ティータイム / 白猫
【ハボロイ】



『ティータイム』




「大佐。少し休憩しませんか?」
読み耽っていた分厚い書物に一区切りついて、小さく息を付きながら軽く首を巡らせたところで、さり気ない声が掛けられて顔を上げた。
「旨い紅茶があるんです。それに温かいスコーンも。少しお腹空いたっしょ?」
「…ああ、そうだな」
言われてみて初めて空腹に気付いて、手にした本をぱたんと閉じると、視線の先で、嬉しそうに笑うハボックの顔。 
「手、洗ってきて下さい。すぐに用意しますから」
居間の窓際に置いた大きな椅子から腰を上げて、洗面所に向いながらテーブルを見遣れば、綺麗に並べられた真っ白な皿とカップ。こいつは何時の間に、これを用意したのだろう。すっかり書物に没頭してしまえば、周りのことなど何一つ目にも耳にも入らなくなる自分が、一瞬だけ本から目を離す、その瞬間を見計らって声を掛けてくるのは、ハボックの得意技の一つだった。
言われた通りに手を洗ってから、冷たい水でざっと顔も流す。丸一日の休日を、多忙な中、溜まる一方だった本を読みながら過ごそうと決めたのが昨日の夜。夕食後、本を読みながら、そのまま眠り、目を覚まして、またそのまま読み続けた。途中、夜勤明けのハボックがやってきて、文句を言われながら、遅い朝食兼昼食を取らされて。それから、ハボックを寝室に追いやって、また本を読み始めたのが、確かちょうど昼頃。今は、射し込む陽が茜色がかっているのをみると、もう夕方なのだろう。
(あいつは寝たのか?)
昼前に食事をしてから、何時間たっているのか正確にはわからないが、それから後片付け等を済ませたハボックが、今、この時間に、すっかり目を覚まして、しかもティータイムに誘ってくるのは、真っ当な事なのだろうか。眉を顰めながら、居間に戻ると、テーブルの上には、既に温かいスコーン、湯気をたてるティーポット等が並べられていた。
「今、紅茶いれますから。もう本読んだら駄目スよ。ちゃんと休憩しないと疲れちまう」
そう言いながらハボックがテーブルに乗せた小さなトレイには、ジャムとクロテッドクリームの小さな瓶が並ぶ。
「疲れるのはお前の方だろう。ちゃんと寝たのか?」
「寝ましたよ。あ、カップ、すみません、こっちに寄せて貰えます?」
さり気なく話を逸らそうとする奴を軽く睨んで。
「クリームは切れてたと思うがね。買い物に出たのだろう」
「あー。まあ、少しだけ」
「少しだけ出掛けたついでに、夕食の買い出しもしてきた、と」
「いや、ほら、だって、此処なんにもなかったスから」
「ハボック」
「大丈夫です。明日は昼からなんで、今夜ゆっくり眠れますし」
話を切り上げたくて仕方がないらしいハボックが、ポットの紅茶をカップに注ぐのを見ながら、ふうと息を付いて。
「なるほど。それなら今夜はナシにしてやるから、ゆっくり眠ればいい」
「……へ? ちょ、ちょっとそれって…うわっ」
「おいっ、何をやって…、熱ッ…」
「大佐!」
熱い紅茶をカップに注ぐ最中、一瞬視線をこちらに寄越したハボックの手許が狂う。テーブルにそのまま注がれた紅茶が押し寄せてくるのを思わず手で押し遣った途端に広がった熱と痛み。
「あんた何やってんですかっ」
「それをお前が言うかっ」
「いいから早く冷やして!」
何故、ここで自分が怒られるのだろう。憤慨してる間に、引っ張られるようにして連れていかれたキッチンの流しで、背後から抱き込まれるような恰好のまま、冷たい水に手を突っ込まれて。
「別に、ここまでする必要はないだろう」
「バカ言わないで下さい」
「バカは私なのか?」
「…俺です」
不意に、手首を痛いくらいに掴んでいた手が外されて、かわりに背中から、ぎゅっと抱き締められた。
「すみませんでした」
「寝不足で注意力が散漫になっているんだろう。だから無理をするなと言っている」
「本当にすみません」
「ハボック」
「ごめんなさい」
小さな声。普段、鷹揚としている割に、こういうときのコイツは、驚く程に悄気返るから。項垂れた大型犬に、絆されてしまうのはいつものことだと肩を竦めて。

「そんなに痛いか?」
「痛いのは大佐でしょう」
「お前の方が痛そうなカオをしている」
「あんたが痛いのはイヤなんです」
「私は、お前がそんなカオをする方が嫌だがな」
「大佐?」

水の雫を垂らしながら、ゆっくりと振り返って、ハボックの首に手を巻き付ける。ひんやりとした手の冷たさに、一瞬身震いするハボックが可笑しくてうっすらと笑うと目の前の蒼が僅かに広がった。

「もう大丈夫だ」
「たい…」

重ねた唇から、そっと舌を差し入れると、少し躊躇ってから、絡まる舌の苦い味。

「ちゃんと寝ろ」
「はい」
「独りでは眠れないなら、寝かせてやる」
「大佐?」
「食事が終わったら、お前が眠るまで」
遊んでやるから。
耳許で囁いて、赤く染まった耳朶をそっと噛むと、ハボックが嬉しそうに笑った。


「ね、大佐。せっかくですし、食事の前に、前菜はダメっすかね?」
あっという間に、立ち直った奴の不埒な指に素知らぬ振りで一言。
「そうだな。実は、さっきお前が紅茶を零したテーブルクロスは祖母の形見でね」
「…え」
「あれに染みが残るようなことがあれば、矢張り当分主菜もナシだな」

一瞬固まったハボックが慌てて居間に走っていくのを、笑いながら見送って。
この家を借りたときに、据え付けのテーブルに掛けてあった古びたクロスをハボックが必死に洗う間、ゆっくりティータイムを楽しむことにする。


温かいスコーンと熱い紅茶。それに、視線をあげれば、いつでも注がれる綺麗な蒼い眼差し。
こんなひとときの為になら、本を閉じるのもそんなに悪くはないのかもしれないなどと考えながら。





柔らかな陽射しが、金色から茜色にかわるとき。
心地よい午後のティータイム。





fin.