CHEAP HEAVEN 



 よくいるチンピラだった。
 自分が不安で、虚勢を張って、自分より少しでも弱いモノを見つけると吠えかかる。
 少しでも自分を優位に立たせたくって、片足を一生懸命高く上げてマーキングするイヌみたいな奴らだった。
 てめェら、からっぽ
 てめェら、自分がキライなんだろ
 なぁ?てめェら、なんで生きてんだ?
 せめて相手をよく見極めるオベンキョウぐらいはしてみせろよ?




「てめェが最後だ」
 流石に暗がりで絡んできたチンピラ風情に、弾丸を叩き込む気にもなれない。たまに手加減しながら銃把で殴り付けただけだ。5、6人もいた目つきの悪いチンピラ共はとっくにおネンネしてる。
 襟元を掴んで銃口を口の中に突っ込む。カチリ、と撃鉄を起こしただけで、そいつは失神した。
「…チッ。くだんねェ奴ら」
 放り出そうとした時に、上着の内ポケットから包みが落ちた。薄い紙で包まれた、干からびた草。記憶の底に蘇る匂い。拾い上げると、懐にしまい込む。
「くっだんねェな」
 曇天の湿り気が、今にも落ちてきそうだったから、その包みを捨てることが出来なかった。本当にくだらない、オレ。




 寺院の薄暗いだだっ広い伽藍で、大仰な仏具に囲まれて只ひとりの響き渡る読経を聞いたりすると、耳の底に韻々とこだまが残る。
 天井の高い伽藍で、何百人もの僧侶が一斉に経を上げると、頭が痺れるぐらいにまでこだまする。
 護摩を焚いてけぶる暗がり。自分の頭の中まで韻々と残る真言。宗教的陶酔状態なんて、簡単に作り出せる。そう、信じていなくったって陶酔は訪れる。
 この手の陶酔感はオレには馴染み深いモノだった。
 薬物常習者が乞食同然で寺に転がり込むなんてこともよくあった。ひとりで旅を続ける最中、邪教集団だのが薬物を使った陶酔にひたる姿も見た。オレの姿を見て、馬鹿みたいな顔をさらしてブツをちらつかせる屑もいた。
 叩き出した。奴らの宝具を叩き壊した。血塗れにした。
 そんな中で、オレはたまに香りを嗅ぐくらいの楽しみを覚えた。

 雨の夜くらいは、別に構わねェ。オレの自尊心はとても卑怯者なので、好きな時に出たり消えたりする。




 一旦、奴らが集まっている筈の食堂に足を向ける。煩わしい。
「お帰りなさい。煙草、買えました?遅かったですね」
「ああ」
 返事になっていない返事。どうせいつのオレもこんなもんだろ。
「ん?降り出してきたの?雨」
「ああ」
 僅かに髪が湿る程度の、それ。夜空が低く立ちこめていたのが脳裏に浮かぶ。肩を叩いた感触も。
「寝る」
 ひとことだけ言うと、自分用に確保した部屋に行く。肩に蘇った感触がそこから腐食してゆくみたいに広がって行く。早くしなくては。腐食がオレのからっぽな躯を全部食らい尽くす前に。今夜は逃げ道があるのだから。

 扉を閉める。錠を降ろす。ガラスの灰皿に、包みの中からひと筋干し草を出して入れる。雨の夜は長いので、ゆっくりとけぶらせる。自分の煙草の火を近づけて、軽く燻す程度に。
 干し草は音も立てずによじれながら灰になる。か細い筋となって天井に向かう。
 紙巻き煙草の匂いと、甘い純粋な草の匂いが混じり合う空気を少しずつ吸い込む。
 ガラスを叩く雨音が段々強くなってきたので、オレは自分の手荷物を全部抱え込みながらベッドに寄りかかった。手の届くところに飲みかけのバーボン、マルボロ三箱、灰皿、灰皿を開けるトラッシュ、…grassの包み。放り出したオレの足の回りに全部置く。
 肌寒くなったらベッドの毛布をそのまま引っ張ればいい。このまま床に転がろう。

 また、ひと筋の干し草をくべる。
 多幸感がやってくることを期待して。
 オレの脳味噌がくだらない過去を振り返り出す前に。
 全能感がやって来るか?聴覚が敏感になり過ぎる前に。天井の上の屋根を叩き、オレの部屋の窓ガラスを叩く雨が、肌に当たっているかのような感触までし出す前に。
 顔を叩く雨の冷たさや、髪をぐっしょりと濡らし頭皮を伝う感覚が蘇ってくる前に。何か楽しい思い出でもないか?あの人の優しい顔がオレを見つめたことを、取り戻せないと判ってしまったあの時以前の記憶。最後まで息を引き取る間際までオレのコトを心配してたあの人のコトバやすべる血や段々冷えて行く躯や。血にまみれたオレの手が冷たくなって行き、雨の冷たさがいっそ氷の様で。
 感覚が冴えて来たのか、空気が動くのを感じる。干し草をひと筋ずつけぶらせるのも億劫で纏めて灰皿に開ける。火のついた煙草を押し当てて、少しずつ燻す。
 それなのにオレの掌は雨音を感触に変化させる。その冷たさまで。甘い草の香りに交じって血液の香りが蘇る。匂いの元はあの人の胸に引き裂かれた跡で法衣を破り皮膚を引き裂き骨を露出させどんどん流れて行き滴ったのでオレは何とかそれを止めたいと傷口を押さえたり流れる血をすくい取ろうと一生懸命に泣きながらあの人の名前を呼んで「お師匠様、お師匠様」「なんですか、江流」「こんなところでさぼってないで」「ほら紙飛行機」「きれいなだいだい色と青空ですね」「青空に紫煙が昇る」あの人の躯も荼毘に付されたのだろうかオレは見てはいないけれどあの人の躯を焼いたらきっとその煙は天高くまでどこまでもどこまでものぼる…………



「おい、三蔵」
 舌打ちが聞こえる。悟浄の。でもオレはどうやらバッドトリップで逃げたい記憶にからめ取られて動けないこの感情は弱くてキライだキライだ全部キライだチンピラどももオレもくだらない屑屑屑。
「三蔵!」
 今度は八戒の声まで聞こえる。窓を開ける音がした。湿った空気が流れ込んで来る。オレの感覚は未だ研ぎ澄まされたままだ。いや、研ぎ澄まされている、というのが幻覚なんだそうだ。単なる気のせい。
「だからこのバッドトリップも気のせいなんだ早く覚めないとな」
 ああ?オレの口は今勝手にコトバを紡ぐ頭の中だけで納めておかないとな、心配性でお節介な奴ら、匂いドアの外までしてたのか?鍵、壊されたのか?躯は自由に動くんだが何故こんなに暗い?目を開けると明かりがともされているのでターキーの瓶に手を伸ばしてそのまま呷ると喉まで濡れてしまったかもしれないが
「水飲ました方がいいかもなあ」
「一体大麻なんてどこで手に入れたんだか、三蔵は」
 喉を伝うアルコールが冷たくて気持ちいいので一番手近な首に腕を伸ばす引き寄せる首に頭を埋める。
「お師匠様」
「おぉい、八戒ィ。これ、離してくれよ。流石に死んだ人間と間違われるのは俺だってヘヴィなんだから」
「満更でも無いクセに」
「俺はお前のその目が一番コワイんだけどなあ。折角の美人台無し」
 自分の躯が引き離されるのが判って、とても淋しかった。
「お師匠様ぁ…」
 お師匠様を呼ぶ自分の声は、こんなに甘ったれていたんだろうか?親しい人に呼びかける情愛とかこもった声。殆ど忘れかけてた。懐かしい。
「お前ね、そんな風に呼んでくれるんだったら正しい名前で呼びなさいね。悟浄よ、悟浄!俺は悟浄!!」
「悟浄ぉ」
「八戒、やばい。色っぽ過ぎるからマジ引き離して。ほら、コイツ今おかしいしさ、睨むなよ八戒…」
「八戒ぃ…」
 一旦無理矢理の力で引き離されたので、少し抵抗して何か掴もうと俺の指は動いて髪に触れるのは誰の髪なのか首に続けて手を流すと今度こそ引き離されないように力を込めて…
「はいはい、ここにいますから。逃げませんから」
「…八戒…」
「僕はここです。何かすがるモノが欲しければ必ず傍にいますから」
 力強く抱きしめる腕を感じる。
「…ひとりで泣かないでください」
 オレは泣かない、すがったりしない。逃げ出したかっただけのオレの卑怯さ。目の前で無くしたモノの大きさをどんどん判り行く悲しさ。涙も出ないような。




 雨がまた降ったが、それはもう冷たくなく却って暖かで、熱くさえあって
 オレの流せない涙を誰かが流してくれていると判ったので
 雨の冷たい腐食ではなく、暖かさがそこから広がってオレのからっぽを埋めて行く

 誰かが部屋を出て行く足音がしても、躯を支える腕はなくならず
 オレは安心して眠りにつく

 躯を包む腕の力は益々強くなり
 オレは安心して眠りにつく
 気付くと雨音はもう聞こえない…










 終 








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うん、次こそ明るくてさわやかなの書こう
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