小さな欠片2 / 白猫
【ハボロイ】『期待』の続き 『もっと頑張れハボ編』





『小さな欠片2』






(4時間か)
ロイの勤務時間の終了までまだ少し時間があった。今のロイの忙しさを考えれば、多少の残業も当然有り得るのだが。
『健闘を祈るわ』
なんとなく、今日は残業はないような気がして、仕事を定時に終わらせたロイが帰宅するまでの時間を計算する。
(少し余裕があるな)
きっと疲れもたまっていることだろうから。
(大佐の好きなシチューと何か甘いモンでも)
今から手際よくやれば出来る筈だ。
「よし」
暫くの間、悩むのはナシにして、大切なあの人のために腕を振るおう。そう決めると、急いで市場への道を駆け出した。





部屋の中に、漂う甘い匂い。ぐつぐつと音をたてる大きな鍋。焼き立てを買い込んできた旨そうなパン。新鮮な野菜を盛り付けたサラダ。
「完璧だな」
あとは、これをどうやってロイの家まで運ぶかなのだが。帰宅して直ぐに試してみた愛車のエンジンは今日も不機嫌で。
「…もう一度試してみるか」
うまくかかってくれれば問題はない。もしも無理なら、そのときは…そのときだ。なんとかなる。天性の楽天的な性格に感謝しながら、くるりと背後を振り返ったとき。
カチャ。
玄関から聞こえる不審な音。
(鍵?)
確実に掛けられていた筈の鍵が簡単に開けられる音に、一瞬呆然とする。
「なっ…」
カチャリと回されたノブに、我に返って、慌てて飛び出そうとした目の前に現れたのは。

「大佐?」

あまりの驚きに、多分声もひっくり返っていたに違い無い。そんな自分に、ちらりとだけ視線を遣ってから、何事もなかったかのように、目の前を歩いて行くロイ。
「ちょ、大佐? あの、一体どうして…」
「お前に会いに来たワケではないから安心しろ。すぐ帰る」
「…は?」
ここは、どう考えても、自分の家で。自分に会いに来たのではなくて一体誰に会いに来たというのか、それ以前に何だって黙って入ってきてるのか、何だって鍵が開いたんだ、いやとにかくなによりも、なんだってこの人がいま此処にいるんだ?
頭の中が疑問で渦巻く中、すたすたと歩くロイが入って行ったのは、何度となく一緒に過ごした寝室。
「大佐っ?」
急いで追い掛けてみれば、ベッドに半身乗り上げるロイの後ろ姿。
「あ、あの」
「コイツを取りに来た」
「…あ」
振り返ったロイの手には、大きな黒い猫が一匹。

「お前がいつまでも返さないから悪い」
「あ、えっと。あの、すいません」
確かに。
ロイが出張に行く前にこの部屋に来たソレは、これまで返す機会がないままに、この部屋の住人になっていた。
「…煙草の臭いがする」
「すいません。気をつけてはいたんスけど」
「エリシア嬢の猫はヴァニラの匂いだったのに」
酷く不機嫌そうな顔で。
「早く返そうとは思ってたんすけど、まさか司令部に持っていくワケにもいかなくて」
「当たり前だ」
ぱんぱんっと叩いてから、ソレを片手に抱えたロイが、真直ぐに近付いてきて。
「退け」
「へ?」
「通れないだろう」
「あ、すいません」
自分が扉を塞いでいたことに気付いて慌てて道をあける。
「大佐? あの。何処に行かれるんですか?」
そのまま玄関まで進んだロイに声をかけると。
「帰る」
「は?」
「用は済んだ」
「あの、大佐? それだけなんですか?」
「他に何の用がある?」
…怒っている。
なんとなく、嫌な予感はしていたのだけれど。これは、かなり、物凄く機嫌が悪い。
「食事、まだでしょう? 大佐の好きなシチュー作ったんです。召し上がっていきませんか?」
「客人が来るのだろう? 私がいては邪魔になると思うが?」
そのままノブに手を掛けるロイを慌てて追い掛けて。
「客なんて来ませんよ」
「一人にしては豪勢じゃないか。いつもそんなものを食べているわけではないだろう。私に遠慮などすることはない。相手は女性か男性か知らないがゆっくり…」
「大佐っ」
さすがに聞き捨てならない台詞に少し声を荒げると、むすっとしたように口を閉ざす人。
「これはあんたの為に作ったんです。ここのところ、あんた忙しすぎて、どうせ碌なメシ食ってないでしょう? これからあんたのところに運ぶつもりだったんですよ」
さすがに驚いたような顔でちらりと顔を見たロイが、また視線を逸らす。
「私はそんなことを頼んでいない」
「頼まれていません。こんなこと、頼まれてすることでもないでしょう」
「頼んでもいないのに余計なことをするな」
「頼まれてはいませんし、余計なことかもしれないですけれど、今、此処にあんたがいて、旨いシチューがあって、俺はあんたに食べて欲しくて、時間もある。なら、食べて行くのに、何も問題ないでしょう?」
「私は別に…」
埒が開かない。なんとなく面倒になって、ロイの抱えていた黒猫をさっと奪って。
「おい、何をするっ」
「コイツは食うって言ってますから。コイツが食うまであんた帰れませんよ。なら一緒に食っていったらどうっすか? コイツの分取っても、あんたの分くらい楽勝で余りますから」
睨み付けてくるロイを残して、黒猫を抱いたまま、キッチンに戻る。このままロイが帰ってしまう可能性もないワケではないけれど。
かたん。
空気が凍ったような時間のあとで、小さな溜息と共に部屋に戻るロイの気配。腕の中の黒猫に心の底から感謝しながら、ゆっくりと詰めていた息を吐き出した。



「旨いっすか?」
「…ああ」
「よかった」
生クリームたっぷりのホワイトシチューと焼き立てのパン。大きめの皿に盛ったそれらが見る見るうちに減っていくのが、嬉しくて。
「サラダもちゃんと食って下さいね。自信作なんすから」
「野菜を洗って切っただけだろうが」
「ドレッシングが自家製なんです。まあ、たいしたコトないんすけど、でも結構イケルでしょう?」
「パンはお前が作ったんじゃないだろう」
「ああ、さすがにそこまで手がまわらなかったんです。今度非番のときには、ちゃんと焼きますから」
「……変なヤツ」
呆れたような表情に思わず笑いが漏れる。
「なんだ」
「いえ。衣食足りて礼節を知るってヤツだなあって」
「なに?」
「お腹空いていて、御機嫌ななめだったんですか?」
「…帰るぞ」
本当に立ち上がったロイを慌てて押しとどめて。
「すいません。俺が悪かったです。どうか座って下さい」
テーブルに頭が付く程に頭を下げれば。
「ふん」
仕方が無いとばかりに座り直す人。
「礼節を知るべきなのはお前の方だろう。部下のクセに偉そうに」
「はいはい。部下ですけどね」
「何か気に入らないか?」
「いいえ、全然。あんたの部下で本当によかったと思ってますよ」
「……」
「さ、ちゃんと食べて下さい。あとでデザートもありますから」
「デザート?」
「これはちゃんと手作りっすからね。楽しみにしてて下さい。きっとお気に召すと思いますんで」
「ふん」
興味なさそうに鼻を鳴らしたワリに、一瞬瞳を輝かせた人に、内心の笑いを隠すのに一苦労しながら、シチューのおかわりを訊ねて立ち上がった。



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