おそわりしうた、うたいて 



「キスが、巧くなりましたね」
 唇を離した八戒がそう言った瞬間、三蔵の眉が角度を変えた。
「だって。初めてあなたにキスした時は、息を継ぐことも出来なかったじゃないですか」
 突き放そうと三蔵が胸を押せば、背に回された腕の力が増した。
「息詰めちゃうクセは、まだやっぱり抜け切れてないかなあ」
 更に続けようとする八戒を、頬を紅潮させた三蔵が睨んだ。
「離せ」
「ヤですよ。今離したら、怒って暫く触れさせてくれないじゃないですか」
「貴様…判ってんなら、もうやめろ」
「……何を……?」
 耳元で囁きながら、八戒は染まる耳朶を唇に挟んだ。
 貝殻のようなまろ味に沿って舌を這わせると、三蔵の躯が撥ねた。
 胸を押し返す腕が強張った瞬間に、八戒は三蔵の暖かな首筋に顔を埋めた。
「っ………!」
 ぞろりとおとがいまで舐め上げ、顔を覗き込む。
 貪る唇から解放された三蔵は、漸く吐息を吐き出し、愉しげな碧色の瞳に嫌そうな表情を浮かべた。
「ねえ、何をやめて欲しいんですか?」
「判りきった答えを教えてやるような親切さは、持ち合わせてねェんだよ」
 八戒が微笑んだ。
「判りません。……だから」

 コトバニシテ、イッテ?

 遮るように、三蔵は八戒の唇に、ぶつかる勢いで自分の唇を押し付けた。
 硬質な印象の唇は、触れるだけでその柔らかさを伝えた。
 開き掛けの唇を塞ごうと、噛み付くように三蔵の唇が覆う。
 温度と湿度。
 三蔵から与えられた、接吻けともいえないような接吻けに、八戒は眩暈を感じた。
 拙くとも、薄く開いた唇は、簡単に誘いにのって舌を絡める。
 逃げ出さずに応え、体温を上げる。
 詰めた息を、唇を合わせる角度を変えるごとに、甘い溜息と共に取り返そうとする。
 八戒の胸に置かれた掌が、また何かを主張するように動いた。
 唇を離した瞬間に、ゆっくり上がる睫毛と、現れる濡れた瞳を八戒は見た。
「余裕こいたフリか?てめェが本当にしたいことだけ、してみせろよ」
 上がった息のままの、挑発。
「殺し文句ですねえ。でも。本当にシたいことシても、いいんですか……?」
 言葉の挑発に乗った体を装いながら、八戒は自分の瞳も欲情に染まっているのを自覚していた。



 救いの御子は 御母の胸に眠り給う
 胸 安く



 みみでおぼえしうたの、ことのはのあらはすものを、いまだつかめず
 いまだつたえられず



「……ここ、触って」
 シーツを掴む三蔵の掌を、八戒は無理矢理三蔵自身に絡めさせた。
 背後から抱え込ように腕を廻し、自分の腿の上を渡る三蔵の腿を、更に広げさせた。
 曝され、硬度が増す。
 掌はそれを、ダイレクトに感じ取る。
 火傷をしたように手を離そうとする三蔵の、手首を八戒はきつく握り込んだ。
「駄目、ですよ。ほらここ。放り出されて、さっきから可哀相に、泣いてるみたい」
「……っんッ!?」
 引き戻された掌と、更に重なる八戒の掌に、三蔵は追い立てられた。
「三蔵?」
 名を呼ばれることすらも、今の三蔵には羞恥の果ての出来事だった。
 足を広げ、乱れた様子を人目に曝し、自分の欲望をまざまざと感じ取る。
 金糸の髪が振り乱された。
 ぐい、と。
 八戒の指がきつく回り、敏感な先端が張り詰めた。
「ナミダ」
 透明な液体に触れた指が、三蔵の唇に押し込まれた。
「三蔵、」
 くす、と笑いながら、続いて耳元で低い声で囁く八戒の言葉が、三蔵の快楽を押し上げたらしい。
 咥えさせられた指に歯を立てながら、呻き声が上がった。
「きれいですよ。こんな風になっていても、いつだってあなたはきれいですよ」
 三蔵の顎から唇まで。
 優しく覆い、唇と舌に宥めるように触れていた指が、引き抜かれた。
「ふ、ぁ……?」
 唾液が橋を架ける指を、三蔵の舌が追った。




 甘やかしたり、奪ったり。
 抵抗したり、貪ったり。
 反応の僅かなタイミングの差で、道筋を変え、舞い戻る。

 躯の駆け引きを、
 ねだるように、時に横暴に。

 覚えた限りを尽くし合うように。




「…ウ……ア……!?」
 縋るモノを無くした三蔵の腕が、八戒に回ろうとし、また抑え付けられた。
「ちゃんと、最後まで、ね?」
 片腕で三蔵の胴を捉え、八戒は最後の律動に移ろうとしていた。
「刺激されると反応するでしょう?躯が解放されたがってるの、判るでしょう?」
 八戒に捉えられたのとは反対側の腕が、自由を求めるように空を掻いた。
 空を掻き、シーツに落ちた。
「あなたがイけないと、僕もイけません」
 最後に優しく、言い聞かせるような柔らかな声がした。
 その声に後押しされたように、三蔵は自分自身に指を絡め、胴ごと揺さぶる振動の、拘束する腕を受け入れた。




 狂ったように快楽を求め、高められた躯が、互いを追い詰め合う。
 三蔵は、もたらされた悦楽に、自分の躯を支えながら突き崩そうとする八戒の肩に、こうべを預けた切り、きつく目を瞑ったままだった。
 ふたり、絶頂が近付いていた。

「三蔵」

 呼びかけられて、金色の睫毛が上がった。
 長い睫毛が影を落とし、三蔵の瞳に明瞭りと八戒の貌が映り込んだ。
 三蔵の腰を掴んでいた掌が、肩に移った。
 三蔵の躯を自分の胸に引き付けるように、八戒はほんの僅か、掌に力を込めた。

 キスを。

 紫の瞳が伏せられた。
 三蔵は抱きしめられたまま首を捩り、濡れた唇を微かに開いて差し出した。
 繋がったまま、八戒はそっとその唇に、自分の唇を重ね合わせた。
 ふたり、放出を終えるまで、唇が離されることは無かった。




 気怠い躯を横たえながら、熱を冷ます。
 三蔵は寝台に肘を突いて上体を起こすと、床に落ちた法衣から、手探りで煙草を取り出した。
「寝煙草は……」
 最後まで言わずに、八戒は三蔵の髪の中に指を挿し込んだ。
 撫でるようにくしけずり、頬にかかる金糸を、耳の後ろに梳かしつけた。
「怠ィ、寝たい、ウゼぇこと言うと金輪際てめェとは寝ない。とにかく今は吸わせろ」
 けんもほろろな三蔵の言葉に、八戒が苦笑した。
「そう言えば」
 鬱陶しそうに眉を顰める三蔵を気にする様子もなく、金糸を手櫛で撫でつけていた八戒は、思い付いたように口に出した。
「さっきの殺し文句は効きました。どこであんなの習うんです……?」
 瞳の碧が、面白そうに閃いた。
 三蔵の眉が左右大きく角度を変え、煙草を銜えた唇までもが口角を下げる。
 深々と吸い込んだ紫煙が、唇の隙間から広がった。
「応える気も起こらないような質問に、キレて全く違う解答出して、いけしゃあしゃあと笑ってるヤツが、どっかにいたろう」
「そうですか?ヒトを煙に巻くようなこと言うのが得意なのは、三蔵の方だと思いますけどねえ」
 八戒の指に、力が込められた。
 三蔵は引き寄せる力に逆らわずに、煙草を指先に挟んだ。
 触れ合うだけの接吻けを交わす。
 金の髪に潜った指は、指通りを楽しむように首筋へと撫で続けた。
「キス。息継ぎだけでなく、目を閉じるようになったでしょう?」
「あ?」
 蒸し返されて、鼻先を擦り合わせる距離で、紫暗の瞳が剣呑に光った。
「これを教えたのは、僕ですよねえ?」
 応えもなく、ただ眉間に深々としわが刻まれて行くのを見た八戒は、笑いながらまた接吻けた。
「怒らないでください。嬉しいんですよ。そんなちっぽけなことで、僕がどれだけ有頂天になってるか、あなたご存じないでしょう?」
 笑い声を上げながら八戒は接吻け、徐々に接触を深くして行く。
 短くなった煙草が灰皿に押し付けられ、影が重なり、指が絡みあってシーツに埋もれて行った。




 日常が続いた。
 天候と事情の許す限り西へ向かい、立ち寄る街で短い休息を得、また旅立つ。
 そんな短い滞在の街で、三蔵達は小さな子供達とすれ違った。
 平和で小さな街には、至る所に笑顔が満ちていた。
 駈ける子等の頬も、健康そうに輝いていた。
 肩に留めたジープの長い頸を撫でながら、八戒はすれ違った子供の背を目で追い、隣を歩く三蔵が、子供達に気を取られているのに気付く。

 小さな子供が毬を突いていた。
 小さな掌が毬を突き、たどたどしく数え唄を唄う。
 八戒も旋律を聴いたことのあるような、ありふれた子守唄だった。
 三蔵の唇が、音を紡がず動いていた。
 無意識のようだった。

 いつ、誰から習った唄なのだろう。

 八戒の視線に気付かず三蔵は唇を動かし、やがてこうべを巡らして、袂から取り出した煙草を銜えた。
「………?」
「いえ。何でもありません」
 八戒の歯切れの悪い返事にも、微かに小首を傾げるだけで、三蔵は何も違和感を感じなかったようだった。




 三蔵は変わって行く。
『生きて変わるものもある』
 僕にそう言った言葉は、自分自身に言い聞かせるものだったのかもしれない。
 その言葉の意味するところは、今は僕には充分理解出来る。
 生き抜こうとする先に、何かがあるのだと。
 それでも。
 三蔵は自分の変化を認めないだろう。
 『進化』ではなく『退化』だと、嫌がるだけなのだろうと思う。
 いつかの、ステンドグラスを通した、色とりどりの光の中に立つ三蔵を思い出す。
 奪われた経文を取り返し、手に取りながら立つ三蔵。
 崩れ落ちる天井を避け、走りながら振り向いた貌。

 今まで剥き出しにならなかった、三蔵の素顔。




「……くす」
「何だと言うんだ」
「本当になんでもないんですって」
「あー!八戒、思い出し笑いっていやらしいんだってさ!」
「なあああにを、今更っ。こいつが執念深くイヤらしいのなんて、とっくだろ?」
 先を歩いていた悟空と悟浄が、威勢のよい声で乱入する。

『……『退化』なのだと、あなたは言う気なんでしょう……?』

 日々変わりつつある三蔵に。
 八戒は苦笑交じりの眼を向けた。




 小さな小さな出来事でもいい。
 あなたを変え行く出来事の、小さなひとつになりたい。
 知らずに口ずさむ唄の一編のように、心の深い場所に普段しまって貰えるような。
 『退化』だと言われてもよいから。
 例えば接吻けの時に眼を閉じるとか。




 遠くから子供の唄声が風に乗って届いてきた。
 幼児の不安定な声で、柔らかく。
 明るい旋律の数え唄は、幼児に読み取られることのない、悲しい唄を唄っていた。

『いつかあの子供も、唄の意味を知るのだろうか』

 意識の外でぼんやりと八戒は思った。
 唄う唄の哀しさを、大人になって知るのだろうか、と。

 八戒の視線の先で三蔵が振り返った。
「てめェ。何呆けてやがる」
「え?」
 気付けば三人と八戒との間に距離が開いていた。
 ジープが甲高い鳴き声を上げ、翼を羽ばたかせる。
「これが悟浄だったら、追いてっちゃうんだけどなっ」
 軽やかに走る悟空が、悟浄の鉄拳を潜って逃げ、笑った。
「ま、待って下さいよ」
 背を向けて歩き出した三蔵に向かって、八戒は駈け出した。
 悟浄と悟空の明るい諍いの声に、今までの物思いは、全て忘却の淵に落とされた。
 思い返されることもなかった。




 みみでひろい、おぼえたうたの ことのはの、
 やさしさかなしさを、いまだまだしらず




 ただ、今は。
 接吻けの甘さに酔いながら、そのきつい酔い心地に浸りながら。




 いまはまだしらず














 fin 







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◆ note ◆
77777ヒット踏んでくださったkitoriさんへ
リクエスト内容「18禁八戒さんのぐるぐるあまあま」でした
ちゃんと18禁になってます?
kitoriさんもワタクシも「変化してゆく三蔵」というのに惹かれてます
原作のクソ坊主サマに、引きずられっぱなしなんでしょうね

kitoriさんいつもありがとうございます
kitoriさんに、八戒さんが追い掛けた三蔵さまの後ろ姿と、
「ナミダ」を捧げます