■■■ kissをしたかった
抱き寄せて、そのままkissをしたかった。
腕はそのヒトの躯のラインを、掌は体温を、覚え込んでいたから。
だから、抱き締めたい気持ちだけで、腕も掌も冷たい空虚を感じ取る。
指先が、絡め取ることの出来なかった金糸の滑る錯覚を、風がすり抜ける時に思い出した。
ぱんぱん、と。
殊更高く、掌を叩いて音を立てた。
「片付きましたね。…じゃ、行きますか」
「ああ」
「おー!」
妖怪達の屍を見下ろしながら、ジープに乗り込む。
掛かっているのは自分達の命で、敵が強かろうが数が多かろうがどれだけ手こずろうが、切り抜けてしまえば日々のルーティンワークのひとつに成り下がる。
戦闘の合間合間に、つい視線を巡らし探す金と白の姿が、徐々に返り血や泥に汚されて行くのも、ありふれたことで。
例えば、刀を頭上に構えた大柄な妖怪の躯が、仰け反り倒れる額に銃痕を記し、その向こうにM10を構える三蔵の姿を見つけた瞬間とか。
真っ暗な林を隠れ走り、漸く見つけた気配から薄くマルボロの香りを感じ取ったり、合図もなく同時に木陰から飛び出したりした瞬間とか。
三蔵の手に包まれた小さな鋼鉄が、火薬の小爆発の衝動に弾かれぶれるのを見て。
掌だけでなく、時には頬から耳まで、煤で黒ずみつんと焦げ臭い匂いが染みつき。
「行くぞ」
それでもまた乗り込んだジープにエンジンをかけて、風景が動き出す瞬間、僕は腕に空虚を感じる。
抱き寄せて、そのままkissをしたかった。
鼓動を躯ごと確かめ、息吹く熱を唇から感じたかった。
次の街へと夕陽に向かい駆けるジープの振動に、三蔵はやがて目蓋を閉ざす。
疲労した躯をジープに預け、浅い眠りに身を委ねる。
規則的な呼吸を聞き取り、また唇が淋しくなった。
いち日、いち日、過ぎる時の中で、何度kissを交わせたろう。
何度kissしたいと思ったろう。
唇を触れ合わせることで叶えた想いと、淋しく虚空を感じて膨れ上がって行く願いと。
酷く身勝手に沸き上がる、でもささやかな望みが、昇華出来ずに胸の中に溜まって行く。
たまにkissしたり、抱き合えたり。
そんな時に伝えきれない分の想いが、胸の奥、心臓の所に澱になって。
「痛……ッ!」
夜の砂漠を疾走するジープを急停車させた。
がくりと、前のめりの衝撃を首に感じた同乗者達が、胸を押さえつつハンドルに突っ伏す僕に、異口異音の声を掛ける。
「八戒、どうした!?」
「先刻の戦闘か?」
「お腹空いた!?」
『恋煩い』なんて言葉が出て来る場面じゃなかったし、そういうコトを言う人達でも、言われる僕でもなくて。
強いて言うなら『お腹空いた』が一番正解に近いのじゃないかと、掌の下の鼓動と痛みを感じながら、僕は笑いの発作を抑え切ることが出来なくなった。
「そう、もう我慢出来なくて。今夜はこの辺りで野営しませんか?乾パンだろうがカップヌードルだろうが、何でもいいです」
どうしよう。
胸が痛むんです。
心臓の所が、ずきずきと甘く。
本当は誰かを掴まえたい掌で、きつくきつく抑え込んで堪えながら。
ただ僕は、笑みに涙を滲ませて。
「まあ、このまま走っても街に着くのは真夜中だしな。メシ屋も、下手すりゃ宿屋もシャットダウンだよなあ」
ちら、と悟浄の遣った視線の先で、三蔵は不服な思いを表情に出しながらジープを降車するところだった。
こちらを向いた顔の、眉間には疑うように皺が刻まれている。
「………。」
「何ですか、三蔵?」
「負傷じゃないんだな」
「はい」
「………ヘンな顔」
目尻に涙を滲ませたまま、笑い続ける僕。
ヘンな顔と言われつつも、まだ、kissをしたくてしょうがなくて。
「三蔵」
不審気に振り向く人の、瞳の色だけ、今は見る。
また、唇が寒さを感じた。
掌は、受け取る空気の軽さにただ指を折って行く。
「………ナニをいつまでも、ヘンな顔で見てやがる」
「あなた、ホントに酷いですねえ」
「だってヘンだろが!?」
溜まって行く想いが、時々胸を焦がすような痛みを作る。
溢れた分の想いが、淡い色合いで膨らみ、視界まで覆い尽くしそう。
手持ち不沙汰だった。
唇が淋しかった。
「そうか。やっぱり辛いから病いって言うんだ。恋煩いって『煩う』って言うんだ」
急に気付いて感心することすらも、おかしくて。
ひとしきり笑い続けた。
愚かしい程に誰かを思うことに囚われた自分を。
抱き寄せて、ただたった今、kissしたかった。
◆ 終 ◆
◆ note ◆
お腹空くのと誰かが欲しいのは、でも本気で近いところにあるような気もします
2003年お年始がこれで、果たして新年をコトホぐと言えるのか
相当不安ですが、まだまだ続けたいです
今年もよろしくお願い致します