■■■  replay 

「後悔しているのか?」
「……わかりません」
 百眼魔王の城跡から長安へ向かう途中のことだった。
 三蔵は貨物運搬の車輌を運転手ごと雇った。
 悟空は気のよい運転手に懐き、自分の居場所を助手席に勝手に決めてしまっていた。
 三蔵と悟能は、幌付の荷台に向かいあって座っている。
 唐突に始まった会話は呆気なく途切れ、低いエンジン音と、運転席の小窓から洩れる子供の声だけが暫く続いた。
 遠くから近付く山並みを指差し、その名を尋ねているらしい。

「ええと。すみません、今ぼうっとしていたみたいです。僕が何を後悔しているかとお尋ねだったんでしょう?」
 慌てたように悟能が口を開いた。
「後悔のタネが余程あると見えるな。ひとつひとつ、数え上げてみろ」
 三蔵はそれだけ言うと、荷台の後部に移動した。
 袂から煙草を取り出し火を着けると、眉を顰めて煙を吸い込み、咥え煙草で着物の襟を落として上半身を肌蹴させた。
 首都長安を守る最高僧の、はしたなさと無防備さに、悟能は目を丸くした。
「まず、人を沢山殺してしまったこと」
「フン。」
 三蔵は顎をしゃくって悟能の続きを促すと、躯を横たえた。
 人を運搬するには向かない、鉄板剥き出しの荷台の硬さを気にした様子もなく、自分の部屋でくつろぐような無造作だった。
「多くの人や妖怪達を殺しながら、その罪を判っていながら、報復の為だとやめようとしなかったこと」
 紫煙はあっと言う間に風に後ろに持って行かれる。
「それなのに、結局花喃を救い出すことが出来かったこと。花喃が死んだ後も、城の中で生きている者を殺し尽くしたこと。……花喃が目の前で死んだのは、僕の所為だということ」
 三蔵は煙草の灰を荷台の外に落とした。
 真っ白な灰は、空に散らばるように消えた。
「僕をアイしてるからこそ、花喃は僕に彼女の姿を刻みつけようと、目の前で刃を躯に突き立てた。僕はそれを止めることも出来ずに、彼女がエゴイスティックに死んで行くのを、見るだけだった。……僕は彼女の自殺を、受け容れ許してしまった」
 車輌が悪路に跳ね上がるのを、荷台のふたりは躯に直に感じ取った。
 運転席から、何か面白い物を見つけたらしいはしゃぎ声が聞こえて来た。
「悟空に、あんな小さな子供に、あなたから奪った銃を突き付けてしまったこと。僕の命を救ってくれた悟浄さんに、悲しい想いをさせてしまうこと」
 三蔵は煙草を投げ捨てた。
 悟能の咎めるような目付きに、小さく舌打ちをする。
「他は」

「花喃がさらわれる時に、傍にいてやれなかったこと」

「あの村なら僕らも隠れられるんじゃないかと、選んでしまったこと」

「ふたりでいられるように……街から逃げ出したこと。誰にも邪魔されないように知らない小さな村を探して……逃げたこと」

「花喃と出逢ってしまったこと。アイしあってしまったこと」

 三蔵は新しい煙草を取り出した。
 悟能は口に出さずに思い浮かべ、数え続けていた。

 あの朝、家を出る前にキスをもっと繰り返せばよかった。
 くったくなく微笑む花喃を、もっとよく見ておけばよかった。
 彼女の着ていた服のことも、ちゃんと覚えていられるように。
 彼女が最後に作ってくれたメニューを、その味を、香りを。
 シーツにくるまって抱き締めた時の、声を。
 もっともっと。
 ちゃんと、見て。
 聞いて。
 覚えて。
 永遠に。

 今となっては、僕ひとりしか知らない花喃のことを。
 共に眠りに就かせる為だけの記憶を。

「たんまりと出て来たモンだな」
 黙り込む悟能を、三蔵は呆れてせせら笑った。
「で、どれだ?後悔しまくって、もう二度と同じことを繰り返さないと思えるのは、どれだけある?」
 悟能は三蔵を見つめ返した。
 碧色の瞳が驚いたように見瞠かれた。
「……全部」
 三蔵はまっすぐ悟能の眼を受け止めた。

「全部、全部、全部……。どれほど後悔しても、僕は多分繰り返すでしょう。目の前で花喃が死んで行きたいというなら、彼女が朱に染まりながら、満足げに最後の微笑みを浮かべるのを見守ることしか出来ない。彼女が僕の腕から奪われたなら、それを取り返す為に何百人でも手に掛ける。誰かが僕らを追うのなら、地の涯までも逃げおおせて……みせる」

 知らず、握り締めていた拳に悟能は気付き、力無く微笑んだ。 
「どれほど後悔しても、僕には同じ道を選ぶことしか出来ないんでしょうね。何時だって、僕の前には一本の道筋しかなかったような気がします。時を遡っても、僕はもう一度花喃を求めるし、花喃も僕を捜すでしょう。必ず出逢って、同じようにふたり手を取り合って、」
 碧の隻眼が、白い法衣の主に向けられた。
「あなたが手向けの経を読んでくれたから。花喃は僕とは違う場所に行けるような気がします。……感謝しているんですよ。彼女の罪ごと、僕が背負って行けるような。花喃の罪も罰も、全部僕が引き受けて。僕は罪を背負って、二度と誰も愛さぬ、愛されぬ所へ向かえる」

「ねえ、三蔵さん。僕が二度と繰り返さぬこと、ありました。僕はもう誰も愛さない。もう誰も欲しがらない」

「僕は永遠に地獄で罪を償い続けるから。……三仏神に罰をくだされて落ちる『地獄』も、僕が思っているのと同じ『地獄』なんでしょうか?」
 三蔵は唇の端を下げ、嫌そうな表情を浮かべた。
「……死んだ後のことなど、俺が知るか。罪も罰も、そんなどこかの誰かが決めたものなど、俺が知る訳がなかろう。何度でも繰り返すだと?そんな罪、裁かれたところで、何の意味もありゃしねえ」
「でももし、時間が遡っても、僕は同じことを繰り返すだろうと思うんです。花喃のいないところで、僕ひとりが永遠に劫火の中で後悔をし続ければいい」

「もう、誰も愛さない」
 幸せそうに、悟能が言った。
「無理矢理押し付けられる運命がなけりゃ、そりゃラクでいられるだろうよ」
 吐き捨てるように言いながら、三蔵は首を捩って背後を見た。
 車輌の後ろに、通り過ぎた光景が置き去りにされて行く。
 地平の彼方へ、消え去って行く。
「過ぎた執着も何もかも、始めから持ちようのない所へだと?そんな都合の良い罰なぞあるものか。後悔とは無縁じゃねえか」
「そうですね」
 車が速度を落とし、森の外れに停車した。
「じき日が暮れる。今日はこの辺で休んで、明日長安に入るんではどうかね?」
 小窓から運転手が顔を覗かせ言うのに、三蔵は頷き荷台から飛び降りた。
「……何してやがる。火を熾す。てめェも降りて薪拾いぐらいは手伝え」
 悟能に声を掛ける為に荷台を覗き込んだ三蔵の、背後から悟空が近付いた。
 勢い良く飛びつかれた三蔵が、怒声をあげる。
「悟空、ロクなことしねえんだったら、大人しく昼寝でもしてろ!そのまま朝まで眠ってろ!」
「お腹空いちゃうじゃん。薪拾いしてくるから、ちゃんとナンカ食わせてよ!」
 叱られているというのに、三蔵に満面の笑みを向け手を振りながら駈けて行く。
 あっと言う間に小さくなる悟空の影を見送りつつ、悟能が口を開いた。
「元気で可愛らしいですね」
「どこがだ!」
「可愛がってるじゃないですか。あんなに懐いて……」
「行きがかり上の責任で、面倒見てるだけだ。あいつはエサくれる相手なら、誰にでも懐くだろうよ」
 三蔵に続いて降車した悟能は、周囲を見渡した。
 太陽が西へ傾き、森の上の空が赤みを増した色合いに染まりかけていた。
 三蔵は運転手にも薪を集めてくるように指図していた。
「この辺は長安が近いだけあって、妖怪の襲撃はない。ただ獣は寄ってくるからな。火を途絶えさせるな。薪はたっぷり拾っておけ」
「あの」
「何だ、まだそこにいたのか。てめェもさっさと薪集めに行って来い」
「僕、このまま行っていいんですか?見張るとか、縄つけるとか、しなくてもいいんですか?」
 三蔵は悟能に目を向けた。
 戸惑って、縄を掛けられるのを待っているのか、両腕を躯の前に揃えている。
「……縄付けられて、それでも効率よく薪拾いが出来るってんなら、てめェでぐるぐる巻きになってろ。見張る?逃げ出す気もない奴に、そんなくだらんことをする必用もない」
「信用して貰えてるんでしょうか」
「別に。これ以上の手間かけさせる気なら、脚でも撃ち抜いてやるが」
 三蔵が掲げ持つ銃が夕日を反射し、慌てて悟能は薪拾いに向かった。

 あっと言う間に枯れ枝が山のように集まった。
 悟能が三蔵の許へ戻った時には、悟空にまとわりつかれた運転手が、火を熾そうと試行錯誤しているところだった。
「三蔵!火が着かないんだってば。その新聞頂戴!」
「ばっ……!まだ読んでる最中……、クソ、半分だけだぞ!」
 新聞紙を焚き付けに漸く着いた小さな火を、悟空は嬉しげに眺めた。
 読みかけの新聞を奪われた三蔵も、穏やかな表情を浮かべ、徐々に大きく広がる火に見入っていた。

 悟能の目の前で、三蔵達を暖かみのある色合いの光が彩った。
 暮れかけの光景に、焚き火のオレンジ色がただ美しく、悟能の瞳に映った。
 微笑みかけて、戸惑う。
 悟能は黙って焚き火に近付き、薪を地面に置く間際に、自分の掌を見た。
 炎に透かし見る掌は、血潮の赤い色が滲むようだった。
 掌に目を落とし立ちすくむ悟能に三蔵が気付いた。

 炎の照らす輪から、悟能は一歩後ずさった。
 暗がりへ。
 光から逃れようとするように。
 隠れようとでもするように。
 炎の輝きを受ける悟空を、三蔵を、運転手の男を、羨望の目で見つめる。

 悟能が見たであろう掌の『赤』を、三蔵は感じ取った。
 掌をべったりと濡らす『赤』も、脈々と体内に流れ続ける『赤』も、同じ色をしているのだと、悟能が今感じていることに気付いた。

「何やってんだよ!そんなトコにいたら寒いじゃんか!」

 トーンの高い子供の声が響いた。
 悟空が悟能の腕を掴み、焚き火の傍に引っ張る。
「かっぷらーめんっての、作るんだって!お湯湧かして。暖まるって!」
 ぐいぐいと、力強く引き寄せられ、悟能は火の側に腰を降ろした。
 運転手が苦笑しながら、湯を沸かしている。
「こんなもんしかなくて、悪いんだがな」
 ひっきりなしに子供の笑い声が上がった。
 悟能の傍に、白い法衣が近付き座る。
「陽が落ちたら冷え込むぞ。鼻水たらしながら長安に入りたくなけりゃ、ぐだぐだ考えずに火の側で、ある物を腹に入れろ」
 碌に悟能の方を見ずに三蔵は言い、回されて来たカップ麺を手渡した。
「腹が減って無くても、ともかく躯に入れろ。 ―――― 餓えて裁きもまともに受けられん罪人など長安に連れ帰ったら、俺がとやかく言われる。食え」
「食わないんだったら、俺が食ってやるよ!」
 脇から顔を出した悟空の頭を、三蔵が強かに殴りつけた。
「全員、自分の分を黙って全部食いやがれ!」

 薄い発砲スチロールのカップから立ち上る湯気に、悟能は顔を寄せた。
 暖かな湯気が鼻腔をくすぐった。
 気の進まぬ様子でひと口、ふた口麺をすすった悟能は、やがて続けて麺を口に運び始めた。
 ただ腹を膨らませるだけの麺が、悟能の躯を温めた。

 夜が更けた。
 焚き火を囲んで4人は横になった。
 悟能は拡がる夜空を見上げ、身じろいだ。
「さっさと眠れ」
「……はい」
 背を向けたままの三蔵に、悟能は返事をした。

「さっきのカップ麺。お腹なんか空いてないと思ってたのに、汁まで残さず飲んじゃいました」
「そうか」

「暖まりました」
「ああ」

 悟能の視界の端に、悟空が寝返りを打つのが映った。
 不鮮明な寝言がそれに続き、小さくなって消える。

「三蔵さん」
「なんだ」
「さっき僕、きれいだなあって思ったんです。焚き火の明かりを見て」
「……」
「きれいで、嬉しくなって。……酷いと思いませんか?あんなに沢山の罪を重ねた癖に、暖かな輝きを喜ぶだなんて」
「……てめェひとりの所為では、世界は終わらないってことだな」
「何もかもが僕の中では終わってしまったのだと、信じていたのに」
「くだらんことを言ってないで、黙って寝ろ」
「はい」

「俺も。毎日サル相手に怒鳴り続けるような生活をするようになるとは、思ってもみなかった。騒々しい馬鹿に、声の大きさで負けないように張り合う羽目になろうとはな。世界なんて、真っ暗になって終わったと思ってた。……思ったようになんて、ならねえんだよ」
 静けさの中で、三蔵は小さく呟いた。
 悟能は返事をしなかった。
 眠っているのかと、三蔵は振り向きかけ、やめた。
 うとうとと、眠りと覚醒の合間を行き来する三蔵の意識に、昼間聞いた声が蘇った。

『僕はもう誰も愛さない』

 思い通りにならない、人生を思った。










 終 




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◆ note ◆
ごじょさんを途中で住んでる街に落っことした後の、長安へ向かう一日でした。
『リプレイ』はグリムウッドさんの本のタイトルから頂戴しました