まだ4人が出会って間もない頃のおはなし。  




◇   ◇   ◇




『はちみつ<蜂蜜> 名詞・みつばちが花からみつをとって巣にたくわえたもの。
栄養価が高く、薬用・食用。(国語辞典新版 角川書店より)』







「ある日の童話」




◇   ◇   ◇


「・・・・・・・・なにしてるんですか」
言葉のすべてが、うっかりひらがなになって仕舞うほど、あきれたのか驚いたのか自分でも定かではない。

鋭く振り返った美僧の眉間には深々と刻まれた皺、生理的に溢れた涙が眦(まなじり)から零れかけていた。  

のだが。
空いたほうの手には、昨日八戒が近所から分けてもらったばかりの新しい瓶。    


『レンゲはちみつ』    


「!」
急に歪められた口元に掌を当て、苦しそうに背を丸め、咳き込み始める。
「さんぞうさんっ?!」
手を振って近寄るな大丈夫だと、世に名高い高僧が無言で語る。
げほげほと咽る背中を眺めつつ、そういえばそういうキャラクターの出てくる童話があったっけ、と八戒は記憶の中で頁をめくっていた。

たしか・・・・・はちみついろのぬいぐるみ。    


追憶に浸っていると、隣からまた、盛大に咳き込む音がする。

それだけ食べれば、むせもするでしょうよ、とすたすたと近寄った八戒は自分の城である台所の流しに近寄り、水切りから取り出したグラスに水を注いでことりと置いた。    


「温かいほうが、すんなり喉を通るんですけどね」

悔しそうに見上げた目元が、酸欠からかほんのり紅く染まっていたが、懸命にも何も言わず、三蔵・・・本日の来客はグラスを手にとると一気に飲み干した。          




「・・・・・・落ち着きましたか?」

結構、後先考えずに行動するんですねえ、と変な感慨に耽りながら、水屋の亭主宜しく、八戒は手ずから淹れたお茶を勧めてやる。
客は静かに湯飲みを手に取ると、きちんと両手で支え、今度はゆっくりと口をつけた。

あれから、ともかく瓶を片付けて三蔵ともども居間に戻って今に至る。

無言でお茶を飲む三蔵を見ていると、さっきのことが嘘のようだ。
...もともと三蔵は口数の多いほうではないが、今日は特に少ない気がする、と考えてから、ふと思い至った。    



・・・・もしかして。

ばれないようにそっと、且つ、じっと観察してみると、相手は糸底にあてた指の腹で、湯飲みを押し上げるように緑茶を飲んでいる。
そういえば、うまいともなんとも言わないけれど、自分の出したものを残したことは無く、いつも器は綺麗に片付いていたことに気がつく。
そばにいつもいる悟空が2人分しゃべり、2人分以上感想を述べ、2人分を夕に超えて食べ尽くすものだから、気がつかなかった。
鼻面をかすめるように飛び込んできた現実、いや、以前から目の前にあったのに気がつかなかった事実に、今度は八戒が黙りこくる。


お茶を飲みつつ、それとなく観察されているのを感じ取っていた三蔵が、八戒の変化に気づいて、内心で首をかしげた。
...相手の気が他に行ったので緊張がそれたのか、今日の自分を振り返って狼狽する。

実際、自分は甘いものが嫌いではないとはいえ、後見人の責務という名目、兼サルの散歩(正しくは厄介払い)といった理由でたずねてきた勝手知ったる他人の家。
遠慮するような相手ではないにしても、本人の承諾もなく手をつけるなど、今日の自分はどうかしている。     



・・・・窓越しの日の光にきらきらとひかる黄金のはちみつの瓶。

冬場、喉が痛いときに檸檬汁などと一緒に湯に溶かしたり、花梨を漬けたりしていたのを思い出した。

うるさい二人は外へ出掛けていて、唯一静かな八戒は、近所に出ていて留守で。
三蔵がひとりを寂しがるわけもなく、留守を守るという名目で、せいせいと煙草なぞ、ぷかりふかしていたのだが、喉が乾いて水を飲みに台所へ入った。
...そういえば、初めてこの家の台所に入るのだな、と思う。
普段は気がつきすぎるほどに気がつく八戒が、何かと世話を焼くものだから、自ら席を立って、などという機会は皆無だった。

蛇口を捻ると、透明なしぶきが勢いよく流しに落ちる。
そのまま、顔を傾けて、その流れに口をつけて喉を潤した。

ほっと息を吐きながら、横着をして手の甲で口を拭って身を起こすと、視界の端に橙色が映り込んだ。
視線を戻せば、窓際に置かれた透明な広口瓶に詰められたはちみつ。
手作りというより、近郊の農家(養蜂家)から分けてもらったのか、ラベルも何もなく、手書きで採取したのか、日付が蓋に直接に書かれている。
その素朴さも手伝って、瓶を手に取るとずっしりと重い。
上等の部類としれる蜂蜜。

捻って蓋を開けるても、殆ど匂いがない。
アカシアや他の種類が混じっていないのだろう、純粋に蓮華だけの蜂蜜のようだ。
・・・とろり、掌にこぼして口に含めば、懐かしい味がした。

温かい記憶の手触りと一緒になっている甘さが、じんわりと身体中に満ちる。
本人も知らぬ間に、目元が柔らかくなったのを見る者は、残念ながら居あわせなかったが。

窓から差す明るくまるい陽光が、部屋も三蔵もおなじいろに染める。    



パステルで描かれた絵本の挿絵のような瞬間。
瓶とおなじ、全部、はちみついろに。        




・・・そのまま。
何度か口にすると掌から黄金の滴は綺麗になくなってしまった。
見つけた手近の銀色のさじをつかむと、そのまま中身に突っ込んで掬う。
たっぷり口に含めば、今度は濃厚な甘さが喉をふさいで来る。    


昔、台所にあった蜂蜜を、菓子など置いていない寺院で甘さ欲しさにつまみ食いをし、手も顔も前髪までべたべたにした小猿を思い出した・・・・という感慨もすぐに。

「三蔵さん?来てるんですね?ここですか?」
途端、帰ってきたらしい台所の主が扉を開けたという顛末。   



◇   ◇   ◇



しばしの沈黙のあと、意を決した面持ちで八戒が話を切り出す。    


「三蔵さんって、甘いものお好きなんですか?」
「・・・・・・・嫌いじゃない」
むっつりと引き結んだ口元は、もしかしたら照れているのかもしれない。
また見つけた新しい一面に、何故か自分の胸が温まるのを感じながら、八戒が席を立つ。


「?、おい?」
「先ほど、美味しい卵を頂いたんです。お口に合うといいんですけどね」
そういって腕まくりを始めて、台所に消える背中を、三蔵はぽかんと眺め、一瞬後、我に返って表情を引き締める。

程なくして香ってくる美味しそうな音とにおい。    



再びテーブルに戻ってきた八戒の手には黄金色の焼き菓子と先ほどのはちみつその他。   

「バターは?クロテッドクリームの方がいいですか?」
皿を進めつつ、またお茶の準備をてきぱきと始める八戒を、かすかに眉をひそめて三蔵が見返す。
「これは・・?」
「パンケーキ、お嫌いでした?」
「そうじゃない!」
「じゃあ、冷める前にどうぞ」
何度か口を開きかけたものの、結局適当な言葉が見つからなかったのか、眉間に皺を刻みつつ、はちみつの瓶に手を伸ばす。

・・・・どうやら機嫌が悪いというより、ばつが悪いのだろう。
困ったような揺れが瞳に浮かんでいる。
ただただ尊大で不機嫌で、それでも人の心を鷲づかみにして離さない難解だとばかり思っていた人物は、感情をどうやって表に出していいのか判らなくて癇癪を起こしている。

八戒は、噴出したくなるのを堪えながら、再度バターケースを薦めてやった。
普通のバターより白っぽいクロテッドクリームも、蓋を開ける。
「なんだこれは」
「蜂蜜と一緒に乗せてください。少し塩気のあるバターも合いますが、クロテッドもいけますよ」
「どっちがうまい?」
「・・・好みですけど」
こんなに話す人だったけ?っていうか、食べ物にそんなに執着があるようには見えなかったけど。
「お前はどっちにするんだ?」
「今日はバターにします」
「じゃあ、オレはこっちにする」
へそ曲がりなのかな?と思っていると、あとで一口寄越せということらしい。
意外を通り越して気が抜ける。


しかも、その後の行動には仰天した。

どぼどぼ。
「そ、そんなにかけるんですか?!」
「かけないのか?」
心底不思議そうに見返された。
・・・・・この人、相当甘党らしい。
以前、チョコレートをコーヒーと一緒に出したときはそんなに進まなかったように見えたけれど、もしかして、和菓子派なのかもしれない。

意表をつく無愛想な後見人の微笑ましさに、頬が緩みそうになるのを何度も引き締めて、色々と考えてみる。

こんどは餡でも練っておこう。
今日みたいなパンケーキにもトーストにもあうし。
団子でもおはぎでもいいななんて。

押し切ると、断面から蜂蜜が溢れる生地を綺麗にてきぱきと片付けていく相手を見れば、口元に落ちてきた黄金色の髪に、パンケーキくずが着いている。

だから。

だから、何も考えず伸ばした指先でそれを払らうと、何事かと上げた三蔵が、思った以上に無防備で。

どこか胸の奥が疼くから。

その疼きのままに、柔らかく声を掛ける。
「・・・・今度は、花の季節にきてくださいね」

三蔵が何か言いかけて、空気を震わす前にばたんと元気な音がした。   



「ただいまー!なんかいい匂いするっ!!」
「なんでお前が『ただいま』なんだっつーの!ここはオレ様の家だっての!」
「いいじゃん、八戒の家でもあるんだしさー!腹減ったーっ!」
「だあああっつたく!」

急に賑やかになった部屋の空気が、弾けるような明るい因子に満ちる。
パンケーキを追加すべくたち上がった僕に、食事を済ませた三蔵が、袂を手繰りながら、小さく、でもはっきり言った。

「考えておく」    

振り返ると、もう居間へ煙草を吸いに足を向けた三蔵の顔は見えない。
ただはちみつと同じいろの髪の間からのぞく耳が、赤く染まっていた。

嬉しくなって、らしくなく大きな声で、「はい」と応えると、困ったように舌打ちする音が聞こえた。

なんだか本当に。   



フライパンにバターを落とすと、幸せな音がして溶けていく。
取っ手を回して種を落とそうとボールに手を伸ばすと、すぐそばに悟空が目を輝かせて待ち構えていた。

「ちょっと待ってて下さいね」
「うん」

居間からはスパーンといい音がする。
「ってえええ!」
「やかましい!」

まさか『顔が赤い』とかなんとか余計なことを・・・・言ったんじゃ・・・言ったんでしょうね。
次に聞こえてくるのは、やっぱり予想通りに発砲音。
壁に銃痕なんて、ずいぶん物騒なインテリアが好みなんですねえ、と、まだ慣れたというには同居期間の短い家主の好みを再認識しつつ、手早くフライパンの中身をひっくり返す。

「すっげーな、八戒!」
にっこり笑って見上げてくるから、自然に自分も笑みが浮かぶ。
「あとちょっとですから」   



室内は幸せな匂いと音が満ちている。     



幸せな童話が、花の季節に、ここには、ある。







 END 




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◆ note ◆
和泉歩さんの蜂蜜色のお話です
前サイトに置いていらしたお話を、強請って御厚意で頂戴致しました
Mac→Winへのデータ変換など、御手数をお掛けしてしまったのですが、このお話、とても幸せで美味しそうで甘くて可愛くてお日様でくまぷーで大好きで……なのです
自分の所に置かせて頂けるのが嬉しいです
あゆさん、ありがとうございますーー