体温 / 白猫
【ハボロイ】



『だからこのひとにはかなわない。』



「あんた、体温低いっすよね」
柔らかく重なる肌に、掌を滑らせながら、そっと囁く。
「なんだ、気に入らないのか?」
「まさか。気持ちいいっすよ」
耳朶を軽く咬んでから、ゆっくりとその白い喉に舌を這わせて。
「痕、つけても?」
「今更だな」
「1週間は、消えませんよ?」
3日後に予定されている中央への出張を当て擦れば。
「嫌ならやめろ」
「なんで俺が嫌がるんですか。あんたが困るんでしょう?」
「何故、私が困るんだ?」
しれっとして。その意地悪な表情に躯の熱を高められながら、薄い皮膚を喰い破るかのごとく吸い上げる。
「痛ッ…」
一瞬強ばった躯を宥めるかのように、今度は、そっと舌を這わせて。
「イイ性格してる…な」
「それはあんたのことでしょ」
「上官を好き勝手に扱うお前に比べたら、私は可愛いものだよ」
「好きに言ってて下さい。あんたを抱くたびに寿命の縮む思いをしている小心者の部下の事なんか、どうせあんたにはこれっぽっちもわかっちゃいないんスから」
「なんだ、それは」
さも可笑しなことを聞いたとでもいうように、くすくすと笑い続けるロイを無視して、舌先を喉元から鎖骨へと滑らせる。かり、と歯をたてた隣に、うっすらと消えかかった紅い痕。これをつけたのは、自分だっただろうか。それとも。
「何を考えている」
「なんでこんなのに引っ掛かっちゃったんだろうなあって思ってました」
「こんなの…」
憮然とした顔で口を噤んだロイに軽く噴き出して。
「嘘っすよ。光栄だと思ってますよ。ずっとあんたのことだけ見てたんです。まさか、こんな日が来るなんて思ってもみなかったスけど」
「白々しいな。最初に無理矢理押し倒したのはお前だろう」
「あんたが誘ったような気もするんですけどね?」
「さあな。忘れた」
にやりと笑うロイに苦笑を返してから、そっとその胸の尖りに唇を充てる。
「殺されるの覚悟でしたよ、一応。でも、あんたの焔になら灼かれんのもいいかなあって」
「馬鹿だな」
「馬鹿っすね」
小さな突起を舌で転がしながら囁けば、小さく息を呑む音。それを聞きながらふと口をついて出た言葉。
「ヒューズ中佐が」
「あ?」
突然の言葉に眉を顰める人。自分でも、今何故、その名前が口から出たのか判らなかった。ほの紅い痕と中央という単語とが、その名前を思い浮かばせたのだろうけど。
「ハボック?」
不思議そうに囁かれて、仕方なく言葉を続ける。ずっと気になっていたこと。
「中佐が、あんたのこと、ロイって呼ぶじゃないですか」
「…それがどうかしたのか?」
本気で訝しがってる声。この人は、ほんとに何にも判っちゃいない。
「あれを聴くたびに、なんつーかこう、むらむらっとくるワケっすよ」
ロイ。ローイ。おーい、ロイ。
ヒューズ中佐が来るたびに、否応無しに聞かされるその呼び声。
「あんたのこと、そんな風に呼ぶのはヒューズ中佐だけじゃないっすか。あんたがそれを許しているのはヒューズ中佐だけで。それを聴くたびに」
ああ、この二人の間には誰も入ることは出来ないんだ、と思い知らされる。
「お前、私のことを名前で呼びたいのか?」
「まさかっ。そんなことできる訳ないっしょ。そんな…」
微妙にずれた反応に、慌ててぶるんと首を振って。
ロイ。
自分がその名を口にすることを想像しただけで、体温が上昇する。
「ハボック? お前、顔、赤いぞ」
「大佐っ」
楽しそうに笑うロイを恨めしく見つめながら。
「あんた、ほんとに意地が悪過ぎますよ。俺がどんなに頑張ったところで、ヒューズ中佐には適わないのは自分でも認めてんですけどね。せめてこんなときくらい少しは俺のことも可愛がってくれてもいいじゃないスか」
「おい。デカい図体で拗ねるな。鬱陶しい」
「あんたねぇ」
はあ、と溜息をつくと共に、そのまま脱力して、自分より少し体温の低い身体に覆い被さる。
「重いぞ」
「ちょっとくらい我慢して下さい」
「おい、馬鹿犬」
「…あのね。この上、そういうことを言うんですか、あんたは」
「飼い主のいうことはきくんだろう? 退け、馬鹿犬」
「どうせ、馬鹿犬ですよ」
起き上がろうとした瞬間、ふと思い付いた悪戯。そのまま、舌を出して、目の前のキレイな顔をぺろりと舐めあげる。
「っ、ハボック! 何をっ」
「馬鹿犬が飼い主に懐いてるんです」
そのまま、ばたばたと暴れるロイを押さえ付けて、顔中を舐めまわす。
「おいっ、やめろっ、ハボック!」
目蓋から目尻へ、鼻筋、唇、頬、そして耳朶も。舌を這わせて、唇で挿んで、そして軽く咬みながら。本気で閉口したらしいロイが、そのうちに体力と気力を失くしてぐったりとベッドに倒れ込むまで。

「大佐? 大丈夫ですか?」
そっと囁くと、目許をうっすら朱くした人の恨み節。
「お前な。覚えてろよ。ったく、お前のマーキング好きは知ってるがな、今のは、やり過ぎだろう」
「どうせなら、俺のニオイつけたまま、中央に行って貰えたら嬉しいんスけどね」
冗談半分実はこっそり本気の戯れ言に、目の前のキレイな顔が唇の端を僅かに上げる。如何にもタチの悪そうな微笑み。
「成る程。それなら、まだ全然足りないな」
「大丈夫です。これから思う存分マーキングさせて貰いますから」
揶揄われていると知りつつも、頬が緩んで。呆れた表情になったロイが小さく肩を竦める。
「ほんとに馬鹿犬だな」
「そこから、どうしても進歩させて貰えそうにないんなら、いっそ最高の馬鹿犬になんのもいいっすよね」
そうして、この意地悪なひとを、降参させるまで、体中、余す所なく舐め尽すのも、いいかもしれないし。内心に沸き上がった不穏な考えに思わずにやりと笑った瞬間にかけられる言葉。

「ハボック」
「はい?」
「確かに私のことを名前で呼ぶのはヒューズだけだがな」
そして、この性悪美人は、綺麗な笑顔をまっすぐ向けてただひとこと。
「私のことを、あんた呼ばわりする奴も、お前だけだな」

そして、その一言に、あっけなく陥落する自分。

「…あんたには、かなわないです」
「当然だ。お前なんかに負けてられるか」

ベッドの上で押し倒されながらもエラそうなひとの。ゆっくりと上がってきた腕に引き寄せられて、深い接吻けを。



いつでも負けっぱなしだけれど。それでもいいと思えるようになったのは、このひとに出会ってからだから。


この人にはかなわない。
そう思える大切な人がいるしあわせを噛み締めて。




fin.