from 綺兎里さん
 don't dislike 
 酔いに弛緩した体をベッドに横たえようとし、支えきれず縺れ込んだフリをして、細い体に自分の体を重ねた。
 覆い被さってくる重みに軽く眉を寄せ、それから逃れようと三蔵は身を捩る。
「……重い……」
 目を閉じたまま廻らない口で抗議する三蔵に、僕は少し微笑んだ。
「八…戒」
 咎めるような口調で言うのに逆らわず、体を脇にずらす。
 今夜は、怒らせるのは無しにしようと思っていた。
 怒りに輝くような三蔵を見るのは好きだ。
 ましてそれが、僕のせいで僅かな羞恥を含んでいるのなら、尚更。
 僕は三蔵に愛されたいのか、それとも憎まれたいのか。
 分からなくなる時がある。
 ただ分かっているのは、僅かな好意はあっても、僅かな憎しみはないということ。
 暖かな日溜りと、貫くような強い陽射しの、僕はどちらを望んでいるのか。
 でも今夜はそれを追及するのは止すことにした。
 蕩かすためだけに、彼をベッドに横たえる。
 そのためにこうやって、酒で盛りつぶすことまでしたのだから。
 
 少し甘いその酒は、アルコール度数が高いことを悟らせないまま、するすると三蔵の中に収まっていった。
 横で平気な顔をしてピッチを上げる僕に、つられるようにして。
 多分三蔵は、自分が盛りつぶされたことにも気づいていないだろう。
(そんな警戒心のないことでどうするんです?)
 自分の横で大人しく眠りにつこうとしている人に、心の中でそっと囁く。
 緩やかに閉ざされた瞼を縁取る睫毛が長い。
「三蔵」
 今度は声に出して囁いて、軽くその体を揺さぶった。
 可哀想だけれど、まだ眠らせてやるつもりはない。
 刺激に微かにかぶりが振られ、バスローブの襟元から石鹸と仄かに甘い匂いが立ち上った。
「…眠い」
 膝を割って脚を絡ませると敏感な体が疼くのか、眠りを妨げられて三蔵は不機嫌そうに眉根を寄せる。
「…やめろ…離れろ…寝かせろ…」
 かわいくないことばかり言う唇を唇で塞いだ。
 そっと。
 優しく。
 息苦しくないように、時々息を継がせながら。
 深くすることも、濃厚にすることもなく、ただ触れ合わせ続けた。
「……ん…んんっ…」
 口が塞がれると、鼻から洩れる声で抗議してくる。

 けれど。
 根気よくキスを続けるうちに、洩れる声は甘さを帯びてくる。
 バスローブの上からただ撫でてやると、トロトロとまどろみながら三蔵は自分から唇を寄せてきた。
 三蔵をオトすことなど簡単だ。
 ただ抱きしめて、ゆっくりと撫でてやって。
 優しく唇を触れ合わせて。
 それだけで火のついてしまう体を必要以上に煽らないようにして。
 まるで猫をかまうときのようだと思うことがある。
 貪欲に貪り合う性愛を未だ知らない、三蔵。
 幼い、相手の嗜虐心を煽る危険な幼さを持った三蔵。
 固い殻に包まれている分、いったんそれを引き剥いでしまえば、その中身は驚くほど柔らかだ。
 そして一見きつく纏っているかに見える殻を剥ぐ方法は、呆れるほど簡単で。

 そう。
 ただ温めてやるだけ。
 あくまでも優しく、触れていることにさえ気づかれないようにして。
 そうすれば、やがて柔らかくそのココロとカラダは開かれる。

 それがあんまり簡単だから、時々胸が痛む。
 三蔵は僕だから、温めさせることを赦すのか。
 それとも同じようにされたら、誰にでも自分を開くのか。
 確かめるのが恐ろしい、その疑問が湧いてきて。
「好きですよ」
「愛してます」
 僕は囁く。
 でも三蔵は何も応えない。
 囁き返してはくれない。
 それを求めてはいけないと、自分に言い聞かせながらここまで来たけれど。
 ときどき、無性に訊きたくなるときがある。
 貴方は僕のことを。
 ねえ、三蔵…?


 キスを落としながら、絹のように滑らかな肌を愛撫する。
 バスローブの紐を解いて押し開き、腕からそれを引き抜いても、三蔵は気づいたふうでもない。
 ただ、与えられる刺激とも言えない僅かな感触に溺れているようだ。
 快楽への扉を開くことなく、そこから洩れ出る僅かな波動に身を任せるのが心地いいらしい。
 それでも自分と僕を隔てる衣が煩いのか、バスローブの襟元を寛げるようにして、僕の喉元に顔を擦り付けてくる。
 触れると強張るばかりだった肌が、人肌を求めるようになっていた。
 襟元から差し込まれる細い指がくすぐったくて、僕は喉の奥で笑いながら着ているものをベッドの下に落とした。
 摺り寄せられる細い肢体。
 多分本人は明日になれば覚えていないだろう。
 いつもの三蔵の人格はアルコールと眠りとに封じ込められ、ここにいるのは本能の部分の彼だ。
 心地よいことや欲しいもの。それをただそれだけのモノとして受け入れられる三蔵。
 自分を守るために何者にも立ち向かって行かなくてもよかったら、もしかしたら彼が持ち得たかもしれない、もう一つの人格。
 僕は時々こうやって、暴いてはならない聖域を荒らす。
 酷いことをしていると思いながら。
 三蔵が僕を受け入れてくれたらという思いと、人を素直に受け入れる三蔵なら、果たして自分を選んでくれるだろうかという疑問に引き裂かれながら。
 容易に人を近づけない三蔵の頑なさを、僕は淋しく思いながら利用している。
 三蔵が固い殻を鎧っている限り、誰も三蔵に触れることはできない。
 そして僕だけが、こっそり作った合鍵で彼の最奥を訪れることができる。
 三蔵はいつかそんな自分に気づくだろう。
 そして僕のしていることにも。
 その日の来るのが怖かった。
 僕を見つめているその瞳が、広い世界に向けられる日の来ることが。
 
 言葉が欲しくなる時がある。
 
 なんでもいい。一言でいい。
 僕を求める言葉が。


 酔いに弛緩した体は少しの刺激も余さず甘受するようで、自分のコントロールを離れて手足が強張り始めた三蔵は少し苦しそうだった。
 触れる僕の手を押しのけようとするように持ち上げかけられる腕が、目的を果たさないままパタリとシーツの上に落ちる。
 先ほどから何度も繰り返されるその仕種に、胸が甘く疼いた。
 愛欲の前にあまりにも無力な三蔵に、いつものように微かな嗜虐心を掻き立てられる。
 ひっきりなしに上がる甘く掠れた声が僕を煽る。
 指が、目の下の細い肢体を蹂躙しようと震えた。
 それを宥めながらする愛撫は、少し苦くてそのくせ酷く甘美で。
 軽い眩暈を感じながら、薄い耳朶に唇を寄せた。
「ずいぶん感じてますね」
 触れかかる息と言葉の内容の、どちらにより反応したのか。
 三蔵の体がピクリと震えた。
「そんなにいいですか?」
 ゆっくりと僕を見つめる紫暗の色が、少し濃くなるのが分かった。
 今夜は怒らせずにおこうと思っていたのに。
 まあいい。
 中心に絡ませた指をゆっくりと動かすと、正気を取り戻しかけた瞳は閉ざされ、代わりに口が開かれた。
「どうです?」
「…い……」
「イヤなんですか? それともイイの……?」
 指を動かすのを止めて、囁いた。
「やめ……」
「やめて欲しい? やめないで欲しい?」
「てめ……いい加減に」
「だって、おっしゃってくださらなきゃ分からないじゃないですか」
 殊更明るい口調で僕は言った。
 暗い方へ引き摺られそうになる自分を引きとめるためにも。
 引き摺られれば、また三蔵に酷いことをしてしまうから。
「ねえ。どうなんです?」
 僕の言葉に三蔵は口元をきゅっと引き締めた。
 代わりに甘く潤みきった紫暗で睨み上げてくる。
 その色合いと濡れた輝きに皮膚が粟立つのを感じて、僕は思わず笑った。
 一方的に煽っているつもりで、こんなにも容易く煽られてしまう自分を。
 笑われて繊細な顔が不機嫌に歪む。
「そんなに煽っちゃいけませんよ。止まらなくなるでしょう?」
 それとも際限なく、シて欲しいんですか?
 色を無くすほど唇を噛み締める三蔵が可愛かった。
 相変わらず強情な口ですねえ。
 いくらそんなことをしても、僕の言葉のせいかそれとも体の疼きのせいか、紫暗の瞳は揺れてしまっているのに。
 僕がちょっと指を動かせば、その唇だって容易く解かれてしまうのに。
「そんなに噛み締めたら切れてしまいますから、お口を開けましょうね」
 その言葉に顔を背けるのに構わず中断した愛撫を再開すると、途端に唇が叫ぶ形に開かれ、途切れ途切れの悲鳴が上がり始める。
「素直で結構です」
 クスリと笑って指を進めると、華奢な肢体が仰け反った。


 きつくシーツを掴む指。
 下肢はつま先まで硬直して、ピクリとも動かない。
「三蔵、息をして」
 抱き寄せて背中をさすってやっても、引き攣るような小さな声が洩れるばかりだ。
「もっと声を出して」
 強すぎる刺激にすぐ息ができなくなってしまうクセは、なかなか直らない。
 僕はいつものように唇を重ね、呼気を吸い取ってやった。
 一旦肺の中の空気を吐き出さなくては、新しいそれを吸い込むことはできない。三蔵は、というより三蔵の体はすぐそれを忘れてしまうらしかった。
 苦しがって暴れ出すまで唇を塞いでから解放すると、ようやく呼吸が戻ってくる。
 その、壊れた笛の音が混じるような喘ぎ声を聞きながら、まるで仮死状態で生まれてきた赤ん坊に最初の息を与えているようだと、いつも思うことをまた思った。
「かわいそうに」
 耳元で囁く。
 聞き咎めて振り仰いだ小さな顔に、いくつもキスを降らせた。
 強張ってしまった内腿を掌で繰り返し撫でてやると、楽になるのか呼吸が幾分穏やかになる。
「……ウ…ン…」
 洩れる吐息が甘い。
 ゆっくりと快楽の雫を落とせば、しなやかな体は大きく撓る。
 三蔵の体を支配しているのは三蔵の意志ではなく、僕の指だ。
 三蔵が何を感じていても何かを望んでいても、それを与えるかどうかは僕の気持ち次第。
 一切の決定権を奪われ、僕の腕の中で与えられるものを甘受するしかない三蔵が可哀想だった。
 やがて頂き間際まで押し上げられた体は小さく震え出し、再びきつく反らされる。
 金色の頭(こうべ)が何度も振られ、揺れる金糸の隙間から真紅のチャクラが覗いた。
 震えながら絶頂の時を待つ、三蔵は綺麗だった。
 高みに引き上げられ解放される寸前に訪れる軽い失墜感に、指先から力が失われ、きつく掴んでいたシーツから指が離される。
 それを確かめて、僕は滑らかな肌から手を離した。


 あと一滴の雫を落とされず放置された体は、震えたままだ。
 引き瞑っていた瞼が持ち上げられ、与えられない解放を望む紫暗が僕を見る。
「なんですか?」
 汗に濡れて額に貼りつく金糸を掻き揚げてやりながら、僕は優しく言った。
「……八戒」
 僕の名を呼び、そのまま黙り込んでしまう三蔵の瞳を見ながら、待った。
 解放を強請る、三蔵の言葉を。
「どうしました?」
 重ねて尋ねると、堰き止められた苦しさに血の気を失っていた頬に僅かに色が戻る。
 どうやら僕の考えていることが分かったらしいと思って、少し笑った。
 僕の笑い声に、白い顔はたちまち耳まで薔薇色に染まる。
「三蔵?」
 促すと、金糸の下で繊細な顔が不機嫌に歪んだ。
「言っていただかないと、分かりませんから」
「…ふざ…けんなっ」
「別にふざけてません。勝手なことをして後で『嫌だったのに』なんて言われるのは僕だってイヤですから。貴方が望むことだけして差し上げたいんです」
 殊更丁寧に言うと、三蔵はムッとした顔で黙り込んだ。
 そのままじっと、こちらを睨みつけてくる。
 多分頭の中では、僕に言ってやりたいことが渦を巻いているのだろう。
 でも、三蔵はそれを僕には言えない。
 一言でも言えば、解放を望む体は置き去りにされてしまうのだから。
 薔薇色の胸の突起を摘まんで、柔らかく押しつぶしてやる。
 綺麗な声で三蔵は啼いた。
 ぽろぽろと透明な涙を流しながら。
 その涙は快感ゆえか、屈辱ゆえか。
 多分その両方だったのだろう。
「感じるでしょう?」
 頬を伝う涙を吸い取ってやりながら囁いた。
「辛いだけなら、もうしませんから」
 どうです?
 あくまでも優しく、応えを強要した。
「やめてほしい?」
 しばしの逡巡の後、僕の問いに三蔵は小さくかぶりを振り、それからがっくりと肩を落とした。
「なら、おっしゃってください。『感じる』って」
 追い上げた体の熱が冷めてしまわないように、ぎりぎりの愛撫を与えながら囁くと、強情な口より雄弁な瞳がじっと僕を見た。
「駄目」
 口で言ってください。僕は笑いながら言い渡した。
「『感じる』?」

「……感…じる…」
 いつもの無表情とは全く違う、それでいて感情の伺えない声で呟くように三蔵は言った。
 その声に、なぜかココロが震える。
「『気持ちいい』?」
「…気持ちいい…」
「『イかせてほしい』?」
「もう、やめろ…」
「あれ、やめていいんですか?」
「そういう意味じゃねぇっ!」
 堪りかねたように叫んだ三蔵にキスを落とした。
「なら、ちゃんと言って」
「…………」
「言わないとお終いにしますよ?」
 そう言いながら、僕は額のチャクラを指で撫でた。
 どうしてそんなことをしたのか分からない。
 ただ三蔵に、自分が三蔵法師であることを思い出させるように。
 何度も繰り返し撫でた。
 欲情の言葉を求めながら、心のどこかでは三蔵の口からそれが発せられないことを望んでいたのかもしれない。
 僕の指は震えたのだろうか?
 苦しげに息を継ぎながら、三蔵は僕の顔を見た。
 潤んだ、それでいて澄みきって全てを見通すいつもの紫暗で。
 そして息は愛撫に乱れていたが、妙に平然と三蔵は言った。
「イかせろ」
 と。

 内心僕はほっと息をついた。
 それがどういう意味の吐息なのか、自分でも分からなかった。
 ただ何か心が軽くなったような気がした。
「了解」
 だからその気持ちのまま少し笑って応えを返した。
 目の下で、三蔵がちょっと嫌そうな顔をした。


 傷つけないようにそっと体を進めて、その分長いこと僕は三蔵を愛した。
 時々堪えきれずに逃げ出そうとずり上がる体を、引き戻しながら。
 酔いと疼痛に、三蔵は朦朧としている。
 逃げ出そうとするのも、緩やかに腰が揺れるのも、半ば無意識なのだろう。
 多分三蔵は今夜どんなふうに抱かれたか、全部は覚えていられない。
 僕は諦めとも安堵ともつかない思いで、それを受け入れた。

 それでも。
 ふと湧き上がった感情が、僕を囁かせた。
「愛しています」
 そして、
「三蔵、貴方は…?」
 と。
 
 
 シャワーを使わせ再びベッドに入れてやって囁いた僕を、三蔵はあの目で見つめてきた。
 吸い込まれてしまいそうな、深い紫色。
 その色が僕を呑み込んでいくのに任せて、僕は口を噤んだ。
 愛してる、と応えを強要しても、ココロは満たされない。
 訊かなければよかったと思い始めていた。
 はじめから分かっていたのに。
 三蔵は決して応えてはくれない。
 それが分かっていて、それでもそうせずにはいられなくて、僕は尋ねたのだ。
 ――もういいです、忘れてください。
 囁こうとした時、三蔵が口を開いた。

「嫌いじゃない」
 僕の目を見たまま、一言だけそう言った。
 
 ごく短い、言葉とも言えないその言葉に、
「…はい」
 一言だけ、応えを返した。


 大人しく腕に収まってくれる三蔵の小さな顔にキスを落とす。
 応える前の僅かな空白の時間を僕は知っている。
 何気無いフリで零された言葉が、それだけでないのを僕は知っていた。

 僕の顔をしばらく見ていた紫暗に薄い瞼が落ち、引き込まれるように三蔵は眠ってしまった。
 元々酔いに眠くて仕方がなかったのだから、無理もないと思う。
 それでも遊び疲れた子どものようなその様子に、思わず笑みが零れた。
 枕もとの灯かりを落とすと、部屋は蒼い月光に濡れた。
 三蔵。
 僕の小夜鳴鳥(ナイチンゲール)。
 綺麗な声で啼いてくれる、金色の小鳥。
「嫌いじゃない…ですか」
 声に出して僕は呟いた。
 三蔵の声を思い出しながら。
 魂の深いところから発せられただろう、その言葉を。
 言葉の雫がいつものように、開きかけた傷口を癒す。
 金糸の合間から覗く真紅のチャクラをただ目に映した。
 神なんかじゃない。
 それでも、唯一無二の特別な存在。
 願わくば貴方もそう思ってくれるようにと、
 祈るような気持ちで、それにそっと口付けた。

 湖の底のような、蒼い部屋の中で。
 
 

 
 END





















《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《PARALLEL》 《83 PROJECT》



◆ note ◆
「閉架書庫」の綺兎里さんのお話を、かっさらって参りました
ぐるぐるした八戒さんを、微に入り細に穿ち…描く綺兎里さんの、やおいーです
入って穿っちゃってます
切ないです

……「やおい書けない」なんて、以前綺兎里さんが何度も言ってらしただなんて、そんなことは、関係ありません
切なく、キモチイイです
綺兎里さん、ありがとうございます