『殺してやる』
その言葉を忘れたかのように、三蔵は普段通りの不機嫌面で、黙って煙草をふかし続けるだけだった。
耳が拾い、耳膜を振るわせ、脳裏に染みつく、
そんな声は、いついつまでも繰り返し再生される必要もない、
溶けて流れ果てて行けばよいと。
言葉もなく、ただ性急に抱きたい気持ちを重ねた唇に伝えると、抵抗するのも面倒臭いと身を任せる。
普段通りの素っ気なさに、普段通りの手順を重ねて。
声を上げさせ、ダさせて、弛緩した腕を背に回させて。
「…………くッ」
躯を進める瞬間だけ、背けようとする顔を無理矢理向けさせた。
息を詰め、苦痛を堪える貌を、顎に手をかけ向き直らせる。
「な……ンだ、はっか……?」
抑えた指に籠めた力に、三蔵は目を眇めた。
「ウ……アっ……!」
乱暴な動きに上がる悲鳴が、掠れながらも高く変調して行く。
「……痛ゥ……ッ……ア、はぁ……っ」
押り曲げられた躯を、必死に捩って逃れさせようとするのを、顎にかかる掌を避けようと、僕の手首を掴もうとするのを、力ずくでねじ伏せた。
「貌。見せてください」
静かな声に、三蔵の眉が顰められた。
「あなたの表情を、僕に見せてください」
「っ、悪趣味、ヤロウ、め……!」
食い込むくらいに、顎に掛けた指に力を入れると、噛み締めがちな唇が開いた。
呼吸が、僕の与える振動に合わせるように、抵抗するように、続いた。
詰めた息を洩らす瞬間、揺すり上げると掠れた悲鳴が切れ切れに上がる。
非難を籠めた紫の瞳が、揺らぎながらも僕を捉え、天井に逃れては、また僕に戻る。
「く……ンンっ」
痛みだけを感じている訳ではなく、躯の中に流れる快楽を堪えながらの、それ故の苦痛の表情を、三蔵は浮かべた。
三蔵が耐え難いと感じることを、沢山。
苦痛と快楽に我を忘れさせて。
身を重ねることをユルシた相手にだけ与えられる、感覚と感情。
身を重ねることをユルシた相手にだけ曝し出す、悲鳴と表情。
「手、離せっ」
「身動き出来ないと、堪えるの辛いですか?それじゃ、叫んでもいいですよ……?」
苦しげな、貌も、声も、何一つ見落とす気も、見逃す気もないのだと。
それを理解した三蔵の、瞳に一瞬瞋恚が閃き、
「………。」
「全部、見せてください。悦楽と屈辱で、痛いくらいに感じてる貌を、僕に見せて下さい。抵抗したりねだったり、あなたが我を忘れてる時にだけ出す声を、僕に聞かせて下さい」
『モシ、俺ガ』
『モシ、俺ガ狂ッタラ、殺シテクレル?』
口には出されず終わった言葉の、願いを。
残酷で純粋な、熱望を。
『殺シテヤルヨ』
『殺シテヤルヨ、俺ガ』
聞き届けたあなたの約束は。
残酷を受け入れた誓いの言葉は。
もう僕は、それを願えるほどの残酷さは持ち得ず、残酷を望むことを許される絆は、躯を繋げた瞬間に叶わぬものとなり。
悟空だけに許された、福音。
悟空だけに許された、残酷さ。
『殺シテヤルヨ、俺ガ』
自分の心が引き裂かれてでも、誓いを果たすだろう三蔵の眼が、浮かんだ。
ああ。
いつかの男は何と言ったっけ。
六道……朱泱。
札に呑み込まれて行った男の呪縛を、解放するのは三蔵にしか出来ないことだった。
あの時のように。
『俺達、三蔵より先に死んだらダメじゃん』
迷いの無いその言葉には嘘はなく、ただ、信じ切っているから。
『モシ、俺ガ狂ッタラ、殺シテクレル?』
『殺シテヤルヨ、俺ガ』
慟哭しながら、三蔵は誓いを果たすだろう。
悟空の残酷さを、受け入れるだろう。
『三蔵より先に』
いつかの悟空の、迷わぬ瞳を思い出し、くすり、とひとつ、苦い笑いが洩れた。
その言葉は、僕が守るから。
どんなに心の奥底が、羨望しても、僕は三蔵の手には掛からない。
三蔵に僕を殺させるようなことは、決してしない。
関を切ったように流れ出す嬌声を、僕は微かに痛みを感じながら聞いた。
訴えや懇願の色を浮かべた瞳を、心の奥深くに刻み込もうと見つめた。
僕に許された、三蔵の姿を。
顎に掛けた指を、そっと唇に滑らせた。
滑らかな唇に、爪の先で象るように、滑らせた。
三蔵の喉が痙攣するように動き、ふっくらとした唇の中央を抑えた指に、薄い舌が絡んだ。
僕の爪を舐めた舌が、指に這った。
迎え入れるように差し出された、唇も舌も、雨に濡れた赤い花のようだった。
「いい、加減に……、もう、やめっ……も、う、……出来、な……っ」
指に遮られた不鮮明な声と、乱れて揺らぐ瞳を、心の奥深くに刻み込もうと。
「……これ、以上……出来な、い、……ヤ、メ、……っ!」
『殺シテヤルヨ、俺ガ』
どうせ死ぬなら、腹上死がいいです。
戯れ言すらも、口に出せずに。
察したように、ただ、三蔵は眼を開け、閉ざし。
僕たちは眠りに落ちた。