◇◆◇ 帰去来 


 あの人に会いたくて、気付くと足が向いてしまう。
 逢えると嬉しくて、どうしてもこちらを向いて欲しくなる。
 その頬を押さえて、僕だけを見て欲しいと、懇願してしまいたくなる。

 観世音菩薩の館には、中庭がある。
 中庭のその真ん中には、池と木立に囲まれた四阿がある。
 厳しい四季は無いけれども、天界に僅かに訪れた春の兆しが四阿の周囲に現れていた。

 柔らかい日差しに柳の萌葱が喜びの声を上げる。黒々とした池には、時折ぴしゃんと魚の跳ねる水音がする。下草の緑も日々濃くなって行く。

 金蝉はそこに眠っていた。
 生命の息吹の真ん中にあるように、その金と白の眩しい人は眠っていた。

 金蝉の頭を膝に乗せた観世音菩薩は、その重みを愉しんでいるかのようだ。

「しいーっ。
 この間抜けな寝顔を見てられるなんて滅多にないんだから」

 四阿の天井に絡む藤も、まだ日差しを遮ることもなくふたりの上にまだらの光を落とす。金蝉の目に光が入らないように、観世音菩薩は顔の辺りに影を作ってやる。

「ホラ、見ろよ。
 まるでガキじゃねえか。
 変わんねえヤツ」

 観世音菩薩は、甥の顔を眺める。愛しげに。悲しげに。
 この世の全てを見る人は、この甥の子供の頃を見守り、現在も見続け、…いつか訪れる日をも見通すのであろうか。

「小さい頃は、少し髪にクセがあったんだぜ
 今はこれだけまっすぐに伸びてるけど。
 ああ、ホラ、見ろよ。
 まるで金の絹糸のようじゃねえか。
 ちったあ、手入れすりゃいいのにな」

 膝の上から流れる髪を掬い取り、指の間からこぼれる光を愉しむ。
 なんて優しく触れるのだろう。なんて悲しくこぼすのだろう。
 観世音菩薩はやっと金蝉童子から目を離し、僕を見る。
 また愛しげに、悲しげに、僕を見る。

「起こしたいか?
 お前、金蝉に会いに来たんだろう」

「会いに来ました。
 ええ、でもまた会いに来ます。
 用事があるから会いたい訳じゃありませんから」

 観世音菩薩はくすくすと笑い出す。

「お前、それじゃ余計に起こしたいんじゃないのか?」

 ”逢いたいから”というのが一番強い用事じゃないか……観音はそう言ってまた笑い出す。
 僕も諦めて肩をすくめて笑う。

「僕はまた来ますから」

「そうだな、また来い。
 茶ぁくらいは出してやるから今度は俺の所にも寄れ」

 金蝉の髪を撫でる手は止まらずに僕に声をかける。 
 後ろを向いて歩きながら軽く右手を挙げて挨拶を返す。
 あんなに愛しげに髪を撫でていなかったら、ひっ叩いてでも起こしたのかもしれないけど。
 あんなに悲しげに眺めていなかったら、無理にでもあの頭を膝から奪ったのかもしれないけど。

 僕の背中に一瞬声が掛けられたような気がしたけれど、振り向いたふたりは先刻の姿のままで四阿にいた。

「…お前はまたこいつと約束を交わすこともできるんだから
 今は俺に譲っておけよ」

 その頬を押さえて、僕だけを見て欲しいと懇願してしまいたくなる。
 きっと観音は、そんな僕を判っているのだろう。
 でもきっと、そんな僕を嗤わないだろう。



 観世音菩薩は新緑に身を預ける金蝉童子の髪を、いついつまでも撫でていた。朱唇が笑みの形に歪められる。

「……ガキ」

 水に映る萌葱が風の波紋に僅かに揺れた。ただそれだけの春の一日だった。 













◆◇ 終 ◇◆







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◆ ATOGAKI ◆
1583HIT!の、さくらいのあしゃんリクエスト「天金サラっとラヴ、観音込みに天ちゃん内心アセ」
…でございました
「爽やかミント系目指します」って言ったけど…せいぜいがお子さま苺歯磨きですな
…貴方にこんなカラダにされちゃいましたから(フッ)頑張ったところでこんなものでございます(泣)
あ、でも自分の身体にも結構いいかも(神経に疲れ来なくて(笑))

しどけない金蝉童子を、のあしゃんに捧げます