■■■ たわいなくも
何がどうということもなく、疲労が蓄積していることに気付くことがある。
別に、特別なことがあった訳でもなく、日々ルーティンワークをこなして行くこと自体に、疲れて行くのだろう。
勤めをこなし、雲霞の如く現れる請願者達の話を聞き、または書面を受け取り、決裁決裁決裁決裁……
当然のことしかしていない。
西への旅の後となっては、何事が起こったとて平穏の枠からはみ出すことなど、滅多に出逢うこともない。
「三蔵、要は退屈なんだろ?」
身長差の小さくなった悟空は、生意気な口ばかり利く。
多感な時期に共に過ごした、柄の悪い奴らから受けた影響が、今になって現れるのだろう。
「俺が一番長い時間一緒に過ごしてるのって、三蔵なんだけど……」
「屁理屈捏ねるつもりなら、置いて行く」
「どっか行くの?」
途端にぴょんと立ち上がる、その姿は未だ子供の仕草のままで。
つい緩みかける口元を、引き締めるのに苦労する。
「バカ共の顔を見に」
引き締めるのに、苦労する。
遠路はるばるやって来てやれば、脳天気な奴らは相変わらずの様だった。
ボロ屋の壁を前に、紅い長髪をひと括りにして脚立を跨いで立ち上がる悟浄と、洗い立てではあろうが古びたシャツを着た八戒が、二人並んで背を向けている。
つんと鼻を突く刺激臭。
「悟浄、そこムラになってますよ。もっと丁寧に塗って下さい」
「何言ってンの。俺の芸術的な手際が判んないの?ホラホラホラホラ……」
「ぅわっ、ちょっ……、やめてくださいよ!」
脚立の上から振り回す、腕の先にはペンキがたっぷりついた刷毛。
アイボリーの液体が、ぽたりぽたりと垂れ落ちる。
壁の塗り直しをしているらしい。
一旦逃げ出したものの、何を思ったか急ににやりと笑う八戒の横顔が見えた。
「あっ、悟浄、危ない!」
「うお!落ちる!マジ落ちるってば!!」
笑いながら、脚立をぐらぐらと揺すり出す。
「八戒、俺だけじゃなくてペンキまで落ちるぜ。零れて無駄になるんだぜ?」
「おや、ではまた悟浄にペンキを買いに行って貰わないとね」
「っんでそーなんのよ」
「ついでに他にも買い物頼みましょうか。牛乳にお酒にサラダ油に……」
「オイ、即座に重たいものばっか思い浮かべんなよ」
見苦しい。
野郎ふたりがケツ向けて、にたにたへらへら笑ってやがる。
ペンキの刷毛を振り回し、汚れるからと走って逃げて、舞い戻ってはぐーらぐら。
ガキがじゃれついてんじゃねえんだよ。
みっともねえ。
いい歳しやがって恥ずかしいんだよ、テメエら。
嬉しそうに見つめ合うなよ、アツクルシイ。
「さんぞ?眉間の皺、深くなってるぜ?」
小声の悟空を睨み付けると、肩を竦めて一歩下がった。
アッタリマエだ。
あんなデカイ図体の野郎共が、のうのう笑ってじゃれついてるんだ。
俺は憂いているんだよ!
「俺は憂いているんだ……!」
言いかけて、指さした瞬間振り向く奴ら。
「三蔵!いらしてたんですか?今日はゆっくり夕食食べて行けるんですか?」
「おー、三蔵サマ、お暇なの?いつもお子様連れでご苦労なこったね」
同時に言い出す、その顔の。
間抜けな顔の。
「三蔵!?」
突然身を折った俺に、八戒悟浄が駆け寄って来る。
「どうした!?」
「三蔵!」
肩を強く掴まれて、指先に籠もった力が痛い。
そんなに勢い良く躯を揺さぶられても、この腹の痙攣が収まる筈もない。
「………てめェら、顔見てみろ………」
「あぁ?」
涙の滲んだ目を漸く上げると、今度は間近で見つめ合う野郎ふたり。
「あ!」
互いの顔を指さして、大声あげて笑い出す。
「悟浄!鼻にペンキ!」
「八戒、ペンキで顔擦ったろ!」
動物めいたペンキの鼻と、片方のペンキひげ。
間抜け、間抜け、大間抜けな顔で、また笑う。
腹の痙攣が収まらない。
俺が笑っているなんて、楽しんでいるなんて思うなよ。
オカシイんだ。
お前らの間抜け顔が、オカシイだけなんだ。
全く、引き締めるのに、苦労する。
遠い、怒鳴り声。
今度は悟空が脚立に上り、刷毛から落ちたペンキの雫に、悟浄が罵声を上げている。
即座に返り、続く罵声、何かを投げ付ける音。
夕食の支度だという八戒と共に、入った室内にまで聞こえて来る。
きっと壁のペンキのムラは、増え続けているのだろう。
「あーあ、また始まっちゃいましたか。何度叱れば大人しくなるのか……」
「もう放って置け。言語以外のモノでしか意志疎通計れねえんだろ」
お茶を淹れていたと思っていた八戒の、手に持つものに、つい目を留めた。
「昼間っからか」
「労働後ですから」
イヤなら返して下さいと、八戒が言い出す前に冷えた缶のプルトップを開ける。
ぷしゅ。
午後の明るみの中、炭酸の抜ける音がふたつ連続。
冷たい飲み物を勢い良く嚥下する、喉の鳴る音もまたふたつ。
「……で?どうしました?」
「何のことだ?」
「ストレス溜まって、それでここに息抜きに来たんじゃないんですか?」
「別に」
「そうですか?ならいいんですけど。ま、これから晩ご飯ですし、時間もゆっくりありますしねえ。ゆっくり口を割ってくれればいいです」
「………。」
意味ありげに頷く八戒に、うんと眉を顰めて見せつけてみた。
別に。
何を伝えたい訳じゃない。
ただ、ここに。
ここに来て、馬鹿な奴らの顔を見て、気抜けして。
それだけで。
言語以外のものを。
その顔を、見せて。
「三蔵?」
「?」
顔を上げた途端に触れる唇。
「言語以外の意志の疎通、僕も計ろうかと」
ヌケヌケと言い放つ笑顔に向けて、漢のアツい拳、イッパツ。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
ちょこっとお疲れのさんぞさま、相変わらずの連中です。
疲れた時には、馬鹿馬鹿しいことで笑うのが好き(笑)