天を仰ぐ / くろいぬ
【ヒューズ・ロイ】【任官直後くらい?】





『天を仰ぐ』




 中央司令部勤務の青年士官が毎朝花を買って行く姿は、その通りでは馴染みの光景だった。
 民間に根深く広がる不満もあって、黒いコートの下に厳つい軍服を着込んだ職業軍人が、幼さの残る花売りの少女の花を選ぶ様子は当初周囲から好奇の目で見られていた。
 それでも、青年の穏やかな表情と少女の明るい笑顔のやり取りは早春の朝日の中で毎日続けられ、やがて街の光景のひとつと受け入れられるようになった。

「お花の好きな中尉さん、今日は疲れたお顔ね」
「ああ。来週は偉い人達が集まっての会議があるからね。私のような下っ端は何かと忙しいのさ」
 肩を竦めて見せる黒髪の青年に、腕に花の籠を下げた少女は「まあ」と言った。
「早く大変なお仕事が終わればいいのにね」
「私の為に、無事に終わることを祈ってくれるかい?」
「勿論!」
 断言する少女に向かい、青年は買ったばかりの小さな花束を掲げ、笑いながら歩き去って行く。
「ありがとう、また明日」



 軍基地入り口の憲兵詰め所に青年士官は立ち寄った。
「やあ。すみれの花はどうだい?」
「マスタング中尉」
 花束を見せる青年に、若い憲兵が敬礼する。
「先日頂いた花の蕾が開いて、あの通りまだまだ綺麗ですよ」
 憲兵は詰め所の窓の内側の、小花を活けたグラスにちらと目をやり言った。
「受付けに持って行ったらどうです? 中尉のファンの女の子達が喜びますよ」
「昨日は食堂の通いのご婦人方に渡したばかりだからな。では君の言う通り受付けに持って行ってみよう」
「まめなことですな」
 憲兵と別れて歩き出してすぐに、彼は友人から声をかけられた。
「色男、今日の花は何だ?」
「ヒューズ」
 同じ軍服に身を包んだ青年が、花束を掠めて取った。
「早咲きのすみれか。いい香りだ」
 ヒューズは束から花を一輪抜き取り、指に摘んでくるりと回した。
「全部他人に遣っちまわずに、一本くらいは自分で貰っとけ、ロイ」
 ロイと呼んだ青年の軍服の襟ボタンをひとつ外し、ボタンホールに一輪、濃紫色の小さな花を挿す。
「よく似合ってるぜ」

 テロ対策本部とプレートの掛けられた会議室では、近々開催される会議の警備を巡っての議論や報告が行われていた。
 抑えたざわめきの中、ロイは隣席に座るヒューズの手許を覗き込んだ。
「テロリストの特定作業は進んでるのか?」
「おう。来週の会議に向けて、国内からぞくぞくと集まって来るようだぜ。顔写真、見る?」
 ヒューズはそれまでぱらぱらと捲っていた分厚いファイルを広げた。
 大総統府が主催する軍需業者との技術懇親会が、近く中央司令部で開催されることになっていた。
 武器調達の手段を国外からの輸入に頼るテロ組織がそれを狙い、軍事企業トップの誘拐を企んでいるとの情報が入ったのは、随分と以前のことであった。
 軍部はこれを組織を一気に壊滅する機会にすべく、内偵を放った。
「セントラルでの奴らの本拠地が割れたのは、おまえも知っての通り。幾つかの隠れ家に別れて、会議当日、結集して鴨達の泊まる宿泊施設を狙うという計画らしい」
 ヒューズはセントラル有数の高級ホテルの名を挙げた。
「ホテル側もいい迷惑だな。何かあれば客足が遠のく」
「当日は宿泊客を装った憲兵ばかりになる筈だ。多少の銃撃戦を覚悟しても、軍上層部だの大企業だのとの縁は切りたくはないだろうよ」
「あそこのベッドは広くて絨毯の手触りもいい。バーのカウンターの磨かれたオークは芸術的な程だし、アンモナイトや三葉虫の化石が幾つも見つかるエントランスホールの大理石の柱は見事のひと言だ。将来は常連優良顧客になる予定だから、銃撃戦などせずにいて欲しいのだが」
「どこのホテルだろうが、やるこたぁ一緒だろ」
 ロイの名前が上官から呼ばれ、脱線して行く会話はそこで中断した。
「マスタング中尉、守備隊の手配はどうなったかね?」
「はい、増強人員の守備範囲は ―――― 」



「中尉さん、今日も疲れてるのね。寝不足なの?」
「会場の食事の支度から宿の手配まで、色々あってね。急に会議に参加したがる偉い人が多くて、ぎりぎりまで気を抜けないんだ。偉い人を守る人達も増やさなきゃならないし、その人達だってご飯は食べるしベッドも必要になる」
「お客さんが増えると大変だものね」
 少女からマーガレットの花束を受け取ったロイは、花びらを唇に触れさせた。
 少女の腕の籠には、普段とは比べものにならぬ程たっぷりと白い花束が揺れていた。
「うちもお客さんなの。だから頑張ってお花を売らなくちゃ」
「偉いな、君は」
 少女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「お父さんのお仕事のお友達が大勢来るんだって。ご飯も沢山作れるといいな」
 眩しい程の朝日の中、白い花と少女の頬が輝いた。



「……凄えな、おい」
「しょうがないだろ、全部買ってしまったんだから!」
 大量のマーガレットの花束を肩に掲げるロイの姿に、ヒューズは口笛を吹いた。
 ロイの来し方を眺めて見れば、はらはらと零れ落ちた花びらの足跡。
 こんもりとした白い花束に絡むロイの黒髪を、ヒューズは指先ですくった。
「今日もよく似合ってるな」
「面白がってるな?」
「当然」
 中央司令部のエントランスをくぐる、巨大な花束を持った青年は目立った。
 軍服の青に純白が映える様をヒューズはにやにやと笑みを浮かべながら眺め、視線に堪え兼ねたロイは白い花束を肩から下ろして無造作な手付きで押し付けた。
「ここで会ったがひゃく年目。この花束はたった今からおまえの物だ。持って行け」
「受け取ってやらなくもないがな、ロイ」
 ヒューズは張りのある花びらを掌でそっと撫で、開いたばかりの花を一本束から抜き取った。
「花びらむしる恋占いに使われる花だろ、コレ。花言葉も多分ソレっぽい奴だぜ?」
 慌てて花束を取り返すロイに向かって、ヒューズは高笑いを上げた。
「貰ってやるって言ってるのに。ロイ、おーい、ロイ! 受付で花瓶借りて、自分のデスクにでも飾っておけよ!」
 足音も高く遠離って行く友人を笑いながら見送り、その姿が見えなくなった頃にヒューズは掌の中の花を見た。
 生き生きと白い花びらを展開するマーガレットが風に揺れる。
 ヒューズは花に接吻け左胸のボタンホールに大事に挿した。

 対策本部には張り詰めた空気が漂っていた。
 青の軍服と黒の制服の憲兵の姿の他、ベレー帽のSP等が集まり火薬の匂いの染みついた指で地図を指す。
 部屋のそこかしこで、彼等の持ち込むライフルの油の染み込んだ鋼鉄が鈍く輝いていた。
「こんな所に置いたって、誰も見てくれやしないだろうにな」
 SP達の間を縫って大きな花瓶を窓辺に運ぶロイに、上級将校が顔を顰めて見せた。
「マスタング、何を呑気なことをやっている」
「朝、花売りから買ったんです。ちょっとした潤いのお裾分けですよ」
 ロイに続いて部屋に入って来たヒューズまでもが襟に花を飾っているのを見た将校は、呆れて溜息をついた。
「まあ、通勤経路もじきに変わる。花を愛でる習慣もそろそろ終わりだ。身を引き締めて行ってくれたまえ」
 SPの中でも最も恰幅のよい男が立ち上がり、それを合図に室内が静まり返り、幾度も繰り返された会場警備についての連絡や報告が始まった。
 あっと言う間に部屋に立ちこめた紫煙を透かして、窓辺の花は陽光を反射していた。



 数日が経過した。
 その朝、平穏な光景の中を、黒塗りの軍用車輌や兵士を積んだトラックが駆け抜けた。
 街の人々は開けたばかりの店先や窓から身を乗り出してそれを眺め、憲兵隊の勧告に慌てて店じまいをし、荷物を抱え幼子の手を引き避難を始めた。
 駆け出す人々や軍用トラックの巻き上げる砂埃が、朝の清しい空気を追い立てる。

「ここは危ないから早く離れなさい」
 人の行き交う大通りの片隅で呆然と立ち尽くす花売りの少女の肩に、黒髪の青年士官が掌を置いた。
 少女の手にする籠の中で、青と白のアネモネが柔らかな花びらを揺らしていた。
「あそこに家があるの。今日は家に近付いちゃいけないって言われてたけど、お父さんがあそこにいるの」
 少女は憲兵隊が集まる方向を指さした。
「君の父親の言うことを聞きなさい。他に家族は? 身近に頼れる人は?」
 青年を見上げた少女は、ふいに気付いたように呟いた。
「お花の好きな中尉さん。大事なお仕事は終わったの? 今日忙しいのじゃなかったの?」
 問われて青年は目を軽く伏せた。
「会議は既に終わっているんだ。一番重要な仕事は、今から始まる……」
 遠くから銃声が響き、駆け出そうと身を翻す少女の腕を青年は掴み止めた。
「近付くんじゃない! 君まで命を落とすぞ!」
「お父さん! お父さんが……!」

 藻掻く腕から離れた籠が、アネモネを宙にばらまいた。
 薄い花びらがスローモーションで舞い上がり、突風に飛ばされて行く。

『お父さん、逃げて!』

 空気を震わす一斉射撃の銃撃音が、繰り返し続いた。



「判ってた。判ってたの。お父さんのお友達はみんな怖い目をしていた。火薬の匂いがしていた」
 人の命を狙おうとしていると、判っていた。
 早春の冷えきった空気に、吐息が白く上がった。
 石畳に散らばるアネモネの青がまた、風に飛んで行く。
 くずおれかける少女の腕をロイは支え続けた。
「軍人さんにお花を買って貰ったと言ったら、お父さんは熱心に私の話を聞いてくれた。それが嬉しくて、中尉さんとのお話は全部お父さんに伝えてた」
「お父さんの他には、親族はいるのかい?」
「中尉さんはこれもお仕事だったの?」
 贋の情報も交えての会話を少女と交わすことが、ロイの任務のひとつであったのかと。
 俯いていた少女が顔を上げ、真っ直ぐに問いかけて来る瞳に出逢い、ロイは微かに眉を寄せた。
 少女の疑問は的を射ていた。
 それでも、どうしても伝えたいことがあるとロイは思った。
「 ―――― 今まで、きれいな花をありがとう」
  スミレ デイジー ノースポール
  スノウフレーク クロッカス
  早春の朝の空気に清しく咲いた花達を 今まで
「中尉さんが本当にお花が好きでよかった」
 少女の震える声が、嗚咽に変わった。



「……で? その子はどうしたんだ?」
「あの子は組織のことを父親から聞かされていない。調書を取るまでもないと判断したので、そのまま遠方の親戚の元へ向かわせた」
 中央司令部。
 本部へ戻る途中のロイを屋上へと連れ出し、上官よりも先に詳細を報告しろと迫ったヒューズは、手摺りに体重を預け風の吹く方向へ飄々とした顔を向けている。
 ロイも同様に手摺りにもたれ、同じ方角を眺めていた。

 東部の田舎に祖父母がいるのだと少女はロイに言った。
 もう何年も会ってはいないが、穏やかで辛抱強く、愛情深い人達だったと。
 ポケットから取り出した祖父母からの手紙は、常に持ち歩いているらしく四隅が擦り切れかけていたが、辛うじて差出人の住所は読み取れた。
 ロイは憲兵のひとりに、少女を手紙の住所まで送り届けるように言い付けた。

 テロリスト達は軍との圧倒的な力の差の前に、あっけなく破れた。
 密かに開催された『技術懇親会』はその場で軍と業者との商談の場となり、そこで大量発注された最新式の武器弾薬が、今回のテロリスト殲滅に投入された。
 新型銃の性能試験として、一方的な殺戮が行われたのだ。 
 ひとつのテロ組織は壊滅したが、他の組織との関わりを示す証拠は何も発見出来ず仕舞いで、ロイ達が対策本部に帰還した時にには、また新たにテロ組織からの犯行声明文が到着しているという有様だった。
 ひとつの作戦が終了したばかりというのに、次の作戦が押し寄せてくる。

「子供絡みの任務はもう御免だ」
「流石にあれはイレギュラーだ、おまえみたいに目立つ奴を餌にすることはもうないだろ」
 テロリストを特定し、その娘が毎朝市場で仕入れた花を街路で売っているという情報を、どこからか拾って来たヒューズが言った。
「彼女が花を売ってた場所がおまえの通勤経路に当たっていたこと、おまえが童顔で子供に警戒心を起こさせないこと、子供と謂えども女ならば女たらしのマスタングの範疇なこと、朝のおまえは本当に寝起きの悪い呆け顔だから用心されにくいこと……。今回は適材適所という奴だ、もう二度とない」
「……消し炭にしてやろうか?」
 ロイの他にも、ホテルや軍に出入りしている食材店などの従業員として潜入した者もいた。
 それにしてもと、ロイは思う。
「密偵紛だの美人局だのに近い任務だろうが、戦場に赴けばそこら中を焼き尽くす私としては、仕事の選びようなどないし喜んでやるさ。ただ今回みたいなのは……」
 ロイの脳裏に、光を吸い込んで輝く花々と、真っ直ぐに向けられた笑顔が浮かんで消えた。

「妙齢の女性相手なら考えんでもないんだがな」
 急に口調を替えたロイをヒューズは苦笑し見つめた。
「ロイ、おまえ、今回の人選の一番の理由を知ってるか?」
「は?」
「花背負って似合う奴が他にいなかったんだよ。これが最大の理由。色男は辛いねえ」
「今度は花屋にでも潜入するか」
 ふたりの洩らす乾いた笑いを、風が浚って行った。



「ところで花の似合うロイ・マスタング君。君に貰った花のことは一生涯忘れないよ」
「贈ったつもりなどひとかけらもないが」
「照れるなって。ちゃんと押し花にして取っとくから」
「馬鹿な遊びはやめたまえ、マース・ヒューズ」
「押し花が完成したらきれいな色の台紙に貼って、記念の日付と花言葉でも書き添えておこう」
「ヒュー……」
「マーガレットの花言葉、『心に秘めた愛』」
「今すぐに廃棄しろ!」
 ロイの剣幕に、ヒューズは大声で笑いながら駆け出し、階下へと向かう階段室に飛び込んだ。
 追い掛けようとしてロイは、天を仰いだ。
 尽き抜けるような蒼穹に、今朝見たアネモネの花びらを想った。
 儚げな花弁が、遠く遠く、どこまでも風に乗って行けばよいと願った。






fin.