| 忘れてしまおう / 白猫 |
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【ヒューロイ】前提【ハボロイ】風味…。 『忘れてしまおう』 人がひとり死んだ。 そんなことは、此処では、よくあることだった。軍人として生きる道を選んだときから、それは当たり前のこととして身近にある。 別にこの世から誰が消えようと。それが例え自分自身でも、そんなことは取るに足りないこと。その筈だったのに。 『忘れっちまえよ』 『お前は、いろんなコト抱え込み過ぎなんだよ』 『忘れっちまえ。もう、いいから』 お前がいつも言っていた言葉の通りに。 お前のことも忘れてしまえばいいのだろうか。 「大佐。また飲んでらしたんですか」 「ハボック少尉」 夜中に叩かれた扉。 こんな時間に、この扉を叩くのは、急を知らせる軍からの使いでない限り、今では、この男しかいない。 「あーあ。また、シャワーのあと碌にアタマも拭かずにいたでしょ。これで酔いつぶれて寝ちまったら、明日の朝、そのアタマ、とんでもないコトになっちまいますよ」 グラスを片手に開いた扉から、当たり前の様なカオで入って来た奴がそのまま、浴室へと向かう。 「ほら、ここにタオルあるじゃないっすか。自分で拭くのが面倒ならやってあげますから、そこに座ってくださいよ」 「もう乾いている」 「あのねぇ。そりゃ、水は滴ってないスけどね。明日、皆の笑い者になりますよ」 「ったく、煩い奴だな」 大きなタオルを両手で持ったまま、食卓の椅子を指す奴に呆れながらも、言われるままに、腰を下ろす。その途端、頭から掛けられる柔らかな感触。 「あんた、髪柔らかいんですから。すぐ寝癖ついちまうでしょ。二日酔いの頭に整髪料のニオイはキツイっすよ」 「別にお前に心配して貰うような事でもないだろう」 「そうスか? じゃ、明日ぼさぼさの頭と二日酔い抱えて、中尉にさんざん叱られる方がいいですかね?」 途端に思い浮かぶ、有能な部下の冷ややかな視線。あれを一日浴び続けることを思って、げんなりとする。 「……さっさと拭け」 「了解」 くつくつと笑うハボックに、眉を顰めながら持ち上げかけたグラスが、空になっていることに気付いて、背後に示す。 「おい。酒がなくなったぞ」 「そんなモン、ちょっとくらい我慢したらどうです? 今まで、さんざん呑んでたんでしょう? 俺だって煙草我慢してんですから、大佐も少しはそのまま大人しくしてて下さいよ」 「お前の煙草と私の酒と一体どんな関係があるっていうんだ」 「我慢してたら御褒美あげますよ」 意味ありげな声で囁く奴。 「…おい。くだらんことを考えているんじゃないだろうな」 「くだらんことじゃなくて、気持ちいいことなら考えてますけどね」 「なにッ…ッう…」 不意に、首の裏を強く押されて、思わず声が漏れる。 「ね。気持ちいいでしょう?」 そのまま、僅かに位置を変えながら、指圧していく指。 「あんた、今なんか、違うコト考えていたでしょう?」 揶揄うような声に、反論しようとした時。 「大佐。ヒューズ…准将の葬儀から先、殆ど寝てないスよね」 さり気なく囁かれた言葉に、一瞬身体が身構えた。 「もっと身体を大事にして下さいよ。皆、心配してますよ」 「自分の体調のことくらい把握している。お前等に心配なんざされてたまるか」 「把握してる人間は、こんな時間まで独りで呑んでないで、さっさとあったかいスープでも飲んで寝てるんです。ほんと子供なんスから」 「お前に子供扱いされる筋合いはないと思うがね」 「年齢の問題じゃないスよ、こういうのは。まあ、あんたのそういうとこが放っておけないってヤツは、男も女も関係なく多いんでしょうけどね。俺もそうですし、中尉や…ヒューズ准将もそうでしょうからね」 ヒューズ准将。 聞き慣れない、その言葉を口にするたびに、ほんの僅か躊躇うように間をあけるハボックに、小さく舌打ちする。 「何も知りもしない癖に、知ったような口をきくものだな」 「ええ。知りませんよ。だから、あんたに聞きにきたんです」 「なんだと?」 思いも寄らない台詞に思わず振り向きかけたものの、背後からバスタオル共、頭を掻き抱かれて身動きがとれずに。 「ね、聞かせて下さいよ。ヒューズ准将のこと。昔からの知り合いなんでしょう?」 「おい、ハボック」 「士官学校が一緒だったんでしたっけ? 准将って、どんな生徒だったんです? 優等生、には見えなかったっすけど、他の生徒の人望はあついってタイプっすよね」 「ハボック少尉」 「一緒に悪さのひとつやふたつしたんでしょう? あんた、人付き合い苦手だから、随分と面倒みてもらったんじゃないっすか? あの人、そういうとこ、すごくマメに見えっから」 「ハボック!」 空のグラスをテーブルに叩き付けて、声を荒げると、ようやく背後の声が止んだ。 「…なんの冗談だ」 「冗談? 何がです?」 「ヒューズ准将のことはお前には何の関係もないだろう。一体どういうつもりだ」 「俺には関係なくても、あんたには関係あるでしょう? ここんとこ毎晩こうやって呑んだくれてんのだって、准将のこと思い出してんでしょう?」 「思い出してなんかいない」 「あ、別に嫉妬してんじゃないっすから。思い出話聞かせる相手がいるのも案外いいもんすよ?」 「思い出してなんかいないと言ってるだろう!」 「大佐」 そう、思い出してなんかいない。 それなのに、なんだってコイツはそんな声を出すのだろう。 まるで小さな子供をあやすかのように。 「もう、忘れたんだ」 「大佐」 「ハボック中尉。もう、遅い。さっさと戻って…」 「忘れたらいけないっすよ」 「ハボック?」 剥がれ落ちたバスタオルのかわりに、ハボックの指が直接髪を弄る。 「忘れちゃダメです。あんた、ヒューズ准将のこと、好きだったんでしょう?」 「私は別にっ…」 「ヒューズ准将だって、あんたのこと好きでしたよ。何故判るんだとか言わないで下さいよ。そんなモン、誰だって知ってることっすから」 とんでもない台詞を淡々と口にして。 「あんた、すっごく甘やかされてたでしょう。あれだけ家族想いの准将が、その家族とおんなじくらい大事にしてたのは、あんたでしょう。准将から電話がくるたびに、あんたが嬉しそうな顔すんのを見るの、皆で楽しみにしてたんすよ」 「嬉しいワケがないだろうがっ。あんな惚気電話っ」 「あんたが嬉しそうだから、あの中尉が、あんたと准将の電話の間だけは文句も言わずに黙って待ってたんでしょうが。ほんとに自覚なかったんすか?」 「……」 「あんたとヒューズ准将が特別な絆で結ばれてるってことくらい、誰だってわかってんです。まあ、俺は、個人的な理由で、もうちょっといろいろ複雑な想いも抱えてんですけどね」 ちょっとだけ溜息混じりに呟いてから。 「そんなあんたが准将のこと忘れてどうすんですか」 「別に存在自体を忘れようと言うわけじゃない。ヒューズの仇は必ず打つ」 「だからそうじゃなくて」 指が頬を撫でる。 「思い出も忘れたらいけないんですよ」 「必要ないことだ」 「必要です」 「ハボック少尉。お前はさっきから一体何が言いたいんだ」 「忘れないで下さいってことです。准将のことを、全部。楽しかったことも、面白かったことも、痛かったことや辛かったことも全部、あんたが忘れたらいけないんです」 「ハボック」 「多分、あんたのことだから、忘れてしまおうとしてるって思ったんすよ。だから、来たんです。あんたに忘れさせないように。あんたと一緒に准将の話をたくさんして、あんたの話す准将の話をたくさん聞くために、俺は此処にいるんです」 「…何故だ。お前は、私がアイツのことを忘れた方が、都合がいいんじゃないのか?」 「それは言いっこナシっすよ。つーかね、これしか俺にはできないんで」 「ハボック?」 「もしも死んだのが俺だったら、アンタがここまで悲しんでくれたかどうかも解らないっすけどね。まあ、多少は悲しんでくれたとして。そんなときは、きっと准将が、あんたを慰めると思うんです」 こいつは一体何が言いたいのだろう。 「准将なら、あんたを優しく抱き締めて、そして、あんたが何も考えられなくなる迄あんたを抱いて、あんたを寝かしつけることもできると思うんです」 でも。 何気ないように続ける奴の指が、僅かに震えて。 「俺には無理です。俺はあんたをそんな風に慰める程の器は持っちゃいない。あんたが准将に対して思ってる想いの半分も、俺に対して持ってもらってるなんて考えたこともないです。ただ、こんなこと、他の奴は、あんたに言えないでしょう? だから、これが俺の役目なんです」 そして、ゆっくりと覗き込んで来る蒼い瞳。 「ヒューズ准将のこと、忘れないで下さい」 忘れてしまおう。 つい数十分前に決心したというのに。 「忘れたらいけないっすよ」 忘れてしまえ、と真先に言うと思った、この男が。 「いや、これでも結構複雑なんすけどねえ。男ゴコロっつーのも、結構微妙だってことに、初めて気付いたっつーか」 照れ隠しに笑った男が、もう一度、言う。 「忘れたらだめです」 『忘れんなよ』 不意にあいつの声が聴こえたような気がした。 「ったく、どうしようもないヤツだな。お前は」 「へ?」 耳の垂れた大型犬のような顔で、ハボックが首を傾げるのを見つめて。 「お前がやたらと女性に振られる理由が解ったような気がするな」 「わ、なんすか、それっ」 酷く憤慨したような声で叫ぶ奴を無視して椅子から立ち上がる。 「大佐? どちらへ?」 「寝る」 「あ。えっと。じゃ、あの。…おやすみなさい」 「馬鹿か、お前は。お前も一緒に来い」 「いいんすかっ」 飛び上がるようにして駆け寄ってくる忠犬の額を弾いて。 「一晩中、思い出話に付き合わせてやる。マッサージ位ならさせてやるから黙って聞いてろ」 「ちょ、大佐。それキツイっすよー」 「煩い。お前の希望だろうが」 「大佐ーっ」 情けない声を背後に、久し振りに声を出して笑う。 嬉しそうに近寄ってきた奴を、思いきり揶揄いながら。 『忘れないさ。』 目蓋に焼付いた、目尻に皺を寄せて嬉しそうに笑うヒューズの笑顔に誓って。 fin. |