■■■  十八番 

 からからと、乾いた音が。
 踏みしだく足下から、かろく割れては鳴り響く。
 一面の、されこうべ、されこうべ ――――

『貴様らはもう、ここからは逃げ出せん。 ―――― この雀呂様の幻覚世界からはな……!!』

 呻きながら、骸骨で埋まる大地に臥す悟浄を、刺客が見下ろした。
「なぁ、悟浄。見てみろよ、お前の右手はよく燃えるなァ」
 男の言葉と同時に、三蔵、八戒の目の前で、悟浄の右腕が炎に包まれた。
「…う、わあアぁアあああ!!」
「悟浄…!!!」
 炎が赤く燃え上がった。
 炎の舌は悟浄の腕を舐め尽くす勢いだった。
 悟浄に駆け寄ろうとした八戒の足を、大地から生えた無数の腕が引き留めた。
「悟浄……、悟浄!?」
 刺客の高笑いを遮り、八戒の声が響いた。
「間違えちゃいけません!燃えてるのはあなたの右腕だけじゃなく、全身です!」
「ぐぁあッ!?」
 八戒の言葉に目を剥いた悟浄の、全身が紅蓮に染まった。
 刺客が八戒に向けて、幻覚を呼び起こす言葉を放つ前に、また叫びが響いた。
「そして僕らも燃えている!燃えていないのは、この妖怪の男だけです!!」
「な……!?」
 轟々と炎の柱が立ち上がった。
「血迷ったか!?」
 片頬を引き攣らせた刺客の視線の先で、炎に包まれた八戒が薄く笑いを浮かべた。
 
「燃えてないのは、あなただけなんですよ。いいですか、動物は代謝しなくては生きられません。体内でエネルギーを燃やし続けなければ、冷えて行くだけなんですよ」

 八戒の薄目の唇の端が、僅かに上向いた。
「脂肪が糖に代わり全身で燃えなければ、……ほら、あなたのカラダ、もう冷たいじゃないですか」
「う、うぁ!?」
 刺客が広げた両の掌の、血の気が失せていた。
「可哀相に、燃える物がないんでしょうか?」
 刺客の身体が、みるみる内に萎み始めた。
 乾いた皮膚が弛み、顔に皺を張り付かせる。
「それとも代謝機能が無くなってしまったんでしょうか……?」
 体脂肪も筋肉もそげ落ちた刺客が、悲鳴をあげた。
 枯れた悲鳴が、掠れて消えて行く。
「脳に糖が無くなっちゃったら、困りますね。ああ、大変だ!筋肉が動かないから……心臓が停止してしまう!酸素の供給が止まってしまった!」
「ぎ、ィイイイぃぃ……ッ」

 火の爆ぜる音が、静寂を破った。
 されこうべの薄ら白い野原も、絡み付く毒蛇も、地獄の底から伸びるような腕も、全て消えていた。
 刺客は、蝋のような顔色に断末魔の形相を浮かべたままで、事切れていた。
 暖をとる為の焚き火だけが、その場で動く唯一の物だった。
 全てを見守っていた八百鼡と独角兒は、茫然と立ちすくんでいた。
 三蔵と悟浄も、冷や汗を張り付かせたまま口を利くことが出来なかった。

 コキコキ。

「全然、修行が足りてませんでしたね。洗練されてない」
 八戒が首を回すごとに、骨の鳴る音がした。
「ま、僕もキレも冴えも出せませんでしたが。もっと美しく、もっと痛々しくして差し上げないといけませんでしたね。何せこの方の、人生最後のプレイでしたし」
 全身を炎に呑まれたショックから、漸く悟浄が立ち直った。
「……八戒、さん?」
「いけません、イマジネイションを刺激する言葉遣いの訓練を、怠ってました。心理の探り合いも足りなかった。何より、服従心を引き出すことが出来なかった。下僕として可愛がってあげることが出来なかった。……一世一代の不覚です」
「八戒……」
「僕としたことが!」
「八戒!」
 三蔵が耐えきれずに叫んだ。
「貴様、今の……」
 叫んだが、最後まで言葉を続ける気力も無かった。

「今の?言葉責め勝負?辛うじて勝ちましたけど、今ひとつ爽快感がないですね。僕、得意なんですけどねえ……」

 乾いた風が、膚を粟立てた。
「……ねえ、独角」
「ああ。とんでもねえ野郎共だ」
 八百鼡と独角兒は揃って、三蔵一行を隠れ見た。
 笑顔を崩さない八戒、近付こうとする八戒を追いやろうとハリセンを無闇に振り回す三蔵、疲れが滲むものの、諦めた目でその光景を見守る悟浄。
「なまじっかのことじゃ、勝てねえ。ともかく、紅孩児様を捜せ。……こんな奴らから、お守りせにゃならん!」
「ええ!」
 既に普段の騒々しさを取り戻した三蔵一行から、妖怪ふたりはじりじりと離れ始めた。
 距離を取り、猛ダッシュする。
 駆け出す間際に、独角兒は一瞬振り返り弟の姿を目で探した。
 煙草に火を着けようと俯いていた悟浄の、横顔が長い髪に隠されていた。
「悟浄。俺にはもう、お前の人生に口出しする権利はねえ。だが……。だが、強く生きてくれ!」
 振り切るように走る独角兒の耳に、風が焚き火の薪が燃え落ちる微かな音を運んだ。
 
 からからん。

 かろく乾いた音だった。










 終劇 




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◆ note ◆
ゼロサム1月号ネタバレでございました
……あーゆー勝負なら、負けないと思います