驟雨 / くろいぬ
【リザロイ】





『驟雨』



 ぽつと、頭部に雨の当たった感触に気付き足許を見ると、周囲には小さな黒い染みが点々と散らばっていた。
「大佐、雨です」
「急に強くなって来たな」
 市街地の視察中だった。
 古いアパートメントの密集した地区の道は狭く、車を停めた場所までは距離がある。
「雨宿りだ」
 アパートメントに押し潰されそうな程小さな雑貨屋の軒に向かい、マスタング大佐が駆け出した。
 そこら中で、行き交う人々が屋根を求めて足を早めていた。
 振り返りつつ走る人の傍に、私も走る。
 ざあと大粒の雨が路面を叩き、狭い軒下に待避した私達の軍靴に飛沫を飛ばした。
「通り雨だな。向こうの空が明るい」
 大佐は、並んだ店先で雨宿りする商人風の男と同じ仕草で、首をねじ曲げ空を見上げていた。
 私も、雲の切れ間を探して空を見上げた。

「君の首は細いんだな」
 声をかけられ振り向けば、雨宿りでただ立ち尽くすことに飽きたか、大佐が間近から見つめていた。
 つい視線の先の首筋を隠したくなり手を当てた。
 ひと筋、ふた筋の髪のほつれが気になって、いっそほどいてきつく結い直したくなる衝動に駆られる。
「重たい銃を構えるにはもっと躯が大きければよいのですが」
「いや、今のままで充分だよ。君の銃の腕を信頼している」
 大佐の声音に微かに笑いの成分が混じった。
「君はそのままが一番いい」
 対して気の利いている訳でもない誉め言葉を、楽しそうに音にした。

 雨音が強くなった。
 バケツの底を抜いたような強い雨は、じきに降り止んでしまうだろう。
 雨は通り過ぎてしまうのだろう。

 不特定多数の女性に囁いてきたであろう言葉を使われたことが、無性に腹立たしくなった。
「まだまだ鍛え足りませんが、大佐を背負う程度ならば余裕で」
「嘘だろ、中尉」
 大佐が大きく目を剥いた。
 この私が、あなたに嘘などつく訳がないのに。
「試しますか?」
「いや、いい……っ、うわ!」
 逃れられる前に手首を掴み、腕ごと躯を引いて荷袋のように肩に担いで持ち上げた。
「このまま歩けますけど」
「判った! 判ったから下ろしてくれ、中尉!」
「暴れないでください。落としてしまいそうです」
 ぴたりと動きを止める。
「中尉、君を疑った訳じゃない。許してくれないか」
 周囲の人々の呆気にとられた目線に気付き、大佐は小声で私に言った。
「君の鍛錬を疑うような事を言ってすまない。私が悪かった。」
 小麦粉の袋か何かのように担がれたまま、丁寧な嘆願の口調で、私に。

 返事はせずに、そっと大佐の躯を下ろす。
 大きな荷物を下ろした私よりも、深い深い溜息を大佐は漏らした。
「こわかった……」
 正直な感想まで漏らしてしまったのは、多分無意識なのだろう。
 その正直に免じて、無かったことにしてあげる。

「大佐、雨が弱まって来ました。車に戻ります」
「ああ、そうしよう」
 ざわめく周囲の忍び笑いに気付かぬ振りで、駆け出した。
 流石に並んで走らせてくれない。
 でも黒髪から覗く耳朶が染まるのは、背後からでも発見出来る。
 雲から差し込む日差しの中で、この人に見付かる畏れもなく、存分に顔をほころばせた。





fin.