夢に見た… / くろいぬ
【ブラロイ】




『焔の夢』


「生き残ってるな、焔の錬金術師」
「有り難いことに。これで明日もまた閣下のお役に立てます」
「期待してるよ」

 イシュヴァールの地に陽が落ち、カバーをかけたカンテラの暗い明かりだけが、キャンプを照らした。倦みなく続く苛烈な闘いが嘘であるかのように、その夜の最前線地は日常的な賑わいに満ちていた。
 支給の煙草と酒を賭けたカードのテーブルから沸く笑い、家族や恋人から届いた手紙を捲る乾いた音、忙しない無線機の雑音。
 そのただ中で、大総統キング・ブラッドレイは気まぐれを起こした。
「退屈している。少し剣の手合わせに付き合い給え」
 ブラッドレイの視線の先で、若い錬金術師は微かに驚きを表情に浮かべた。

「私の剣が使えないことは御存知かと」
「ほんの就眠儀式だ。怪我はさせない」
 ロイが諦めの溜息をついた頃には、ふたりの周囲はざわめきに爆発しそうな気配すら帯びていた。
 圧倒的な強さを誇るというキング・ブラッドレイの剣技を目の当たりにする好機に恵まれたのだ。
 対するロイ・マスタングは、焔の錬金術師の手腕は知れ渡っていたが、剣の技量がいかほどのものかは知られていない。
「では胸をお借りするつもりで。……参ります」
「はははっ!」
 ブラッドレイは、腰に帯びていた剣を手渡すと同時に突進して来たロイに喜んだ。

 金属質の音が連続する。
「焔の錬金術師、ガードが丸空きなのだが」
「大総統相手に自衛考えてたら、嬲り殺しが目に見えてますから」
「とどめは一撃が好みかね?」
 余裕で剣を受け止める大総統に向かい、ロイはひたすらに攻めに行った。

 猛烈に突き込みの連続に、ギャラリーは沸き上がった。
「らしくねえな……」
 呟くのは、ロイの直下の部下達。
 激しい剣戟に見えるが、上司の剣は全て軽く受け流されていた。
 自分達の上官は少しは達者な方であった筈だがと、不満交じりの呟きが洩れた直後、ブラッドレイが攻守を転じ、部下達の顔色が変化した。
 ぐいと、ブラッドレイが動いた数刻後から、空気の震えが伝わって来たように感じられた。
 敵の目の前まで入り込み、激しく剣を突き、振り下ろす。
 ギャラリーに震える空気が伝わる頃には、焔の錬金術師の躯は剣ごと跳ね飛ばされている。
 がつ。
 剣がぶつかり合い小さな火花が後を曳いて散る。

「……まだまだ軽いな」
「閣下の剣が重た過ぎるかと」
 猛烈な勢いで打ち付けられる剣に弾かれ後退しながら、ロイは漸く答えた。
 ロイもただやられているつもりはない。
 ブラッドレイの眼帯に覆われた左目の方へと、死角を狙って回り込みながらのことだ。
 だが死角への動きも、死角での動きも、全てブラッドレイに読まれ計算し尽くされている。
「閣下!」
 ロイが下から抉るように突き上げた剣を、ブラッドレイはいとも簡単に絡め取り弾いた。
 剣はロイの手から放れ、空へ。
「!!」
 瞬間目を逸らしたロイの目の前、至近距離に猛禽の鋭さで隻眼が、笑った。

「ぐぅっ!」
 胸の中央に重い衝撃を感じたと思った途端、ロイの躯が真後ろに吹き飛ばされた。
 背が地面に打ち付けられて止まった呼吸を取り戻そうと、跳ね起きようとするロイの動きを鈍い光が遮る。
 じゃり、とも、ざく、とも判断の付かぬ、鋼鉄の刃が深々と地面に突き刺さる音。
 キング・ブラッドレイの剣がロイの首筋に触れるぎりぎりの距離と角度で、大地を抉った。

 ロイの見上げる視界に、静まり返ったギャラリーの目の前に落下し地に突き立つ自分の剣と、自分を地面に縫いつけるような白刃の輝き、躯の上に乗り上げた勝者の冷たい瞳が映り込む。
 分厚い掌を打ち付けられたばかりのロイの胸を、乗り上げたブラッドレイの膝は圧迫した。
 痛みと重量で酸素を取り入れられず、ロイの肺は悲鳴を上げそうだった。
 ふいに、ブラッドレイの隻眼がロイを覗き込む。
「!?」
 胸の重みが増し、胸骨が軋む。
 苦痛の呻きが漏れかけ歯を食いしばったロイに、隻眼が満足気に細められた。

「やはり軽いな。筋肉の付かない体質かね」
「……精進します」

 身を離したブラッドレイが差し伸べる手を、ロイは丁重に目線で断った。
 ふらつきながら立ち上がるロイに、子供じみたことをと、ブラッドレイは口に出さずに面白がるような目つきをして見せる。
「閣下」
 咳き込まぬように用心しながらロイは言った。
「私よりも手応えのある相手なら、幾らでもおられましょう。どうぞ次からは他の者をお相手にお選び下さい」
「手練れの者なら幾らでもいるな。だが……」
 ブラッドレイの言葉が途切れた。
「真剣で本気で突きかかって来る者は、軍の中にはそうはおらぬ。殺す気でかかって来る奴はな。ロイ・マスタング、おまえの他には」
 暗がりに立つロイの、無表情な面をカンテラの揺れる灯りが照らした。
 向かい合うブラッドレイの隻眼も灯りに皓々と輝く。
「だからおまえは可愛いと言うのだ」
 囁くように言ってから、ブラッドレイが唇の端を上げた。
 覇者の笑みだった。

 やって来た時と同じように、唐突に気まぐれな時間が去って行く。
「楽しかった。もう遅い、君も早く休み給え」
 立ち去り様に、ブラッドレイはロイの肩に軽く手を置いた。
 ロイの躯に震えが走り、それを掌から感じ取ったブラッドレイは、また愉悦を唇の端に登らせた。



 怒りか。
 嫌悪か。
 恐怖か。
 戦きの奮えなのか。

 静まり返ったキャンプで、衆人環視の中に置き去りにした錬金術師の瞳の内の焔を、ブラッドレイは夢想する。
 焔はどこまで燃え上がるのだろう。
 天高く燃え上がる焔に身を焦がすのは、我か、彼か。
 紅蓮に身を巻かれるのは、彼か、我か。

 イシュヴァールのまだ明けぬ夜空を見上げる男が笑った。
 美しい焔を夢見て、笑った。



fin.