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escape
シーツの上の、脱力した躯。
俯せた顔は、くしゃくしゃに乱れた金糸の髪に隠され、表情を伺わせない。
ただ、漸く平常に落ち着きかけた呼吸が、彼が生きていることを報せる。
八戒は彼から身を離すと、傍らに投げ出された腕を取った。
色素の薄い皮膚が、カーテンから漏れはいる安っぽい明かりを映し、まるで発光しているように見えた。
立ち上る、体温と、発汗の湿度と。
ヒトの纏うオーラのようだと。
「三蔵」
八戒の声にも、三蔵は反応しなかった。
緩やかに汗は引き、体温も恒常的なものに戻る筈だ。
八戒が手を離すと、腕がぱたりと布の海に落ちた。
壊れた人形のようだ。
まるで、捨てられた人形のようだ。
触れることを躊躇う八戒の前で、三蔵が頭を巡らせた。
暗い色に輝く金髪が、目の上に被さっていた。
片方現れた薄闇に染まった瞳が、八戒をねめつけた。
「水」
ベッドの傍らの水差しの、温い水をグラスで渡され、三蔵は上半身を反らしてそれを飲み干した。
「声、上げっぱなしだから」
嫌そうに顔を顰めた三蔵は、すぐに鼻でせせら笑った。
「一々それを、目を細めて喜ぶ、ヘンタイ野郎がいるからな。坊主が声出すサーヴィス業ってのは、周知のことだろ」
顎を突き出すように嗤う三蔵に、唇を近付けた。
ふたり、枕に肘を突いたままで唇を合わせる。
目蓋も閉じずに。
躯を寄せ合う、それだけ。
百眼魔王の城から長安に連行されてすぐに、八戒は三蔵に腕を伸ばした。
ただ一つの生きる理由に、死に物狂いで手を伸ばし、掴みかかった。
餓えて、水を飲まねば生きられぬと。
自分を生き延びさせた三蔵に、生き続ける糧を寄越せと詰め寄った。
「こんなのが、生きる理由か。安い奴だな、オマエは」
その言葉通りに、八戒は生き延びた。
どれだけ安かろうが、どれだけ安易だろうが、生きろと自分に訴えた、生涯でただひとりの人を、貪り続けながら。
時折八戒と悟浄は、長安の三蔵に呼び寄せられる。
三仏神からやっかいな仕事を押し付けられたと、細々とした用件を言い付け、そして彼等は報告に立ち寄り。
ごみごみ薄汚れた街の安宿で、八戒と三蔵は落ち合う。
わざわざ中心街から外れたボロ宿で、受付のスレた老嬢から目を逸らしつつ。
目立つ金髪をフードで隠したところで、そこはかとなくは、正体が知れるだろうに。
人々の口端に上ることもなく、場末の、放出し合う為だけの宿での逢瀬は止むことはなかった。
接吻けたままの三蔵の頭の向こう側の窓、八戒の視界の端に、細かな飛沫が飛んでいるのが見えた。
霧のように、雨が降っているらしい。
今頃、悟浄もどこかの屋根の下で、暖かな躯を抱き締めているのだろうか。
八戒はそう思いながら、三蔵の躯を窓に向けないように倒した。
「寒くないといいんですけど」
「……?」
再び押し倒されたことに、不満げな顔をする三蔵に、追加の説明をする。
「悟浄も、今頃同じ街にいるんだなあって。どこかの宿で、こんな風にしてるのかなあって」
引き上げた毛布を自分達の躯に巻き付けながら、八戒は低い声で続けた。
「せめて、暖かな思いをしてて欲しいですね」
悟浄が、恒常的な愛情を求めて、出逢ったばかりの女達と躯を重ねているのではないことは、判っていたので。
「それとも、まだ賭場で飲んでるのかも知れませんが」
くすくすと笑う八戒の髪を、三蔵が掴んだ。
「噂話なんざ、聞かせてんじゃねえよ」
尊大な声を出そうとする三蔵は、暖かな毛布の中で、疾うに指の辿りに再び体温を上げつつあった。
シーツに放り出された躯を、丁寧にかき集め、象るように撫でる。
本人が投げ出していると思っている躯の、パーツのひとつひとつに、接吻ける。
せめて柔らかに包み込んでやろうと、消毒液臭い部屋の毛布に、精一杯の優しい手付きでくるみ込みながら。
静脈の透ける首筋に唇を押し当てると、静かな躯の動悸が跳ね上がった。
唇を下にずらして行くごとに、肩に掛かる指先に、抑え込んだ下肢に力がこもる。
跳ね上がる。
脱力しきったような躯の、瑞々しい反応を確かめて行くように、八戒はゆっくりと動いた。
生きたままひとりの人を喰らい尽くしてゆく自分を哀しみながら、喰われて行く人が、そのことの本当の意味をいつか知るのだろうかと、哀しみながら。
せめて柔らかに包み込んでやろうと、消毒液臭い部屋の毛布に、精一杯の優しい手付きでくるみ込みながら。
余裕もないくらいに抱き合った汗みずくの躯は、寒いくらいに冷えて行くばかりだった。
八戒が髪に触れようとすると、三蔵は一瞬躯を強張らせ、堅く閉じていた目蓋を上げた。
掌が近付き、髪に差し込まれるのを、視点も合わぬのにずっと凝視していた。
「あなたを、」
いつかは、失うのだろうか。
「あなたは、」
八戒は言葉を選び直した。
「あなたは、いつかは何処かに行ってしまうんだろうか」
選び直したところで、心の奥底の見え透いてしまうような自分の言葉に、八戒は一瞬茫然とし、笑いながらいらえを待った。
「俺の『理由』は、ひとつだけ」
問われたことに、機械的に応える三蔵は、触れてくる掌の害意のなさに、疾うに眠りに誘われかけて。
「捜し物、ひとつ。捜しに行く、だけ」
「何を捜しに?捜し物が見つかったら?」
金色の長い睫毛が、瞳を覆った。
「お師匠様に、貰った。どうする、かな……?」
完全に閉じた瞳で、暫し逡巡した。
「……叩き返してやる」
急に満足そうに唇の端を上げ、そのまま眠りに落ちる。
「三蔵?」
雨は、いつの間にかけぶる霧雨から、さざめく音を立てる小雨に変化していた。
カーテンの隙間から夜の街を映し出す窓ガラスには、貧相な街灯が白く涙の筋を光らせていた。
傍らの温もりを毛布でくるみ直し、八戒は自分もその隣の隙間に滑り込んだ。
「『叩き返す』?誰に?」
八戒は、以前に育ての親から譲られた聖典経文を、三蔵が探し続けているのだと聞いたことがあった。
育て親は既に亡くなり、経文を叩き返す相手となると……
眠りの間際に、物騒なことを言い出す三蔵に、八戒は心からの笑みを浮かべた。
冷えかけの肩を抱き寄せ、力の抜けた腕を、自分の胸に掛けさせた。
朝には雨が止んでいるといい。
今は、ただ眠ればいい。
せめて柔らかに。
◆ fin ◆
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◆ note ◆
80000ヒット踏んでくださったkitoriさんへ
「83にドールを絡ませて」というリクを頂戴しました
(丁度、よしきがドール購入で浮かれてた頃なんざんす)
象徴としての人形でもよいとのお言葉に甘え、「やり疲れ」脱力のさんぞ様を人形になぞらえさせて頂きました
kitoriさん、いつもありがとうございます
kitoriさんに、やわやわ毛布と、氷をかららんと、ごじょさんが慣らしていたかもしれないグラスを捧げます