Faraway… 




 遠き日をおもひだす、あかね雲。
 たはむれに紙ひこうきとばせど、過ぎし日はかへらず、
 目に見ゆわが手は、おさな子のやわらかさ失へり。
 ひらりと舞い飛び、落ちる紙飛行機。
 買い出しから戻った八戒は、天から落ちてきたそれを拾い上げた。宿屋の2階の窓辺には、法衣の後ろ姿と上がる紫煙。窓枠に腰掛け、空を見上げている。
「三蔵!」
 声をかけられ、僅かに顔の角度を変える。
「珍しいことして遊んでますね」
 紙飛行機をひらひらと振ると、露骨に不機嫌な顔で室内に引っ込む。
「おやおや、ご機嫌斜めですね」
「空見てたな。紙飛行機、ずっと前に三蔵に作り方教えて貰った」
 荷物持ちの悟空が八戒の手許を覗き込む。
「普段、三蔵ってばすぐに怒るじゃんか。これ作ってる時の三蔵、すっごく優しかった」
 そのまま、唇を尖らせ幼げな表情になる。
「…優しかったけど…。でもそれって、俺に優しかったんじゃなくってさ…」
 途中で止めて、八戒を振り返る。
「荷物、早く持って行こうぜー!重たいし、早く飯食いたい!」
「はいはい。頑張ってくれたから、今日は美味しいもの沢山注文しましょうね」
 八戒は苦笑しながら、悟空の後に続いて宿屋の門をくぐる。茜の空を滑って飛んだ紙飛行機と、それを手放した時の、揺れた白い袂の残像を思い描きながら。
 八戒が部屋に入った瞬間に、三蔵と共に留守番をしていたジープが飛んで来て、肩にとまる。機嫌よさそうに、また飛び立ち、宙を切る。白い羽毛と鱗で出来た小さな動物は、軽やかに、ひらりひらりと部屋中を飛び回る。
「あんだァ?ジープ、エライご機嫌じゃん」
 くわえ煙草の悟浄が室内に戻って来た。
「悟浄、どこ行ってたんですか?」
「…まあな。ここの宿屋の娘がさ、結構なナイスバディだったのよねー…。思わず親交を深めちゃったわ」
 筒に丸められた新聞紙が三蔵の手から飛び、頭に当たる。
「バカが。教育的指導だ」
 悟空がけらけらと笑いながら悟浄の手許を覗き込む。そこには、幾つも、幾つもの白い紙飛行機。
「あー、これぇ…」
「そっだぜ。2階の窓からふーらふら際限なく降って来やがんの。誰が教育的指導だぁ?お外にゴミを捨てちゃいけねえって、寺じゃ習わねーのかよ」
 無言のままの三蔵に、八戒は苦笑しながら荷物を置きに部屋の隅へ行く。そこで目に入ったものは屑籠一杯の…。
「三蔵ー、こんなに折ったの?」
 拾い上げた山ほどの紙飛行機に、悟空が流石に呆れ声を出す。
 部屋に備え付けのメモ帳が、残り数葉になるまで飛行機に折られていた。紙飛行機を手に持つ悟浄、悟空、八戒と、飽くまで知らん振りの三蔵の間を、ただジープだけがくるくると飛び回る。

 ばさ
 新聞がめくられる紙の音。三蔵の姿はその向こう側に隠れてしまう。
「別に…ジープが喜んだから、折ってやっただけだ。別に意味はない」
「あーそっかー。白くて飛ぶものだから、自分のトモダチだと思うんだな?」
 面白そうに自分も飛行機を飛ばし出す悟空に、悟浄と八戒は思わず吹き出す。
「…なんだよ」
 涙を流しながら笑う悟浄に、悟空は鼻にしわをよせた。
「…だァってよ!紙飛行機…ジープが自分で飛ばせると思う?誰が飛ばしてたと思う?…くっくっく…。この仏頂面坊主が、小さなケダモノ相手にヒコーキ飛ばして遊んで…うおッ!!」
 銃声と共に、普段よりも髪の毛一本分近い場所に、銃弾が飛ぶ。
 見れば新聞の真ん中に、黒こげの丸い穴。読みかけの新聞から目を離さずに発砲したらしい。
「…静かにしろ。落ちつかん。学習しろ。…因みに、このコラム読み終わるまで目を離す気はないからな」
 言いながらも続く銃声に、悟浄は床の上を跳ねたりしゃがみ込んだりで避けている。
「『死の舞踏』と呼ばれるものだな」
 などと思いながらも、とばっちりを受けそうで八戒までもが逃げ腰になっている。
「三蔵!わーった!もう言わねーってば!!お前がお優しい顔してジープと戯れてる図なんか、二度と想像しねーから…わーーーーッ!」
 真剣に生命の危機を感じたらしい悟浄は、悟空に一声掛けて階下の食堂へと逃げ出した。
 室内に薄らと漂う紫煙、火薬の臭いは、すぐに開け放たれた窓からの風に吹き飛ばされる。
「なあ、三蔵」
 悟浄の後を追って食堂へ行こうとした悟空が、ぽつりと言う。
「…俺もジープも…紙飛行機、好きだよ。ずっと前に折ってくれた時の、三蔵も好きだ」
 「まだ言うか」という顔で、三蔵は新聞を畳みハリセンに手を伸ばしかける。
「三蔵も紙飛行機、好きだろ?」
 意外な言葉に目を見瞠る。
「…好きなんだろ?」
 返事も出来ぬままの三蔵を置き去りに、悟空は翻るように部屋を出た。
 静けさの支配する室内に、ばさりと新聞の投げ捨てられる音がした。八戒の抑えた笑い声が続く。
「…くだらんな」
「でも、悟空の言うことは合ってるんでしょう?」
 八戒は三蔵の真向かいに椅子を移動し、座り込んだ。その手には、白い紙。ゆっくりと折り始める。
「さあな。…でも…」

 昔は好きだった。
 青空に橙の紙飛行機を飛ばしてくれた人が、好きだった。
 もっと、もっとと、せがみたい気持ちだった。
 幾らでもそのきれいな色の取り合わせを見ていたかった。
 いつ迄も。
 茜色の差す部屋に、ジープが白く光りながらよたよたと飛んでたから、
 それもきれいだろうと…。

 幾らでもいつ迄も飛ばして欲しがった、あの頃のように。
 八戒はきっちりと折り上げた紙飛行機を目の高さに持って行く。 
「どこまでも、どこまでも。飛んで行け」
 ジープが嬉しげに八戒の周りを飛ぶ。夕日色を映し込む、きれいな動物が戯れる。
「三蔵」
 腕を引かれて窓辺まで行く。
「ジープに飛ばしてくれたんでしょう?…今度は僕があなたに飛ばしてあげますよ」
「…バカか?」
「いいじゃないですか。僕も紙飛行機、大好きですよ」
「本当にバカだな」
 呆れ顔を作る三蔵の手を八戒が取る。ふたつの手を重ねて飛行機を飛ばす。
「ほら、行きますよ。せーの…」

 ひらり、白い袂が夕日に翻る。
 ひらり、重なる手からはなれた紙飛行機が空を滑る。
 ひらり、ひらり、白く小さな動物が、それを嬉しげに追いかける。

「きれいですね。茜の空に、白い紙飛行機」
 広がる世界の青と、優しさの橙を教えてくれた人の微笑みが、蘇る。
 柔らかく眠りを迎える茜と、無垢の白をきれいだと、目の前の男が微笑む。
「…ああ。そうだな」
 素直に、きれいだと思える。
 ジープが戻って来て、催促するように三蔵に鼻をこすりつけた。
「ああ、またな。また飛ばしてやるよ」

 茜の世界の中で、無垢な光が笑った。
 はかなさを失ひし手はつよさを得、ひるがへり。
 紙ひこうき、遙けく。
 かさなりし手に。
 遠く、遠くに。















 終 







《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《83 PROJECT》


5300 HIT ! ありがとうさんリクエストでした。
佐倉龍之介様、どもどもどもです。
お題は当然の83でござるよ。だって佐倉さんなんだもんv
佐倉さんと、お子さんと、お腹の中のべいびーに
生命力のごじょさん、素直悟空、(よしきにしては珍しく)優しい八戒、
(これまた珍しく)前向きな三蔵を捧げます。

…へっへっへ、今後ともよろしゅうお願いいたしますv