■■■  I love you からはじめよう 

 ジーンズを腰に引っ掛けただけの姿で浴室の扉を開いた三蔵は、八戒が物音に振り向くのを見た。
 反射的に振り返り、碧緑の瞳が微かに眇められる。
 まるで眩しいものでも見るみたいに。
 三蔵は自分の唇の端が上がり掛けるのを、タオルで髪を拭く振りをして隠した。
 同時に八戒も立ち上がる。
「ビールでも飲みます?」
 一歩、二歩。
 狭苦しい宿の部屋、備え付けの小さな冷蔵庫の前でふたりかち合う。
 安っぽい照明の下、室内には無機質な冷蔵庫の低いモーターの稼働音だけが響いた。
 向かい合う三蔵から、八戒は視線を僅かに逸らす。
「喉乾いてません?」
 三蔵の目の前で、おどけたように肩を竦め、笑顔を作る。

 眩しいものでも見るみたいに。
 真っ直ぐには、視線を向けない。
 シャワーを浴びたばかりの肌が、蛍光灯の明かりを反射する。
 青白い光に彩られた、薄く上気した膚から目を逸らす。

 冷蔵庫の扉を開こうと、躯の向きを変えかける八戒に、三蔵は半歩近付いた。
「三蔵?」
 困ったような笑顔と緑の瞳が、漸く三蔵に向けられた。

 金糸の輝く人影が映り込む瞳を睨み付けながら、三蔵は肩に掛けたタオルを部屋の向こう側まで放り投げ、腕を伸ばした。
 苦笑を浮かべる顔のすぐ下。
 襟元を掴んで引き寄せる。

「さん」

 問うように、責めるように呼ばれる名前を、唇を塞ぐことで塞き止めた。
 八戒が逃げ出さないよう、渾身の力で襟首を引っ張り、唇を押し当てる。
 慌てて閉じた唇に、薄く開いた唇を押し付け歯を当てた。
 噛み付くような接吻けに、八戒は目を見開きながらも唇を開いた。

 歯がぶつかり合い、頭蓋にまでその振動が響いた。
 互いの歯が唇に当たり、鈍い痛みにふたり同時に眉を顰めた。
 眉を顰めたついでに身を引こうとする八戒を、舌を絡めて引き留める。
「……ん……mm……」
 吐息に鼻にかかった甘い声を混ぜながら、三蔵は角度を変えて凶暴な接吻けを続けた。
「どうしました…?」
「喉」
 強引に押しのけられた三蔵の、唇がせせら笑いを形作った。
「喉、乾いてんだよ」
 傲慢に顎を上げ、濡れた唇に舌を這わせて更にぬめらせる。
 三蔵は今度はゆっくり顔を近付け、吐息を吹きかけるように囁いた。
「聞こえねえのか?乾いて、欲しいってんだよ」
 唇が触れ合うぎりぎりの距離の舌舐めずりは、八戒をも濡らして行った。
 薄い舌が、ちろ、と撫でる。
 その感触に、八戒の背筋に何かが立ち上って来る。

「そんなことして知りませんよ?ねえ、そんな誘い方されたら、必死に自制してる自分が、馬鹿みたいに思えるじゃないですか」

 掴まれた襟が皺になる。
 そう、気を紛らわせようとしていたのに。
 口にしかけた言葉を最後まで言おうともせずに、八戒は三蔵の躯を抱き寄せた。
 背に腕を回しきつく抱き締めると、筋張って細い躯がしなり、二人の間に隙間がなくなる。
 双方の熱い強張りが躯の間で主張を強くして行く間、噛み付きしゃぶり尽くそうとするように、ふたりは接吻け合った。





 ベッドの軋む音が続く。
 躯を絡め合ううちに、浄めたばかりの三蔵の素肌には、小さな玉の汗が浮かんだ。
「少し、汗の味がしますね」
「ンなとこ、舐めてんじゃねえ……よ……、う、あ」
 自分の肩に持ち上げていた三蔵の脚の足首を、八戒は片手で掴んで脹ら脛を舐めた。
 舌の滑る感触に性感を刺激され、三蔵は首仰け反らせた。
「て、めえ」
 片脚だけを躯に貼り付くほどに押し付け、八戒は抽送の動きを早めた。
 開かれた脚の間で、三蔵の欲望の象徴が腹に擦れる。
 意味を伴わない声の交じる吐息が、八戒の動きを加速させた。
「汗、一番美味しくていい匂いのするのは、こっちなんですけど」
「んっ……!」
 三蔵の躯を折り曲げさせるようにして、八戒はその首筋に顔を埋めた。
 汗ばみ金糸の筋の貼り付いた、暖かく滑らかな膚に舌を這わせる。
 ぞろりと舐め上げ、薄い顎骨を歯で食む仕草を繰り返す。
 窮屈な姿勢は八戒自身を三蔵の躯の奥底まで届かせ、熱狂を昂らせた。
「とてもいい匂いで、全部食べてしまいたくなる」
 そう言って柔らかな部分をきつく吸い上げると、三蔵は一段と高い嬌声をあげた。
「少し痛みましたか?すみません、もっと優しくして欲しいですか?」
 八戒は宥めるような声音を出し、身を引きかけた。
 体内から熱い圧迫感が逃げ出してしまうのに気付き、三蔵は眉間に皺を寄せた。
「猫撫で声出しやがって。今日は自制はヤメたんだろうが」
 抜け出る間際で続けられる緩い刺激に、三蔵がじれて苛立たしそうな声を出した。
「乾いてるって言ってんのが判んねえのか!さっさとマジメに……」
 面白そうに見下ろしてくる碧緑の瞳に気付き、三蔵は紫暗の視線を意味ありげに絡ませた。

「 ―――― モット、奥ヘ」




 全てが終わって、ふたりは自堕落な空気に躯を嬲らせていた。
 放出の疲労感と倦怠感に、深い眠りに引きずり込まれて行くのを、ふたり、感じた。
 汗がゆっくり蒸発して、上がった体温と呼吸が平常に近付いて行く。
 投げ出す手足をくるむシーツは、さっき皺くちゃになったばかりで、それが却って、旅先の宿のベッドだというのに、膚にこなれた心地よさを感じさせた。
 躯を繋いだ始末も必要最低限なままで、眠りに落ちる。

「……お水、飲みます?」
「も、いい」

 口を利くのも怠そうに。
 今更のように、灯りを点けたままであることに気付いた八戒が、スウィッチに手を伸ばそうとした。
「ん。」
 ベッドから起き上がろうとする、その首に白い腕が強く巻き付いた。
「居ろ」
 睨み付けているつもりらしい三蔵の瞳は、半分は睫毛に隠され、眠たげに潤んでいた。
 つい先程、八戒が捉えられた扇情的な紫暗色とは裏腹な、甘ったれた瞳。
 甘ったれた腕、甘ったれた、接吻け。
 凶暴に噛み付いているつもりだろうが、八戒には甘噛みにしか感じられなかった。
 しがみつかれて身動きも取れぬまま、八戒も甘噛みの接吻けを返した。
 幾つも、幾つも。
 繰り返し。

 満足げな寝息が、やがて聞こえて来るまで。





「子供みたいですよ……?」
 絡む腕の重たさが気に入った八戒は、不自由な体勢のままでシーツを肩の上まで引き上げた。
「あれだけ人のこと狂わせておいて、こんなにぐっすり眠り込んでしまうなんて。子供みたいですよ……?」
 昼間は人を欲しがる素振りなど、カケラ程も見せない癖に。
 今も、碌な言葉もなく、人の欲望を知っての上での……
「誘い、ですかね。色気があるんだかないんだか。それに乗って我慢出来ない僕も、度し難いと言うか、何と言うか」
 八戒の独り言が耳に入ったか、三蔵は小さく身じろぎをした。
 安眠させろという抗議のように、八戒には感じられた。

「よい夢を」

 囁きに三蔵の唇がほころぶ。
 碌な愛の言葉もないままで、それでもしがみつく腕の熱は疑いようもなく、全部受け止めたくて、必要とされることが誇らしくて。
「僕、単なる安眠毛布ってだけじゃ、ないんですよね……?」
 それでも半ば本気の不安が、ぽろりひと言。





 愛してますと、今夜も言えなかった。
 いつかは抱き締める腕の力と共に、伝えよう。
 その唇から、愛を語らせよう。
 短くてもいいから。

 あなたを腕に抱きながらも、未だ震え続けるこの心を、
 伝えよう。











illustration by NARUMI










 終 




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◆ note ◆
きれいなキスのイラストからお話を書かせて頂きました。
ウェブにお帰りなさいのナルミさんに。
これからも、胸がどきどきするような二人の絵を見せて。