■■■  経文の謎 

「……あれ?」
 八戒は助手席の三蔵を見て、素っ頓狂な声を上げた。
「何であなただけ、まだ濡れてるんです?」
 揃って川に落ちたものの、三蔵以外のメンバーの服は、走るジープの風を受け、あっと言う間に乾いていた。
 よく見ると、座席もびっしょり、三蔵の法衣から垂れ続ける雫に、足下も水浸しのままだった。
「三蔵、ちゃんと服絞れよ。風邪ひいちゃうぜ」
「そうそう。三蔵サマ、お腹ぴーーになっちゃうわよんv」
 悟空悟浄に声を掛けられても、三蔵は憮然とした表情のままで動かない。
 八戒はジープを停めた。
「……三蔵。本当に風邪をひいてしまいます。法衣、今絞ってしまいましょう。脱いで下さい」
「やめろ。無駄だ」
「三チャンったら、恥ずかしがり屋サンなんだからーー」
「違う、無駄だからだ」
 悟浄のからかいに、こめかみに青筋を立てながらも、三蔵は依然、座ったまま前を向いている。
「八戒、さっさと出せ」
「先を急ぎたい気持ちは判りますけど、でも……」
「何度も言わせるな、『違う』んだ。『無駄』だからだ」
 うんざりとした表情で、三蔵は運転席に向き直った。

 疲労したかのように、肩が落ちている。
「………?」
「ああッ、面倒臭え!おい、悟浄!」
「あぁ?」
 三蔵に手招きをされ、悟浄は後部座席から身を乗り出した。
 ぶん。
 ビタン!
「ごッッッ!?」
 三蔵は、自分の肩に掛かる経文の両端を持ち、縄跳びの縄を回す要領で、ソレを悟浄の肩に移した。
 経文は弧を描きながら水を撒き散らした。
 経文を肩に掛けた悟浄の、服が見る間に濡れて行く。
「どわっ、何だよ、コレっ!?」
「ああ、重かった」
 茫然としている八戒の前で、三蔵はごきごきと音を立てながら腕を回した。
「一体……?」
「水だ。川の水だ。……当分乾きゃしねえんだよ。服だけ絞っても、無駄だって言ってんだ。だからさっさと車を出せ」
「三蔵、てめェ!?口で言やぁ通じんだろ!俺まで濡らすことはねえだろうが!!」
「気にするな、単なる八つ当たりだ」

 水中で発動させた魔戒天浄。
 魔天経文は、妖怪達を浄化消滅させる際、舞い拡がった。
  ―――― 歴代の三蔵法師にも、発動時の経文の長さを実測した者は皆無だという。
 が、目測でも軽く100メートルを超えるのは……確からしい。

「経文自体は神から授かった物だからな。現実世界の常識は通用しねェ。だが、経文が吸い込んだ川の水は、現実の物だ。大量の水が経文に染み込み、垂れ落ちて来やがる。……質量保存の法則って、コレか?」
「……いや、それは。というより、溢れ出した4次元ポケットじゃないですか……?」
「ってか、コレ何キロあるんだよ!頭に当たってたら、昏倒するくらいに重いじゃねえかよ!」
「貴様のそこについてる物がアタマだったら、ぶつかってたら却って具合がよくなってたんじゃねえか?少なくとも、今よりも悪いってのはあり得ねえ。惜しいことをしたな」
 ジープの座席の、前部と後部入り乱れての、相談だか口論だかはっきりしない話し合いが暫く続いた。

「……取り敢えず、経文を乾かすことを最優先に考えましょう。三蔵、もう一度魔戒天浄してください。経文の表面積を広くしておいて乾かしましょう」
「乾くまで、俺は魔戒天浄発動しっぱなしってコトか?」
「はい!」
「俺の法力が干からびるわ!」
「勿論後で、ちゃんと丁寧に、丁寧に、介護して差し上げますって〜〜〜
「余計にイヤだっ!」
 八戒が語尾につけたハートマークに、聡く気付いた三蔵は、身をすさらせながら叫んだ。
「うふうふ。残念ですね〜〜〜」
 八戒の、少しがっかりとした微笑みに、三蔵だけでなく、悟浄も冷や汗を垂らした。

「じゃ、こういうのはどうよ?ジープに如意棒立てんの。如意棒の先に経文付けて、ジープ走らせる訳。そうすっと、経文が旗みたいに舞って、ただ干してるだけよりは早く乾くと……」
 悟浄の言葉に、全員が『暴走族』という単語を思い浮かべた。
「却下。第一、魔戒天浄発動中の経文が、ジープに触れてみろ」
 車輌形態のジープの、妖力が封じ込まれて竜の姿に戻るかも知れない。
 長い経文がはためくスピードのGで、乗員は放り出されて大地に叩き付けられることになる。
「……ちょっと、痛い、かも?」
「貴様と一緒にするな!首が折れるわ!」
 目を逸らした悟浄に、三蔵が怒鳴りつけた。
「わっかりました!」
 自信満々の笑みを浮かべ、八戒が立ち上がった。
「今の悟浄の案のバリエイションですが。……皆さん、ニンジャをご存じですか?」
(また八戒が変なこと言いだしたよ……)
(貴様の所為だろうが!貴様の!!)
 悟浄と三蔵が小声で何か言い合うが、八戒には聞こえてないようだった。
「ニンジャは脚力を鍛える修行で、背中に長い紙を垂らして走るのだと言います。紙が地面に着かないくらいに早く走れるようになったら、その紙をどんどん長い物に替えて行くのだそうです。そうやって、ニンジャは素早く走る技を身に付けるんです。……ふふふ、格好いいですねえ」
 八戒の脳裏に、白土三平の世界が広がったようだった。
「悟浄!あなたをカムイに任命します!経文をなびかせて、ジープと併走するんです!」
「いッ!?」
「NARUTOでもハリケンでもいいですよ。さあ、三蔵、魔戒天浄を!悟浄、準備はいいですかっ」
「八戒、目エ醒ませっ!三蔵、てめェ何か言えよっ!」
「……ジープから振り落とされることを思えれば……。本当に短時間で乾くんなら、そう悪い考えじゃねえな。河童の走りっぷり任せってのは、気に食わんがな」
「走んねえよ!……悟空っ、お前もなんか言ってやれっ!」
「んー?」

 悟浄、八戒、三蔵は、悟空の存在を忘れていたことに漸く気付いた。
 静かだった。
 静か過ぎだった。
 食事以外の時に、悟空がこうも沈黙を守ることなど、皆無だった。

「あのさあ……」
「何だ」
 保護者の返事を聞きながら、悟空は経文を指差した。
「先刻から、気配だけは感じてたんだけど。今の話し聞いてたら漸く判った」
 悟浄の肩に掛かる経文を、注視する。

 ぽた、ぽた、ぽた。

 経文から雫が垂れ続けた。
 その雫を凝視しながら、悟空は手を近付けた。
「……えいっ!」
 雫が経文から垂れ落ちる、その寸前に悟空は何かをつまんだ。
 川海老だった。
「もういっちょ……えいっ!!」
 今度はマスを、掴んで差し上げた。
「経文の中の川の水に、こいつらいたんだよ。……なあ、八戒。コレ食える?」
「あはははは。川魚は生食はいけません。火を通さないと」
「火ィ熾す?」
「待て」
 ほのぼの休憩モードに入りかけた悟空と八戒の間に、三蔵が割り込んだ。
「三蔵の分も、魚掴まえる?」
「待て待て待て待てい!」
 三蔵は頬を引き攣らせていた。
「……まだ、いるのか?」
「魚?いるんじゃないかなあ。海老はうようよいるみたいだけど」
「………経文。このまま放置したら、もしかしたら水が濁って……?」
「その前に俺が全部掴まえてやるよ。……海老は、全滅させるのは難しいかなあ」
 八戒が眉を顰めた。
「海老が経文の中で腐ったら、匂いそうですね。海老を全部捕らえても、プランクトンとか、残るのかもしれませんねえ……」

『魔戒、天浄 ―――― !!』






 ぱち、ぱちぱちっ。

 ジープは、火の爆ぜる音に目を醒ました。
 とっぷりと日が暮れている。
「ジープ。大丈夫でしたか」
「ピィ、ピィ!」
 魔界天浄をもろに食らったジープだが、本人は大して気にもしていなかった。
「すいませんね、怖い思いをさせちゃって」
「ピィ〜(そんなこと一々気に留めてたら、アナタタチと一緒にいられませんから)」
 ゆっくり休憩を取ったジープは上機嫌だった。
 長い首を巡らせているうちに、ふと、辺りによい匂いが立ちこめているのに気付いた。
「あ、お魚が焼けたんです。ジープも食べます?」
「ピ♪」
 焚き火を囲んで、両手に串刺しの焼き魚を持ち幸せそうな表情の悟空と、川海老の殻を剥く悟浄が座っていた。
 辺りには、ぽうっと輝くものが木の枝に連なるように掲げてある。
 魔天経文だ。
 魔戒天浄の、浄化の輝きが周囲に満ちていた。
「ピピィ〜(中々オツなもんじゃないですか)」
「でしょう。きれいですよねえ」
「きれいどころじゃねえよ。八戒、お前が俺をどう思ってるのか、よおっく判ったぜ」
 海老を頬張りながら悟浄が呟いた。
「ん。川海老は唐揚げのが好きなんだがなあ。……まあこれもイケるか」
「あ!こっちのも焼けた!俺食べていい!?」

 和気藹々の食事風景から少し外れて、三蔵が座っていた。
 無表情だが、法力を使い続けてへとへとである。
「……経文、早く真水で洗いたい……」
 三蔵の瞳には、ほんの少し涙が滲んでいた。

「お師匠様。焦がさないようにしますから、経文炙っていいですか……?」



『川を侮っちゃいけないね』 by ニィ・健一










 終 




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◆ note ◆
ゼロサム10月号ネタバレです
……濡れたら、重いんじゃないかと真剣に思ったんですよ
そして大物を干すのって、大変そうだなあ、とか……