■■■  願い 

 ブルーがかったモニタ画面。
 昆虫に模した超マイクロカメラから発信される、不明瞭かつ不安定な、彼等の映像。
 音声はない。
 遠景で、ただ動き回る、彼等。
 活き活きと。
 剣を交わす。

「……うん。頑張ってるね。あーあ、あんまり張り切ると怪我しちゃうよ?」

 モニタを前に、煙草を薫らす男。
 ニィ・健一。
 煙草を挟んだ唇だけを、小さく歪めて笑いを浮かべた。

「ウサギの王子サマの騎士達の復活か。健気だねェ。……おやぁ?」

 独角兒の前に飛び出し、如意棒の一撃を身に受けた紅孩児の姿が、モニタに映し出された。




 数ヶ月前、吠登城。
 女の封印された石柱が、その部屋には設置されていた。
 魔を閉じ込める封印の結界を形作るのは、呪符の絡む綱、鎖。
 それに紛れ、女を完全に死に至らせぬよう繋がれた、太いチューブと電極のコードが、その部屋の床をのたうっていた。

「母上……」
「とんでもないマザコン坊やだわ」
 ニィのラボから逃げ出して来た紅孩児を、待ち受けていた玉面公主が嘲笑った。
「君はもう何も考えなくていいんだ。 ―――― この人形みたくね」
「洗…脳、だと…?」
 ニィはウサギの縫いぐるみに頬ずりをして見せる。

 ニィによる紅孩児の洗脳は、大脳に直接の刺激を送り込み、より強い刺激により本来の自我の部分を塗り替えようとするものだった。
「後から無理矢理に焼き付けちゃおうってものだから、失敗すると後が大変なんだよねえ。うっかり知能知識まで引き下げちゃったら、廃人だもの」
 母親の石像の前で、紅孩児はがくりと膝を突いた。
 ニィの声を聞きながら、それを理解しようとするのに努力が要った。
 耳に入った音の内容を、判断しようとするのが難しい。
 廃人、と音になったニィの声がとても嬉しそうなものであったと、聞いてから気付くまでに恐ろしい程のタイムラグ。

 廃人……ああ、知識にまでも影響すれば。
 極論、食べる、寝る、排泄することすら。
 意識的には出来なくなるか。
 そんなお荷物、欲しいのか?
 いや、こいつらの欲しいのは、俺ではなく。

「私慾の為ならば、何をしてもいいってのか!?」
「あなたの父親はそういうヒトだったわ」

 意志など持たぬ、ただ父上の、牛魔王の名を継ぐ、俺、か。
 父上も、意志を持たせぬままで蘇生させるか。
 母も?
 母上までも……?
 
 意識が遠のく。
 遠離って行く。
 本来あるべき自分とは、かけ離れた思考に制覇される。

 見て、聞いて、話して。

 そうやって得る判断で動くのではなく。
 欲するのは、ただ命令。
 指示。
 委ねたい、疑わない、考えない。

 遠離る、声と姿。

『お兄ちゃん!』
 手間のかかる奴の声が、今はこんなにも聞きたいのに。
 純粋に慕う瞳や。
 からかい、笑いながらも誠実な顔。
 
 今まで傍にあった、俺だけのもの。

『 ―――― 言ったよね。大事な物は手放しちゃダメだよって』

 いつか聞いた、せせら笑いを含んだ声が。
 真実を語っていたのに気付く。
 消えて行く、俺だけのもの。
 どれ程までに ―――― 。




「揃いのピアスなんてしてんじゃないわよ」



 パリン。
 薄い金属の割れる音。
 耳殻を震い、頭蓋に響く。




 妾妻の身分から、今や牛魔王の権力を握りその眷属を味方につけた女がひとり。
 倒れ伏した嫡子の顎を、尖ったヒールの先で蹴った。
「安心なさい。いい子にしてたら、ちゃんと大事にしてあげる」
 蜜のように甘ったるい声を出して、壁を見上げ微笑む。
 封印された正妻の、顔に向かって微笑んで見せる。

 やがて、遠離るヒールの足音。

「やれやれ」
 新しく咥えた煙草の紫煙を、ニィ・健一は深く吐き出した。
「せっかく遠くまでお散歩に来たのにね。来る場所はここでよかったワケ?」
 冷たい床に倒れる紅孩児の傍らにしゃがみ込む。
「……単にお祈りに来ただけなのかな?ねえ、王子サマ、キミにとっての神様は、そこに見えるものだけだけだった?」
 暫く、ニィはしゃがんだままで紅孩児の顔を見下ろしていた。
 そのニィの姿は、ざらつく床石に頬を押し付け、目を薄く開いたままの紅孩児の、返事を待つようにも見えた。
「そこに確かにいて、形があって、重量が存在して。そんな神様も、世の中にはあったんだねえ」
 過去形で、優しいとも受け取れるような声でニィは言った。
 悼むような声だった。



「本当にそれだけかい?キミの信じたものは」



「他に、キミの信じたものは、なかったのかな?」




「真っ暗な闇の中、薄くて消えそうな姿を顕わす、青白い月の光のような」




「最後の最後に取り縋れるモノは、本当にコレだけだったのかな?」




 終わらぬ夜のような闇の中、心細さに凍えながら、待ち続けるモノ。
 いつかは明ける筈の夜が、どうしても長く遠く。
 それまで生きながらえそうになくて。
 そんな時に、最後の時に、望むモノ。

 もしも微かに、その光が見られたら。
 力尽きた躯と心が、ほんの小さな希望へ続く、
 細い細い途切れそうな糸であっても、そこへ向かって腕を伸ばしてしまう。

 夜明けをまた願ってしまう。




「偽りであっても、最後の望みを託してしまう。そんな残酷なモノを、キミは持ってはいなかったっけ……?」




 担架に躯を横たえた紅孩児の目に、見上げた天井が映った。
 その光景を、何度となく繰り返し見たように思った。
 何故、そうもニィの許から逃げ出したのだったか。
 何の為にニィは紅孩児を捕らえたのだったか。

「王子サマ、気がついたんだ?まだ暫く寝ててもいーよ」

 笑いを含んだ声に、目を閉じる。
 もう、何も。

 考えなくていい。




 ブルーのモニタがブツ切れの映像を映し出していた。
 小型カメラの広角レンズが、歪んだ世界を拾い上げる。
 時折白く光るのは、悟浄の錫杖の鎖だろう。
 見当こそは付くものの、コマ落ちの激しいディスク映像のような情報量の少なさが、モニタを覗くニィには不満だった。
 火炎と気孔。
 青龍刀と銀線。
 小爆発。

 大柄な男の前に身を割り込ませ、代わりに受けた攻撃に、長い髪を引いて倒れる男。

「へえ。」
 素直な驚きの声を、ニィは上げた。
「急に何だって言うんです!?」
 ラボにいた黄博士が、眉をぴくりと吊り上げ反応した。
「いや……。別に何も」
 ニィはそれきり黙り込み、ただ煙草を消費し続けた。
 黄博士は、嫌味な軽口が続かないことに露骨に怪訝な表情を浮かべながら、また仕事へ戻った。

「別に何も。ただ可哀相だねえってだけ。なくして悲しいものをまた、どうして望んでしまうんだろうってね。裏切られたら生きてられないくらい、大事なものをなんでまた……?」

 続く、ニィ自身誰に向けたのかも判らぬ問いかけは、声に出されることはなかった。










 終 




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◆ note ◆
ひと月飛んでしまったゼロサムネタバレ、5月号より。
あーんど、リロード2巻巻末予告も、ちみっと含んでみたり。

今から3巻が待ち遠しいんですが!