を与えられた側も、与える側も、切なげに眉を寄せ遂精した。

 ごろ。
 八戒が三蔵の隣に転がった。
「納得行かねえ」
 自分の腹の上に放出されたふたり分の白濁を、三蔵は睨むように見る。
「……八戒。てめェ、何笑ってやがる。サッサとティッシュ寄越せ!垂れるんだよ!誰の部屋の、誰のベッドだと思ってる!!」
 身じろぎすれば脇へ流れてしまいそうで、躯を強張らせたままで怒鳴る三蔵を眺める幸せを噛み締めながら、八戒はティッシュをまとめて渡した。
「じゃあ、今度はあなたが上になって下さい。出来ればそのままのっかり続けてくれると、とても嬉しいです」
 ぬけぬけと言い出す男に、三蔵は丸めたティッシュを投げ付けた。

「三蔵」
「んーーー」
「三蔵ってば」
「んーーー」
「まだ一本カウントしてませんってば!」
「ダすとダルくなる。もう眠たい」
「なんだってこう、受け専門ってカラダのクセに、誠意のない男みたいなことを言うんでしょうねえ…」
「この後は俺が面倒臭いの我慢する一方だろうが!」
 ヌいたというのに全然元気の衰えない、八戒の方が異常なのだと三蔵は熱弁するが、唇が塞がれ言葉が途切れる。侵入してくる熱い舌に抵抗するうちに、密かに絡められた指に己が高められ、三蔵は降参の吐息を吐いた。
「判ったから離れろ」
 ベッドから抜け出そうとする三蔵の、手首がきつく掴まえられた。
「どこへ?」
「……。」
「何しに?」
「…………。」
 準備だ。
 これがあるから面倒臭いと三蔵が思っている、肛■セックスの準備だ。
 何の用意もなく突っ込まれて、スカト■セックスに持ち込むつもりなど、さらさらないのだ。
 バスルームで、それなりにそれなりなことをしなくてはならないと、……実際に口に出すことが出来ずに、三蔵は耳朶まで紅潮させた。
「きれいにするの、お手伝いしましょうか」
 引き寄せられて耳元で囁かれた声が余りに楽しげで、八戒の顔に、三蔵は拳を飛ばした。ベッドの上にひっくり返りながらまだくすくすと笑い続ける八戒を後に、踵で大きな足音を立てながら、三蔵はバスルームに向かった。扉を閉めて、鍵の掛かったことを確かめた。途中で入ってこられるのだけは、イヤだった。
「俺は。何故あいつと寝るんだろう」
 力無くひとりごちながら、三蔵はそそくさと『準備』をし、シャワーを浴びた。
 文字通りの、生身剥き出しの人との関わり合いの複雑さに、溜息をひとつ。未だ不慣れな、奪ったり与えたりの駆け引きに、また溜息をひとつ。
 シャワーコックをきつく捻ってお湯を止め、ごわつく肌触りのタオルを頭から引っ被って、三蔵は深呼吸をした。深く吸い込んだ呼吸は、途中で、ふにゃっと力の抜けた溜息に成り果てた。
「くそう。勃たなくなるように、いつか呪いをかけてやる」
 果たさないであろう誓いを口に出すことも、鬱憤晴らしの役には立つと、初めて気付いた玄奘三蔵、23歳。

 シャワーの雫を残したままで、シーツの狭間に引き込まれる。暗闇の中で、白くぼんやりと浮かび上がるその闇は、世界中にある中でも一番優しい闇のうちのひとつだと、思いながら三蔵は八戒の腕に閉じ込められた。
「このまま眠っちまえるのが、一番俺は幸せなんだが」
 諦めきれずに言い募る言葉も、首筋に押し当てられる唇が弾ませる吐息に紛れた。
 サイドボードの引出を手探りで開ける雑音に、三蔵は、八戒の背に回し掛けた腕をシーツに落とした。目を瞑っていても、気配で何をしているのか判る。チューブからキャップを外し、ゼリーを指先で温めている。それっぽっちの作業の間すら、膚と膚の間に隙間を作らぬように必死で腕を伸ばし、重たくなり過ぎはしないだろうかと肘で体重を支えているのだと。
 どんな上等な睦言よりも、その滑稽さに絆されているのかもしれない。暗がりで相手からは見えていないことを期待しつつ、三蔵は微笑み、八戒の背に腕を回し直した。

 丁寧に解す指が、思ったよりも長いものだったなと、ふと三蔵は思い付いた。
「ヤらしいヤツ……」
 指の生み出す感触は、最初に穿った時の異物感から、摩擦の違和感に変化していた。ゼリーを塗り込め広げる指の、本数が増して拡張されて行く。奥まで滑り込んだ指を、きつく咥え込まないように意図的に躯に籠める力を抑制する。
「吸い込まれそう」
 八戒の満足げな声に、三蔵は心中で重ねて「本当に、ヤらしいヤツ」と呟いた。
「……おい」
「はい」
 自分の首にぐったりと腕を絡めて来る三蔵に、八戒は微笑み掛けながら返事をした。
「今日はいいのか?ゴム臭くなったのだの、中に入ったのだのは、絶対え、咥えないぞ」
 色気のない言葉も、濡れるアメシストの瞳を間近に聞けば、どうしようもなく衝動をそそるものになる。
「……お言葉に甘えて」
「!?」
 八戒は片腕だけで、シーツにくるまっていた三蔵の躯を引っ張り上げようと促した。三蔵は、八戒の胴を跨ぐように膝を突きかけたが、すかさず腰を押さえた掌が、躯の向きを変えようと押す。体勢を崩しかけた三蔵は、八戒の要求に答えることにした。
 三蔵は八戒の顔を跨ぎ、自分の顔は八戒の腰に伏せた。八戒の指は、その間ずっと三蔵の中に埋め込まれたままだった。複数の指が狭い口を拡げようと蠢くのに、三蔵は背を引きつらせた。腰が撥ねて逃げかける。
「白いおしり」
 愉悦を隠そうともしない声に、三蔵は何か言葉を返そうとしたが、その瞬間に自分のものを熱い口腔に呑み込まれて、詰まった呼吸音しか洩らせなくなった。

 三蔵は、自分が両手に支えるものに意識を集中しようとした。硬度を増した八戒のものに、舌を丹念に這い回す。こうしている間に八戒を、切羽詰まった状況まで追い込んでしまえば、本番は短時間で済むかも知れないという期待があった。刺激を変えようと軽く歯を立てると、反対に強く吸い挙げられて力が抜けた。
 かくん、と。肘が折れて三蔵は、八戒の腰に突っ伏す姿勢になった。八戒の指の出入りする腰だけが、掲げられたように揺れていた。羞恥に腰を引きかけるが、時折くすぐるような愛撫を寄越す八戒の舌と、摩擦を益々深くする指に、抑えられて逃げ出せない。
 三蔵の喉の奥から、堪えきれない嗚咽が洩れた。喉奥まで肉に塞がれた、鼻にかかった甘えた声だった。指が途端に動きを変えた。慣らす動きから、探る動きに。
「!!」
 三蔵の背が震えた。
「ここ?」
 神経を蕩かすような声に、三蔵は顎を開いたままで続けて頷いた。ダイレクトに腺を刺激され、先程遂げたばかりの精が、また破裂しそうだった。
「そろそろ、いいですか?」
 八戒の尋ねる口調に、三蔵は振り向こうとした。
「ああッ」
 急に指を引き抜かれ、熱に包まれていた自分自身が放り出された。優しい掌に躯を押されて、三蔵はシーツに倒れ込んだ。腿を持ち上げられ、たった今まで刺激を受けていた場所に、熱い強張りが押し付けられた。
「三蔵、いいですか?」
 とっくに解され、迎え入れる準備は出来上がっていた。熱の充実を受け入れようと躯が反応するのに。
 触れるだけ。
 そこに確実にあるものが、じれったい刺激だけを与えては、ぎりぎり逃げる。
 背にひんやりとしたシーツの心地よさよりも、自分の躯を折り曲げて押さえ込む、その体温が切実に欲しいと蕩けた瞳が訴える。
「ゴム、まだ着けてないんですけど」
 確信犯のクセに。
 腹立ち紛れに三蔵は、八戒の背を引き寄せる指の、爪を立てた。

「……ったのに」
「何か言いました?」
 躯を三蔵から離そうとした八戒は、小さな声を聞き取り損ねた。
「中出し禁止と先に言ってただろうが!」
 きっ!と、三蔵は身を起こして睨みつけた。
「ゴム着けてないって言った時も、達きそうって言った時も、離してくれなかったのは、三蔵じゃないですか」
「そう、し向けたのは誰だ!?」
 ノせられ盛り上がってしまった自分に、内心忸怩たるものを感じながら、三蔵はとにかくバスルームへ向かおうとした。入れてしまったものは、さっさと出してしまうに限る。
 ベッドを降りようとした三蔵の、膝を八戒がすくい上げ、身体ごと抱き上げた。
「この、巫山戯んな!下ろせ」
「始末してあげますよ。一緒にシャワー浴びましょ
「馬鹿者!お前とシャワー浴びて、洗うだけで済んだ試しがあるか!?」
「経験則って大事ですけど、それだけに囚われるのは発展性がないじゃないんじゃないですか?それに自分で始末するのって、大変じゃないですか?」
「予測可能な未来ってのもあるんだよ!いいから離せ、始末なんざ便所にイッパツで済むんだよ!その方が断然ラクなんだよ!!」
「そんなもんなんですかぁ」
「感心してんな!てめェ、人の話、聞いてねェな!?」

 テーブルに置かれたばらの花が、三蔵を見送った。概ね居心地よいものの強引な腕にバスルームまで運ばれて、三蔵は扉が閉まる音を情け無い気分で聞いた。懲りない自分と、結局自分の希望を通してしまう八戒の、主従関係を本格的に見直すべきではないかと思った。これからの数十分の間に、また自分が絆されてしまうであろうことも、ほぼ確実だろうと予測した。

 せめて、背中の掻き傷にシャンプーの一撃。
 ほんの小さな、でも復讐。















 終 




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◆ note ◆
お下品でごめんなさ〜〜い
タイトルは、内田春菊さんの『幻想の普通少女』より
続編読んでないんですが、これ、好きだったんです