■■■ 驟雨 2
眠っているのかと思った。
灰色の空から落ち続ける雨に、全身が浸かったままで眠っているのかと思った。
森の中で離ればなれになった僕を、経文発動の波動が引き寄せた。
三蔵がそこにいる。
こんなに気が急くのに、なんて脚はゆっくりにしか動けないんだろう。
そう思いながら、聖なる輝きの痕跡を求めた。
掻き分ける茂みの向こうから、突然金色の輝きが目を射た。
いや、日も通さぬ曇天の下、濡れ鼠でいたのだから、三蔵の金髪といえども輝いていた訳ではないだろう。
僕の目には、輝いて見えた。
泥の中に横たわる三蔵が、ぼんやりと輝いて見えた。
それだけだ。
「三蔵ッ!?」
僅かに開けた空き地の真ん中に、泥にまみれた三蔵が横たわっていた。
駆け寄り、躯に触れようとした自分の腕の動きが、ぎこちないことに気付いた。
「さん、ぞう」
声をかけても目蓋も動かさぬ人の頸に、指先で触れた。
とく、とく……
鼓動を感じて、全身の力が抜けた。
地面に突いた膝ががくりと折れ、思わず前に出した掌が、泥の飛沫を周囲に飛ばした。
「三蔵、三蔵」
呼びかけながら、頬を包もうと出した掌の汚れに気付き、上着の裾に慌てて擦り付ける。
そんなことをしたのは、子供の時以来だった。
「さんぞ…」
「煩い」
目を閉じたままの三蔵の唇が動いた。
「三蔵、無事で…」
「そんな近くで名前呼ばれれば、一度で聞こえる」
言われてみて、今まで名前の連呼しかしていなかったことに漸く気付いた。
「怪我は?」
「ない」
即座に言い切った三蔵の、法衣には血の滲みが残っていて。
乗り上げるようにして確かめた顔にも、見覚えのない傷痕が出来ていた。
「怪我はない?」
「ない。疲れたから休んでいるだけだ」
強情に繰り返す三蔵は、強い雨に仰向けの額をさらけ出して、少しいつもより幼く見えた。
「三蔵」
貌を包み込むように、冷え切った頬に両手で触れた。
「三蔵」
掌が触れた瞬間、三蔵の目蓋が引き攣るように一瞬動いた。
「三蔵」
顎から頬へ、指を広げた。
「三蔵」
筋になって貼り付く金糸を、撫でつけるようにして、傷のあるこめかみに触れた。
「 ―――― 痛っ」
痛むような触れ方をしたつもりはなかったのに。
それでも、三蔵が口を開いたのが嬉しくて。
漸く開いた目蓋から暗い紫色の光彩が覗いて、すぐに眉が顰められた。
「何ワラってやがる」
「眠っていたのかと思ったんですよ」
不機嫌そうに睨まれ憎まれ口を利かれることがこんなにも嬉しいだなんて。
くすくすとこみ上げる笑いを堪え切ることが出来ず、僕の顔を間近に見る三蔵の機嫌は益々悪くなって行った。
「ムカつく野ろ……」
胴に両腕を掛けて三蔵の上体を引き起こした。
がくりと仰け反った首筋が、白く眩しく僕の目に映った。
「三蔵」
また名を呼び傷口に接吻けると、三蔵は火傷をしたかのように躯を撥ねさせた。
「アツ」
「動かないで」
「痛えよ。折角塞がりかけの傷が」
「泥を落としてるんです」
舌で傷口をなぞってはいたけれど。
本当はただ、唇を押し付けたかっただけだった。
仰け反る頭に貼り付く髪に指を差し込み、ただ抱き締めたいだけだった。
「 ―――― 三蔵」
森の中で眠るひとを抱き起こして、渾身の力で抱き寄せたかった。
降り続ける雨の中で、体温をそのまま注ぎ込みたかった。
「アツ苦しい」
「躯冷え切らせてるクセに、口だけは達者ですね」
「煩えと何度言わせれば、」
悟空と悟浄の声が近付いて来た。
腕の中で身じろぎする躯を、もう一度力を籠めて抱き締める。
「八戒、手ェ離……」
唇に一瞬触れて離れる。
「少しでも暖かくなりましたか?」
三蔵は返事もせずに僕を見返した。
「あなたが、無事でいてくれてよかった」
周囲に散らばる青龍刀を視界の端に入れた僕の、表情は少し強張っていたかも知れない。
「……こんな雑魚妖怪にヤられるかよ」
「ええ。でも無事でいてくれてよかった」
こめかみの傷口に接吻けてから三蔵の顔を覗き込むと、彼はゆっくりと目蓋を開くところだった。
「この熱を感じたんだ」
「え……?」
問い返した時にはもう、三蔵は立ち上がって歩き出していた。
「三蔵、今何て」
「煩え。同じことを何度も繰り返して言う気はない」
「あ……アナタが言いますか!?単独行動を避けろとか、単独行動を避けろとか、単独行動を避けろとか!一番コレ守る気ないのあなたでしょう!?我が儘なんだからもう。今だって怪我はナイなんて言って、血液汚れは落としにくいと何度言えば……」
「だあっ!言うと思ったんだよ!」
「言われるのが判ってるってことは……!」
「…………!」
「…………!?」
叩き付ける雨に負けぬよう大声で怒鳴り合いながら、僕達は呆れ顔で待つ悟浄と悟空の元へ向かった。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
『驟雨』の続きで、三蔵を見つけた八戒さんです。
さんぞさま、元気になった?