■■■ 蜻蛉
妖怪の襲撃もない、平和ないち日。
突き抜けるような青い秋空の下をジープが駆けていた。
「暑くもなく、寒くもなく。一番いい季節ですねえ」
さらりと乾いた心地よい風に、ナヴィ席の三蔵の髪がなぶられるのを視界の端に入れた八戒が、にこやかに言った。
「雨だの雪だので足止め食わず、サクサク進めるのは助かるな」
煙草を咥えた三蔵が、満更でもなさそうに金糸の髪を掻き上げた。
「情緒ねえことしか言わねーよな、三蔵ってば」
後部座席から悟空が、シートの間に身を乗り出した。
「秋って言えば、……紅葉で山がきれいとか、木の実が熟して美味しそうだとか、収穫の秋だとか……」
「思考が全部食欲に向かってるお前も、情緒とは縁遠いトコにいる自覚がねえのかよ? このサルは?」
すかさず言葉尻をさらう悟浄に、言葉の応酬を始めようと思った瞬間、悟空の腹の音が鳴った。
「だってさあ、そろそろ飯の時間じゃね? それなのに全然街が見えて来ねえんだもん」
情けのない顔と声で悟空が自己主張する。
「あ〜あ、……」
「「「腹減ったー」」」
寸前で止めた言葉を車上の全員からやる気の無い声で唱和され、悟空が目を剥く。
「天高く、馬肥ゆる秋、ですねえ」
次の街まではまだ遠く、日のあるうちに着けるかどうか。
広がる草原に続く道をひたすら進む。
後部座席で欠伸をしながら腕を伸ばす悟浄と、運転席の八戒がミラーグラスの中で目を合わせ笑った。
「なんだ?」
隣席からいぶかしむような声をかけられ、八戒は尚微笑みを浮かべた。
「いい天気だなあって思って」
「……頭まで好天か? いいから真面目に前見て運転してろ」
「はいはい。……あ」
「一体何だと……?」
前方を向いた八戒が驚きに目を見開き、車を停めた。
咥えたばかりの煙草に火を着けながら、悟浄がミラーを覗き込む。
「ナニ? 妖怪?」
「いいえ、ほら」
青空の下、広がる草原に飛び回る蜻蛉。
空の色に映える茜色の群れ。
「うっわ、スゴイ大集団!」
「煮付けにしても食えねえからな」
「食わねーよ!」
「わざわざジープを停めて鑑賞する程、暇じゃねえんだよ」
三蔵が不機嫌そうに呟く。
「突っ走ってフロントガラスにぶつけちゃったら可哀相ですから」
ジープの周囲を茜色の蜻蛉が囲む。
すい、と。
空を背景に日差しに輝く茜色が、のびのびと飛び回る。
「無駄な殺生をすることもない、か」
三蔵が眉間の皺をといた。
両腕を頭の後ろに組み、空を見上げる。
空の青に映える茜。
穏やかな秋の日差しに満ちた光景を、三蔵は目蓋を閉じて心に焼き付けた。
『たまになら。いつか見たような懐かしい光景の中に立ち止まるのも ――――、悪くはない』
「あ」
悟空の目の前で蜻蛉が一匹、腕組みの法衣の側で揺れる金色の頭に止まった。
つい掴まえようと腕を伸ばす、その指先を掠めるように蜻蛉は飛び上がり、すぐ側の黒髪に止まる。
「あ!」
「だから先刻からお前達は何だと言うんだ!?」
後部座席二人組が笑い出し、三蔵が怒鳴りつけても、八戒が幾らミラー越しに尋ねても、今度は悟浄は笑うばかりで何も答えなかった。
ただただ笑う声が、秋空の下に響き続けた。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
三蔵一行の穏やかないち日でした。
街に着く頃にはとっぷり暮れてそう。
秋は日が落ちるのも早いから。