「なんだ、それは？」
「古い写真機です」
　庭先の日溜まりの中、八戒は手にした機械をひっくり返して覗き込んでいたところだった。
　古びた革張りのケースを開くと、同じく革の蛇腹がレールの上を滑り出してくる。
「捨てちゃうって人がいたから、貰ってきました。……無事写るのかどうかも判らないんですけどね」
「ゴミだな、ゴミ」

　三蔵は時折ふらりと、悟浄と八戒の家を訪ねる。
　仕事の折りに立ち寄ることもあり、暇だからと、急に悟空を連れて来ることもある。
　悟空ははしゃぎ回って八戒の手料理を食い尽くし、満腹になると幸福そうに眠りに落ちる。
「正しく動物だな」
　悟空の寝顔を見ながらの三蔵の言葉だが、声音は常よりも穏やかだ。
　悟浄などは、そんな三蔵の姿を見ると肩を竦めてにやりと笑う。
　八戒が目線で『からかうんじゃありませんよ』と注意しても、益々可笑しそうな笑みを浮かべる。
　息抜きなのだろう。
　窮屈な寺院から抜け出し喜ぶ悟空だけではなく、三蔵も気を抜きに立ち寄るのだろう。
　八戒も悟浄も、それを判って、何も言わない。

「フィルムも、その辺では売ってなさそうですねえ」
「オマエ、本気でゴミを拾っただけだな？」
「蛇腹はきれいだから、多分光洩れとかは無いと思うんです。ちゃんと機能はすると思うんですよね」
　八戒は掌に大事そうに写真機を抱え込んだ。
　ファインダーを覗くと、三蔵の呆れ返ったと言わんばかりの顔が見えた。
「暇人の考えることは、判らんな」
「あ。ヒドイ」
　写すことの出来ない写真機の前で、三蔵は庭の柵に寄り掛かると、煙草を咥えた。
　薄曇りの空から射す陽が、柔らかに三蔵の髪を照らしていた。
「レンズなんか、立派な物ですよ。こんなにきれいな物、捨てたりしたら勿体ないですよ」
「使えなきゃ同じだろうが。骨董屋にでも売り飛ばせ」
「……まあ、そういうつもりで貰って来てはいるんですが」
　漸く三蔵が小さく笑った。
　枠だけのファインダーの中で、柵に体重を預けた猫背気味の姿勢で、紫煙を吐きつつ目が笑った。

　露光を調整しつつ、八戒は写真機を覗いたままだった。
　三蔵も、変わらず煙草をふかすだけだった。

「写真、一枚もなかったな」
「え？」
「てめェ探すのに、苦労したってことだ」
「ああ」
　自分が三仏神から手配されていた時のことを話しているのだと、八戒は思い当たった。
「写真、好きじゃなかったんです」

　過去。
　愛した女性と共に過ごしていた、至福の時ですら、罪の意識は常にあった。
　実の姉と通じているという、罪悪。
　互いに、互いだけを見ていれば良かった。
　罪を思い起こすような、我が身を見つめるようなことを、ふたりで避けていた。

「三蔵、あなたは？」
「オレか？」
　フレームの中で、三蔵は僅かに目を見瞠いた。
「……。写真なんざ、今まで撮る機会はなかったな」
「なんだ、あなたも一枚もないんじゃないですか」
「その必要がなかったんだ」
「悟空も？」
「そうだな」

「ねえ、いつか……」

　風に吹き浚われそうな、呟きのような。
　八戒の言葉に、三蔵はまた笑った。
　遠くを見るように、目だけで笑った。
　小さな肯定だった。

『なんかさァ、コイツらッ！「おたずね者の三蔵一行」とか言うじゃん！』
『どっかに顔写真でも貼られてんじゃねーの、俺達？』
『いやだなぁ。写真写り悪いんですよね、僕』

　ねえ、いつか。
　みんなで一緒に撮りませんか？
　うんと洒落めかして、あなたは盛装で。
　真面目な顔なんか、しなくてもいいですから。
　今なら、
　笑えるような気がします。
　撮った写真を見たときに、心から笑えるような気がします。

　古びた革の貼られた写真機は、八戒が磨き立てたすぐその後に、人手に渡った。
　四人で写真を撮る機会もなく、薄曇りの中の三蔵の笑みも、八戒の記憶の中に残るだけだった。
　もし。
　手配写真でも存在するならば、確かめてみたいと八戒は思った。
　旅の途中の薄汚れた姿でも、例え人相写りが悪くとも。
　死にものぐるいで生き抜いている、今の自分なら。
　今の自分達ならば。

「うわ、悟浄、ガラ悪ッ」
「サルはサルに写っててよかったな！」
「三蔵……撮られてることに気付いてないのに、何でカメラ目線で睨んでるんです？しかも三白眼で」
「………。やっぱり写真なんざ撮るもんじゃねえ！」

　そんな騒動が目に浮かぶようだったが、それでも。

「ねえ、いつか……」

◆　fin　◆

◆　note　◆
画集『Salty dog 2』収録の'02ゼロサム7月号アンティークカメラ抱えた八戒ピンナップ
＆8月号ネタでした
さんぞ、きっと写真撮ったことってないですよね…
ポスターの写真機、機種もメーカも判らぬまま。フィルムじゃなくて、銀板カメラかもです