akai tori nigeta -6-
 騎馬の妖怪達が襲いかかった。
 同じく騎馬で立ち向かう、異国の民達は隊列を組みそれを迎え撃った。
 人海戦術で雪崩のように続く妖怪達を、正面から受け止めつつ、右翼左翼に広がり挟撃を狙う。
「そこまで持ち堪えられると思うのか、人間風情が!?」
 妖怪達は、嘲笑いながら凶刃を振るった。
 双方から放つ火矢が、辺りを昼間の明るみにした。
「どうせ生き残っても、干上がるだけだ!諦めて、さっさと三蔵と経文を差し出せ!!さもなくば今死ね!」
 妖怪の遠矢が、隊列の奥へと逃れつつある女達と、荷をも狙うが、距離があり過ぎた。
「正面を突破して、両翼ののろま達を振り切ってやれ!荷を狙え!」
 妖怪達は奇声を発して、怒濤の勢いで騎馬を駆った。
 妖怪の隊を囲むように広がりつつある、騎馬の中に老人と三蔵はいた。
 早駆けが、老人の指示を伝令しに行き来する。
 「長」と呼ばれる老人の、指さす先を、三蔵が見た。
「お判りになりましたかな?」
 騎馬の後ろに座る三蔵を、老人が振り返った。口元をマントの端で覆い、瞳だけが覗いていた。策に長けた、余裕に笑んだ瞳だった。
「地の利を味方にする有利です」
 異国の民は、挟撃を狙うと見せかけ、正面の隊を徐々に手薄にしつつ、空騎馬の囮を目掛けて突出する妖怪達を誘導していた。
 両翼からの攻撃は、弓矢を主体に飽くまでも遠距離攻撃に徹する。
 やじりには、コカ葉抽出物、ベラドンナ、マンドラゴラ・オフィキナラム、ダチュラ、ジギタリス、ヘンルーダ、スズラン、アカナイト……
 毒矢だ。
 人馬を興奮させる毒矢が妖怪達を襲った。毒矢を掠めた馬は狂ったように嘶き、駆けた。
 妖怪の一隊の突出が、乱れた足並みでスピードを上げつつあった。

 三蔵の顔を覆うヴェールの、端が砂漠の風になびいた。
「我らは常に風上に。妖怪を挟んだ側の一隊も、風向きの真下には、絶対に回りはせぬ。我らは我らの持つ物の力を、充分承知しておる」
 老人は、三蔵の頸に掛けたままだった守り袋を手に取り、中身を取り出した。
 甘い香りの練り物の中に、干からびた草や、樹脂の欠片が混ぜ込んであるのが見えた。老人はそれを、腰から下げた鎖の先の、香炉に落とし込んだ。
 妖怪を取り囲む男達の数多くが、同じ様な香炉を持ち、それを焚いている。
 ゆら。
 細く烟が立ち上り、風に吹き浚われて行く。
「ヴェールをしっかりと巻き付けて、決して吸い込んでくださるな」
 三蔵は片方の眉を嫌そうに上げて見せつけ、ゆっくりとヴェールを巻き直した。
「弓矢の狂毒とは違った薬物だ。主に治療に使われる、薬草類と、少量のオピウム、ヘンプ……阿片と大麻」
 老人の言葉が一旦途切れた。
「遥か故国から運び出した、数々の宝石、技巧を凝らした金銀細工、高価なスパイスは皆、奪われた。我らの手に残されたのは、これだけだった。これらが、我らを生き延びさせた」
 背を向けた老人の声は、三蔵にはむしろせいせいと聞こえた。
 せいせいと、淋しげな声だった。
「くべた阿片と大麻が、興奮に狂った馬に気付かせずに、妖怪達に殺戮の夢を見させながら、死地に追い込むだあろう。妖怪達は怨嗟の声を上げる間も、残されないだろう」

 略奪された異国の商隊に残された、僅かな包み。
 種子だった。
 短期間で育ち、油や繊維を採取する、ヘンプ。
 病人や怪我人の、死を目前にした苦痛と恐怖を減らす、オピウム。
 それらの亜種、変異種の、阿片と麻薬。どれも、治療用の薬物として持ち込んだ物だった。病苦を減らし、病の治療効果を上げる為に、自家用、医療用として持ち歩いている物だった。
 しかし種子しか残されなかった異邦人には、それを栽培し商品とするしか、生き延びる手だてがなかった。異国の妙薬を求める者は後を絶たず、やがて略取者が現れ出した。盗人は、退けても退けても、新たにやって来た。
 異国の民は流浪を繰り返すようになり、オピウムの栽培地は、民の中でも屈強な男達が隠れ守る、秘密の地になった。

「貴重な医療品をもたらすことで、我らは密かに歓迎される客となった。そして、それを縁として、各地の部族間の商取引の仲介を受け持つことが出来るようになった」
 三蔵は老人の胴に腕を回した。
 老人の躯の前でベルトに固定された、貴石をはめ込んだナイフを抜いた。
「お若い方。あなた様に持たせた匂い袋の中身は、緩効性に処方された薬物。緩やかに揮発し、精神に作用するように調合されたもの。極弱いその作用は、例えば屋内に始終燻らせて吸い込んだり、……ヴェールの中に漂わせ、長く浸り続けなければ効果のないようなもの」
 三蔵の白い手が上がった。
 白い手に握り込まれたナイフに、火矢に上がる小さな炎が映り込むのを、老人は見た。
「頭部に受けた衝撃で、混濁した意識の中にいたあなた様に、軽い運動麻痺を起こし、精神や神経に抑制の効果を与えた。幻覚と共に、暗示を与えた。記憶の混乱が続くように、それを取り戻す意欲を起こさぬように。軽い言語障害の、快復が遅れるように」
 ナイフが老人の頭上で輝いた。
「聖職にあるあなた様が、戒を犯し、異国の民と共に過ごすことを、望んでくれるように」
 三蔵の腕が真横に振り下ろされた。
 ナイフは、物陰に潜んでいた妖怪の首に、深々と突き刺さった。
 倒れた妖怪の影から、もうひとりの妖怪が逃げ、矢の雨をかいくぐって闇に紛れた。

「妖怪共によそ見をさせてはならぬ。空馬の囮では、足らぬか…」
 老人の傍に控えていた若者が、妖怪の首からナイフを抜き取り、老人はそれを受け取ると、馬を一頭と剣をひと振り、持って来るよう指示した。
 そして近くにいた、壮年の男に呼びかけた。
「そして、今からお前が指揮を執りなさい」
 老人の言葉に、周囲がざわめいた。
「降りなさい、お若い方。今度こそはお別れだ。わたしは、囮に向かおうと思う」
 三蔵を、静かな青い眼が見つめた。
「あなたが今振り下ろしたナイフで、命を絶たれたのがわたしでも、何の不思議もなかった。見逃して貰った命を、皆が生き延びる為に使いたい」

 挟撃側に残れば生存の確率が高いのだからと、老人が言った。
 だから三蔵は、ここに残れと。
 若者が引いてきた馬と、細身の剣を、三蔵は見た。
 傲慢そうに剣には手を伸ばしたが、老人の馬からは降りようとしなかった。
「オ…レ、ニ」
 掠れた、苦しげに途切れがちになる声が、三蔵の喉から漏れた。
「指シ図、ス・ル・ナ」
 三蔵は片頬を引き上げ、鋭く剣を振るった。剣は空を切り、そのまま切っ先が老人の首に宛てられた。
「長!」
「長!?」
 三蔵に青龍刀を向けようとする男達を、老人が掌を向けて抑えた。
「金の髪のお若い方。どうあっても、わたしひとりを死なせてはくださらぬか。どうしても生き延びよと…?」
 諦めたように笑う老人を見て、三蔵は鼻をひとつ鳴らして、剣を下ろした。
「従いましょう。人生の最後に現れた、あなた様と、赤い瞳のお客人。おふたりを謀った罪を、従うことで贖えるのならば」
 手綱を引くと、老人と三蔵の騎馬が高く嘶き、前脚で宙を掻いた。
 急な動きに、三蔵は老人の胴にしがみついた。
「振り落とされないでくだされよ!」
 老人が腹を蹴ると、騎馬が軽やかに駆け出した。
 残された者達は暫く三蔵の金糸の後ろ姿を眺め、やがて慌ただしく動き始めた。
「毒矢と香を、もっと!奴らを狂わせ、真夜中の蜃気楼を見せてやれ!」

 ジープが明るみを目指していた。
「戦闘はあそこか!?」
 砂塵が巻き上がるばかりで、車輌のスピードはさして上がらない。
 それでもかなり戦場に近付き、松明の炎に照らされた砂煙が、目視出来るようになって来た。
「移動、してやがるな」
 助手席に立ち上がった悟浄が、目を眇めて呟いた。
「…悟浄!さっき、甘い香りって言ったよな!?」
 後部座席の悟空が、切羽詰まった声を出した。
「向こうに人影がある。そっちから、色んな匂いがしてる!甘い変な匂いも!」
 戦場の明かりから少し離れた場所を、悟空が指さした。
 悟浄が八戒を振り返った。
「真っ当に行ったら、三蔵からしてたという匂いの方に、探しに行けばいいんでしょうけど…。三蔵って何時だって危険な方へ、危険な方へって、向かってる気がするんですよねぇ」
 ステアリングを握る八戒は、困ったように笑った。
「でも奴は今、半病人みたいなモンだぜ」
「ええ、でも。何だかねぇ…」
 逡巡してる間に、悟空がまた叫んだ。
「匂いの方、動いてる。こっちに向かってる!」

 荷を積んだ駱駝と、異国の女達の集団だった。
 護衛の男が誰何の声を上げる前に、ひとりの娘の騎乗する駱駝が走り出た。
「お客人!紅い髪のお客人!」
 悟浄を呼んだのは、三蔵に付き添っていた、金髪の娘だった。
 器用に足で駱駝を駆り、ジープに近付く。
 娘は包みを胸に抱きしめていた。

「金の髪のお方は、他の男達と共に妖怪との闘いの場に向かいました。砂漠の流砂に、妖怪達を追い込むために、長と…祖父と行動を共にしている筈です」

 娘の言葉を聞き、三人は場違いと判りながらも笑った。
 記憶を失っても変わらない、最前線に立つことを厭わぬ、最高位の僧侶らしからぬ行動に安堵の笑いを漏らした。
「らし過ぎて、もう…」
 呆れたような声を出しながら、八戒のシフトレバーを握り込む掌は、妙に楽しげだった。
 エンジンを吹かし上げたジープに近寄った娘は、悟浄に包みを手渡した。

 そっと。
 何より大事な物を預けるように。
 包みを手放す瞬間、指を震わせて。

 三蔵の小銃と、魔天経文だった。

 娘と目の合った悟浄は、娘が期待していることを、感じ取った。
 聖典が奇跡を起こすことを娘も期待しているのだと、判ってしまった。
「これを、あのお方に」
 揺れる声に、娘の思慕が洩れた。
 流浪の民について、八戒の言っていたことが本当だったとしたら、三蔵の相手はこの娘だったのかもしれなかったのだと、悟浄は気付いた。
 聖典の奇跡で記憶と言葉を取り戻せば、二度と三蔵は自分達一族の許へは戻ってこないのだと。理解しながらも、それでも ――――

「私にはもう、祈りを捧げても聞き届ける神はいません。それでも心は願ってしまうのです」

「どうか、あのお方が、全きお心を取り戻されますように。あのお方の為にも、祖父の為にも」













続く



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