■■■  月華 

 三蔵は目の奥に痛みを感じ、長く執り続けていた筆を置いた。
 雨が続き足止めをくらい、三蔵達は古い寺院にもう一週間も留まり続けている。
 格式を重んじるその寺院で、三蔵は下界から隔絶された生活を久々に味わった。
 旅の連れ達とも、数日顔を合わせていない。
 寺院の最奥に立てられた堂の中、ただ経を読み、経を書く。
 今代三蔵法師を煩わせるものは、何もなかった。
 静寂の中、過ごしていた。

 別の宿坊を宛われた八戒達との別れ際を、三蔵は思い出した。
 悟浄は、楽しみのない寺院で過ごさねばならないことを露骨に嘆き、悟空は最後まで、三蔵と離されることに抵抗を露わにしていた。
 騒々しい抗議の声に、三蔵は却って静寂にひとり過ごせることを喜んで見せた。
「せいせいするんだよ」
 意地悪い声音を聞いた八戒は、黙って三蔵を見つめていた。
 三蔵が潔斎の為に引き離される寸前に、微笑みながら囁いた。
「たまには僕らのことも思い出して下さいね」
 すれ違いざまに八戒は、法衣の胸元に指先で触れた。
 数日前に付けられた、情事の痕跡がそこには隠されていた。
 きつく吸われた、紅い花びらのような痕。

 三蔵は八戒の指の触れた場所を手で押さえた。
 一週間の間に、膚に押された痕も儚く消えていた筈だった。
 そこが酷く疼いているような気がした。
 押さえた掌の下、幾重もの布地の奥から熱を感じるような気がした。

『思い出してください』

 低い声音と、翡翠の瞳が脳裏に蘇った。
 三蔵は自分の思いを振り切るように、頭を振った。
 灯りを落とし、清しい空気を吸おうと窓へ向き直って、障子越しにぼんやりと明るみが感じられることに気付く。
 調度の影が、見慣れないほど目に濃く映った。
 月が出ている。
 雨がやんだようだった。
 
 障子に手を掛け、外を眺める。
 雨上がりのしっとりとした夜気が、鼻腔を通った。
 明日には出立出来るだろうと、皓々と輝く月を見上げて思った。
 堂を取り囲むように植えられた木々が、黒い影を揺らした。
 月の光が青白く、三蔵の佇む室内を染める。
 
『思い出して下さい』

 痕の疼きが増した。
 自分の胸元に散らされた紅い花が、法衣の表に浮かび上がって見えるような錯覚を憶え、後ろめたさを感じた。
 唇を押し当てられ、痛みを感じるほどに吸われた痕跡。
 白い胸の上に、熱く幾つもの紅い花。
 組み敷かれ、囁く声に意識を奪われ表した嬌態を、青白い月が照らし出していた。

 三蔵は、月を見上げながら法衣を肩から落とした。
 明日は旅立つ。
 早く休まねばならない。
 夜着に着替え、床に就こうとし、

 月から目が離せなくなった。

 月に照らされる膚に、三蔵は手を滑らせた。
 熱を持って疼く場所に、指先を押し当てる。
 熱い唇が触れた痕をなぞる。
 両腕で自分の躯を抱き締めるように、唇の這った経路を追って行く。
 熱の在処を確かめるように、触れて来た唇と指を、思い出す。

 肩をくるむように撫で、鎖骨から胸板まで爪で線を描くように触れ、突起で留まった指がじらすようにそれを押し潰した。
 息を詰めると急に摘まれ、溜息に声が交じった。
 声を聞きつけ、翡翠の瞳が満足げに自分を見下ろすのを感じた。
『ねえ、もっと声を聞かせてください』
 歯を立てられた痛みに、喉が震えた。

「……っ」

 胸の突起は強く弱く苛まれ、ずきずきと充血する感覚が、足の指先まで伝わった。
 力無く振った首の血脈に沿って昇った指は、髪に潜り耳朶を覆った。
『堪えないでください。唇、噛まないで』
 顎を捉えて口唇を嬲る。
 指の戯れに形を変える柔らかな口唇は、力無く開いて舌先を覗かせた。
 指を含み、這わせた舌が唾液を絡める水音がする。
 こく、と。
 飲み込むように舌で圧し、口蓋に吸い付ける。
 いつの間にか下腹部に伸びた手が、触れて欲しくて堪らない場所を避けるように、滑らかな皮膚を愛撫した。
 勃ち上がるものの周辺から内腿へ。
 脚を大きく開かされて、最奥の部分まで、月光に晒された。
 立てた膝頭が視界に入り、顔を背けようとしたが、顎は片手で捉えられたままだった。
 唇を、指が熱く摩擦する。

「んっ……」

 指が止まっても、三蔵は舌を動かし続けた。
 たっぷりと唾液を絡めては吸い込み、また唾液を絡める。
 愉しげに自分を見つめる瞳に、月光を浴びて狂う姿が映し出された。
 熱を孕んだ四肢を、自分を押し潰す体温に絡み付かせる青白い姿が映った。
 うわごとのように、名を呼んだ。
 熱がもっと欲しいと、引き寄せるように脚を強く絡めた。
 触れて欲しい場所があるのだと、吐息に詰まりながら訴えた。
 焦らされて腰を浮き上がらせると、更に大きく脚を開かされた。
 月光は乱れる三蔵の全てを照らした。
 翡翠色の瞳とともに、三蔵の躯の隅々までを照らし出した。

 青白い光が、熱に震える三蔵の躯を舐めた。

 唇を嬲り続けた指がゆっくりと離れて行くと、濡れた輝きが三蔵の目に入った。
 たっぷりと絡めた唾液が、滑らかに指を狭い場所に潜らせる。

「 ―――― っあッ。……んっ」

 下腹部に絡む指が、三蔵を追い上げる。
 月に向かって開いた躯は、青白く、汗を浮かべて輝いた。

『思い出して』

 月に照らされた躯を這う、翡翠の目。
 脳裏に蘇る瞳に、支配される。

「……っ、はぁっ、……ん、んん……!」

 狂っている。
 月光に染まって、自分は狂ってしまっていると、三蔵は思った。
 今は傍にいない男が月の光に姿を変えて、自分を狂わせているのだと思った。




 自らの手で登り詰め精を放った後、三蔵は暫く気怠さに躯を任せていた。
 床に横たわり、片膝を立てた姿を、月の光に晒し続けていた。

 男の思惑通りに狂った自分を微かに悔しく思い、そして思い返したように唇を歪めると。
 月に向かい、見せつけるように大きく脚を開いた。










 終 




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◆ note ◆
せるふーー
せるふが無性に書きたかったんですーー