■■■ interval
三蔵が慶雲寺に滞在して数日。
誰とも関わりを持とうとしない三蔵を無力な若造と侮る目は、これまで彼が繰り返して来たという殺生の噂を、全身に生々しく残る傷跡が証明したことにより、異物を見るようなものになっていた。
『関わってくれと、こっちから願った訳じゃない』
誰をと、いう訳でもなく嘲笑おうとした三蔵の唇は、歪んだ笑みを浮かべる前に、身に走る傷みに引き攣れた。
湯殿で熱い湯を浴びたのだ。
長安に辿り着くまでの戦闘で受けた傷の殆どは、慶雲寺で過ごす数日の間に回復していた。
だが、衣服に擦れる肩や肩胛骨の尖りの傷の癒えが遅い。
熱い湯がかかる度感じる痛みに傷口の乾かぬことに気付かされるが、三蔵は水垢離でもしているかのように、湯を躯に叩き付け続ける。
手桶を持ち上げる、その単純な動作にも脇腹に疼痛が走るのは、肋骨にひびが入っているのを放置している所為だろう。
『使い古して壊れかけの、おんぼろの機械のようだ』
三蔵は自分の躯についてそう思い付き、おんぼろの酷使がこれからも続くであろうことを、苦く笑おうとした。
「 ―――― 痛ゥ。」
唇がまた、笑いではなく痛みに歪む。
「三蔵様、お着替えをこちらに置きます」
「ああ」
頭から湯を被った三蔵は、ここ数日の習慣となっていたそっけない返事を返してから声の主に思い当たり、慌てて振り向いた。
「 ―――― 待覚!?」
半身分開いた湯殿の扉の隙間から、慶雲寺大僧正、待覚が顔を覗かせていた。
「ほっほ。噂通りじゃの。華やかなもんじゃ」
老人特有の長い眉の下の待覚の目が、一瞬厳しく光ったように三蔵には感じられた。
全身に及ぶ刀傷や擦過傷、打ち身の痣が、青黒く、黄に、緑に、紫に、変色している。
三蔵は瞬間、自分の傷だらけの躯を老人の目から隠したい衝動に駆られた。
全身を露わにする湯殿では、隠し立てをすることなど叶う訳もない。
諦めに似た感情が沸いた。
「この通りだ」
見るならば、この生々しい闘いの、殺し合いに生き残ったものに残る傷を見よと。
三蔵は両腕を真っ直ぐに垂らし、待覚の正面に立った。
見るならば、見よ。
見たくもなくば、目を背けよ。
隠すことが出来ぬものを突き付けるつもりで立つ、三蔵の唇がまた歪んだ。
「……子供じゃの」
思いも寄らぬ言葉に三蔵が瞠目している間に、待覚はずかずかと湯殿に入り込んだ。
「ソレ」
「なっ……うわ」
待覚は三蔵の肩を押し、同時にすくい上げるように足を軽く引っ掛けた。
三蔵は背後の湯船に、頭から突っ込む羽目になった。
一旦水没した金の頭が勢い良く水面に持ち上がる。
「痛えッ!! 何しやがる爺ィッ!?」
「ほっほっほ」
ずぶ濡れで煌めく髪がぺたりと貼り付いた三蔵を見て、待覚は楽しげに笑った。
「傷に滲みるから湯に入らぬとは、まだまだ子供じゃの。傷を治したくば、我慢してゆっくり湯に浸かるのが一番。……ほれ」
濡れ鼠の頭を見下ろし笑う待覚は、袂から畳んだ紙包みを取り出した。
広げる包みから零れる、白い粉末。
「温泉の素。愛用品でしての。年寄りの躯は始終痛みや強張りを抱えておるので、欠かせんのでなあ。傷や打ち身にも効能アリの温泉の素だから、のんびり浸かりなされ」
袖を二の腕まで捲り上げて、湯を掻き混ぜながら呑気な声で言った。
何を。
何を言うべきか、三蔵はこの時何の反応も出来なかった。
傷が滲みるから湯に入らないのではないと、反論すべきか。
礼を言うべきか。
言葉が見つからない。
「ひゃく数えるまで、上がってはなりませんぞ」
笑いながら湯殿を出て行く待覚の後ろ姿を見ても、気軽にどこでも出向いてしまう困った大僧正に付き従う、傍仕えの僧達の慌てた顔を見ても、何も言葉が思い浮かばなかった。
「……いーち、にーい、さーん……」
機械的に数字を口に出して数え始めてから、急に湯の温度が躯中に染み込んで来たような錯覚を感じた。
湯船の縁に項を預け、躯中の力を抜いて手足を伸ばしてゆらりと浮かぶ。
「しーい、ごーお、ろーく……」
目を瞑り、全身を漂わせ。
何も考えずに。
ただゆっくりと、数字を数え続けた。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
10月号ネタバレです。
さんぞが好きだ!と、改めて思ったゼロサムでした。