■■■  ないしょ 

 夕暮れ時の長安慶雲寺。
 三蔵の執務室の、開いたままのガラス窓を小さくノックする音。
「しぃっ」
 呆れ顔で窓辺に近付く三蔵に、八戒は「静かにね」のゼスチュアを見せた。

「俺は暇じゃねえんだよ」
「僕だって暇だから来るんじゃありませんよ」
「じゃあ何だって言うんだ」
「……さあ、知りません」

 文句を垂らしながらも、三蔵も慣れた様子で窓から抜け出し、建物の影を伝って走り、普段人の使わぬ裏門を通り抜ける。

 夏の終わりの夕暮れの、まだぬるさの残る空気、そよぐ風。
 道端の背の高い雑草の、青々とした色と立ち上る香り。
 季節の変わり目の匂いを吸い込みながら、ふたりは街まで歩いた。

「随分暑い日が続きましたから、ひんやりとして心から美味しいと思えるものを飲みたいと思ったんです」
 あなたと。
 最後の言葉は口にせず、八戒は三蔵に笑みを見せた。
「……以前同じことを言われて、ビアガーデンに連れて行かれたな」
「ビアガーデンはお気に召しました?」
「枝豆は美味かった」
「それはよかった。でも今日は違うところなんです」
「違うのか」
 三蔵の声音に、僅かに残念そうな響きがあったように思え、八戒はまた笑った。
「もっといいところ」
「!」
 ぐいと、八戒は三蔵の手首を掴んで走り出した。
 急に引かれて法衣の裾が縺れかけた三蔵は、怒鳴り声を上げようとした途端に、涼しい風を顔に受けた。

 夕空の色合いは、刻一刻と変化して行く。
 真昼より黄味を帯びた西の空。
 藍色の降りてくる東の空。

「……いちばん星」
「え、どこです?」
 まだ人通りの多い往来を、手を繋いで駆け抜けながら空を見上げる八戒は、それでも歩調を緩めない。
「前見ねえとぶつかるぞ」
「ぶつかりかけたら引っ張って避けさせて下さい」
「甘えるな」
「じゃあ、いちばん星がどこだか教えて下さいよ」
「まだ見つからないのか、止まって探せよ」
「だって急がないと」
 息を切らせ、汗を浮かべて漸く辿り着いたのは、閉店間近の小さな駄菓子屋。
「ふたつください」
 小銭と引き替えに汗をかくほど冷えたコップを受け取る。

「いちばん星は?」
 三蔵はコップに口を付けたまま、方角だけを指さしてみせた。
「あ、本当だ」
「にばん星も。……『ホントウ』って、こんなコトで嘘付く訳がなかろう」
「そうですね。さんばん星、よんばん星……」
 店先に置かれた縁台に並んで座り、次々現れる星を数え続ける。
「美味しいですか? 冷やし飴」
「あまい」
「あまいでしょう」
「つめたい」
「つめたいでしょう」
「氷よりつめたいくらいだ」
「汗かいた後に飲むのが、美味しいんですよねえ」
 店まで走らせた理由を満足げに語る唇を、三蔵は横目で睨み付けた。
 唇はすぐにつめたい飲み物に夢中になり、三蔵もまた、生姜を効かせた飲み物に口を付け、香ばしさを喉へと流し込んだ。
 砂糖とも蜂蜜とも違う、麦芽糖の香りと甘味を舌の上で転がして、口中を冷やす。

「なあ」
「はい?」
「おかしかないのか?」
「?」
「店先であまい飲み物抱えて座って、星を指さしてるのは」
「座る為の縁台ですから」
「法衣姿の坊主でも?」
「あなた一見お坊さんには見えないですし。それに小坊主さんもお遣いの時には立ち寄ってますよ。あ、小坊主さん叱っちゃ駄目ですよ」
「……このくらいで叱らねえよ」
「小さい子がお遣いで汗かいて、お駄賃に貰う一杯にはぴったりでしょう?」
「まあな」
「内緒のお楽しみなんですから。甘露、甘露」

 こおりよりつめたくてあまい。
 そんな飲み物の入ったコップを両手に持ちながら、すっかり夜の色の空を見上げ続けた。

「お前やっぱり暇だろう」
「失礼ですね。暇なんてこれっぽっちもありませんよ」
「じゃあ何なんだよ、こうやって冷やし飴飲んで、星見てるのって」
「そのくらい自分で考えて下さい」
「てめえ、言え!」
「そんな短気だと損を……あ、流れ星」
「え!? 話逸らすな!」




 つめたくてあまいひと。
 思い付いた答えのひとつくらい、聞かせて。










 終 




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◆ note ◆
熱下がりましたー。
じょじょにふっかーつです。
ご心配おかけしましたのご挨拶替わりssでした。