日差しの午後 
 その日太陽は、爽やかな風に柔らかな光を投げかけていた。
 三蔵達は、天竺へと向かう旅の途中に、ありふれた街に補給に立ち寄った。長閑な光景が、天候の麗らかさによく似合っていた。
 まだ妖怪の被害には遭っていない街のようだった。
 それどころか、旅人すら珍しいのか、それとも鉄の乗り物が珍しいのか、大通りをジープで走るだけで街の住民が驚いた顔をする。
「……チッ」
 助手席で寝た振りをしていた三蔵が、舌打ちした。
「落ち着かねえ。必要なモン買ったら、さっさと出発だ」
「ええ!?」
 食事と酒場を期待していた悟空と悟浄から、抗議の声が上がった。
「さっき、通りに美味そうなメシ屋があったのにい!俺、あそこでメシ食いたいって、決めてたのにい!」
「そうそう。偶には躯を休めるご休憩が必要なんだって。堅いコトばっか言ってるからハゲんだぜ、三蔵?」
「貴様は脳みそがご休憩しっぱなしのようだがな。しかも猿が勝手に決めてんじゃねえよ」
 下僕ふたりの騒々しい懐柔にも、三蔵は一向に頷こうとしなかった。

 市場の通りを、ジープは人を避けてゆっくりと走行した。
 食料や燃料の店の前に、横付けるように停車し、目当ての買い物を速やかに済ませて行く。いつの間にかジープの後ろには、街中の子供達が集まったかのような行列が出来、店の前に停車する度に物珍しそうに近寄って来る。
 買い出しメモを持った悟空が雑貨屋に走り込み、ハンドルを握る八戒は、運転席を覗き込んだ子供達に、困りながらも微笑みかけだ。

「長閑だねえ」
「ええ。子供も街の人々も、純朴そうで好意的ですね」
「……しょうがねえから、さっさと通り過ぎるかあ」
「フン」

 長閑で平和な街には、妖怪に付け狙われる身は、相応しくはないだろう。
 後部座席で天を見上げながら、高く紫煙を吹き上げた悟浄に、三蔵が鼻息で答えた。

「買って来たよ」
 雑貨の入った紙袋を抱えて、悟空がジープに飛び乗った。
「買い出しメモに書いてあったのは、もうこれでお終いだと思うけど…」
 悟空が読み上げるメモを、八戒が確認した。
「あとは、三蔵と悟浄の煙草くらいですかねえ。で、今日の昼食はどうします?」
 店での昼食の望みを絶たれていた悟空が、後部座席から身を乗り出した。
「…どこにも寄らねえよ。あそこに屋台があるじゃねえか。悟空、あそこで買い込んで来い」
「ん。」
 三蔵の視線の先を悟空は見た。
 肉まん屋の小さな屋台が、食欲をそそるような湯気を、盛大に立てていた。
「あ。美味そう」
「晩飯の分含めて、全部買い占めて来い」
「いいの?!」
 聞いておいて、返答を待たずに悟空は飛び出す。

「三蔵サマ、ペットには甘いねえ。晩飯の分なんざ、アイツが残すかっつーの」 
「食い尽くしたら絶食するだけじゃねェか」
「三蔵、断食の行ですか?じゃ、申し訳ないですけど僕達だけで、何か作って食べますか。幸い携帯食は先刻たっぷり補充したばかりですし…」
「坊主は大変だねえ」
 口の減らない下僕達に、三蔵は盛大に舌打ちを打った。

 肌理細かな白い肌は熱く、ふくよかなそれを無理矢理押し開けば、滴りと共に、心をざわつかせる芳香が立ち上る。
「絶品です」
「んめえ」
 割った肉まんを手に取った八戒が、上がる湯気に鼻を近付け、感に耐え切れぬという風に言葉を洩らし、悟空はひたすら頬張り続けた。
 予想外に美味であるらしい肉まんに、三蔵もかぶりつこうとした、その瞬間。
「三蔵、無えって」
 行儀も悪く片手に囓り掛けの肉まん、片手にハイライトのカートンボックスを抱えた悟浄が、人の悪い笑みを浮かべ言った。
「マルボロ、赤、ソフトパッケージ。ここの店には置いてないってさ」
「ンだとぅ…?」
 悟浄が後にして来た小さな煙草屋に、三蔵は睨むような目を遣った。
「ボックスならあったけど?」
「袂に入れるんだ!ボックスは角が邪魔くせえんだよ!」
 悟浄に怒鳴りつけると、それを聞きつけた店主が、煙草屋の店先から申し訳なさそうに顔を出した。
「すいませんねえ。小さな店だもんで、出ない商品は入れないんですわ」
 咄嗟に、肉まんをジープの影になるように隠した三蔵に、八戒、悟空、悟浄が面白がるような目を向けた。それに対して視線で圧力を掛けてから、三蔵はおもむろに店主に尋ねた。
「他に置いてそうな店を知らないか?」
「他の店ねえ…」
 嗜好品の嗜好品たる由縁で、自分の好みの物がなければ代替品を購入する気のないという、三蔵の顔色が判ったのだろう。店主は真面目に自分の記憶を辿り始めた。
「ああ。あそこならあるかもなあ。ひとつ先の角を右に曲がって、すぐの所の店なら置いてるかもしれない」
「目立つ店か?」
 三蔵の言葉に、店主は頭を振った。
「古くて小さくて、今にも壊れそうな店ですわ」
 三蔵が胡散臭そうな目を向けた。
「品揃えだけはいいんですわ。ガラム煙草だろうが、何だろうが揃ってる。…ただ、ちょっと回転が悪いかも、しれない」
 言い訳するように、店主が続けた。
「あの婆さん、ボケちまってるからなあ。何だろうが押し付けられちまう。細かいことを気にしなければ、取り敢えずお望みの物は見つかるかもしれないよ」

 助手席から三蔵はすぐにその店を見つけ出し、店先にジープを停めさせた。
「買って来い、悟浄」
「ふぁんへ、ほえふぁ?(何で、俺が?)」
 先刻煙草を買いに行き、マルボロを買い損ねたのが悟浄だからだ。
 三蔵にしてみれば、下僕が買い物に行くのは当然のことだった。
 気の抜けた返事に振り向いてみれば、肉まんを頬張る悟浄。口中に、ふかふか生地と、ジューシーな肉汁を詰め込み、至福の表情。
「ふぉえ、ふぁいふっへえふぁ(これ、マジ美味えわ)」
 普段悟空に『食事中に席を立つな』と、スパルタ式躾をしている身で、肉まんを食べてる最中の悟浄に買い出しを行けと口に出すのに、逡巡した。
 悟空は当然先程から食べ続けになっている。
 運転席の八戒に目を遣ると、にっこりと微笑み返され、諦めた。
「チッ…。待ってるのもかったりィ」
 確保はしたものの、まだ口を付けていなかった肉まんの柔肌から、三蔵は手を離した。

 ジープから降り立ち、小さな店構えの煙草屋の前に三蔵は立った。
 古い。
 小さい。
 狭い。
 それでも、小窓から垣間見える薄暗い室内には、聞いた通りに多種の煙草が積み上げてあるようだった。
「誰かいないか?」
 応がない。
「誰もいないのか?」
 よく通る声を張り上げると、店の奥から小さな声が返って来た。
 間口が狭く、奥行きがあるらしい店の、店舗奥の居住スペースで休んでいたらしい老婆が、ゆっくり近付き、口を開いた。
「はいはい。何か?」
「マルボロ、赤、ソフトケース。3カートン」
「マルボロ、赤、ソフトケース、3箱。ね」
 小さな老婆は、三蔵の言葉を噛むように繰り返し、店の奥の棚に向かった。
「マルボロ、マルボロ、マルボロ、赤……」
 どんどん離れて行く老婆につられ、三蔵は窓口から中を覗き込んだ。
 狭い通路の両脇に、天井まで届く棚があった。その棚の中に、種類ごとに分けられた煙草がカートンで積んである。
 老婆は、棚の上から下まで、下から上まで、ひとつひとつ指をさして確認して行く。
「マルボロ、マルボロ、マルボロ……赤」
 三蔵の忍耐のゲージは、最初の数瞬で振り切れた。
「あるのか、無いのか?」
「ちょっと、お待ち下さいな」
 低い声の問いかけに、返る返事は質問とは無関係だ。三蔵の額に、青筋が浮いた。苛立ちを堪え、更に低い声で老婆に声を掛けた。
「無いならもういい」
「ちょっと、お待ち下さいな。今探してますからね」
 場を離れようとした、その瞬間に老婆は振り返り、にっこりと笑った。
 くしゃくしゃな皺に埋もれそうな目が、小さく輝いた。曲がった腰の上の健康そうな頬が、どこか林檎を思い浮かばせた。ほんの少し小首を傾げて柔らかく微笑むと、すっかり銀色になった髪を、無意識の仕草で撫でつけた。
 看板娘。
 脳裏に浮かんだ単語に、三蔵はぷるぷると首を振った。
 それでも、何十年か昔には、この老婆が微笑んで手渡す煙草に、好感を感じた者は多かったのだろうと、容易に想像できた。長い時間そうやって、この老婆は煙草屋の看板として、微笑み続けてきたのだろうと思った。
 三蔵は深く息をついた。
「……待つか」
 肉まんを頬張る三人の視線を、背中に感じた。

 狭い通路を、老婆は足を引きずるようにゆっくりと歩いた。
「マルボロ、マルボロ、マルボロ……。ライト?」
「ソフトだ。ソフトパッケージ」
 三蔵の肩が落ちた。
「マルボロ、赤、ソフトパッケージ、3カートン。赤と白の箱だ」
「赤と白」
 老婆はまた、きょろきょろと棚を見回した。細い腕をゆっくりと伸ばし、手に取った箱を見て三蔵は大きな声を出した。
「白地に赤丸じゃねえ。それじゃなくて、こう、赤地に白い山型の……」
 自分が身振り手振りで説明していることに気付き、三蔵は唇を噛んだ。
 背後からはっきりと、くすくす笑いが洩れ聞こえて来る。
 下僕に面白がられている。
 腹立たしいことに、肉まんの魅惑的な香りまで漂って来る。一度は手に取りながら、口を付けぬままの肉まんが、自分の座席の上で冷めて行くのを、三蔵は思った。
「……見つかりそうか?」
「はいはい。今探してますよ」
 のんびりとした声しか返ってこないことを、三蔵は予測しながらまた溜息をついた。

「マルボロ、マルボロ、マルボロ、赤……」
 手に取った箱を、老婆が大事そうに掲げて見せた。
「それ!それだ!」
 指をさして叫ぶ三蔵に、老婆は嬉しそうに微笑み掛けて来た。そのままゆっくり近付いて来る。
「い、いや。それと同じ物を、3カートン……3箱くれ!」
 今いる場所から離れたら、また同じことを繰り返されそうで、三蔵は慌てて大きな声を出した。
 老婆はまたにっこりと微笑む。
「マルボロ、3つ」
 急に踵を返し、奥の部屋に戻ろうとするのを、三蔵は茫然と見つめた。
 また戻って来ると、小さな掌に載せられた、マルボロ赤が3つ、バラ。
「……済まん。3、カートンだ。十個入りの箱を、みっつ、だ」
 老婆にもよく聞こえるように、大きな声ではっきりと、区切りながら発音した。
 肉まんの香りが、心なしか薄くなって来たような気がした。
 振り向いて確かめるのも嫌でしょうがなかったが、自分の分の肉まんが残っているのか、初めて不安を感じた。

 三蔵の注文した、マルボロ、赤、ソフトパッケージ、3カートンが、紙袋に入れられた。
 勘定を済まして渡されたお釣りと共に、三蔵の掌に、キャンディが幾つか載せられた。
「随分お待たせしちゃいましたからね。オマケですよ。煙草を吸う方には、喉飴」
 ころころと笑い、じっと三蔵を見つめた。
「お買いあげ、ありがとうございます。いつもありがとうね」
 一見の客にも、常連の客にも、区別無くそう言っているのかもしれない。

 三蔵は老婆の瞳に気付いた。
「……白内障か?」
「ええ。しろそこひ。年を取ると、色々ありますねえ」
 瞳にうっすらと、膜が張ったような色合いが見えた。
「耳も遠くなりましたしね。足腰が立って健康に過ごせてますから、大丈夫ですよ」
 小首を傾げながら、柔らかく微笑む。
「じっとしてろ」
 三蔵が掌を掲げるのを、老婆は吃驚したように見た。
「そうだ。そのままだ」
 三蔵は目を眇めた。
 老婆の瞳を凝視する。
 掲げた掌からは、淡い光の法力が、老婆に向かって放出していた。

 瞳。
 眼球の仕組みを、三蔵は脳裏にイメージした。
 眼球。
 瞳孔。
 光彩。
 収縮する筋肉。
 水晶体。
 精密にイメージする水晶体の、濁りをゆっくり取り除いて行く。
 水晶体が徐々に透き通り、光を損なうことなく透過させ行く。
 通過する光に、老婆の瞳孔がきゅうっと小さくなった。
 法力の輝きがゆっくりと消えて行った。

「……どうだ?」
「あらまあ」
 老婆は驚いたように言った。
「なんていいお天気!」
 三蔵の顔を見つめ、またすぐに辺りを見回す。
「なんてきれいな花!」
 店の壁際から小窓に絡む蔓植物の、真っ白な花を見つめる。
「ずっと香りはしてたんですよ。……まあ、なんて久し振りにこの花を見たんでしょう!」
 嬉しそうな表情を浮かべたままで、老婆はまた三蔵を見つめ、笑い出した。
「あらあら、なんてお若いお方!お声は若いのに口振りは落ち着いてるし、髪の色が明るかったから、すっかりお年を召したお客様だと思ってましたよ!」
 ころころと笑い続ける老婆に、三蔵は複雑そうに顔を顰めた。

 何時までも礼を述べ続けそうな老婆に、三蔵はそそくさと背を向け、ジープに乗り込むとすぐ、横柄に顎を突き出し出発を促した。
 ジープの振動に揺られながら、八戒はミラーを覗いた。
「まだ、手を振っていらっしゃいますよ?」
「フン」
「手くらい、振り返してやればいいのに。三蔵サマ、おばーちゃんにモテモテ!憎いねえ、このクソ坊主!」
「三蔵、寺にいる時から、おばあちゃん達にもててたよな!」
 ひっきりなしに話しかけてくる下僕達には、もう返事もせずに、三蔵は自分の分の肉まんに漸くかぶりついた。
 冷めかけの肉まんを無言で食べ終え、やはりひとつしか残されていなかったことに、心中悟空に毒づく。
「喉飴は、お前にはやらん」
「え?なに、三蔵?」
「何でもねえ」
 袂の中でかさかさと音をさせるキャンディを、何時見せびらかしながら舐めてやろうかと、一瞬ほくそ笑みながら三蔵は答えた。
 背後と隣からの、もの問いたげな視線を感じ、口元を引き締める。

 買ったばかりのマルボロを咥え、三蔵は空を見上げた。

「あらまあ」
「なんていいお天気!」

 元看板娘の、嬉しそうな声と笑顔を思い浮かべる。
 晴れ渡った空は、濃い青で続いていた。
 雲がぽかりぽかりと浮かんでは、真っ白に輝いていた。

 看板娘に愛想のひとつもしてやって、何が悪い。
 長閑な長閑な街を行き過ぎ、また、殺風景に続く砂漠に踏み込みながら、三蔵は煙草の煙を噴き上げた。
 薄い煙はあっという間に拡散し消え去る。
 それが空の雲のように、きれいにまっしろく固まらないことを、微かに残念に思った。
 ただただ青い空を眺めながら、三蔵は煙草を咥え続けた。















 fin 







《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《PARALLEL》 《83 PROJECT》



◆ note ◆
色気皆無ですいません
三蔵とおばあちゃんという取り合わせ、好きみたいなんです…