Like a dog. 
 口を利くのが嫌だ。
 何を見るのも嫌だ。
 息を吸うのも厭わしい。



 気鬱の原因は、我ながら判り易かった。
 目の前に立ちふさがる妖怪に、銃口を向けた。
 別の妖怪が、横手から青龍刀をかざして躍りかかるのに気付いたのはその時だった。
 もしかして死ぬのかもしれないと思った。
 思った瞬間に、悟浄の錫杖が、青龍刀ごと、その腕を裁ち落とした。
 銀の光はまず妖怪の腹を裂き、ほぼ同時に腕を薙いだ。
 横飛びに倒れる自分の躯に熱い雨が降り注ぐのを感じながら、手は無感動に引き金を引いていた。
 腕を落とした妖怪の背後の、もうひとりに銃弾が辺り倒れたのを、覆い被さる八戒の躯の隙間から見た。

 それだけだ。

 血飛沫が噴水のように、音を立てて降った。

 それだけだ。

 俺の顔を熱く濡らす血が。
 妖怪達が、重なるようにして倒れる姿に。
 赤いものをまき散らしながら飛ぶ腕の。

 キーワードの様な共通点が、反射で未だ膿む記憶を呼び起こしただけだ。

 あの時自分が死ななかったことと、あの人が死んだことが、理不尽と嫌悪と後悔の鎖で、がんじ搦めのひとつの記憶となっていることも、その不可解さの自覚もあっても。




ただ、それだけだ。




「俺に触るな」

 世界中の誰もと、傍にいたくなかった。
 全てが神経に障る。
 田舎の宿の不便さも、すすけた壁の色が安っぽく感じられたのも、宿の主人が妙に親切そうな顔に見えたことも、宿の子供が無遠慮な瞳で笑い掛けて来たのも。

 悟空の視線がしつこい。
 悟浄は軽口を叩きながら、言外に何か訴えて来る。
 八戒がもの問いたげに見つめる。
 部屋に入った瞬間から、こんな日に限って同室の八戒が向ける目が、いつもより鬱陶しさを増したように感じられた。

「何様のつもりだ。何度か寝たくらいで、俺に何かの権利があるように考えてるなら、的はずれだったな」
 八戒は扉を閉じると触れに来て、冷笑も気にせず俺を抱き寄せようとした。
「今みたいなあなたを、ただ見ていろと言うんですか!?」
 両腕を万力のような勢いで掴まれ、正面から向き直らされた。
 間近な八戒からは、街に入る前に川で洗い落とした、その名残りの血臭が漂っていた。
 恐らくは、自分の方がより強く、匂いが染みついているのだろう。
 どこかにまだ、血がこびりついているのかもしれない。
 皮膚の上を、強張る何かが覆っているような錯覚が抜けない。
 ぬるぬると。べたべたと。
 その碧色の瞳で、見られたくなかった。
「俺がどうだろうが、てめェにどうこう言われる筋合いはねえ」
 せせら笑おうとした唇を塞がれた。
 生気に満ちた熱が、唇を割り込んで来る。
 吐息を感じては、自分も八戒にそれを返す。
 自分の躯が熱を持っていることすら、オカシくて仕方がないというのに。
 口腔をなぞる舌が、感覚を生み出して行く。

「ぐ!?」
 八戒の腕が胴に回り、空いている手が顎を強く掴んで来た。
「舌、噛まれちゃ、堪りませんからね」
 顎を開くように頬にかかる指に力をこめられ、痛みに眉を寄せたが、八戒は嬲るように唇に歯を立て続けた。
「何の権利もないと言うなら、こっちは勝手にやらせて貰うだけです」
 吐息の触れ合う距離で、八戒が言った。
 躯を振り払おうとしたら、下唇をきつく噛まれた。
 そのまま吸い上げ、舌でなぞられた。
 少しずつ場所を変え、痺れのような感覚は唇全体に広がって行った。
「唇が腫れあがったくらいなら、命の別状がある訳でもなし。新聞でも読んでたら、隠すことも出来るでしょう?」
 覗き込まれているのが判ったが、どんなに碧の瞳の磁力を感じても、目を合わせるのが嫌だった。
「……素直にした方が、ラクですよ?」
 冷酷で優しい声がした。
 その声が酷くしっくりと馴染むような気がして、目蓋を閉ざして脱力した。




 頭の上に回されていた両腕は、手首が指の形に鬱血していた。
 壁に押し付けられて、衣服で擦れた背骨に擦り傷が出来ているのが判った。
 股関節が痛むのは、片足を無理矢理に掲げられ、残った足で自重を支えていた所為だろう。
 法衣とジーンズを引き剥がされた後、床に這った膝にも痣があった。

 ロクに慣らしもせずに突っ込まれた指に吐精した、自分が可笑しかった。
 四つん這いで顎を床に擦り付けながら、躯の中を熱い肉が行き来することで生じる感覚を、腰を振って追い掛ける自分の浅ましさに呆れた。
 同時に体中に加えられる刺激に、奮えながら悦んだ膚が。
 高く掲げられたまま貫かれ、髪を掴まれて振り返った自分が見せていただろう貌が。
 囁かれる度、痴れた言葉を返し続けた唇が。
 全てが滑稽だった。

「いい?」
 掠れた声で応えた。
「じゃあ、そろそろ行きますから」
 だから?
 そんなことを問うのも阿呆と思うほど、馴染みの揺さぶりに、準備をし損ねた膝が痛んだ。
 最後の抽送が生む快感を、背を仰け反らせて受け止めた。




 手首の鬱血をぼんやりと眺めながら、先程までの時間を思い返していた。
 湯気に満ちた浴室で、膝頭が湯の上に顔を出していた。
 痣と、少しの擦り傷。
 熱い湯が滲みた。
「今度はこっちも脱ぎましょうね」
 バスタブに一緒に沈み込み、俺の躯に背後から腕を回していた八戒が、アームカバーを引き剥がし、今度は黒のトップを捲り上げた。
 胸の上で丸まって捲れていたトップは、湯を吸い込んで膚に張り付いていた。

「全部脱がせてからやった方が良かったですかねえ?」
「準備万端ってからヤるようなことでも、ねえだろ」
 湯船に突っ込まれた後、茫然と黙ったままだった所為か、返事を返すと八戒の眼が丸くなった。
「そう…ですか?でも、普通、万端にしてからとかじゃ、ないですか?」
「てめェが何時でもそうだったとは、思えねえな」
 纏いつくトップが、顔を擦りながら引っ張り脱がされれた。
 布地が頬に強く擦れるのが、心地よかった。
 八戒の手から落ちたらしいトップが、タイルの床にびしゃりと重たい音を立てた。
「僕は。あなたに合わせてるだけですよ。あなたが一番扱って欲しいように扱ってるだけですよ」
「俺は触れるなと言ったんだ」
 ぬけぬけとした言葉を、八戒が静かな目で言う。
「……じゃあ。これは僕の望みです」
 湯の中で重なる躯に、両腕を回しながら言う。
「何も考えさせずに、痛めつけるくらいに躯だけ」
 胸の、感覚が鋭敏な突起と、下腹へと。
 八戒の掌が、ゆるりと躯を滑る。
「何も考えなくていいですから。何も思い出さなくていいですから」
 思わず、一瞬息を詰め、掌が行き過ぎるのを待った。
「頭を空っぽにしててください。疲れ果てて眠ってください。獣みたいに、反射だけで動いてください」
 八戒の指が、先程まで酷使していた場所に潜み込んだ。
 強張った躯から意識的に力を抜くと、八戒は更に深く指を埋め、体内の残滓を掻き出そうとした。指の隙間から湯が入り、出て行く。
「湯、汚しやがって。気持ちワルい」
 ゆるゆると沈み広がる白濁が、べたつく躯にさらに纏わり付くような気がした。
「すぐあなたのも混ざりますから」
 掻き出す動きからすぐに、煽る動きへと指が変化した。
 疲労で重たい躯に、また火がつく。
 半ばまで勃ち上がったものを押さえられ、じれったさに腰を浮かすとそのまま八戒が侵入して来た。肩を押され、湯に溺れないようにバスタブの縁に手を伸ばし、顎を乗せた。
「お湯の中の方が楽でしょう?」
 背に覆い被さるようにして八戒が囁き、項から耳朶に舌を這わせた。
 そこから走る感覚に身を震わせると、八戒は嬉しそうな声を出した。
「あんなにした後でも、まだ気持ちよくなります?人間の躯って、本当に貪欲に出来てますよねぇ。ほら、ここもこうすれば、もっと気持ちよくなるでしょう」
 掌が胸元を彷徨い、充血した突起を摘み上げた。

 抽送で躯の底から溢れてくる快感と、射精を促す摩擦。摘まれ、爪を立てられ、突起を弄ばれるごとに、反射で背が捩れる。
 喘ぎの紛れる呼吸が浴室に反響した。
「同時に複数の強い刺激受けると、人間の神経って簡単に混乱するんですよね。ほら、あなたの躯も、もうこんなにおかしくなってる」
 八戒の動きに波立ち、はねた湯が顔を濡らす。
 指が白くなるまでバスタブを掴んでいた手を取られた。導かれた自分の高ぶりを、掌を重ねられたまま摩擦する。
「ね。こんなことさせられても、もう止められないでしょう」
 胸の突起をきつくひねり上げられ、苦痛に上げた呻き声が、我ながら甘ったるい余韻を響かせた。




「もう、痛みも、快感も、混乱しきってあなたを乱すだけ」
「こんなになっちゃったら、何も考えられなくなるの、当然なんですから」
「だから」
「だから何も考えないで。動物みたいに狂っててください」




「ぐだぐだしゃべるな」
 喘ぎの隙間に、嗄れた声を出した。
「何か言われると、考えが勝手に浮かぶ。てめェも黙って獣みたく運動だけしてろ」
 呆れた声が返ってきた。
「僕も獣ですか?本当に獣みたいにセーブ外していいんですか?」
 怖ろしいことを嬉しげに。
「勝手にしろ。……もう俺にしゃべらせるな。口開けるとてめェのが交じった湯を飲んじまう」
「どうせ喘ぎっぱなしな癖に。それに……」
 八戒の掌がきつく握り込み、重ねて動く自分の手が、自分自身を急速に追い上げた。
「…ね?あなたのも交じりましたよ?」



 最後に熱いシャワーを浴びた頃には、心底躯が重たくなっていた。
 指一本すら動かすのが億劫で、躯を乾かさなくてもいいから、バスタブの中で壊れた玩具みたいに蹲って、そのまま眠ってしまいたいと願う程だった。

 文句も口から出ない。
 目も開けられない。
 優しく髪を乾かされても、毛布に丁寧に包み込まれても、退けようとする気も起きない。
 体力を使い果たして、眠ることしか出来ない。
 
 夢も見ずに、深く。
 何も考えずに。
 健やかな獣の睡眠のように、安まってしまうのだろう。

 毛布の中に潜り込んで来た体温を、咎める声も出ない。
 背を温める掌から、逃げ出すことも出来ない。



 獣のように、生き延びることだけを望む。
 何があろうと、この躯が動く限りは、目の前に立ち塞がるものは排除する。
 気鬱の原因は、また時折蘇っては、酷く俺を痛めつけるのだろう。
 その度、息をするのも嫌になるのが、目に見える。
 それでも。

 生き延びる筈もなかった命が、何かの間違いでここにある限りは。
 今まで何度も死ぬ目に遭って来たのに、何故かここにある限りは。

 深い眠りから醒めるごとに、生命力を取り戻す、命汚いこの躯がある限りは。



 眠りに生気を取り戻し、朝日と共に爽やかに目覚めてしまいそうな。
 そんな自分が、頭を過ぎった。
 さすがにそれだけは嫌だと、眉を顰めようとしたが、それすらも億劫で。
 眠りに落ちて行った。









 fin 







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◆ note ◆
動物みたいに。
必死で生きるだけ。
その繰り返しの中に、なんかがある。
…かも。