| 蒲公英 |
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【ハボロイ】(『蒲公英』) 『桃色たんぽぽ』 「ただいま戻りましたっ」 ガタン、と大きな音をたてて開けられた司令室の扉から、ハボックが部屋に入ってきたとき、彼の直属の上司であるロイ・マスタングは、その優秀な副官から大量の書類を手渡されたところだった。 「おかえりなさい。少尉」 声をかけたのは、勿論副官であるホークアイ中尉の方で、ロイは軽く眉を上げるだけに止める。 「さっき学校から連絡があったところよ。貴方達の働きに感謝しますって」 「そうっすか。ならよかった」 嬉しそうに笑ったハボックが、手にしていた紙袋をロイのデスクの上に置いて、ポケットから煙草の箱を取り出した。 「喜んでくれたのは嬉しいんスけどね。煙草、吸えなかったのには、参りましたよ」 「ずっと吸わなかったのか?」 「持っていかなかったんスよ。持ってたら、つい無意識に吸っちまいそうで。さすがに小学校での喫煙はマズイっしょ。これはさっき食堂で買ってきたんです」 「思いもかけないところで気が弱いな、お前は」 思わず呟いたロイの言葉に、ハボックが顔を顰める。 「どうせなら繊細って言って下さいよ。せっかく手伝いに行っても、軍人がエラそうに煙草ふかしてたら、子どもたちには迷惑なだけだろうってんで、こんなに長い時間我慢したってのに」 「それくらい当然のことだろう。威張る程じゃない」 「…あんたね」 何か言いかけてから諦めたように首を振ったハボックが、銜えた煙草にそっと火を着けた。 今日ハボックの隊がでかけていた先は、街の中にある小さな小学校だった。広い校庭に大きな綺麗な花壇があるのが自慢で、毎日、教師と子どもたちが一緒になって、たくさんの花を世話していたというどこにでもある普通の小学校を襲った奇禍。 「それで、犯人の手がかりはあったのか?」 「犯人つーか。どうやら近所の悪餓鬼共の悪戯みたいスね。ああいう悪さはいずれバレるもんですし、数日中には取っ掴まってると思いますよ」 昨日の朝、登校してきた彼等の目の前に広がった惨状。自慢の花が、踏み荒らされ、引き抜かれて、見るも無惨な有り様になった花壇に、子どもたちも教師も、あまりのショックに一日授業にならなかったという。それでも、事件と言える程の事件でもなかったこの出来事が軍部にまで伝わったのは、花壇を丹精していた女性教師が、以前視察の際に、「何かあったらいつでも頼ってきなさい」とにこやかに笑った、優しい国軍大佐のことを忘れてはいなかったからに他ならない。昼になってから、真っ赤に泣き腫らした目でやってきた栗色の髪の女性教師が、帰るときには、頬を真っ赤に染めていたことに、溜息はついても不思議に思うものは此処にはいなかった。 (任せておきなさい) いとも簡単に請け負ってくれた上官のおかげで、ハボック隊は早朝花市場が開くのを待って、すべての苗を買い占める勢いで買い集めると、そのまま学校へ直行。それから、今迄、これまで以上に立派な花壇を作る為、子どもだちと一緒に汗を流していたのだった。 「市場の花を軍人が買い占めるというのも不粋なものだな」 「…命令したのは誰なんすか」 「騒ぎを起こしたりしてないだろうな」 「この街の花屋で、大佐の為に動かないような奴はいませんよ。その上、理由がアレっすから、逆にあれもこれも持ってけって、自分の店に戻った連中から、直接学校に苗や肥料が届けられる始末で」 可笑しそうに笑うハボックは、花屋の好意は自分自身にも向けられていたのだということには、微塵も気付いている様子はない。街に何かの災害等があれば、いつでも飛び出していくハボック隊のなかでも、気さくで誰よりもよく働く隊長は、本人が思う以上に、この街の人気者だった。 「どうしようもない天然タラシだな」 「へ?」 「いや、別に」 にこりと笑うロイと小さく肩を竦めるホークアイに、ハボックが訝し気な視線を送る。 「まあ、いいっすけど。そんなことより、大佐。あんたは何だって行かなかったんすか? あの先生、あんたのこと待ってましたよ」 「ああ、心配は無用だ、ハボック少尉。ちゃんと後日の約束は取り付けてある」 「……」 思わず言葉を失ったハボックに、にやりと笑いかけてから、ロイがゆっくりと背凭れに身体を預けた。 「とにかくご苦労様。コーヒーでもいれるわね」 「あ、すいません、俺やりますっ」 「いいのよ、少しゆっくりなさい」 涼やかに笑うホークアイに、つられたように笑顔を返したハボックが、ふと思い出したように目を瞬いた。 「あ、そうだ。中尉、これ」 「え?」 そのまま、デスクに乗せていた紙袋から、大きな鉢植えをひとつ出して。 「お土産です。苗があんまり多かったもんで、先生が寄せ植えにしてくれたんすよ。司令部で飾って下さいって」 「あら、ありがとう。向こうに飾ってしまってもいいのかしら?」 「大丈夫です。こっちのは別にありますから」 「じゃ、有り難く戴くわね」 にこりと微笑んだホークアイが、鉢植えを手に部屋を退出するのを見送ってから、ハボックがロイに向かって振り返った。 「で、また拗ねたりしないで下さいね」 「誰がっ」 「あんたが。今日は帰っても家に鉢植えが並んでるワケじゃないんで」 ほんとはそれもやってみたかったんすけどねえ。 そんなことを言いながら、もういちど紙袋に手を入れるハボックを、ロイが睨みつける。 「あんたにはこれ」 そんなロイの視線をものともせず、すました顔で取り出したものは。 「…これか?」 今し方、ホークアイが持って行った鉢の5分の1くらいだろうか、小さな小さな素焼きの鉢に淡い桃色の花。 「俺からあんたへの愛です」 「随分と貧相な愛だな」 「ひでえ」 笑いながらハボックがデスクに下ろしたそれを見て、ロイが首を傾げる。 「何の花だ?」 「何だと思います?」 「…蒲公英?」 「あたり」 淡い桃色の花弁に鮮やかな緑の葉。柔らかな色合いのそれは、確かにどこでもみかける小さな花にそっくりなのだが。 「こんな色もあるんだな」 「俺の田舎では結構みかけるんすよ。でも、こっちでは黄色とか白ばかりでしょ。別に気にしたことはなかったんすけど、今日朝市でみかけたら、すごく懐かしくなっちまって」 学校の片隅に捨てられていた小さな素焼きの鉢を貰って自分で植えたのだと、嬉しそうに笑う。 「蒲公英ね。こういうものを持ってくるところがお前の気のきかないところだな」 「何のことです?」 「蒲公英には、別離の意の花言葉があるのだがね」 どうせ知らなかったのだろう、と、にやりと笑ったロイに、ハボックがなんでもないことのように応えた。 「知ってますよ」 「…知ってる?」 「ええ。さっき、先生にきいたんです。恋人に贈るにはむかないって」 「それでどうして私のところに持ってきたんだ?」 眉を顰めるロイに、僅かに瞬いてから、ハボックが笑顔をみせる。 「だって、あんたはそんなの気にしないでしょう? あんたが花言葉なんか気にするのは、女性に花を贈るときくらいだろうし、それに」 そしてその空色の瞳をまっすぐにロイに向けて。 「蒲公英の花言葉には他に『幸福を知らせる花』という意味もあるそうです。だったら」 吸い込まれそうなほど透き通った綺麗な蒼に、ロイが映る。 「俺があんたといてどんなにしあわせか、あんたに知って欲しいなあって」 「なっ…」 「失礼します。珈琲をお持ちしました」 「あ、すいません」 ノックと共に掛けられた声に、ハボックが急いで扉を支えに走る。 「少尉。貴方は?」 「あ、向こうで戴きます。報告書作成しますんで」 どうもありがとうございます、と、トレイの上の自分のマグカップを取ると、俯いたままのロイに向けて敬礼をひとつ残して。 そのまま部屋を出ていったハボックの気配が消えた途端、ロイがふうと息をついた。 「大佐?」 「あ、ああ。そこに置いてくれ」 「はい」 専用のコーヒーカップをロイのデスクにおろしたホークアイが、ふと小さな鉢植えに目を遣る。 「あら。蒲公英ですか」 「ああ。あの馬鹿が置いていった」 「少し、…似ていますね」 「そうか? あいつなら黄色い蒲公英の方だろう?」 呟いて、そのまま仏頂面でカップを口にするロイを見て、ほんの僅かに肩を竦めたホークアイが、大量の書類について一言だけ釘を刺しておいてから、何事もなかったかのように部屋を出る。 似ているのは、目許を赤らめている上司の方だとは口にせずに。 fin. |