■■■ river flow
流れを眺め、渉り、濁流に呑まれ、沈み込み。
対岸の見通せるようなちっぽけな河に、行く手を遮られた。
名も知らぬような河に、流された。
抗う掌は大量の水をかいて重たく、腕には水流に乗った礫が当たった。
奔流に振り回される身の、ちっぽけさ。
もうずっと、長い間流され続けて来たように思う。
大きな大きな流れの中に、延々、抗い続けて来たように思う。
いや、それすらも。
多分、砂粒ひとつ分の悪足掻き。
刺客雀呂の、催眠による幻覚術を破ったのは、同じく幻覚に呼び出されたあの人の腕と、暖かな光の所為だった。
「これが現実だ」
横腹に銃を受けた刺客に向かって言い捨てた言葉は、自分の拠り所がどこであるのかを、自分自身に思い知らせる。
まだ俺は、あの人に守られてる。
助けられてる。
亡くなっても尚、俺を生かそうと。
『声が聞こえたんです』
そして俺は今も、流れのただ中で腕を振り回す。
「まるで血も涙もない、殺戮マシーンだ。あんなのは……紅じゃねえ」
独角兒が言った。
忠義な男の、吐き捨てるような声音に滲んだモノが何なのかなんて、そんなことは知ったことじゃなかった。
ただ。
大きな流れは、誰も彼もを無慈悲に翻弄するのだと。
無選別に、行き先も見えぬその先に、押し流してしまうものなのだと。
奔流はただそこにあるだけで、砂粒ひとつ分の重みなど気にしない。
流された砂粒同志がぶつかる、悲鳴にも似た軋みのことなど、気付きもしない。
「あんなのは紅じゃねえ」
それでも砂粒は、悲鳴を上げ続けながらもちっぽけな抵抗をやめることはない。
転がっても抗い続けるだけだ。
河に落ちたきり生乾きだった法衣に、袖を通した。
濡れて冷たい布地が躯に張り付く不快さに紛れ、袂の重みを探れば、煙草がひと箱。
パッケージの中で、ずくずくに水を吸い込み崩れかけのマルボロが、取れかかったフィルタの端を覗かせていた。
よく見れば、白の法衣にも薄く茶色い染みが残っている。
溶け出たヤニのつんと鼻を突く匂いが、半乾きのまま、まだらに袖を染めて行く。
泥のように。
滅茶苦茶に流された砂粒が、紛れて行く泥のように。
力を籠めるまでもなく、マルボロは掌の内で簡単に、水っぽく泡立ちながら、潰れて行った。
握り込んだ掌には、ボロボロのパッケージから茶色い汚水が溢れ、筋を為して流れて行った。
触れると染み込んで行きそうで、普段ならば絶対触れないニコチン水が、悪臭を放ちながら指の隙間に入り込み、手の甲から腕へ伝って流れ落ちる。
捻り潰されたパッケージから礫の当たった傷痕だらけの掌へ、茶色い汚水は溢れ続けた。
握り込めば握り込むほど、汚水は染み出し、滴り続けた。
ちっぽけな砂粒。
ちっぽけで汚らしい、茶色い流れ。
それでも、溢れ、流れを作る。
「ナメてんじゃねーぞ」
途端に掴みかかる男の、拳のごつい関節を見ていた。
必死な瞳の色を見ていた。
『声が聞こえたんですよ』
語気の荒い男の声に、別の穏やかな声が重なって聞こえるような気がした。
この男は、自分も奔流に流されながらも、必死に別の砂粒を拾い上げようとしているのだ。
聞こえなくなった声を聞き取ろうとしているのだ。
そう気付いた途端、男の声に悲痛な響きを感じ取った。
ずくずくと手を浸す、ニコチン水がまとわりつく。
身を押し流す奔流も、この汚水と大した変わりもないのに。
『声が、聞こえたんですよ』
輝かしいものがあることを知ってしまっているが為に、流されても流されても、抗うことをやめられない。
押し流されても濁流の中、腕を伸ばし続ける ――――
雀呂が去った後、八百鼡と独角兒は紅孩児を追って進んだ。
悟空と坤を探す俺達も、進路に大差はなかった。
同じ方角へ進みながら、別のものを追っていた。
奔流の中押し流されつつ、逆らおうとすることだけが、共通していた。
乾いた掌からヤニ臭さを嗅ぎ取り、汚水が流れ落ちる感触が蘇った。
どんなに小さくとも、自分で溢れさせた流れが存在した。
自分の襟元に掴みかかったごつい拳の、今まで掻き分けて来たもの、その手に溢れさせようとしているものを、思った。
歩き出して漸く、耳が轟々という水音を拾い上げ、自分達がまだ河の傍にいたことに気付いた。
河を渉り切った、それすらも。
多分、砂粒ひとつ分の悪足掻き。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
ゼロサム3月号(他最近の発行分含む?)ネタバレでした
濡れた煙草は、簡単に掴もうと思えるもんじゃないと、思います
そんだけ