■■■  檸檬 

 騒々しい声と三人分の足音、どさりと音を立てて置かれた荷物。
 宿の部屋で、新聞を読みながら買い出し組の帰りを待っていた三蔵は、目を上げて暫くしてから、不審気な表情を浮かべた。
「どうする気だ?」
「食べるに決まってるじゃないですか。あ、三蔵も召し上がります?」
「いらん」
 テーブルの上には、茶色い紙袋から零れ落ちた檸檬。
「八戒、そのまま食べんの?」
「ええ、酸っぱい物は躯にいいんですよ」
 悟空が目を丸くしている前で、八戒は檸檬を手に取り備え付けの洗面台で洗い出した。
 ぽおん、と、雫を付けたままにひとつ、悟空に放る。
「前はよく買ってたんですよ。オレンジや檸檬は籠に盛っておくだけでいい香りだし、きれいだし、美味しいし。朝にフレッシュジュース絞ったり」
 言いながら、黄色い檸檬に白い歯を当てた。
 かし、と、八戒が音をさせて囓るのを見て、悟空も同様にかぶりついた。
「酸っぺえ!!」
 悲鳴じみた悟空の声に、八戒と悟浄が笑い声をあげた。
「テーブルの真ん中に檸檬置いておくとね、たまに、昼頃起き出した悟浄がマティーニ作ってくれたりしたんですよ。寝惚けた顔でやって来て、檸檬手に取って、皮削ぐと香りで目が醒めるって」
 八戒の言葉に、悟浄は指先を踊らせてレモンピールを絞る真似をして見せた。
 その仕草をきょとんと見つめる悟空に気付いた悟浄は、その掌から囓りかけの檸檬を取り上げ、金瞳に向けて皮を押し絞った。
「痛ッ!?目の側ですんなよっ!」
「はは!」
 新鮮な檸檬の香りが小さな部屋に満ちた。
「真っ昼間っからジンの匂いぷんぷんかよ。生産効率の悪そうな奴らだな」
 眉間に皺を寄せながら三蔵は新聞を捲り、悟浄は肩を竦めた。

「三蔵、召し上がります?」
「いらねえよ」
 新聞から目も離さぬままで三蔵は嫌そうな声を上げた。
「いい香りで美味しいのに」
 かし。
 三蔵の耳に、また檸檬に歯を立てる音が届いた。
『見るだけで、音を聞くだけで、口の中が酸っぱくなる』
 そう口に出そうと目線を八戒に向けると。
「酸っぱくてほろ苦くていい香りなのに」
 果汁が滴る手の甲に舌を這わせた八戒と、目が逢った。

 誰かみたい。

 八戒は唇の形だけでそう言い、檸檬に音を立てて接吻けた。
「てめェは檸檬でも梅干しでも何でも食ってろ。おい、飯だ」
 新聞を放り投げて席を立つ三蔵の後を、悟空が追った。
 三蔵の耳朶が一瞬にして赤く染まったことに目敏く気付いた悟浄は、呆れたように八戒を見た。
 掌に金色の檸檬を包み、ただただ笑う八戒を見続けた。










 終 




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◆ note ◆
たまーに、檸檬丸かじりしたくなります。
顎に梅干し出来ちゃうんだけど。