陽炎 - KAGEROH 3 - 



 身を隠しつつ、八戒は戦闘地点へと近付いた。
 紅孩児、独角兒、八百鼡が、悟空と悟浄に対峙している。三蔵を守るために死にもの狂いになっている悟空と悟浄だが、紅孩児達の攻撃も苛烈を極める。

「許さねえ!三蔵を閉じ込めやがってェ!!絶対ぇ許さねえええええッ!」
 悟空の瞳からは火が吹き上がりそうだった。
 自分を500年間の孤独から掬い上げた、三蔵という存在。その存在こそが、今の悟空にとっては世界と同じ重さを持つものなのだ。打ち込まれる如意棒の打撃は、常のそれの何倍もの衝撃を与えている様だった。
 受ける紅孩児の眼も、鬼火を潜めた強さを持っていた。
 当たれば大地でさえも裂けたであろう如意棒の一撃を避け、紅孩児は八頭八尾の竜を召還した。八つの頭部から、それぞれ硫黄の炎を吐き出す。
 炎の舌が、八方から悟空を舐める。悟空も一瞬の内に八頭竜の懐に飛び込み、横薙ぎになぎ倒す。巨大な頸が落ち、鋭い尾がまた悟空を狙い討つ。
 同時に悟浄の錫杖も空気を切り裂いた。独角兒の長剣が受け、即座に打ち返す。
 剣戟の火花が、派手に散った。
 長剣を受けた悟浄は、躯を真後ろへ飛ばし力を逃す。着地と同時に地を蹴り、独角兒に向かって飛ぶが、独角兒も既に悟浄の真上へ飛び、鋭い一撃を打ち下ろす。
 続く火花に、金属の焼ける臭いが上がる。
 それぞれの間合いが開けば、八百鼡がすかさず爆薬で援護する。

 数の上での不利を、悟空と悟浄は強烈な怒りで乗り越えようとしている。悟空だけでなく、悟浄も八戒と同じく、黄金の光を切実に必要としている同志だった。どうしても失う訳には行かないのだ。旅の目的すら、三蔵の存在自体に依っているのだ。桃源郷全体の運命も、牛魔王の再生による恐怖の世界も、神も仏も関係なかった。三蔵の望む聖天経文の奪回も、もののついでの様なものだった。
 ただ、黄金の太陽を取り戻すために。黄金の太陽の下に、突き進む為に。その為に、今闘っていた。
 三蔵は、ひたすら何かに惹かれて歩いていた。一歩一歩がよろめきつつ、右腕を抱えながら歩く。岩に足を滑らせ、茂みに躯ごと落ち込む。枝全体を覆う棘が、三蔵の法衣も皮膚も引き裂いた。全身を襲う痛覚に、四肢を丸め、耐える。
 その呻き声を聞きつけた者がいた。三蔵に近付き、手足の縮められた躯を真上から見下ろす。
 急に陰った視界に三蔵は顔を上げるが、逆光で姿が見えない。顔の判らぬまま、その人物は三蔵の腕を引き上げ、躯を起こさせた。
 そのまま法衣を払い、残った棘を取り除く。刺さった棘を細心の注意を払い、引き抜く。頬や腕に滴る血を、手巾を取り出しぬぐい去る。

「ダメじゃん。こんなんでボロボロになってんのなんか、三蔵じゃないじゃん」
 手荒に金糸をはたいて、髪に絡み付いた葉を落としてやる。
 三蔵は手を伸ばし、手近にあった白い花を手折ると、その人物に差し出す。
「…全然ダメじゃん。こんなん、オイラの知ってるハゲ三蔵じゃないじゃん。こんなん、お兄ちゃんのやり方じゃないじゃん…」

 三蔵は、受け取ろうとしない李厘の顔の前で、くるくると花を弄んだ。白い花びらが光に揺れ、李厘の瞳から大粒の涙が落ちた。
 八頭竜の頸は悟空によって7つまでが落とされていた。
「紅孩児!全部落として、最後にはてめェの頸も落としてやる!」
 悟空は硫黄の炎に舐められ、落とした頸から飛沫いた体液にまみれていた。汚れきった顔の眼光が目の前の男に縫いつけられている。
「お前にも三蔵にも恨みはないが、どうしても俺は負ける訳にはゆかぬのだ!どうしても!」
 紅孩児のその声が、八百鼡には苦痛に満ちた叫びに聞こえる。
 常に正々堂々とした戦いを求める主の気質は判り切っている。羅刹女を救う為に、今までどれだけの辛酸を舐めて来たことか。それでも常に手段を重んじる主を、八百鼡は慕い切っていた。
「…でも。紅孩児様がご自分で決めた道ならば…私は従います。例えどのような道でも、踏み外していたとしても、付いて参ります…!」
 八百鼡は、光の呪縛を背に闘う悟空の足場を狙って爆薬を仕掛け続ける。
 その時、独角兒が視線を向けた。
「八百鼡!気を付けろ…!」
 声の主が叫び終わる前に、八百鼡の身体は後ろから八戒に絡め取られていた。
「八百鼡さん。すいません、あなたを傷つけたい訳ではないのですが…。今は何としてでも負ける訳にはいかないもので」
「…ええ、私も紅孩児様の為に命を惜しむつもりはありません」
 即座に舌を噛み切ろうとした八百鼡だが、一瞬早く八戒が鳩尾に拳を入れた。
「ぐ…紅、がいじ さま…!」
「八百鼡!!」
「紅!」
 同時に幾つもの声が上がる。
 くずおれた八百鼡の身体を羽交い締め、八戒が叫ぶ。
「さあ!!どうします!?封印さえ解いて頂ければ、八百鼡さんをこのままお返し出来ますが?その気がなければ、僕としても望みませんが…頭を吹き飛ばします!」
 八戒は八百鼡の頭を両手で挟み込み、身体を宙吊りにした。失神したままの八百鼡の顔が苦痛に歪み、足が揺れる。
「やめろッ!!」
 紅孩児が叫ぶ。
「たった今決めなさい!早く自分で決めないと、八百鼡さんはご自分で舌を噛みきるおつもりですよ!?」
「!!」
 紅孩児は、自分と母親である羅刹女の為に今まで流された血と、これから流されるであろう血の重さに、自ら絡め取られている。八戒は紅孩児のその弱点を突いたことを知らない。知らぬまでも、自分のひと言が紅孩児を留めたことに気づいた。
 八百鼡の身体を抱きかかえると、だらりと落ちた頭に掌を当てる。
「三蔵の呪縛を解きなさい!本当に吹き飛ばします」
 悟浄と悟空は、本気で八百鼡の頭を気孔で吹き飛ばそうとしている八戒の表情に気付いた。ここで紅孩児が譲らねば、八百鼡は無惨な姿をさらすことになる。そうなれば、どちらかが全滅するまでこの闘いは続くだろう。
「…紅ッ!?お前は…そんなことを本当に望むのか!?耐えられるのか!?」
「…八百鼡ッ…、独角ッ…!」
 紅孩児が、歯を食いしばりながら決断の声を出そうとした瞬間だった。
 白い光が現れた。
 傷つき、所々が引き裂けた法衣で、乱れた金糸で、それでも三蔵は眩しくその場に映った。左手は李厘の掌に取られている。
「三蔵!!」
「李厘!?」
 李厘が前に進み、凍った空気がまた動き始める。悟浄が舌打ちをし、独角兒の目が揺らぐ。八戒は八百鼡の頭部に当てた掌の力を強めた。
 紅孩児の凍結だけが溶けなかった。李厘の眼が、紅孩児を縛り付けていた。
「お兄ちゃん。…こんなん、駄目だよ。こんなん、お兄ちゃんじゃないよ」
「李厘…」
「誰かの血が流れる度に、お兄ちゃんが泣きそうになってるのなんか、みんな知ってるよ!でも、でも…こんなん、お兄ちゃんじゃないし、三蔵じゃないよぉ!!」
 三蔵の腕を強く掴みながら、李厘は涙を落とした。
「オイラは…母上への気持ちとか、よく判んないけど…。でもお兄ちゃんが、お兄ちゃんの母上を助けたがってる、その気持ちが好きなんだよッ!こんな、こんな…自分で自分が間違ってるみたいな顔してるお兄ちゃんなんか…オイラのお兄ちゃんじゃないやいッ!!」

 李厘は三蔵の腕にすがりつくようにして泣いていた。その李厘の顔の前に、三蔵が花を差し出す。花がまたくるりと回り、花びらが一枚散った。

「…こんなん…お兄ちゃんの倒したがってる三蔵じゃ…ない。絶対違う…!」
 八戒に抱え込まれた八百鼡が、呻き声と共に吹き返した。
「李厘、それでも…俺の為にこれ以上…!」
 紅孩児が途中で止めた言葉を、八百鼡が受けた。
「…それでも、私たちは後悔しないんです…紅孩児様…の為、だったら。それが重荷になると…判っていても」
 紅孩児の心が、血の涙を流した。
 李厘は、三蔵の腕を一瞬強く掴み、一呼吸おいて駆け出した。紅孩児に向かって。悟浄の錫杖と、悟空の如意棒の間合いの中を突っ切り、紅孩児の元へひと飛びで到着する。
「お兄ちゃんは、そんなもん、背負えるから!!」
 叫ぶと紅孩児の着衣の隠しから、水晶柱を奪い取る。
「李厘!!」
「そんなもん、オイラたちが一緒に背負うから!!こんなもん!!」

 光の軌跡を描いて、水晶柱が空へ飛ばされた。李厘の掌から火焔が飛び、水晶が包まれる。一瞬の業火に続き、澄んだ音と、きらきら輝く水晶の破片が周囲に降り注いだ。

 水晶の雨の下には、立ち尽くす三蔵。
 光の呪縛が輝きを納め、中からもっと大きな輝きが溢れ出る。宙に浮かび、膝を抱え込んでいた三蔵の精神体が、揺らぎ、瞳を開けた。紅く輝く額の中央のチャクラ。印を結び、唇が呪言を唱える形に動く。
「…おん、あびら、うんけん…そわか…おん、あ、ぼ…」
 茫然と輝く雨の下に立っていた三蔵の唇が、共に音を出す。
「きゃ…ま、に、はん……ウン!!!アビラウンケン!!!」」
 カッと眼を見開いた三蔵に、光が吸い寄せられ、包み込んだ。
 巨大な輝きが収縮すると共に、三蔵の人型が現れ、地にくずおれる。
「三蔵!」
「三蔵!!」
 悟空と悟浄が駆け寄る。
 八戒は八百鼡を離した。
「八戒さん…」
「僕らも、同じです。あの人の為なら後悔しない。…でもあの人に、これ以上の重荷を背負わせるつもりもない…。だからあなた達に手加減する訳には、絶対に行きません」
「…はい」
 そのまま、紅孩児達は、静かに立ち去って行った。その背中には、やはり血の十字架が背負われているように、八戒には見えた。

 光の止んだ世界に、静かに霧雨が降り出していた。太陽の薄明かりが僅かに透け、靄のように周囲を包み込む。
 雨が三蔵の白い頬にこびりついた血と泥を落とす。三蔵の金糸が張り付く額には、常と変わらぬ紅いチャクラがあった。
 眉が寄せられ、目蓋が震えた。
「三蔵!!三蔵!?」
 悟空の叫び。
 必死で求める、心の叫びが響く。その声に、三蔵が呼び覚まされて瞳を開ける。
「〜〜〜〜三蔵ぉ!!」
「…煩ェ…」
 三蔵は身動きしようとして、全身に痛みが走ることに気付く。
「クソ!てめェは相変わらず煩ェんだよ。…畜生、痛ェな…ハリセンも飛ばせやしねェ…」
 しがみつく悟空に、三蔵は悪態を付く。
「痛ェんだよ!!てめェ、離せ!ブッ殺すぞ!!…おい、八戒、何とかしろ!」
 悟浄と八戒が顔を見合わせる。
「やっぱ2割り増しだったな」
「その様ですねえ」
 三蔵は右手首の異常を訴え、自分で手甲を外した。関節の脱臼に紫に腫れあがった手首は、すぐに八戒の治療を受ける。
「…おい。これは何なんだ」
「あ…。やっぱりばれちゃいましたねえ」
 両手首に食い込んだ縄痕に気付いた三蔵は、不機嫌な顔になる。
「…お前、本当にやったんだなあ…」
「言い出しっぺは悟浄でしょう?」
「おお!?俺の所為にするかぁ!?」
 八戒は、魔天経文を守る為だったと説明して三蔵の攻撃を反らす。そのまま経文を返すと三蔵はやっと人心地ついたようだった。一方、八戒の度胸に感心した悟浄だったが、自分に責任が及びそうになり逃げ腰になる。三蔵はそれに冷たい視線をやると、また眼を閉じた。
「三蔵、どうしました!?」
「…オレは…疲れた。暫く寝かせろ。起きるまで悟空を黙らせとけ」
「なんだよお!俺、本当に心配してたんだかんなっ!」
「…おい、三蔵。お前がイッちゃってる間、サルのお守りしてたの主に俺なんだからな。ちゃんと起きるんだろーな。飼い主の責任、全うしろよな」
 三蔵は眼を閉じたまま、鼻で笑った。
「…フン。てめェら全員煩ェからな。おちおち眠れやしねェんだよ…」
 そう言いながらも三蔵は、深い眠りに落ちた。

 三蔵の規則正しい呼吸を確かめて、悟空は深く息を吐き出した。それと共に、一粒の涙がこぼれ、天を仰ぐ。雨が全てを真新しく洗い直す。

「帰って来たんだよな。無事に帰って来たんだよな。雨がやんだら、また太陽が顔出すんだよな。…また歩き出せるんだよな」
 八戒と悟浄が、交互に悟空の頭を、撫で、はたいた。同意の印だった。
「なァんだ、取って来られなかったんですかァ、経文?期待してたんだけどなあ」
 吠登城に戻る紅孩児達を、ニィは薄ら笑いで迎えた。
 八百鼡がツカツカと近寄り、手を振り上げるが反対に掴み取られる。
「私は…!あなたを許しませんからっ」
「…おやァ。ちゃんとお仕事も果たせない様なコが、ナニ言うのかなァ?王子サマのお手伝い、頑張ってくれないと…その内キミも王子サマのお荷物になっちゃうよォ?」
「!!」
「八百鼡。行くぞ」
 紅孩児は無表情のままでニィ・健一の前を通り過ぎた。
「あンら、疲れちゃったのかなあ?」
 面白くもなさげにうさぎの縫いぐるみの前足を動かし、紅孩児達の後ろ姿に向かって「バイバイ」をする。
「うぉっと!」
 全員が行き過ぎたと思い見送るニィの後ろに李厘がこっそりと忍び寄り、膝の後ろに蹴りを入れ、ひっくり返す。
「お前なんか…アッカンベーだ!」
 それだけ言うと、一行に向かって軽快に走り出す。床に転がったままのニィは、またうさぎの前足を振る。
「ばいばーい、お姫サマ。…でもそのうち、仕返ししちゃうよーお?」

 長い廊下に、ニィの神経質な笑い声だけが、響き渡った。














 終 







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4444HITありがとう、おめでとうのリクエストで、「TMR-e楽曲イメージ」です
アルバム「Suite Season」を聞きながら
「映画のテーマソングや挿入歌みたいに、このアルバムが似合うような感じに…」
と、思いつつ書いてました
ダイちゃんの曲、西川君の声がBGMと思っただけで、気分だけは壮大で切なくなったんですが
力足らずの舌足らず…^^;

で、最初は八戒イメージアルバムだったのが、後半、八百鼡ちゃんのイメージにも
なって来たり、して…
楽しんで書けました。
どらっちーvありがとねー捧げまーす