そのリンゴは、まるで宝石のように輝いた。
 ピンク色のきれいなリンゴで、それは誰かのほっぺを思い出させた。
 一緒に食べたいと願った相手は、目の前にはいない。
 ひとりで食べるリンゴは甘かったのに、なぜだか酸っぱく感じられた。
 酸っぱさに涙がにじんだ。





 せんせいといっしょ 2 

 ここは私立斜陽学園幼稚舎です。
 今日も八戒先生は、お父さん、お母さん達に連れられて登園してきた皆さんに、元気にご挨拶をしています。

「おはようございます、悟空くん」
「先生、おは…」
「せんせー、おっはーーー!」

 今日も今日とて、保護者の悟浄さんはお元気そうですね。元気優良児の悟空くんが押されています。

「せんせー、今日もいいお天気だぁねー」
「…おはようございます。三蔵くんもおはようございます」
「…ああ。おはよ」

 それだけぼそりと言うと、元気な膝っ小僧で冬の風の中を通り抜けてしまいます。それでもちゃんと朝のご挨拶をしてくれるようになった三蔵くんに、八戒先生は感動を覚えました。

「ホント、愛想もクソもねぇガキ」
「いやもう、そこがぶりぶりにぷりちーです」
「……そうなの」
「そうらしいぜ」
「…独角兒。てめーも朝からお見送りかよ」
「ま、タマにはな」

 なんだか本当に、朝の幼稚園に向かない方々が集まっていらっしゃいましたね。でも普段からガキに振り回されている身分なせいか、思ったよりしっくり来るところがコワイですね。

「独角兒さんもぷりちーとお思いなんですか?」
「俺じゃねえよ…」

 独角兒さんは多少呆れ気味に答えました。そして園庭のジャングルジムを見上げます。そこにはご挨拶もそこそこに天辺に登っている紅孩児くんがいました。

「どーもアイツがなあ」
「あっ、紅くん、気を付けて。…飛ぶのはやめてください!」

 紅孩児くんは上手にジャングルジムから飛び降りました。しゅたっ!ってカンジです。

「フッ、先生。俺は判ったんだ。俺の本当のライバルは先生だってな」
「紅孩児くん…」
「三蔵は俺の嫁だっ。先生から奪ってやるぜ!」

 ぎんぎんにガンを飛ばすと、紅孩児くんも走って行ってしまいました。相当離れてから、思い出したのか「おはよーございます!」と叫びます。

「もともと三蔵が気になっていたのが、この間のクリスマス劇で爆発したらしいぜ」
「奪うって、ナニよ。奪うって…」
「紅孩児くん…。敵にとって不足はないです」




 三蔵はおこりんぼ。いつでも怒ってる。でも怒ってる顔がきらきらしてる。
 縄跳びをしても、鬼ごっこをしても、かくれんぼをしても、いつでも上手。
 サッカーをしても、かけっこをしても、いつでも追いつけない。
 ぶらんこをうんと高く揺らして、手の届かないところから見下ろしている。
 俺も一緒に遊びたいのに。俺も一緒に走りたいのに。




「紅孩児、いつでも二番なんだもん。だからちょっと悔しいんだって。みんな、三蔵が一番だから三蔵と遊びたがってるし」
「オレはいつだってちゃんとみんなと遊んでるじゃないか」
「でもさあ」

お砂場で三蔵くんと悟空くんがしゃがみ込みながらお話をしています。ふたりは大きな山にトンネルを掘っていました。とても大きなトンネルでダンプの玩具も通れそうです。

「だって三蔵、すぐ行っちゃうし。お砂場も俺誘わなかったら来てくれないじゃん」
「みんなが呼ぶからオレ忙しいんだよ。それにオレが一番したいのは…」

 (八戒先生とふたりでいたいのに…)
 ちょっと自分で恥ずかしくなってしまったのか、三蔵くんは黙ってしまいました。
 プリンカップで作った沢山の砂プリンにさらさらと白い砂をかけて飾ったものを、女の子達が悟空くんに「これ、どうぞ」と言います。ぱくぱく、と食べる真似をして、ひとつひとつ砂ぷりんを壊す悟空くん。三蔵くんもひとつだけ、食べる真似をします。

「悟空…。オレやっぱ行って来る」

 お砂遊びが楽しくない訳ではないのです。大きなトンネルを壊さないように作るのは、やはりやりがいがあるのです。ぶらんこだって、誰よりも高く揺らせることは、嬉しいのです。
 でも三蔵くんは気付いてしまったのです。
 何かが出来た瞬間の喜びを、一緒に味わう誰かがいて欲しいと。
 その誰かがいなければ、喜びは落胆に変わってしまうのだと。

「ほら、三蔵。やっぱりすぐ行っちゃうんだ」

 悟空くんは大きな瞳をますます大きくして三蔵くんを見ました。三蔵くんは自分が何か悪いことをしているような気がしました。しばらくじっと三蔵くんを見ていた悟空くんは、急ににっこりと笑いました。

「いいや。三蔵は何でも出来るけど、いつもなんだか面白くなさそうだったもん。それが今は楽しそうなんだもん。それに俺はおうちに一緒に帰れるからいいよ。三蔵は好きなコトしていいんだ」

 にっこり笑ったままで悟空くんはばいばい、と手を振ります。

「…行って来る」

 そのまま笑顔で走っていった三蔵くんを見ながら、悟空くんは思いました。
 三蔵は誰か特別な人がいるんだ。それは俺じゃないけど、それは残念だけど、俺だって少しぐらいは三蔵の中で特別なんだ。
 悟空くんは、悟浄さんが連れてきた女の人と三蔵くんを見てから、ずっと三蔵くんに夢中でした。なんでも出来てきれいな三蔵がいつでも一緒なんて!ご飯も一緒。お風呂も一緒。寝るのも一緒。だから女の人が出て行くことになった時、三蔵くんが残ると聞いてとても嬉しかったのです。それからずっと三蔵くんが悟空くんの「特別」でした。誰か特別がいるというのはとても素敵な気分でした。
 三蔵くんの特別が、三蔵くんのことも特別と思ってくれてるといいなあ。悟空くんはそう思いました。

「悟空くん、今度は特大ケーキです」
「わーい。いっただきまーす」

 悟空くんはきれいなお花や葉っぱで飾り付けをした、バケツで型どりしたケーキをむしゃむしゃと食べる真似っこをしました。





「三蔵くん」
「先生!」

 走り寄ってくる三蔵くんの姿に、八戒先生は顔がほころびます。小さな手足で元気いっぱいの三蔵くん。お日様に金色のふわふわとした髪が透けています。走ったせいかほっぺがきれいなピンク色に染まって、更に可愛いらしい今日の三蔵くんです。
 三蔵くんは先生の目の前まで来て、ぴたっと足を止めました。そして急に澄ました表情を作ります。小さなくせにポーカーフェイスを気取りたいのです。大好きな八戒先生の前だから、だからこそいつもよりちょっとお兄ちゃんっぽくしたいのです。
 それが判ってしまう八戒先生にとっては、可愛くて可愛くてしょうがありません。

「悟空くんとお砂遊び、楽しかったですか?上手に出来ましたか?」
「うん!超特大のトンネルが上手に出来た!ダンプが通れるくらい!悟空が頑張って堅い山作ったんだけど。オレも水を上手く混ぜたんだけど……」

 折角のお澄まし顔ですが、目がきらきらしています。
 普段は誰かに自慢する、なんてことしない三蔵くんですが、八戒先生には誉めてもらいたいのです。先生がいつでも「三蔵くんはすごいですねえ」と喜んでくれるので、もっともっと凄いことが出来るんだぞ、と感心して欲しいのです。
 他の誰かに誉めてもらっても、今までそれが当然だと思っていた三蔵くんです。それが、八戒先生の喜ぶ顔を見てからは「オレはこれだけじゃないんだよ。もっと見て」と思うようになりました。もっともっと自分のことを知ってもらいたい。先生が喜んで驚く顔を自分だけが見ていたい。そんな風に考えるようになってから、八戒先生の目の前では、少しだけお澄ましポーズをするようになりました。…幼稚園さんだというのに早熟です。

「ダンプですか。それはかなり頑張りましたねえ。崩れないように作るの、難しかったでしょう」
「そんなでもないよ。でもオレもちょっとは頑張ったから、先生、絵本読んで」

 …アマエ方が上手いです。天性です。三蔵くんにこんなねだられ方されたら、ちょっと普通の人は断れません。

「そうですね。何を読みますか?」
「どれでもいい。先生が読んでくれるんなら」

 八戒先生は、幼稚園児の殺し文句にちょっとくらくらです。

「じゃあ、これにしましょうか」

 丁度八戒先生が、三蔵くんの密かなお気に入りの『しろいうさぎとくろいうさぎ』を手に取ろうとした時です。

「ちょっと待ったあ!」
「紅孩児か…」
「お前は俺と勝負するんだ!」
「またかよ…。どうせオレに負けるくせに。オレこれから先生に絵本読んでもらうんだ」

 紅孩児くんは真っ赤になって怒ります。その八戒先生から三蔵くんを引き離したいのです。

「前にも読んでもらってたじゃないか、それ。どうせ知ってる本のくせに!前に読んでもらった時にも、あんまり聞かないで、先生の顔ばっかり見てたじゃないか!」

 紅孩児くんは、以前三蔵くんと一緒にこの本を読んでもらったのです。一緒に同じお話を聞いているのに、三蔵くんが八戒先生のことばかり見ているので、とても悔しくて悲しい思いをしたのです。
 しかし、そんなことは判らない三蔵くんも頬を紅潮させます。そんなことを八戒先生の前で言われるのなんて、死んだ方がマシ、くらいな気持ちです。

「…てめェ、オモテ出ろ。地べたに伏させてやる」
「望むところだ!」
「ふたりとも、よしなさい。紅孩児くん、なんとか仲良く出来ないんですか」
「ダメだよ、先生。俺、先生がいちゃダメなんだ。三蔵だけと勝負したいんだ」

 紅孩児くんは、自分の言いたいことを上手く言えずに、でも真剣な目で八戒先生に言いました。先生と一緒じゃ、三蔵は俺だけを見てくれないんだ。そんな気持ちだけは、通じさせたくて。
 ふたりは園庭に揃って出ました。丁度お庭の真ん中の大きなしいの木にボールが引っ掛かってしまったところでした。

「…アレにするか」
「高いところに登るのは、俺得意だぞ。それでもいいのか?」
「別に構いやしねェ。どうせ負けねェから」

 ふたりは用意ドンで登り始めました。大きな大きな木です。ふたりの腕では到底幹に手が回りません。それをしがみつくようにして、どんどん登って行きます。周りの園児達は驚いて見守っています。
 最初の枝に手を伸ばしたのは、殆ど同時でした。でも三蔵くんは枝と枝の距離の短い辺りを、最初っから見当をつけて登り始めていました。紅孩児くんも背の高い分、ぐいぐいと登るのですが、徐々に差が出てきました。
 ボールの引っ掛かっている枝に三蔵くんが手を伸ばそうとした時には、丁度身体ひとつ分の差が出来ていました。

「ほらよ、やっぱオマエが負けるんだよ」

 三蔵くんがそう言いながら枝に手を掛けた瞬間です。幹に掛けた片足が滑りました。下には紅孩児くんの手がありました。

「痛ッ…!」
「紅!」

 紅孩児くんは三蔵くんに踏まれた手を引きませんでした。三蔵くんは、すぐに別のこぶに足を掛け直します。赤く擦り剥けた手で、紅孩児くんは三蔵くんに追いつきました。

「…オマエの勝ちだよ」

 三蔵くんはボールに手の届くところまで行っていたのに、触っていませんでした。紅孩児くんが枝に力を掛けると、ボールがゆっくりと落ちて行きます。

「オマエが勝ったから、いいんだろ。これで」

 しいの木から降り始めた三蔵くんを見て、紅孩児くんは叫びました。

「違うだろ!?俺はそれでおしまい、じゃないことしたいんだよ!」
「…判るけど。でもオレはオマエとじゃないんだ」
「なんでだよ!?」

 紅孩児くんは、木の上でなければ地団駄を踏みたいような気分でした。

 なんでなんだよ?どうして俺じゃ駄目なんだよ?
 そんなことはきっと、三蔵に聞いても判らないようなことなんだ。
 自分に、なんで三蔵なのか聞いても判らないのと同じみたいに。

 それがよく判ってしまっているのが、とてもとても悲しかったのです。
 紅孩児くんは下に降りた三蔵くんと、それを抱きしめる八戒先生を見ているうちに、自分の視界が曇ってきたのに気付きました。足を掛けていた枝に腰を降ろします。そして園服のスモックのポケットをそっと外側から触りました。丸くて大きなリンゴの感触がそこにありました。
 今日こそ、競争でも喧嘩でもなく、仲良くしたかったのです。ふたりで一緒に食べられたらなあと思って、おうちからリンゴを持って来ていたのです。大事に、ぶつけたり傷付けたりしないように持って来たのです。
 リンゴを手に取っているうちに、紅孩児くんの視界がまたじわりとにじみました。

「ちくしょう、乾くまで降りられないじゃないか」

 自分にそう言い聞かせると、かぷり、と音を立ててリンゴにかじりました。ゆっくりゆっくりとかじり続けました。





「三蔵くん!」

 八戒先生の抱きしめる力は、息苦しい程でした。痛みさえ感じるそれが、三蔵くんは何故か甘く思えました。そしてそんな自分と、さっきの紅孩児くんの顔を思い比べてみて、胸のどこかがちくんとなりました。

「先生。オレ、ヒトデナシなのかもしれない」

 自分の肩口に顔を埋めた三蔵くんを、八戒先生は見つめます。先生も切なくなって三蔵くんの髪を撫でました。

「…ヒトデナシだけど、やっぱりこうしていたいんだ」
「…三蔵くんがヒトデナシだったら、僕もヒトデナシです」

 ふたり揃って腕の力を強めた時、園長先生の観世音菩薩さんがいらっしゃいました。ちょっと呆れた顔でふたりを眺めます。

「…お前ら、本当にしょうがねえなあ。お前らがそこにいたら、いつ迄たっても奴が降りてこられねェじゃねェか。さっさとどっか行っちまいな。俺がここにいてやるから」

 そういうと、ぽんぽん、と三蔵くんの頭を軽く触りました。そしてふたりの後ろ姿を見てから「ヒトデナシにも、鬼にも、悪魔にも、人間にしかなれねェんだよ」と、独り言の様に笑いながらつぶやきました。





 今日の朝も大変良い天気です。

「せんせー、おっはー!」

 悟浄さんのご挨拶が何時にも増して明るく響きます。

「悟浄さん、おはようございます」
「……三蔵がなんかヘンだと思ったけど、センセもなんだかいつもより暗い?」

 勘が鋭いのに、そういうことを本人に向かって言ってしまう悟浄さんです。そこへ独角兒さんが小走りでやって来ました。

「…おう、てめ、朝からナニ張り切ってやがんだよ」
「好きで張り切ってる訳じゃねーよ。馬鹿」
「ンだと!?」
「そんなことより、先生…」
「紅孩児くんですね?どうしましたか」
「先生、あいつ…ヘンです…」
「あぁ?」

 八戒先生と、馬鹿呼ばわりされてしまった悟浄さんとが同時にジャングルジムを見上げました。そこには仁王立ちの紅孩児くんが笑っていました。

「先生!俺は決めたんだ!包容力のオトコになってやる!元から、誰に聞いても諦めが悪いって言われっぱなしなんだ、俺。だから三蔵をいつ迄も待つ、ホーヨーリョクのオトコになってやるんだ!!」
「そりゃ、てめェの勝手だがな。ムダだ」

 流石に鼻白んだ三蔵くんが、八戒先生の隣に来ました。

「おおっ!三蔵!やっぱりお前は俺の嫁だあッ!」
「それはヤメろ…」

 三蔵くんの沸点はかなり低めですが、紅孩児くんは気にせず笑い続けます。

「昨日は飯も食わずに寝るくらいにオトナシかったんだが、朝起きたらああなってた」
「奪うの、ヨメの、ほんとーにアンタタチ…」
「てめェ、昨日のことでチョーシこいてんじゃねェだろうな!?昨日は譲ってやったんだぞ!」
「それなら今日こそ勝負をつけるか!?」
「望む所だぜ」
「ほんとーに仲良く出来ないんですか!?」





 ガラス越しに園庭の騒ぎを見て、園長先生が笑っていました。

「まだまだ、天使見てえなモンだな」

 園長先生は静かに笑いながら見守り続けます。
 てめェら、可愛いゼ、と。
















 終 








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■□ AOTGAKI □■

300カウントゲットのnalaさんリクエストで「紅孩児をふたりにからませる、パラレルでも可」でしたあ
ぱふぱふ
ううう、でもきっと期待してたのと違いますね。いつも来てくれてるのにごめん、nalaさん…
ありがとうとすんません、すんませんの気持ちをこめてダイハードな紅孩児くん達をnalaさんに