■■■ LIVING on PRAYER
遙か遠い記憶。夢に見て揺り返し、…そして目覚めの時には、また去って行った。
教会のプログラムにボランティア活動の枠がある。
取り敢えず僕らには寝床と日々の糧があり、それだけでも、他のもっと苦しい生活を余儀なくされている人達に奉仕をするのは当然だという訳だ。
糧があるだけで恵まれているかというと、それも違うとは思うものの、それでもそれを理由にサボタージュするほどの悪辣さはないつもりだ。
大体、特にボランティア自体が嫌な訳でもないし、そんなことの為にシスターと論議する時間を費やすことの方が面倒くさい。
「悟能、今度の傷病者ホームへのボランティアのことなんだけど…。本来は数人グループで看病をするのだけれど。でも他にも重要な仕事もあってね……」
「僕とグループを組みたがらないんでしょう?誰も」
シスターは、大きなため息をつく。諦めたような。ホッとしたような。
「…ええ、そうです。そういう我が儘を言う方が悪いのは判ってはいるのですけれどね。あなたは頭がいいから、他の子がどういう風に感じ取っているのか判っているのでしょう?あなたの人当たりの方を変えるわけにはいかないの?」
善良なシスターは、孤児院の子供全員の幸せを願っている。可愛そうだけれども、僕はそれを願わない。
「シスター。僕は僕自身のことで手一杯なんです。くだらないことで気を遣うのはうんざりだ」
「…悟能。わたしは、あなたのことが心配なの」
「ええ、シスター。僕のことがあなたの心を痛めていることに関しては、疑ったことはありません。感謝します。でも…」
Thank you. But, no thank you.
僕の後ろで扉が閉まる寸前、シスターの悲しげなため息が、また聞こえた。
一週間程のボランティアは、泊まり込みで行われる。そこは、大きな病院の院長が、治療代を払えない人達の為に作ったホームなのだそうだ。ホームの庭の中心には、巨大な菩提樹が植えられている。
「…なにかのシンボルなのか…?」
「全ての神にも、仏にも、ここにいる人達が見つけて貰えるように。その目印だそうだ」
後ろから急に声をかけられ、僕は慌てて振り向く。
「…ヤツら、目印がないと見つけられないんだそーだ。死にかけの人間の叫ぶ声が、聞こえないんだそーだぜ」
僕の姿が目に入らないかのように、彼は大木に触れた。反対に、僕の目は、彼に釘付けになる。
見たこともないような、太陽の光を跳ね返す金色の髪。瞳は、うっとりしそうな明け方の空の色。うすらと明るい夜明け色。
「神だの仏だのなんかに、声が聞こえてもなんにもならねェのにな。誰か手当をする人がいれば、その手を離さなければいいってだけなのにな」
彼は、木肌にじっと掌を当てている。そのまま、皮膚の薄そうな目蓋を落とす。
「…それを一番判っているヤツ等が、願うんだ。一番思い知っているヤツ等が、この木に触れては祈るんだ」
僕は一瞬見とれてしまったことを、気取られないようにと望みながら、吐き捨てた。
「その気持ちは判らなくもないけれど、どうしようもなく無駄な行為だな」
「ああ、無駄だな。気持ちが判っても、死んでもしねェけどな」
彼はようやく振り向き、僕の顔を見て面白くもなさそうに鼻で嗤った。
彼は僕たちと同じくボランティアに来た、近くのお寺の人だった。
信仰によらず、出来うる限りのことをしたいという病院の院長は、処世には長けた人物だそうで、ありとあらゆるところから助力を引き出すのが得意なのだという。
「今日は坊主で明日はシスターか。節操はないが、なりふり構わないところは気に入ったな」
「節操なんかクソくらえ、てなもんですね」
僕たちは共に庭の花壇の世話をする。どうやら彼も、あぶれ組のようだった。
「いちいちバカを相手にするより、一千万倍ラクだ」
「ああ。それは同意見ですね」
言いながら、炎天下の庭で花壇の前にしゃがみ込む。
雑草を引き抜き、咲き終わった花がらをひとつひとつ摘んで行く。季節の終わった一年草を株ごと引き抜き、別のポットから次のシーズンの花に植え替える。
「バカなヤツ等と仕事を組むより、全然気分がいい」
泥だらけの手で汗を拭うと、顔にくろぐろとした筋が付いた。
彼が泥にまみれてもきれいなのを見て、僕はほんの少しだけ意地悪な気分になった。それで深く根を張った雑草を無理矢理引き抜きながら問うた。
「痛くて苦しがって死んで行く人を目の前にするよりも?」
「目の前だと?」
真っ正面から見返す夜明け色の瞳。
「どこにいようが、同じなんだよ。見えようが見えまいが、苦しむ声は聞こえて来るんだよ。この雑草すら、声をあげてるんだよ」
僕の手の中の、枯れかけた雑草。
「生けとし生けるもの全てが、生命の声をあげてるんだ。眠りにつく声をあげてるんだ」
「じゃあ、なんで平気な顔で、雑草を引っこ抜けるんです?枯れかけで見苦しいってだけで引っこ抜かれる雑草の方は、たまったもんじゃない」
「…さあな。オレは割り当てられた仕事はこなす。それだけだ」
僕たちは、それきり口を利かなかった。そのまま、延々と続く花壇の手入れをし続けていた。
夕暮れ時になり、僅かに涼しい風が通るようになった。僕たちは黙ったまま、隣り合って顔を洗う。
「まあ、悟能!こんなに泥だらけになるまで!あの広い花壇の世話を、今日一日で済ませてしまうだなんて。…まあ、随分と疲れ切った顔をして…」
シスターが、山のような洗濯物を籠に抱えて通りかかった。
「あなたがこんなに頑張ってくれるなんて、わたしは誇りに思いますよ」
善良な女性が、善良なことを、喜びを感じながら言ってくれる。それがとても後ろめたかった。
「くすっ」
彼が横を向いたままで、小さくわらったのが癇に障った。
「ありがとう。ここは、生を終える人達ばかりだから…枯れて行く花々を見るのが辛い人も多いの。だから、いつでも生き生きとした花を咲かせている必要があるの。優しい慰めが必要なのよ、悟能」
籠を置いたシスターが、胸の十字架に手をやる。
「ありがとう、悟能。そちらのあなたも、ありがとう。…あなた達ふたりの上に、常にご加護がありますように」
彼は少し驚いた顔をしていたが、無言で両手を合わせると、深々と礼をした。
「…参ったな。シスターって、みんなアアなのか?このオレにご加護だってよ。沙門だって、気付かなかったのか?」
「…気付いたから『神のご加護』って言わなかったんじゃない?」
「ああ、そうか。言わぬが花、か。…宗教関係者ってのは、穏やかそうでいて、トシ取ってくるとみんなヒトクセになるもんなのか…?」
「お寺にもあんな人がいるんですか?」
「優しい顔して海千山千だぜ」
少し嬉しげな頬に、濡れた金糸が張り付いている。もう少しで、それを撫でつけようと手が出てしまうところだった。
「ねえ、先刻の…。声が聞こえてはいても、また別の声も聞こえるから、…それで黙って雑草抜きをしてたんですか?これから死に行く人達の為に、我慢して他の草を抜いていたんですか?」
「別に…。単なる割り当てだ」
僕たちふたりは、黙ったままで壁に寄りかかった。そのまま暫く寄りかかったままでいた。
視線の向こうには、庭の中央の大きな菩提樹。夕暮れの茜の色が、葉に照り映えていた。
「…付き合え。バケツに水持って来い」
「バケツ?」
突然のことに驚いたものの、僕はすぐに彼の後ろ姿を追いかけた。バケツを持って。彼は菩提樹の傍まで行くと、胸元から紙包みを取り出した。
「ここに来た日に、集めておいたんだ。花びらがしおれて数日で、種が熟すんだ。ほら、鞘がはじけてるだろ。適当に、この辺に播いちゃおうぜ」
彼は、芥子粒よりも小さな種を、ぱらぱらと播いた。
「花壇の花も、雑草も入り交じってるからな。無事咲いたらぐっちゃぐちゃだぜ?」
「芝生の中に入り込んじゃったら、除草も難しいでしょうね」
「いーんだよ。小さな小さな花ばっかなんだから。誰も気にしゃしねェよ」
彼が歩きながら播く種に、僕は水をかけた。掌に受けた水を、そうっとそうっとかけて歩いた。
「この木に祈りに来る者だけが、気付けばいい。小さな花が咲いていることに、気付けばいい。小さな花が枯れても、また小さな花がすぐに咲くことを、思い出せるようになればいい…」
名前も聞かなかった彼を、穏やかに微笑んで迎えに来た人がいた。
土まみれになった彼を見て、尚深く微笑んだ人の許へ、彼は転がるように駆けていった。
その姿を見て、僕はほんの少しだけ、淋しくなった…。
「……。おい。おい、八戒!」
「ふあ?…ああ、おはようございます、三蔵」
「ンだあ?いつ迄寝呆けたようなツラしてやがんだ!とっとと顔洗って来い!!」
「…ん、はい…」
つい、今し方まで夢を見ていた。その途中で目が覚めたのに、なんだか夢の続きみたいだ。
「おい?本当に目ェ醒めてんのか?」
「はあ…。夢見てたんですけどねえ。でも全然内容思い出せないんですよ。なんだろ、この辺まで出かかってるんですけどねえ…」
「くだんねえ。サッサと醒めやがれ」
「でも多分、きれいな夢だったんですけどねえ。うん、ちょっと切ない系かなあ…」
三蔵は、もう呆れてしまって目を合わせない。
その横顔を見て、微かに何かを思い出しかけたけれど。
でもまた、記憶の底にゆらりと沈んでいってしまった。
◆
◆
終
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甘くて切ないのにする筈だったんだけどな
「どーせよしきの書く八戒は、放っておいてもスケベに走るし」
とか思って安心してたんだけどな
子供八戒と子供三蔵じゃ、流石にどうしようもないか
書く前は、もうちょっとムヒヒなシーン想像してたんだけどな
子供だモンね、子供