しょうがない / 白猫
【ヒューズ&ハボック】【ヒューロイでハボロイ】



『しょうがない』





(悪い。今夜は戻れなさそうだ)

愛しい人からの電話にがっくりと肩を落としながら受話器を置く。キッチンには、昼から煮込んだ魚介類たっぷりのトマトスープ。明日から3日間出張のロイの口には、どうやら入ることがなさそうな自慢のスープを思って溜息をついたとき、玄関前のフロアに大きな雑音が響き渡った。


ドンドンドン。

ノック、というには、少々派手過ぎるその音は、まるで力任せに殴りつけているようで、思わず眉を顰める。誰だか判らないが、此処が東方司令部の事実上の司令官であるロイ・マスタング大佐の家だと知っての狼藉ならば、相当に肝の座ったヤツに違いない。自分のことは棚にあげて、そんなことを考えながら扉に近付いて誰何する。
「どちらさんスか?」
「……お前…」
何故だか絶句した相手の声には、イヤになるほど聞き覚えがあって。
「…なんでこんな所にいるんすか?」
「それはこっちの台詞だ、わんこ」
こんな風に自分を呼ぶのはただ一人。
ゆっくりと開いた扉の向こうには、思った通り、どこか憮然とした表情のマース・ヒューズ中佐がひとり佇んでいた。

「…何しに来たんスか?」
「ロイに会う為に決まってんだろが。お前は何だって此処にいるんだ?」
「大佐にちゃんとした飯食わせるためです」
「あー。なるほどね」
ぽんっと放り投げられた脱いだコートを受け取って、軽く叩いてから玄関にあるコート掛けに引っ掛けると、ヒューズの面白がるような視線が向けられて、顔をあげる。
「なんスか?」
「いや。怒んねーの?」
「何をです?」
「エラそうにコート放られて、投げ捨てようって思わなかったか?」
「へ? ああ。そういうテもあったんスね」
「おいおい、今から投げるなよ」
「しませんよ。仮にも上官なんですし」
「仮かよ」
軍靴を脱ぎながら笑うヒューズが、棚から自分専用の部屋履きを取り出すのを見つめて。
「で、ロイはどうした? まだ戻ってねえのか?」
「ああ。大佐、今夜は戻れないみたいです」
「は? なんだよソレ。今日は早番だろ、アイツ?」
「だったんですけどね。市庁舎で行われた会議に出席の後、街の名士が集まるとかいう夕食会に参加することになったそうで」
「ンなもん、サボって帰ってくればいいだろが」
「何処だかから来た将軍が一緒だそうで帰れないみたいスよ」
「なんだ、そりゃ。明日からあいつが出張だって聞いたからわざわざこっちの出張半日繰り上げてこんなトコまで来てやったってのに」
参ったなー、と頭を掻くヒューズに、参ってんのはこっちですよ、とは流石に言えずに苦笑だけ浮かべる。
「で、約束反古にされたわんこくんは、此処でクサってるってわけか」
「約束じゃないスからね。俺が勝手にやってきて、勝手に飯作ってるだけですし」
それでも、自分が来て待っていると確信して、電話をかけてきてくれたという事実だけで、今の所は満足だ、と言えば笑われるかもしれないが。
「それより中佐、飯まだでしょう?」
「ああ。ロイと一緒に出かけようと思ってたからな」
「俺の作ったモンでもよかったら、此処で召し上がりませんか? 大佐、明日からいないんでどうしようかと思ってたんです。中佐の口にあうかどうかはわかりませんけど、そんなにマズくはないと思いますから」
「俺? 俺でいいのか?」
「残したら勿体無いでしょ。かといって、大佐のいない家で独りで食うのもなあとか思ってたところなんスよ。それに、中佐だって大佐が普段どんなもの食べさせられてるか興味ないこともないでしょう」
「あー、それはそうだな。…んじゃ、御馳走になるかぁ」
「どうせ泊まりなんだったら、先にシャワーでも浴びてきてください。その間に、いろいろ温め直しておきますから」
「…わんこ、お前な」
「はい?」
「いや。いいわ。シャワー浴びてくる」
何となく微妙な表情で首を振りながら浴室に向かうヒューズの背中に声をかける。
「タオル、判りますよね?」
「たりめーだ。この家にロイが越してきたときから通ってんだぞ」
「それはどうも」
当然の主張に少しだけ肩を竦めてから。自慢のスープを火にかけるために、急いでキッチンへと向かった。




「如何ですか?」
熱いスープを一口啜って、僅かに目を細めた相手に、そっと問いかける。
「…旨い」
酷く意外そうな表情に、思わず苦笑して。
「ならよかったです」
「これ、ほんとにお前が作ったのか? かなり手かけてるだろ、コレ」
「今日、俺、非番だったんスよ。でなかったら、ここまで凝ったものは、なかなかできないんスけどね。大佐が明日から出張だっていうんで、きちんと栄養取ってもらいたかったんですけど」
そのために、早朝から朝市にでかけて新鮮な魚介類を仕入れてきたというのに。結局外食になってしまったロイを思って小さく溜息をつく。
「悪いな」
「え? 何がです?」
「ロイに食わせるために作ったんだろ? やっぱり俺が食うのはマズいんじゃねえか?」
「……」
「なに意外そうなカオしてやがる」
「いや、そういうこと言われると思ってなかったんで」
「そんな気遣いが出来るようには見えねえって? お前、俺のイメージ、随分悪いだろ」
「そんなことないッスよ。大佐の親友だって以外、別に先入観もないですし」
「…それ充分、イメージ悪いんじゃねえか?」
酷く顔を顰めたヒューズに噴き出すと、目の前の男も同じように噴き出して。どこかぎこちなかった部屋の空気がふわりと弛んだのを感じた。

ゆっくりと食事が進む。軍人として何年も過ごすうちに身につく特技、というよりはいっそ悪癖とでも言いたい早食いの癖が見られないのは、この人が温かい家庭人だということもきっとあるのだろう。同じくゆっくりと食事をするロイと一緒にいるときのように、ひとつひとつの料理をいかにも旨そうな顔でじっくり味わってもらうのは、決して悪い気持ちはしない。
「どうかしたか?」
いつのまにか見つめてしまっていた自分に向けられた訝し気な視線に慌てて首を振って。
「あ、すいません。口にあったかなーとか思ってたんで」
「ああ、旨い。まあ、グレイシアの料理には負けるけどな」
野菜がたっぷり入ったオムレツを嬉しそうな顔で頬張っておきながらも愛妻自慢は忘れないのが如何にもこの人らしい。
「ロイの奴、いつもこんなモン食ってんのか。これじゃいくら結婚勧めても簡単には頷かねー筈だな」
「なんなんスか、それ」
「独身男がいちばん侘しく感じるのは、温かい料理が食えないときだろ」
「あー、そんなもんですかねえ」
「わんこ、お前な。自分が料理できるからあんまり実感ねえのかもしれねーけどな。実際、疲れて帰った暗い部屋で温かい料理も食えずに冷たい布団に潜り込む毎日ほど味気ねーものはないぞ」
いや、料理できるとかに関わらず、それは俺も一緒ですから、と口を挿む余裕もなく。
「我が家に帰ると暗い中に浮かび上がる明るい灯り、温かい部屋、旨い料理のイイ匂い、それに世界一可愛い娘が、パパおかえりなさいーって飛びついてくるのを抱き上げて、まずは、パパおひげいたーいっとか言われながら頬擦りをするだろ、そしたらその後ろには世界一美人な嫁さんが、あなたお帰りなさいと最高の笑顔で迎えてくれてだな、お食事にしますか、それともお風呂とか言われた途端、やーん、ぱぱと一緒にお風呂にはいるーっとか言われて、おおそうか、じゃあ、ママも一緒に皆で入るか、とかだな、おい、わんこ、ちゃんと聞いてるか?」
「…デザートお持ちします」
「おお、悪いな」
この人を誘ったのは、はたして正しい選択だったんだろうか。はあ、と小さな溜息をついてから、上司の為に作っておいたチョコレートムースを持って来る為に立ち上がった。



「よお、酒用意しておいたぞ」
シャワーを浴びて出てきたところで声をかけられる。デザートまでぺろりと平らげたヒューズの勧めに従って、片付けの後、熱いシャワーを浴びて出てきたところだった。
主人の戻らない家にいつまでもいるわけにはいかないからと、夕食後すぐに帰宅しようとしたのを、どうせ泊まるつもりだったクセにと笑われたときには微妙に居心地の悪い思いをしたものの、ヒューズの言葉に悪意も嫌味もないのは歴然としていたから。寧ろ何故泊まらないのだと不思議そうに問われては、黙って降参するしかなかった。
正直、ロイが夜中に戻ったときに、自分の家にこの二人が一緒にいるのを知れば、どんな反応を示すことになるのかを考えると怖い気もするものの興味がないわけでもない。ロイとヒューズとの間に、ただの親友だというだけではない特別の感情をこめた関係があるのを知っていた。多分、ずっと以前から続いているその関係は、ヒューズが結婚をして以後も、適度な距離と間隔をあけつつ続いているのだと、悪びれることないロイに告げられたのは、自分とロイが所謂そういう関係になって間もなくのことだ。まるで何でもないことのように告げられた告白に、内心ひどく動揺しながらも、ああそうなんですか、と流して。実はあのときは物凄く緊張していたのだよと、ロイが苦笑したのは、それからまた暫くたってからのことだった。

「んじゃ、まずは乾杯だな」
「何にっスか?」
「んー、せっかくの美味いスープを食い損ねた可哀想なロイくんに」
「じゃ、中佐の美人な奥さんと可愛い娘さんに」
「おー、わかってんじゃねえか、お前。じゃ、楽しみにしていた甘い夜がお預けになった可哀想なわんこくんにも」
「…中佐」
「間違ってねえだろ?」
「その通りですけどね」
どうせ全部知ってる相手に、いまさら恰好つけても仕方がない。半分自棄になってグラスを煽れば、目の前の翠色が面白そうにきらめく。
「で、どうなんだ、ロイとは」
「どういう意味ですか?」
「うまくいってんのか、って」
「お陰様で、って答えるとこなんスかね、ここは」
「あれ、拗ねたか?」
「いーえ、別に。アンタたちのタチの悪いのはちゃんと知ってますから」
小さく肩を竦めて見せれば、ヒューズがくつくつと笑い出す。
正直なところ、別に嫌な思いをしたわけではなかった。大切な親友、というだけではない特別な存在であるロイが、自分のような若造と関係を持っていることは、実際ヒューズにとって面白い筈がないだろう。多分それは自分に対する不快感さえ持たれても不思議はないことだと思う。にも関わらず、そんな負の感情を向けられたことなど一度もなく、寧ろその関係を楽しんでいるようにさえ見えるヒューズ。そしてそんなヒューズに対して自分の思いはと言えば。
「あー、やっぱ拗ねてんのかなあ」
「あん?」
「ってよりは妬いてんのかな」
「わんこ?」
「中佐にはかなわないっスから」
「少尉?」
熱でもあるのか、とばかりに、額に手をあてられて苦笑する。
「あ、すいません。ヘンな意味じゃないっスよ。なんつーかな。中佐を見ていると、自分はまだまだ青いなあと実感させられるっていうか」
「なんだ、ヤケに殊勝じゃねえか。ロイくんと何かあったか?」
「いえ!それは全然!」
これはしっかり否定しておかなければ、と慌てて首を振る。
「うまくいってるってか。じゃ、俺のことが気にいらねえか?」
何気なく、けれど、真剣にきかれた言葉に、こちらも真剣に返す。
「そうじゃないから、困るんスよ。いっそ、そうだったらよかったんですよね。中佐がイヤな奴なら、無理してでも大佐を奪ってやろうとか思えるんですけどねぇ」
わざとらしく溜息をついてみれば、途端に面白がるように眼鏡の奥の翠が煌めく。
「なんだ。つまり、お前さんは、俺のことが好きなんじゃねえか」
「…そういうこと髭面で言うのやめてくれません?」
「髭は趣味じゃねえか?」
「少なくともキスしようとは思いませんね」
「俺、結構巧いんだがなァ。試してみるか?」
そんなことを真面目な口調で言われては、もう笑うしかなくて。
「やめときます。そんなことしたら大佐に怒られそうですし」
「はーん…」
そのまま酷くタチの悪い笑顔を浮かべたヒューズがまっすぐに見つめてくる。
「それはどういう意味なんだろな、わんこ。ロイがどっちに怒るって? お前とキスした俺にか、それとも俺とキスしたお前にか?」
「あー、大佐は…」
あまり深く考えてなかったところにツッコまれて、ふと考える。
あの人は、一体どっちに怒るのだろう。
ヒューズと自分と、一体どっちに嫉妬するのか? 

自分はまだまだ中佐にはかなわない、それは事実。
けれど、無闇に自分を卑下しているわけではない。
あの人から自分に向けられる思いのなかに欠片も愛がないだとか、そんなことを思っているわけではないから。
そう、きっとあの人は、どちらにも同じように。

「わんこ?」
「大佐は多分…というかきっと、絶対」
そして、はあ、と溜息をついて。
「両方にやきもちやくと思いますよ」

「あ…?」

一瞬ぽかんと口を開けたヒューズが、次の瞬間に爆笑して。引込まれるように一緒に笑い出す。

「ち、違いねえっ、ありゃ、ほんっとーっに、お子様だからな」
止まらない笑いに、きれぎれになる台詞。
「でしょ。きっとどっちも自分のもの、って思ってんスよ」
「自分のこたァ棚に上げて、私以外に惚れるなどと許さん、とか言うんだよな」
「わがままっスよねえ」
「どうしようもねえよなあ」
「なんであんなのに」


「惚れちまったんだろうなあ」


最後に重なった台詞に、またひとしきり笑い合って。



それから後は、どうしようもない親友で、どうしようもない上司を、ふたりでさんざんこき下ろしながら、上等な酒をあけまくり。真夜中、最悪気分で接待から帰宅した家主が居間を覗いたときには、二人、部屋のど真ん中で高鼾、いくら殴っても蹴っても起きなかったのだと、それは後日出張から帰ったロイからきいた話だった。




誰よりも大切な人は、他の誰かも大切に想っているけれど。
そういう貴方が好きなのだと。

教えたら、つけあがるから、教えない内緒の話。





fin.