■■■  Wonderful World 

 妖怪達の攻撃は連日に渡った。
 強敵が、ではなく、雑魚が、文字通り押し寄せた。
 三蔵達の疲労を溜まらせて行くのが目的だと言わんばかりに。
 数多く斬らせ、刃と神経を人血と脂で鈍らせるのが目的かと思われるほどに。

 目を血走らせた妖怪が奇声を上げた。
 仰々しい青龍刀を振りかざし、金糸の髪の僧侶目掛けて躍りかかる。
「妖怪帝国万歳!」
 叫ぶ妖怪の腹に悟浄の振るう錫杖が閃き、四肢が血飛沫を上げながら四散した。
 その血煙も収まらぬ間に、別の妖怪が三蔵に襲いかかる。
「三蔵、避けてッ」
 八戒の放つ気孔波の白熱の輝きが辺りに満ち、三蔵を攻撃しようとした妖怪の躯が、分解した。
「三蔵っ!?」
「弾が切れただけだ!」
 悟空の叫びに返事を返しながら、三蔵は手近な妖怪の顔面に拳銃の銃把を叩き込んだ。
 顔面の骨を砕く妙に水っぽい音と、そのまま倒れ込んだ妖怪が頭蓋を大地に打ち付ける鈍い音。
 その音が八戒と悟浄の耳に届いた時には、三蔵は既に妖怪達の群に身を躍らせていた。
 鈍い輝きを曳く青龍刀の合間を、金糸の輝きが舞った。
 妖怪達の懐へ飛び込み、弾丸を撃ち尽くした銃を、急所に叩き付ける。
「この、クソ野郎……!」
 三蔵の背後から飛びかかろうとした妖怪は、強かに脛を蹴り込まれて横転した。
「ぐっ……ぐあ!?」
 泥の中に転がった妖怪が今生の最後に見たものは、返り血に染まる美貌に、らんらんと輝く紫暗の瞳 ――――


 夕暮れ近い森の中、立ち上がる影は四つのみ。
 赤黒い断面を見せた腕や足が、血を吸った大地に転がっていた。
 やがて腐れて土に還るとしても、それはまだまだ先のことだろう。
 その時が来るまでは、この屍は壊れたヒトガタをここに晒し続けるのだ。
 そんな当たり前のことを、三蔵はぼんやりと思った。
「……三蔵!」
 急に肩を掴まれ、三蔵は咄嗟に腕で撥ね除けた。
「三蔵。ずっと呼んでいたんですよ」
「ああ。何だ、八戒」
「ナンダじゃねェだろ、このクソ坊主。てめえな……!」
「悟浄!」
 ふたりの間に割り込むように入ってきた悟浄を、八戒は制した。
「銃弾が切れたのなら、少し下がっていて下さい。後ろでふんぞり返られてた方が、まだマシです」
「指図されるのは好かんと言っているだろう」
「普段からヒトのことを下僕扱いしているんですから、少しは下僕を効率よく使ってみたらどうです? 中途半端な状態で出張って来られても、手間がかかるだけです」
「貴様等の下僕根性が育って来たのは判ったから、俺のことは放っておけ」
 三蔵は言い捨て、背を向けジープへ歩き出した。
「今のあなたは危なっかし過ぎるんですよ」
 絞り出すような八戒の声は、三蔵へは届かなかった。
 大きな瞳を見瞠いて三蔵の後ろ姿を見送る悟空の肩に、悟浄が勢い良く掌を下ろした。
「三蔵サマ、腹減ってご機嫌斜めってトコ? まるで誰かさんみてえだな」
「うん」
 悟浄の軽口にも、悟空は反応を帰さない。
 悟浄は唇を歪めて笑みを浮かべた。
「待っててやれよ」
「うん」
 助手席で顔を背けながら紫煙を立ち上らせている三蔵の許へ、三人は向かった。

 日が落ちかける頃になってジープは森を抜けた。
 広い河沿いに街道が走っている。
「三蔵、川です。顔を濯げますよ。休憩しましょう」
「いや。じき街に出る。そこまではノンストップだ」
 血液のこびり付いた顔を前に向けたままで、三蔵が応えた。
「完全に日が暮れるまでは、走れ」
 黙り込み、乾いた血液で強張る面の目を瞑る。

 三蔵の目蓋の裏に、行き過ぎた時間の幻が浮かび上がっては逃げて行った。
 自分を慈しんだ人の暖かな笑顔。
 吹き上がる血流。
 血だまりに転がる片腕。
 ……溜まる疲労に、蘇る記憶を押し返すだけの気力が湧いて来ない。
 押し寄せ続ける幻影が三蔵を責め立てる。
 ……もっと、自分が強ければ。
 あの時もっと。
 あの人は自分を庇って死なずに済んだのに。
 大切な人を守れず被った深紅は、未だに我が身を浸し続けて。

 三蔵の唇が、音を立てず誰かの名前を呼ぶ形に動いた。
 三蔵を横目で見ていた八戒は、目蓋を閉ざしたままの目元が眠る子供のようだと思った。
 三蔵のそんな姿を見ているだけでいることが、耐え難く思われた。

「……川です」
「ああ。それは判ったからさっさと行け」
「川だって言ったら、……川なんですよ!」
「!!」
 八戒は急ブレーキを踏んでステアリングを切った。
 川沿いを走っていたジープのタイヤが湿った土の上を横滑る。
 段差を滑り落ちて行く衝撃に、金属の軋む嫌な音が響いた。
 信じ難い。
 怒りに目を眩ませて八戒を振り返る三蔵の目に映ったのは。

 悲しげな穏やかさの、翡翠の瞳。

 川淵で横転した車体にしがみつき天地のひっくり返った三蔵の視界の中で、八戒は一瞬穏やかに微笑んでいた。
 そして水音。
 水中で、三蔵がきつく掴んでいたジープのフレームが急に消えた。
 ジープが竜の姿に戻ったのだ。
 水流に翻弄されながら、三蔵は漸く水面に顔を出した。
 悟空と悟浄が少し離れた場所に頭を浮かばせたのを確認し、八戒の姿を探して頭を巡らせる。
「!」
 三蔵のすぐ背後に八戒はいた。
「八戒、貴様……!?」
 ごぼりと、自分の口から空気が零れる音を三蔵は聞いた。
 腕が痛かった。
 八戒に腕をきつく掴まれ再び川に沈められたのだと、すぐに気付いた。
 歪曲した水中の視界で翡翠の瞳を持つ男が微笑み、引き寄せられた。
 三蔵は八戒の腕から身をもぎ離そうと猛烈に暴れ出した。
 強く抱き寄せられるのを、躯を捩って逃れようとした。
 ごぼり。
 また、空気が逃げて行く。
 暴れた所為か、急激に息苦しさが三蔵を襲った。
 八戒の腕を掴む指にも力が籠もらない。
 腕だけでなく脚からも力が抜けて行く。
 苦しい。
 眇めた目元に八戒の手が触れた。
 目頭から眦まで目蓋をなぞるよう触れた。
 眉を、鼻梁を、額を、こめかみを、八戒の指は撫でて行く。
 顔にこびり付いた妖怪の血を洗い流しているのだと、三蔵は漸く気が付いた。
 暗くなる視野に映り込む碧緑の瞳に向かって、三蔵は首を振るった。
 肺が呼吸を求め、頭が割れるように痛み苦しいのだと、伝えようとした。
 同じ時間水中に沈んでいる八戒も、何時迄も息が続く訳でもないだろうに。
 涼しい顔で、八戒は三蔵の顔を浄め続けた。
『……サド野郎』
 三蔵が発しようとした声は川の流れに押しやられ、肺から最後の空気が漏れた。
 暗く狭まった世界が完全に闇に飲み込まれる瞬間、三蔵の目に八戒の瞳が間近に映った。
 唇が熱いものに覆われたように感じたが、三蔵の意識はそのまま失われて行った。


 三蔵は朝日の中目覚めた。
 手に触れるのは清潔なシーツ、目に入るのはありふれた宿の天井。
 自分が意識を失ったまま、街まで運ばれたのだと判った。
「あれ? もう起きたんですか?」
 予告もなく開いたドアから、呑気そうな表情の八戒が顔を出した。
「八戒、てめェ。今度繰り返したら許さない」
「さて。繰り返したら許して頂けないのって、……どれのことでしょう?」
 空惚けた声を出す八戒を怒鳴り付けようと口を開いた三蔵の脳裏に、急に意識を失う寸前のことが蘇った。
 唇に触れた熱。
 思わず唇に指を当てた。
 勝手に体温が跳ね上がったが、頬が熱いと感じた時には、八戒は部屋を横切りコーヒーメイカーにフィルタと粉をセットし始めていた。
 三蔵は、紅潮しているであろう自分の頬を八戒に見られなかったことに、安堵の吐息を漏らした。
「……じゃあ、僕も」
 八戒は三蔵を振り返らずに言った。
「もう、あんな風にならないでください。張り詰めた糸みたいなあなたを見ていたくないんです。幾らでもこき使って頂いて構いませんから、戦闘で不利な状況になった時にひとりで敵の中に飛び込むような真似、しないでください。……あんな真似、もう……」
 手際よくカップを並べる八戒の声が震えたように三蔵には聞こえた。
 八戒はトレイにカップを乗せ、ベッドサイドに運んだ。
「お願いします」
 抑えた声だった。
 瞳だけが、狂おしい色を浮かべていた。
 三蔵は八戒の貌に腕を差し伸べかけ、その唇が目に入り手を止めた。
 宙で留めた手でコーヒーカップを受け取る。
 ほろ苦い液体が喉を灼き、芳香が四肢を目覚めさせた。
「フン……。美味い」
「三蔵。それってお互いに妥協するという、和解の言葉と受け取っていいですか?」
「てめェの脳みそは随分と都合よく出来上がっているらしいな」
 三蔵はそっぽを向いたまま、呆れ声をあげた。
 ドアの外から、悟空と悟浄の言い争う声が聞こえてきた。
 朝から騒々しいと、三蔵は口元を緩めかけた。
「すぐ食堂に向かうから、先に行っとけ。それと悟空に、今朝は好きなモン食っていいと伝えろ」
 養い子にも心配をかけたことへの、不器用な心の表し方だった。
「……はい。悟浄には?」
「あの馬鹿は調子に乗るからな」
「じゃあ僕には?」
「あぁ!?」
 すぐ側から聞こえる愉しげな声に、三蔵は振り向いた。


「……先に降りてます。すぐに来て下さいね」
 八戒は微笑みながら部屋を出て行った。
 ドアの閉じる音と、八戒の遠くなる足音を聞きながら、三蔵は唇を押さえて暫く茫然としていた。
 覚えのある熱が、まだ唇に残る。
「あの野郎……」
 茫然から、憮然へ。
「繰り返すなと言ったのに」
 三蔵は勢い良くベッドから降り着替え始めた。
 即座に、弾薬の補充などの予定を立てる。
 手には慣れた鋼鉄の塊。
 動作を確認して懐へ仕舞い込む。
 昨日までと何ら変わりはない。
 今日もまた、西へと旅を続けるだけだ。
 妖怪達は、明日も来るだろう。
 それでも。
 三蔵は盛大に音を立ててドアを開け食堂に向かった。
 ごちゃついた宿の食堂に到着し、三人を見つけた。
 三人が騒々しく笑い声を上げているテーブルが、三蔵には朝日の中で眩しく輝いて見えた。


「てめえら、さっさと食え!トロトロしてると置いて行く!」










 終 




《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《PARALLEL》 《83 PROJECT》

◆ note ◆
以前寄稿の83アンソロ用のお話をウェブ用に少々改訂。
一年半以上前に書いたお話を改めて見るのは手に汗握るスリル(?)です。