図書室 / くろいぬ
【ハボロイ】







『図書館』




 その部屋は広く、静けさに満ちていた。
 壁全体、高い天井まで届く書架、移動式の梯子、余裕を持って配置された、何冊もの本を広げられる大きな机。
「大佐……?」
 図書館のエントランス前で先に車から降りたロイの姿を、駐車場に軍用車を停めている隙に見失ったハボックは、奥の一室に入るとぐるり周囲を見渡した。
 探し人はすぐに見付かる。
 梯子の中程に躯を捻るようにして腰かけ、重たげな本を開き読み入っている。
 不安定な体勢で、欲張って脇にも何冊かの本を挟み、ページを捲るのもひと苦労という風情であるのに。
 唇が淡い笑みを象る。
 本の世界に入り込んでしまっている。
「持ちます」
 ハボックは小さく声をかけ、胴体と腕の隙間で今にも滑り落ちそうになっている本を受け取った。
「ああ」
 上の空の短い返事。
 
『机について、落ち着いて読んじゃどうですかね?』
 今までに何度も繰り返した言葉を、ハボックは飲み込んだ。
 この状態になってしまうと、もう何を言っても無駄なのだ。
 大きな革装金縁補強の重たい表紙を支え、羊皮紙のページを必死で捲り、インクの匂いを嗅ぎながら情報の海に埋没して、他のことなど判らなくなる。
 何もかもを忘れてしまう。
 いつかのエドも同じだったと、ハボックは金色の目をした子供の顔を思い出した。
 ふとした機会に見せつけられる、錬金術師達の研究者気質。
 必要な情報、欲しい情報を目の前にした時見せる、この貪欲さと集中力。
 それでいてロイもエドも、本の世界に没頭している間には、ひどく幸福そうな表情を浮かべるのだ。
 情報を刻みつけた脳を高速回転させ、一体どのような理論を組み立て、繰り広げているのだろう。
 この人達の見る世界は、自分達の見るものとは違うものに目に映っているのではないのか……?
 埒も明かないことを考えていたハボックは、ロイが急に眉を顰めるのに気づいた。
「こっちの本には載ってないか」
 腰掛けていた梯子から身を乗り出し別の棚を物色し始めるロイを見て、ハボックは本を受け取ろうと焦り腕を伸ばした。

 ロイが手当たり次第に抱え込む本を受け取り、机に運び積み上げる。
 書架と机の間を何往復したろうか。
 ハボックがその回数を数えられなくなった頃、ロイは一冊の本の目次を目で辿り、奥付から索引から参考文献まで確認し、得心したように頷くと最初のページから読み始めた。
 相変わらず梯子に横座りで、ハボックの頭の上より少し高い位置に落ち着いてしまった。
 一心不乱に読み耽る内に、自分の居場所を失念しかねない。
 急に立ち上がり前に一歩踏み出して……、などということは、まさか流石にないだろうとは、ハボックは信じ切ることが出来なかった。
「まさか、ね」
 そう呟きながら、ロイの足元に控え、梯子の下で待ち構えていた。

 時が過ぎた。
 ハボックは最小の所作で軍服のポケットから時計を取り出し、時刻を確かめた。
 そろそろ移動をしなければ。
 夕刻には軍議の予定も入っている。
「大佐」
 囁くように呼んでみるが、ロイは気付く気配も見せない。
 もう一度、先刻よりも大きな声でロイの名を呼ぼうとハボックは息を吸い込み、溜息を吐き出した。
 梯子の上に陣取るひとは、わくわくと嬉しそうにページを捲る。
 この楽しみを中断されたら、きっと楽しい遊びの時間の終わりを告げられた子供のような失望の表情を浮かべるのだろう。
「……帰りの車をトばせば何とかなるか」
 長針短針の動きを一頻り睨みつけてから、ハボックは時計を元通りポケットにしまい込んだ。

 ゆっくり、確実に時が過ぎて行く。
 陽の差し込まぬ部屋ではあったが、空気の僅かな変化をハボックは感じ取った。
 またロイに声をかけようと、ハボックは梯子見上げる。

 ああまだ。
 子供の顔をしている。

 諦め混じりに苦笑して、ハボックは胸ポケットを探り煙草を取り出した。
 手首を軽く振ってパッケージから一本頭を覗かせた煙草を、唇で挟み取る。
「館内は禁煙ですよ」
 気付かぬ内に背後に近付いていた司書に窘められ、ハボックはその場で飛び上がりかけた。
「すみません」
 慌てて煙草を元に戻し、直立不動の姿勢で司書が離れて行く後ろ姿を見送る。
「粗忽者。この部屋には特に稀覯本が集められている。アメストリスの至宝を煙草の煙で燻すなど、罪深いにも程がある」
「大佐っ」
 振り向けば、ロイがゆっくり梯子から床に降り立つところだった。
 かつん、と音を立てて、ロイの軍靴の踵が地に着く。
「さあ行くぞ。……何だ、ハボック少尉。どうかしたのか?」
「いえ。お帰りなさい」
「はァ?」



 ふたりは図書館のエントランスから駐車場へと向かった。
 ロイは片腕に数冊の本を携え、もう片方の手で開き持つ本を歩きながら読み続ける。
 その後ろを歩くハボックは、ずしりと重たい本の山を両手一杯で抱えている。
「軍議の時間が迫っているな。もっと早く教えたまえ」
「聞く耳持たなかったのは一体どこのどなたさんでしょうかね。ああ、煙草。煙草吸わせてくださいよ。今までずっと我慢してたんですから」
「駄目だ。車の中でも読む。おまえの煙の匂いが本に染みつく」
「大佐ァ」
「泣き言言わずに我慢しろ」
 本だけ見ているロイを、前が見えない程本を抱えたハボックが追った。
 ハボックには、ロイの足取りが常より軽く、声に機嫌の良さが滲んでいるように感じられた。
「ハボック、次もまた荷物持ちに付き合ってくれるな?」
「へえへえ。何時でもお付き合いしますよ」
 自分の足取りも羽根が生えたように軽く思えて、ハボックは、本の影でロイに見付からぬよう破顔した。

 





fin.