◇◆◇ 乱舞紅梅 






 どれだけ永い時間を過ごして来たのだろう、今まで
 咲く花も散る花も、どれも儚過ぎて痛々しかった
 生ぬるい怠惰を生きる天界で、死のない俺達は恩寵を喪っているのだと思っていた
 冬に枯れ、春にまた萌え出る花々の
 その営みを眺めるだけの俺達は
 生ぬるいままで永遠に過ごすだけだと、思っていた

 肩が触れ合った。
「…失礼」
「おや、ここでお会いするのは久しぶりですね。金蝉。」
「お前か。まだここに入り浸ってるのか?飽きんことだな」
「ははは。折角自力でここに入れるようになりましたからね。読みたい本を我慢するなんてことは、最近はしたことないし、する気もありませんよ。昔は散々貴方にご協力願いましたけどね」

 古い紙の匂いのする書物庫で会った天蓬は、余程奥の書物を探したのか、埃がそこかしこに付いていた。きっと棚の上や下まで躯半分突っ込んで探しやがったんだろ、…と昔を思い出した。
「どうしても読みたい本があるから」
 天蓬に頼まれて、昔はよく観世音菩薩の威光で、学生の身分では入れない特別書庫や倉庫の入庫の許可を取った。今では、自分でも資料が必要となればここに足を運ぶこともあるが、学生の頃は単に自分の身分を貸してやる為だけにここに通っていた。
「すいませんね。恩に着ますよ」
 いつでもにっこり笑って感謝の言葉を述べる。そう言えば言葉だけだったな。付き合わされた挙げ句に飯をたかられた記憶まである。
 昔と全く変わらぬ男の姿を見る。のらりくらりと人当たりのよい、職業軍人。天界西方軍元帥、天蓬。奴も俺を見ていた。

「なんだか昔を思い出してしまいましたよ。…飯でも食いに行きます?」
「…お前の奢りだろうな。元帥殿」
「やだなあ、やっぱり覚えてましたか」
「忘れるか、馬鹿」
「好きなだけ本は読めるは、食い物に不自由しないは、好きな格好してても怒られないは…。いや、軍人って本当にいい商売ですよ」
「お前の格好は、もう誰も呆れて口出さんだけだろ。他の真面目な軍人が聞いたらブチ切れんぞ」

 ははは、と、気の抜けた笑いを返される。
 こいつを真剣に相手にしなくてはならない軍上層部が哀れに思えてくる。器を大事にする輩の神経を、逆撫でするのが昔っから好きだったな、こいつは。髪の毛で殆ど半分隠された、つるりと滑らかな整った顔で、極上の笑顔で相手を嘲笑う…。結構露骨だ。

「じゃ、行きますか」
「お前、持ち出しの手続きは?」
「あ。もう顔パスも良いところで。ここに無ければ僕の部屋に探しに来ますから。良いんです」
「……」

 先導する天蓬に付いて行く。後ろから奴の足下をふと眺める。からんからんと軽い音のそれは、恐らく便所からそのまんま履いてきてしまったサンダルで…。そんなところまで全く変わらない天蓬が、不思議と力強く感じられた。

「え?僕の髪ですかあ?片一方上げてるだけ、昔よりさっぱりしたつもりなんですけどねえ」
「それはさっぱりとは言わん」

 粥や酪や果実を並べた卓を挟んで、のんびりと食事をしていた。窓からは澄んだ空気と明るさの中で、紅梅の咲き誇る姿が見える。どこからか雅やかな楽や謡が流れ聞こえて来る。

「貴方も似たようなものでしょうに。折角の美貌をすっかり見せてはくれないじゃないですか。まあ、今みたいに日差しに透けているのも、中々素敵ですけど」
「馬鹿かお前は」
「僕はね、一応軍人なものですから。あんまり優男面だと迫力ないですからね。それに両目出して笑うと、コワイって言われちゃうんですよ。笑顔がコワイと思われるのって、やっぱり心外ですからね」

 …それはお前がどういうシチュエーションで笑っているかが問題なんだ、と言うのも徒労なのでやめた。
 しかし天蓬の髪と一緒にされるとは。俺は人からどう見られようと構わない。観音が髪が長い方が好きだと言うから、別に切ることもないと伸ばしているだけだ。書類を書く邪魔になるからひとつに結ってある。 天蓬の様に、顔を見せたり隠したりという確信的な使い方など、したことはない。

「僕はそんなに悪辣に見られてるんですかあ?」
「潔白じゃねェだろう」
「貴方は以前はもう少し前髪短かったですよね。綺麗に結い上げて朱赤や紫紺の飾り紐で、こう…くるんっと。…それに比べると、今は随分シンプルですねえ…?」
「ありゃあ、ババァがさせてたんだよ!観音が!!俺の趣味じゃねェ!」

 天蓬が笑いこける。人が言いなりにされていたというのがそんなに可笑しいのか。別にどうでもよいことだから放っておいただけだ。

「僕も放っておいているだけですよ。伸ばしっぱなしの切りっぱなし。鼻まで伸びてくると適当にざっくりとね。だから昔とそうそう変化ないでしょう。そうか…貴方は自分で結える様になったから、そうやってシンプルになっちゃったんですね。勿体ないような気もしますね」
「俺には自分を飾り立てる趣味はない」
「そうですね…。貴方は昔からそうでしたね。そのまんまの姿で、人を射抜く。他人からどう見られようが全く気にもせず、自分も人に干渉しない。絢爛の花の様に美しく、花の様に人目を気にしない。花の美しさに蜜蜂が引き寄せられても気にしないみたいに」

 天蓬は紅梅を見ながら続けた。

「全き美しさを些かも損なわずに、永遠に咲き続ける花。…なあんて言うと怒るんですね、やっぱり。気に障りましたか。気にしないでください。そんな貴方も好きですから」
「…怒りゃしねェ。自然の理に見離された枯れない花か。そのまんまじゃねェか。他人に特に興味もねェのも真実だしな」
「でも僕を遠ざけませんでしたね。昔も今も。ちょっとは気に入ってくれてるのか、流されやすいだけなのか…?どっちです?」
「さあな」
「どっちでもいいですよ、僕は。ついでにもうちょっとお付き合いしてくださいね。このまま通りを行った所の庭園の紅梅も見頃ですから。そこ寄ってから僕の部屋まで、この本半分持ってくれると感謝するんですけど」
「…今度は茶ァくらいは出るんだろうな」
「あ、付き合ってくれます?じゃ、途中でお茶菓子でも買いましょうか?」
「好きにしろ」

 人混みを通り抜け、広々とした庭園に出る。
 視界全面に紅梅が霞の様に広がる。清冽なその香り。ほころぶ蕾の歓喜。散り行く花びらの儚さ。そして無骨な幹には大地に根付く強さがある。その全てを、俺は持たない。 

「見ないんですか」
「見てる」
「巡り来る春を愛でることは、僕たち不死の者には死を愛でることと同じ。…そう感じるんですね」
「……」
「僕たちは死なない。永遠に。変化の無い世界で生きる。その怠惰が嫌ならば、幾らでも、どうとでもしようがあるんですよ」
「お前みたいに画策しろって?」

 天蓬はくすくすと笑い出す。

「別に僕に付き合えとは言いませんよ。安心してください。あなたが観世音菩薩の許で確実に安全だと思わなければ、今日もお誘いしませんでしたから」
「その割には結構利用してくれたみてえじゃねェか」
「…バレちゃいますか」
「隠す気もねェクセに」

 大量に持ち出した、禁帯出本。どれも軍事記録。過去のものも、近年のものも。
 出納帳。傷病記録。討伐対象者の調査報告書。出軍までの経緯記録。部隊の構成名簿。勅印のべたべたと押してある書類の束。
 持ち出しを記録には残さず、でも大っぴらに卓の上に広げ人通りの多い所を選んで通る。誰が見ても目を剥くだろう。
 何をやっている?
 誰に見せている?
 俺には判らない。

「本当に貴方と一緒だと目立つんですよねえ。タイミングよく見かけたものだから、ついつい…」

 心より感心している、という風に嘆息しながら。自分だって、天界軍元帥の軍服を着用して元帥杖でもかざして見せれば、百人が百人、振り向くだろうに。人寄せには他人を利用する。
 自分の価値はそこにはないと、自分の使いどころを確実に把握している。
 お前は昔から、自分を判って、自分だけの為に判断をする。
 それは昔から俺の持たない強さだ。他の誰も持たない強さだ。諦めず、流されず、枉げない。

「…ヒネクレモノ」
「あ。金蝉に言われちゃいました」
 天蓬は笑う。いつでも笑う。

「さあ、どうしましょうか。これから。まっすぐにお帰りになります?」

 紅の霞の中で、天蓬が笑う。お前は、俺が観音の所へ戻っても怒ったそぶりも見せないのだろう。ヒネクレモノだから。

「これ、どーすんだ。馬鹿。ここまで重たいもの持たせて引きずり回したの、お前だろ」
「あ、本…。重たいんですよねえ。毒を皿ごと喰らってくれますか?」
「その代わり、茶っ葉でケチったら承知しねえ」
「…貴方も相当なひねくれものですよ」
「聞こえねェよ」
「…貴方は紅梅よりも綺麗ですね」
「馬鹿か、てめェは!」

 紅の霞の中で、天蓬が笑う。




 一陣の風が吹き、俺達も、天も、

 乱れる紅に染められた





























◆◇ 終 ◇◆







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◆ あとがき ◆
333カウントHITの杜国さん、遅くなってしまったけどありがとうの気持ちを込めて♪
リクがなかったので只今くらくらの天・金です
『外伝』って、このふたりの美貌が更に磨きかかっちゃってて…
やっぱり天上人なのねっ