願わくは花の下にて 
 何日も、触れてなかった。
 野宿が続き、たまに取れる宿はといえば、四人部屋ばかりだったからだ。
 三蔵が、それを望んでいたからだ。

『殺してやる』

 その言葉を忘れたかのように、三蔵は普段通りの不機嫌面で、黙って煙草をふかし続けるだけだった。

 殺してやるよ
 日々が過ぎる。
 険しい山岳地帯を抜けた頃には、雪のちらつくことも無くなった。
 ましろな雪が消える頃、僕らの記憶も薄れて消え去る筈だった。

 耳が拾い、耳膜を振るわせ、脳裏に染みつく、
 そんな声は、いついつまでも繰り返し再生される必要もない、
 溶けて流れ果てて行けばよいと。

 殺してやるよ
 漸く取れた宿の個室に、夜半のノックは静かに迎えられた。
「久々にゆっくり眠れると思ったんだがな」
「久々だからですよ」
 気の早い僕の抱擁に、呆れたような声が返る。
「ガキかよ」
「触れたいの、かなり我慢してたんですけどねえ」
 回す腕は、優しくしたいと願うよりも幾分、強く。
 かき抱く。
「……ガキかよ」
「ずっと、こうしたかったんです」
 情熱を持て余したかのような、それを窘めるような、そんなそぶりを見せあった。

 言葉もなく、ただ性急に抱きたい気持ちを重ねた唇に伝えると、抵抗するのも面倒臭いと身を任せる。
 普段通りの素っ気なさに、普段通りの手順を重ねて。
 声を上げさせ、ダさせて、弛緩した腕を背に回させて。
「…………くッ」
 躯を進める瞬間だけ、背けようとする顔を無理矢理向けさせた。
 息を詰め、苦痛を堪える貌を、顎に手をかけ向き直らせる。
「な……ンだ、はっか……?」
 抑えた指に籠めた力に、三蔵は目を眇めた。
「ウ……アっ……!」
 乱暴な動きに上がる悲鳴が、掠れながらも高く変調して行く。
「……痛ゥ……ッ……ア、はぁ……っ」
 押り曲げられた躯を、必死に捩って逃れさせようとするのを、顎にかかる掌を避けようと、僕の手首を掴もうとするのを、力ずくでねじ伏せた。

「貌。見せてください」
 静かな声に、三蔵の眉が顰められた。 
「あなたの表情を、僕に見せてください」
「っ、悪趣味、ヤロウ、め……!」

 食い込むくらいに、顎に掛けた指に力を入れると、噛み締めがちな唇が開いた。
 呼吸が、僕の与える振動に合わせるように、抵抗するように、続いた。
 詰めた息を洩らす瞬間、揺すり上げると掠れた悲鳴が切れ切れに上がる。
 非難を籠めた紫の瞳が、揺らぎながらも僕を捉え、天井に逃れては、また僕に戻る。

「く……ンンっ」
 痛みだけを感じている訳ではなく、躯の中に流れる快楽を堪えながらの、それ故の苦痛の表情を、三蔵は浮かべた。

 三蔵が耐え難いと感じることを、沢山。
 苦痛と快楽に我を忘れさせて。
 身を重ねることをユルシた相手にだけ与えられる、感覚と感情。
 身を重ねることをユルシた相手にだけ曝し出す、悲鳴と表情。

「手、離せっ」
「身動き出来ないと、堪えるの辛いですか?それじゃ、叫んでもいいですよ……?」
 苦しげな、貌も、声も、何一つ見落とす気も、見逃す気もないのだと。
 それを理解した三蔵の、瞳に一瞬瞋恚が閃き、
「………。」
「全部、見せてください。悦楽と屈辱で、痛いくらいに感じてる貌を、僕に見せて下さい。抵抗したりねだったり、あなたが我を忘れてる時にだけ出す声を、僕に聞かせて下さい」

 僕にあなたが与えてくれる、ソレだけで充分なんです。
 僕はそれだけで、幸福なんです。

『モシ、俺ガ』
『モシ、俺ガ狂ッタラ、シテクレル?』

 口には出されず終わった言葉の、願いを。
 残酷で純粋な、熱望を。

『殺シテヤルヨ』
シテヤルヨ、俺ガ』

 聞き届けたあなたの約束は。
 残酷を受け入れた誓いの言葉は。

 もう僕は、それを願えるほどの残酷さは持ち得ず、残酷を望むことを許される絆は、躯を繋げた瞬間に叶わぬものとなり。
 悟空だけに許された、福音。
 悟空だけに許された、残酷さ。

シテヤルヨ、俺ガ』

 自分の心が引き裂かれてでも、誓いを果たすだろう三蔵の眼が、浮かんだ。

 ああ。
 いつかの男は何と言ったっけ。
 六道……朱泱。
 札に呑み込まれて行った男の呪縛を、解放するのは三蔵にしか出来ないことだった。
 あの時のように。

『俺達、三蔵より先に死んだらダメじゃん』
 迷いの無いその言葉には嘘はなく、ただ、信じ切っているから。

『モシ、俺ガ狂ッタラ、シテクレル?』
シテヤルヨ、俺ガ』

 慟哭しながら、三蔵は誓いを果たすだろう。
 悟空の残酷さを、受け入れるだろう。

「……くぅ。んん……っ、ん、ア、アアア、ア・ア・ア……!」
 もう僕は、その残酷さを持ち得ない。
 三蔵にそれを願うだけの、強さはない。
 どんな思いで、どんな貌で、三蔵が弾き金をひくのか。
 それを知る資格を、僕は持たない。
 悟空だけに許された、福音だから。

『三蔵より先に』

 いつかの悟空の、迷わぬ瞳を思い出し、くすり、とひとつ、苦い笑いが洩れた。
 その言葉は、僕が守るから。
 どんなに心の奥底が、羨望しても、僕は三蔵の手には掛からない。
 三蔵に僕を殺させるようなことは、決してしない。

「モット……その貌を見せて。濡れてしまった声を、上げて……?」
「ひぁ……ッ、ク、ソッ!……イ、ア……ッ、あ、ああ……っ!!」

 関を切ったように流れ出す嬌声を、僕は微かに痛みを感じながら聞いた。
 訴えや懇願の色を浮かべた瞳を、心の奥深くに刻み込もうと見つめた。
 僕に許された、三蔵の姿を。

 顎に掛けた指を、そっと唇に滑らせた。
 滑らかな唇に、爪の先で象るように、滑らせた。
 三蔵の喉が痙攣するように動き、ふっくらとした唇の中央を抑えた指に、薄い舌が絡んだ。
 僕の爪を舐めた舌が、指に這った。
 迎え入れるように差し出された、唇も舌も、雨に濡れた赤い花のようだった。
「いい、加減に……、もう、やめっ……も、う、……出来、な……っ」
 指に遮られた不鮮明な声と、乱れて揺らぐ瞳を、心の奥深くに刻み込もうと。

「……これ、以上……出来な、い、……ヤ、メ、……っ!」

 真空に意識を飛ばすような、そんな瞬間を同時に迎え、
 熱を放ち続ける躯を、隙間を作らず重ね合わせた。

シテヤルヨ、俺ガ』

 どうせ死ぬなら、腹上死がいいです。 
 戯れ言すらも、口に出せずに。
 察したように、ただ、三蔵は眼を開け、閉ざし。
 僕たちは眠りに落ちた。















 fin 







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◆ note ◆
ゼロサム7月号ネタでした