■■■  little flower 

 三蔵は、自分が薄暗闇の中にいることに驚いた。
「な……!?」
 勢い良く起き上がって、自分が執務室の長椅子で眠っていたことに気付く。
 ここ数日多忙が続き、八戒との面会時間までの僅かな時間、寝不足解消の為に仮眠を摂ろうと横になったのを思い出し、慌てて壁の時計を振り向けば、夕方の6時半をとうに回った頃合い。

「八戒なら帰ったよ」
 面食らって髪をかき回す三蔵の、背後から悟空が声を掛けた。
「何時来て、何時帰った」
「いつもの時間に来て、いつもの時間に帰った」
 不機嫌を隠そうともしない三蔵の声に、悟空はほんの僅か、目を瞠った。
 
 定例の、八戒の面会日だった。
 定刻通りならば、午過ぎにやって来て、夕刻には終了する。
 数時間もの間、八戒は何をやっていたのかと、三蔵は眉間の皺を深くした。
 そも、三蔵の寝不足続きは、八戒との面会時間に余裕を持てるように、他の仕事を先に済ませる為のしわ寄せだ。
「三蔵、疲れてるみたいだから、寝かせておいてあげましょうねって、言ってた」
「今寝たからと言って、また後日改めて面会しなおす必要出て来るんだったら、単なる二度手間じゃねえか。その位なら叩き起こせと言うんだ」
「あ。それなら……」
 薄暗い部屋の灯りを点け様、悟空は執務机からファイルを取り、三蔵に手渡した。
「八戒の面談報告書。一応書いておきますってさ。これで拙いようだったら、また明日出直しますって」
 三蔵は慌ててファイルを捲った。
 罪人の監視を目的とした、猪八戒の名の記してある機密書類のファイルには、今日の日付の報告が丁寧に書かれてある。
 器用なことに、三蔵の筆跡を真似てあり、本人にも見分けがつかない程だった。
「……ほほぉ。筆跡やら文体やら、コメントに如何にも俺が書きそうなことまで書いてやがるとはな。随分と舐めた真似をしやがる」
 眉間の皺だけでなく、三蔵のこめかみの血管が薄く浮き出てくるのを、悟空は見た。
「その書類、使えなさそうだったら、また明日同じ時間に来るって言ってたよ」
「そういう問題じゃねえよ。……いや、大体このファイルの在処を何故ヤツが知っている?悟空、お前が教えたのか?」
「うん」
 鍵のかかる書庫に、厳重に保管してあるファイルだった。
 悟空も、それに勝手に手を触れることは、今まで一度もなかった。
 それでも多分、悟空は八戒にこの書類を書かせても問題ないと判断したのだろう。
 ざっと斜め読みした処、報告は正確詳細、虚偽の記載を疑わせるような部分は、三蔵には見つけることが出来なかった。
 いや、虚偽を記す必要もない、穏やかで平穏な生活を送っているのだ。
 そう気付き、三蔵の表情が微かに緩んだ。
「悟空。極秘書類のチェストには二度と触るな」
「判った。もうしないよ、三蔵が寝ちゃったりしなかったら」
 いちいち、三蔵の気に障る。



 三蔵はファイルを執務机に置き、額に掌を当て溜息をついた。
 掌の陰から、床に落ちた毛布が目に入った。
 長椅子に座る自分に掛けられたものだと判った。
「……悟空。何時間もの間、ヤツはここで何をしていたと言うんだ」
「座ってた」
 嫌な予感がした。
「三蔵が寝てる間、ずっと傍に座って静かに見てた」
「……。」
「にっこり笑って座ってて、持って来た本を俺に読んでくれたりもしたけど、可笑しくて笑うとすぐ、しーっ、三蔵が起きちゃいますよって」
「ぉぃ……」
「俺、途中で退屈しちゃって、外で遊んで来るって言ったんだけど、そしたら、僕はここで三蔵とお留守番してますねって」
「勘弁しろよ」
「え?」

 不覚の極み。

 三蔵は額の掌を、ぺたりと眼窩にずらして当てた。
 絵が思い浮かぶようではないかと、三蔵は思った。
 長椅子に寝こける自分。
 その傍に引き寄せた椅子に、黙って静かに座る八戒。
 何時も文庫本を持ち歩いているようだから、それをぱらぱら捲りながら、時折寝顔を覗き込んでは、うっすら可笑しそうに笑うのだろう。
 そうやって、微笑みながら寝顔を見ていたのだろう。


「それとね、これ、八戒に頼まれたんだ」
 悟空の指さす先に、コップに活けた小さな花。
 雑草も雑草ぺんぺん草が、ほっそり長い茎の上で、精一杯小さく寄り固まって花を咲かせていた。
「疲れてる時には花見るとイヤサレるからって、摘んで来てって頼まれた」
 ぺんぺん草の白い花。
 八戒も困惑したろう。
 何か花をと頼まれた子供が、喜び勇んで摘んで来たのがぺんぺん草。
 目の前で自慢げにコップを指さす悟空を見るうちに、三蔵はおかしさがこみ上げて来た。

「悟空。ヤツは明日もまた来ると言ったんだな?」
「うん、同じ時間に。……ナニ?八戒の書いた書類、駄目だったの?やっぱり三蔵がちゃんと書き直さないといけないの?」
「馬鹿め。そんな無駄なことを俺がするか。報告書は使う。だが、報告自体は、ヤツの口から、俺がこの耳で聞かなきゃ筋が通らん。悟空、お前明日は昼飯を食うな」
「なにそれッ!?」
 三蔵の最後の言葉に、悟空は悲鳴じみた返答をした。
「寺で出される昼飯を食わずに、少しの間我慢しておけ。明日は八戒に食わせて貰おう。腹が破裂する程食ってやれ。……俺の寝顔の見物料だ。ヤツが許してくれって泣き声上げるまで食いまくれ」

 ぽかんと口を開ける悟空に背を向け、三蔵はひとりほくそ笑んだ。
 安い見物と思われては困る。
 大体、報告書の一枚や二枚の手間は省けても、明日また面会の時間を空けるとなると、深夜まで別の仕事をこなさねばならない。
 何という迷惑。
 何という時間の浪費。
 何というくだらなさ。
 
 


 三蔵は執務机の椅子に、音を立てて腰を降ろした。
 目を通さねばならない書類が山程あるのを、束で手に取り紙を捌く。
 
 ばさり、ばさり。
 とん!

 白いものが揺れた。
 ぺんぺん草が風にあおられ、コップの中で小さく揺れた。
 三蔵は暫く花に目を止めて、それから猛烈な勢いで書類を捲り始めた。
 明日、八戒に掛けてやる皮肉のひとつやふたつ、書類を書き終わる頃には思い付いているだろう。
 視界の端に白い花を捉えながら、傍らの悟空に見られぬように、三蔵は小さく、笑った。










 終 




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◆ note ◆
踏まれても枯れない、不貞不貞しく逞しい花を、
あなたと、わたしに