I WISH 

 目の前に純白の光を反射する壁が落ちてくる。
「三蔵ーーー!!」
 叫び声。呼び声。囚われた人の姿が残像に残る。





 雪山を越えて行こうという旅路。悪路にジープが音を上げた。
「寒いところはジープだって嫌いですよ。本物の自動車だってアイドリングに時間がかかるんですから」
 八戒は、自分のマントにくるみ込んだ鱗と羽毛で出来た動物を撫でながら足を進める。常温動物らしく暖かい。純白の羽根が雪の様に陽光を反射する。

 一面の銀世界に、澄み渡った蒼天。光に溢れる世界に、突然甲高い悲鳴が響いた。
「何処だッ!?」
 遠くに妖怪の一団が見える。どうやら人間の母子をさらって行く途中のようだ。
「三蔵、追いましょう」
「チッ、遅れついでだ。しょうがねェ…」
 全員で妖怪の集団が消えた林に向かう。
 遠距離に有効な武器は、三蔵の銃と八戒の気孔だ。人間の親子には当たらぬ辺りに、ふたりして連発するが、妖怪達は反撃には出ずにどんどん林の奥へと向かうばかりだった。
 やがて高くそびえる絶壁に追いつめた。
「手間ァ取らせやがって」
 三蔵は、最後のひとりを撃ち殺した時には、足場の悪い雪の中を全力疾走したせいで少し息が上がっていた。
 三蔵の目の前のふたりの親子は、固く抱き合い壁際に張り付くようにしていた。まだ若い母親は、眼球が飛び出しそうな程目を見開いている。白目に血管の浮き出た眼球。恐怖に血の気が引き、真っ青な唇が噛み締められている。子供の両肩に置かれた手にも力がこもり…
「どうした?動けんのか…?」
 三蔵は母親の首にしがみつく子供の様子を見ようと近付いた。
「ヒイイイーーーッ!!」
 その瞬間、母親の指が鷲掴みの形のまま固まり、目や、口、鼻、耳から何かが飛び出し、三蔵の躯に巻き付いた。
 乳白色のぬるぬるした触手。それは三蔵に張り付くと、ぶよぶよと膨らみ包み込む。
「ぐは…っ!」
 急激にかかった圧力に、内蔵から押し出された声は、途中で遮られる。半透明の軟体の壁の中で、口から溢れるのは空気の固まりだった。
「三蔵!?」
 ずたずたになった母親の躯を放り捨てる、子供。その子供の口腔から、触手は延びてきていた。八戒はすかさず気孔をぶつけようと狙うが、三蔵の躯を盾にされる。
 にぃ。
 子供が嗤うと、頭上の巨大な雪壁が音を立てて滑り落ち……
 三蔵の姿は、雪煙の向こう側に、消えた。





 重たい水の中でもがくようだ
 自分の躯を包み込み、押し潰す液体、軟体
 目を開けてみると、薄ら蒼い世界が回りにある
 にゅる
 感触が変わり、圧迫感が増す
 ロクに手足も動かせぬままで、軟体は喉を押し開き、耳の奥まで入り込む

『ヤ・メ・ロ・!』

 グロテスクな感触と、犯されるような恐怖に躯が縮こまりそうになったが
 やはり、躯を動かすことは出来なかった

「ムダだよ。暴れても。大丈夫、息は出来るから」
 言われて三蔵は気付く。息苦しくはない。喉から気管、肺に入った軟体は、液体の様に形状を変えたのか。酸素を多く含んでいるようだ。それなのに、自分の口腔の中で蠢く感触がある。

 ずるり

『ヤ・メ・ロ・!』
 生理的な恐怖を起こさせる感触だった。
「くすくすくす」
 三蔵の目の前で子供の様子が変化する。人間の子供の皮膚の質感が、半透明で不定型な物体へと。かろうじて人型の様に直立しているが、ゆらゆら、ぷるぷると震え、揺れている。
「駄目だよ、みんな殺しちゃうんだもの。僕困っちゃうよ。誰もいなくなると」
『テメェ、何者ダ!?ココハドコダ?他ノ奴ラハ…?』
 三蔵には自分の声が、水中で聞こえるように、耳に届く。ぶるぶると鼓膜に響く。気持ちが悪い…。そう思う。
「ここは、さっきの崖の裏っかわだよ。細い洞窟で続いてるんだ。他の奴ら?知らないよ。入り口通れないんじゃないの?僕のお友達はアンタタチがみんな殺しちゃったでしょ?」
 ぷるん、ぷるんと震えながら、その物体は幼い口調で続ける。
「そして、僕は。僕は…。ボクハ、ぼく・わ…」
 口調が変わる。
「ぼ、くは、何者 DEもナ・イ。僕ワぼく。最初カラ僕。ボクはたったひとり。最初からこのまま。ズット永い間」
 ふるん、とそれは震えた。そしてまた形状を変え出す。
「僕はズット前からここにいる。永い間。何万年か、ナンオクネンか。記憶があるトキも、ナイ時もある。たったひとりのソンザイだ。僕には形がない。だから、なんにでもなれる」
 それは、背が高く、細くなって行った。自分と同じカタチになったそれを見て、三蔵は不快感を眉間辺りに漂わせる。
『ナンノツモリダ?テメェハ妖怪ジャネェノカ?』
「違うな。妖怪はてめェらがみんな殺しちまったじゃねェか。オレはオレだ。奴らはオレのことをカミと呼んでたがな」
 口調まで三蔵を倣っている。否、同化したのか。
「オレは永い間ここにいるからな。ニンゲンも妖怪も生まれる前からだ。獣が生まれる前から。自分と同じようなモノには、未だ出逢ったことはないがな。本当にたったひとりなのかもしれん」
 三蔵の目の前で、自分と同じ顔の男が嘲笑うかの様に洞窟の天井を仰いだ。
『バケモンカヨ。カミデモ、バケモンデモ、ドッチデモイイ。サッサトオレヲ解放シロ』
「駄目に決まってんだろ。案外アタマ悪いな。オレはタッタヒトリだと言ったろう。オレは淋しいんだよ。永い間、淋しい存在だったんだよ。オレのオトモダチをみんな殺しちまったのはてめェだろ?諦めるんだな」
『ケッタクソ悪ィ。他人ノセイニシヤガッテ。妖怪ノ他ニモ、サッキノ女モイタジャネェカ。自分デ食ッチマッタジャネェカ』
 目の前の《三蔵》は、切なげに笑った。
「ああ。この前の姿のコドモが、ハハオヤの姿を求めたんでな。ハハオヤの記憶を吸い取ろうと思ったんだよ。タマにはああいうのも、いいな。今、ふたりともオレの中で笑ってるぜ?」
 《三蔵》は、自分の胸の辺りで両手を重ねた。瞳を閉じて微かに唇をほころばせる。
 その表情は、寺院の菩薩像の唇の角度を思い起こさせた。
「残念ながらな、沢山記憶を集めても長持ちしねェんだ。繰り返し、繰り返し反芻してるうちに薄れて来ちまうしな。五年の生涯なら、五年。百年の生涯なら、百年しか持たん。オマエの記憶も、見せてみろ」
『テメェ、ナニスル・・・ヤメロ。ヤメロ!』
 耳孔から入った何者かが、延びたり縮んだりしているのが判り、三蔵は全身を逆立てた。
『ウ・・・ア・アァ…ッ』

 瞬時に、様々な過去の光景が蘇る。現在の旅の同行者達の顔。先ほど自分の拳銃で吹き飛ばした、妖怪の最期の顔。長安での僧達。金山寺の庭の大銀杏が風に揺れる瞬間。大事な人の笑顔。末路。秋空。
 どんどん遡って行く様だった。脳裏に映し出される記憶の、自分の目線の角度がどんどん下になって行く。床が近くなり、視界が狭まる。
『…ヤメロォ!』

 遠くからやってくる姿。自分に近付き、腰を屈める。自分の位置が急に高くなり、抱き上げられたのが判った。逆光で明らかではない表情は、それでも笑顔であることが自分にははっきりと理解出来た。

「オマエ、何も泣くことはねェだろ?どっこも痛くはしてねェはずだぜ?」
『テメェナンカニ、勝手ニ弄クッテ貰ッチャ困ルンダヨ』
「どうした、怒ってんのかよ。まだまだ続きあるぜ?てめェも覚えてないような記憶が、オレにはまだ読み取れるぜ?オマエも一緒に見たくはないのか?」
『他人カラ見セテ貰ウ記憶ナンザ、当テニナラネェンダヨ。コノオレガ他人ニ勝手ニサレルナンテコタァ、アッチャナラネェンデナ』
「チッ。てめェ、いい加減カタブツだな。煩ぇ。これからいい所だと思うんだがな」
 三蔵がまた内耳に変調を感じた時には、意識が飛んでいた。

「折角楽しい所を一緒に見ようと思ったんだがな。ほら、ハハオヤ、いるじゃねえか。川に流すとき、泣いてるんじゃねェか。可哀想にな。ほら、腹ん中でも聞こえてたろ?おかーさんもおとーさんも酷ぇ目に合って…オマエを生かそうとしてくれてたんじゃねェか…。生かそうと……」
 《三蔵》が、ひとりつぶやく言葉だけが、洞窟内にこだまする。





「あ?まだあるぜ…。…ほぅ。なんだァ。てめェ、ずっとずっとひとりじゃねえんじゃねェか。けッ。羨ましいじゃねェか…」






 静かな洞窟で、それはたったひとりで過ごして来た。タマに誰かに出逢う。怖がられることもあり、神と崇められることもあった。それらが幾度ともなく繰り返され…。

 それでも、やはりひとりであった。

「なあんだ。てめェ、羨ましいじゃねェか…」

 爆音と、圧倒的な陽光が一瞬にして洞窟内を満たした。

 《三蔵》のカタチをしたそれの腹に、棒が突き立てられる。それが「如意棒」であることが判った。
「なあんだ。もう来ちまったのかよ。仲いいのなァ」
 《三蔵》のカタチをしたそれは、如意棒の先端を、腹の表面で受け止めることをやめた。
 ずぶり
 表皮の部分を突き破り、反対側に突き抜ける瞬間《三蔵》は仰け反り、そして、微かに形状を変化させてみようかと思った。そして唇には微笑みを浮かべてみようかと思った。

 自分の躯を包んでいた物体が急に圧力を失い、三蔵は意識を取り戻した。動ける。軟体が液体になり、自分の躯が一気に流されて行くのが判った。ぷるぷるした嚢の様なモノから、急にむき出しの岩の上に投げ出される。
「…ゲホッ、ゲホッ。ゲエッ…」
 気管から幾らでも出て来る液体にせき込み、ぼやける視界で三蔵はそれを見た。先ほどまでの、自分と同じ顔の…男…おんな…?
 顔つきが少し違う。大きな乳房。微笑んで差し伸べる…手のようなものが、溶け落ちた。





「三蔵!」
「三蔵、無事か!?」
「けがは無いようですね」
 三人三様の声が掛けられる。吐きながら、三蔵はそれ、を見続ける。
 乳白色の引き裂かれた物体。水分を流出させ、どんどん体積を小さくしている。やがてぷるぷるした固まりになった。核、の様なものが中心にある。
「三蔵、コイツまだ生きてんのか?」
「妖怪…とは、違うもの…ですか」
 さあな、判らん。そう答えようとして、まだまだ喉の奥から液体が出て来るのにせき込み、胃液ごと吐き出す。べとべとと、顔に髪が張り付く。涙と鼻水まで出た。

 これと同じ状態を、遙か昔に体験してたんじゃないのか?オレは。いや、誰でも。
 生まれ出る時に。
 肺に満たされていた羊水を、全て吐き出す為に。
 生まれ落ちた、最初の声を上げる為に。

「てめェっ!痛ェんだよ!!加減しやがれ!」
 最初に出た言葉は、背中を叩く悟浄に対する罵倒だった。
「うわっ、コワ。こっちゃ、心配してやってたっつのに、ナニ!?」
「俺達ね、珍しく共同作業したんだぜ!一斉に同じ所狙ったりとかさ。えらい?」
「如意棒って、テコに使うと便利なんですねえ。感心しちゃいましたよ」
 暗かった洞窟内に光が満ちる。「細い洞窟」が続いていた筈だったが、すっかり分厚い岩盤が破壊し尽くされているらしい。よく全体が潰れなかったものだ、と三蔵は思った。
「潰れそうになったら、ちゃあんと僕が気孔で障壁を作る予定でしたよお、三蔵」
 無言の視線の意味を悟ったらしい八戒が笑顔で答える。
「で。どうしますか?コレ。トドメ刺しちゃいましょうか?」
「俺、刻んでやるぜえ?なあんかイイ所なくってさあ…」
 またせき込む三蔵に、八戒が耳を寄せようとする。
「放っておけと、言っているんだ!!」
 そのまま、ふらつく足で立ち上がる。歩き出そうとして、それは流石に八戒が横から躯を支えた。急に風が冷たい空気を運び込み、三蔵は振り返る。
「これだけダメージ喰らえば、当分復活出来ねェだろ。放っておけ」

 …当分オレの前に、出て来ることはねェだろ
 何百年か、そのまま休んでろ
 そうさ、この馬鹿ザルだって、五百年は大人しくしてたんだからな
 オマエもそのくらい、静かにしてな

 それは、ぷるっ、と震えた。






「で、あれは一体なんだったんですか?」
「…さあな」
 言葉と一緒に、煙が口から上がる。
 ゆらゆら
「オレには判らん」
 手元の煙草からもひと筋。
 ゆらり
「三蔵サマでも判んないことってあんのね、やっぱ」
 人の悪い顔で笑う、隣の人物からもひと筋。
 ゆらり
「でもさ、本当に三蔵無事でよかったよ。あそこであれ以上時間取ってたら、腹減って動けなくなるところだったよな!?」
 ちょろちょろと自分の目の前を言ったり来たりする人物。

 スパーーーン!

「人の目の前を歩くんじゃないッ!!」

 自分の声が、雪山をこだまする。




 自分のこだまを聞きながら、思う。
 自分のこだましか聞こえなかった、
 他の人の声を聞きたがった、それ。

 珍しい感情が、自分にわき上がった。

 可哀想…なのかも、しれなかった。
















 終 







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